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『異世界マーケティング ~剣も魔法も使えない俺は、勝てる仕組みで仲間を最強にする~』  作者: ポチ
黄金獅子編

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第二十九話 道の先にあるもの



「続いて――《白樫の枝》」


 監督官の声が響いた。


 ラグナートの城門前では、まだ《黄金獅子》が叩き出した七日という記録の話でもちきりだった。


「七日だぞ。これより速いなんてあるのか?」


「《白樫の枝》も立派な橋を造ったらしいけどな」


「橋が立派でも、荷車の速さまでは変わらないだろ」


 そんな声を聞きながら、セラがノアの横顔を覗き込む。


「随分落ち着いてるじゃない」


「予想よりかなり速かったよ」


「じゃあ、もう少し焦った顔しなさいよ」


「今から焦っても結果は変わらないだろ」


「それはそうだけど」


 リゼットが小さく笑った。


「でも、さすが《黄金獅子》ね」


「ああ」


 最短の旧街道を奪還し、宿場を復旧し、馬と護衛を交代させながら七日まで縮めた。


 世界最高峰。その名に恥じない結果だった。


 だからこそ、勝つならこちらも出し切るしかない。


「行こう」


 ノアが立ち上がる。


 リゼット、セラ、フィーネ、ガルドも続いた。



 ◇



 《白樫の枝》の輸送試験が始まった。


 使うのは、ごく普通の大型荷車と馬だった。


 指定された貨物を積み、九十日かけて整えた街道を進む。


 やがて石橋へ差しかかると、反対側から戻ってきた大型荷車と中央ですれ違った。


 速度を落とす必要すらない。


「やっぱりすげえ橋だな」


「大型荷車が二台並んでも余裕じゃないか」


 見物人から感嘆の声が上がる。


 だが、疑問も消えない。


「でも……これで七日を抜けるのか?」


 その答えが現れたのは、橋を越えてさらに進んだ先だった。


 輸送隊が広く整地された場所へ入ると、突然荷車が止まった。


 御者たちは慣れた手つきで荷台へ上がり、貨物を降ろし始める。


 同行していた監督官が眉をひそめた。


「まだ先があるはずだが?」


「ここで引き継ぎます」


 答えたのは、ノアたちと最初から行動していた運送業者だった。


「引き継ぐ?」


 監督官が周囲を見回す。


 屋根付きの倉庫。


 待機している荷車と馬。


 荷役人。


 御者。


 到着した荷物を確認し、次に送る貨物を振り分ける担当者。


 そこは単なる休憩所ではなかった。


「……中継拠点か」


「はい。この荷車の担当はここまでです」


 荷を降ろした荷車は、休息と点検を済ませれば元の区間へ戻る。


 貨物は別の荷車へ積み替えられ、先へ進む。


 一台の荷車が王都からラグナートまで走り切るのではない。


 街道をいくつもの区間に分け、それぞれに荷車、馬、御者を置く。


 運ぶのは、荷車ではない。


 荷物だ。


「なるほど……」


 監督官が頷きかけたところで、その先に広がる急斜面を見た。


「だが、ここから先はどうする?」


 普通に荷車で下れば、何度も折り返す長い山道になる。


 運送業者が笑った。


「荷車では下りませんよ」


「何?」


 案内された監督官が斜面の端まで進み――足を止めた。



 巨大な木組みが、谷へ張り出していた。



 太い支柱。


 何重にも組まれた滑車。


 人の腕ほどもある縄。


 そして、大量の貨物を載せられる大きな昇降台。


 数人の男たちが、長い棒の付いた巨大な巻き上げ機の周囲で待機している。


「これは……」


 ノアには見覚えがあった。


 ラグナート近郊の鉱山で見た、人力で鉱石を引き上げる仕組み。


 原理は同じ。


 規模だけが、まるで違った。


「下ろすぞ!」


 掛け声とともに巻き上げ機が動く。


 太い縄が軋み、貨物を載せた昇降台が斜面を下り始めた。


 荷車なら何度も折り返さなければならない高低差を、荷物だけがほぼ一直線に降りていく。


 そして斜面の下には――もう一つの中継拠点。


 別の荷車。


 別の馬。


 別の御者。


 すべて準備済みだった。


 昇降台が着く。


 荷を降ろす。


 次の荷車へ積み替える。


 準備の整ったものから、すぐに走り出していく。


 監督官が呆然とその流れを見つめた。


「……一台の荷車を速く走らせているわけではないのか」


「ええ」


 運送業者が笑った。


「荷物を止めないようにしてるんです」


 それが、この道の考え方だった。


 一人の御者が何日も山を越え続ける必要はない。


 一頭の馬を酷使する必要もない。


 一台の荷車が壊れたからといって、すべてが止まることもない。


 各区間を担当する人間が、自分たちの範囲を往復する。


 貨物だけが次へ、次へと渡っていく。


 そして、その流れを管理しているのはノアたちではない。


 ラグナートの運送業者たちだった。



 ◇



 一日目。


「もう第一山域を抜けた?」


 二日目。


「待てよ。《黄金獅子》の時より速くないか?」


 三日目には、途中経過を聞こうと城門へ集まる人間が増え始めた。


 四日目。


 もう誰も「七日は無理だ」と笑わなかった。


 そして――五日目。



 ラグナートの城門前は、人で埋まっていた。



「見えた!」


 街道の先に旗が現れる。


 その後ろから、指定貨物を積んだ荷車が次々と姿を見せた。


「本当に来た……」


「まだ五日だぞ……!」


 先頭の荷車が城門をくぐる。


 二台目。


 三台目。


 最後の荷車まで入り、監督官たちが貨物を確認した。


 数量。


 破損。


 不足。


 問題はない。


 すべて揃っている。


 やがて監督官が顔を上げた。


「《白樫の枝》――所要、五日」


 一瞬。


 誰も声を出せなかった。


「……五日?」


 誰かの呟きをきっかけに、城門前が爆発した。


「五日!?」


「《黄金獅子》より二日も速いぞ!」


「昔の旧街道の半分じゃないか!」


 親方が拳を突き上げる。


「よっしゃあ!」


 職人たちが叫び、運送業者たちは互いの肩を叩き合った。


 フィーネも目を輝かせる。


「本当に……五日でした!」


「何その反応。もっと喜びなさいよ!」


 セラがすぐに肩を抱く。


「や、やりました!」


「もっと!」


「やりましたー!」


「何させてるのよ」


 リゼットが笑った。


 ガルドも、僅かに口元を緩めている。



 だが、監督官たちが見ているのは速さだけではなかった。


 各中継拠点から記録が集められる。


 必要な人員。


 馬と荷車の稼働状況。


 維持費。


 安全性。


 輸送できる貨物量。


 そして継続して運用できるか。


 商人の一人が、資料を覗き込みながら気づいた。


「……これ、五日で届くことだけが凄いんじゃないな」


 運送業者が頷く。


「それぞれの荷車は、自分の担当区間だけを往復しますから」


 従来なら、一度ラグナートを出た荷車も馬も御者も、長い旅から戻るまで次の仕事には使えない。


 今は違う。


 担当区間を往復し続け、その間も貨物は次々と先へ送られていく。


「同じ数の荷車と馬でも……流せる量が全然違うのか」


「ええ」


「なら今まで後回しにしてた重い荷も出せる」


「便数も増やせるぞ」


「王都から来た荷車を待たなくていいなら、帰りの荷だって組みやすい」


 商人たちの会話が一気に現実的なものへ変わっていく。


 五日という数字の向こうにあるものを、彼らはもう理解し始めていた。



 ◇



 その日の午後。


 四つのギルドと、ラグナートの人々が見守る中、最終結果が発表された。


「輸送時間、輸送量、安全性、必要人員、運用費、継続性。以上を総合して判断した結果――」


 監督官が一拍置いた。


「王都指定案件、第一位――《白樫の枝》」


 歓声が弾けた。


「勝ったぞ!」


 親方が叫ぶ。


 職人たちが拳を上げ、運送業者たちも大声で喜ぶ。


 九十日前。


 ここにいたのは、ほんの数人だった。


 それが一人増え、また一人増えた。


 橋を造った。


 道を整えた。


 失敗して、直して、何度も試した。


 そして全員で、ここまで来た。


「勝ったわね」


 リゼットが笑う。


「ああ」


 ノアもようやく笑った。



 歓声が少し落ち着いたところで、監督官が再び口を開く。


「今回、四つのギルドはそれぞれ異なる答えを出しました」


 《翠嶺の砦》は、安全で実用的な新街道を造った。


 《風穿ちの鷹》は、山を最短距離で抜くことへ挑んだ。


 《黄金獅子》は、旧街道を奪還し、その性能を最大限まで引き出した。


「どれも優れた答えです」


 監督官の視線が《白樫の枝》へ向く。


「ですが、一つだけ明確な違いがありました」


 周囲が静まる。


「今回の参加者は皆、どうすれば道を通せるかを考えた」


 そこで一拍置いた。


「しかし、《白樫の枝》だけは最初に道を見なかった」


 ノアが顔を上げる。


「彼らが最初に見たのは、その道の先で暮らす人々です」


 市場。


 倉庫。


 工房。


 鉱山。


 運送業者。


 初日に歩いたラグナートの景色が、ノアの頭に蘇る。


「何が運べずに困っているのか。何を届けたいのか。誰が作り、誰が買うのか。そして、それをどうすれば継続して運び続けられるのか」


「だから彼らにとって、石橋も、街道も、中継拠点も、昇降設備も、それ自体が目的ではなかったのでしょう」


 監督官は静かに告げた。


「《白樫の枝》が作ったのは、一本の道ではありません」


「物が流れ続ける仕組み――物流そのものです」



「……ちょっと違うな」


 後ろから声がした。


 最初から工事に参加していた運送業者だった。


「いや、言ってることは合ってるんだけどよ」


 男は少し照れ臭そうに頭を掻き、ノアを見る。


「こいつらが最初に見たのは、物流とかそんな難しいもんじゃない」


 一拍。


「俺たちだよ」


 ノアが目を瞬く。


「初めて街へ来た時からそうだっただろ」


 男は指を折りながら笑う。


「何が高くて困ってる。何が売れずに倉庫へ積まれてる。もっと作れるのに、何で作らない。荷車は何日戻ってこない。帰りには何を運べる」


「そんなことばっかり聞いてきた」


 親方も鼻で笑った。


「俺のところでもそうだ。いきなり橋を造れじゃねえ。最初に聞いたのは、俺たちに何ができるかだった」


 別の職人も頷く。


 運送業者が続けた。


「金になるから手伝った奴もいる。それは当たり前だ」


「でも、それだけなら、途中からあんなに人は増えてねえよ」


 昨日まで通れなかった道を、今日は荷車が通った。


 何もなかった谷に橋が伸びていった。


 毎日少しずつ、街と外の世界が繋がっていく。


「見てりゃ分かったんだ」


 男がノアを見る。


「こいつら、本気で俺たちの街をどうにかしようとしてるって」


 辺りが静かになる。


「あんたたちは、道だけを見に来たんじゃない」


「俺たちを見てくれた」


 ノアは何も言えなかった。


「だからさ」


 男が笑う。


「俺たちだって、お前についていきたくなったんだよ」


 親方も腕を組んだまま頷いた。


「最初は面白そうな仕事だと思っただけだった」


 完成した街道を見る。


「でも、毎日何かが出来上がっていくのを見るのが楽しくなった」


「街がまた動き出すみたいでな」


 別の職人が笑う。


「自分たちの街を、自分たちで取り戻してるみたいだった」


「ああ」


「だから最後までやった」


「お前らと一緒にな」


 ノアはしばらく黙っていた。


 やがて、小さく頭を下げる。


「……ありがとうございます」


「それはこっちの台詞だ」


 親方の大きな手が、ノアの背中を叩いた。


「痛っ!」


「ははは!」


 笑い声が広がる。


 ノアも、今度は一緒になって笑った。



 ◇



「完敗だな」


 結果発表の後、声を掛けてきたのはユリウスだった。


 後ろにはグレンとレティシアもいる。


「七日で完敗って言われても、あまり実感ないですけど」


「こちらとしては十分ある」


 ユリウスは苦笑した。


「俺たちは、最も優れた道を取り戻せば勝てると思った。その判断自体が間違っていたとは思っていない」


 実際、七日という記録を出した。


 それだけの戦力と組織力が、《黄金獅子》にはある。


「ただ……強さで解ける問題に見えすぎていたのかもしれない」


 ユリウスがノアを見る。


「俺たちは道を見ていた」


「お前たちは、その先を見ていた」


 そして、素直に笑った。


「世界最高峰と呼ばれていても、知らない戦い方はあるらしい」


「見習わないとな」


「俺は納得してねえぞ!」


 グレンが横から割り込んだ。


「五日は反則だろ!」


「反則してませんよ」


「分かってる! だから余計に腹立つんだ!」


「意味分からないです」


 レティシアがくすくす笑う。


「でも私は結構好きよ」


「何がです?」


「あなたが」


「俺?」


 レティシアは少しだけ首を傾けた。


「自分で剣も振れないのに、街ひとつ巻き込んで世界最高峰を負かしたんだもの」


 柔らかく笑う。


「あなた、結構カッコいいじゃない」


「……褒めてます?」


「かなり」


 少し離れたところで聞いていたセラの口元が上がった。


 それに気づいたリゼットが眉を寄せる。


「何よ」


「別に?」


「その顔で言われても信用できないんだけど」


「まだ何も言ってないでしょ?」


 フィーネが二人を見て困ったように笑う。


 ガルドは、巻き込まれる気がないらしく少し離れたところにいた。



 ノアは、もう一度周囲を見る。


 喜んでいる職人たち。


 運送業者。


 ラグナートの人々。


 競い合った冒険者たち。


 そして仲間たち。


 一本の道を造っただけではない。


 明日からも、ここでは荷物が流れ続ける。


「ノアさん」


 フィーネが隣へ来た。


「お疲れさまでした」


 リゼットも、セラも、ガルドもこちらを見る。


 ノアは少しだけ笑った。


「ああ」


 そして仲間たちへ言った。


「みんなもな」





 ◇



 その大陸には、道がなかった。


 人が踏み固めた獣道すらない。


 空を覆うほど巨大な樹木が連なり、その根元には家屋ほどもある獣の骨が半ば土に埋もれている。遠くには黒々とした山脈がどこまでも続き、谷の底からは時折、人間の知る魔物とは明らかに違う咆哮が響いていた。


 人が住めない土地。


 そう呼ばれている理由を、説明されるまでもなく理解できる場所だった。


 そこを、五人の人間が歩いていた。


 先頭を行くゼノが、不意に足を止める。


「……来るぞ」


 その直後だった。


 森の遥か奥で、巨大な木々が何本もまとめて揺れた。


 ばさり、と。


 次いで空が翳る。


 一つ。


 二つ。


 三つ。


 巨大な影が森の上へ浮かび上がった。


「おお……!」


 ライルが思わず声を上げる。


 驚きはしている。


 だが、その顔には恐怖など欠片もなかった。


「すげえ数いるな!」


 さらに左の山腹から一体。


 谷の向こうから二体。


 岩壁の上にも、巨大な爪を食い込ませた竜がいる。


 翼を広げれば数十メートルに及ぶ巨体。


 分厚い鱗。


 一本一本が槍ほどもある牙。


 その一体一体が、人間の住む地域に現れれば大惨事を引き起こしかねない怪物だった。


 かつて《灰色の翼》が五人の力を合わせ、死力を尽くしてようやく打ち倒した巨大竜。


 それに匹敵するものが、ここには何体もいる。


 ミレイアが黒い剣を抜いた。


「ずいぶん歓迎されているようですね、ゼノ様」


「悪くないだろ」


 ゼノは笑った。


 エレナも杖を構え、その先に紫黒の魔力を集めていく。


「これほどの数を一度に見るのは、さすがに初めてです」


 ヴィオラはドレスの裾を僅かに払っただけだった。


 その周囲には、すでに薄い薔薇色の光が幾重にも重なり始めている。


「ですが、ちょうどよろしいかと」


「ああ」


 ゼノは正面の竜たちを見る。


 そして、まるで草木を刈る話でもするように言った。


「まずは邪魔なやつらの掃除からだ」



 最初に動いたのは竜だった。


 咆哮。


 大気そのものが震え、森の鳥たちが一斉に飛び立つ。


 直後、上空の一体が口を開いた。


 青白い光が喉の奥へ集まり――一気に放たれる。


 轟音とともに、魔力の奔流が五人を呑み込んだ。


 だが。


「遅い!」


 ライルの姿が消えた。


 次の瞬間には、すでにブレスの射線から大きく外れた位置を駆けている。


 一歩。


 二歩。


 地面を蹴るたびに速度が上がり、竜が首を振った時にはもう懐へ入っていた。


 ライルの動きを追って別の竜が爪を振り下ろす。


 大地が砕けた。


 土砂が十数メートルも吹き上がる。


 だが、その中心にライルはいない。


「こっちだって!」


 頭上。


 振り返った竜の鼻先を蹴り飛ばし、その反動のまま巨体の首筋を駆け上がる。


 竜が激しく身体を振るが、ライルの動きは止まらない。


「ははっ! いいね!」


 楽しそうな声だけを残し、さらに加速していった。



 その反対側では、ミレイアが一体の竜と真正面からぶつかっていた。


 巨大な前脚が振り下ろされる。


 人間など一撃で肉塊に変える質量。


 ミレイアは僅かに身体を滑らせ、それを紙一重でかわした。


 そして、黒い剣が走る。


 硬い竜鱗の隙間へ正確に刃が入り、赤黒い血が噴き出した。


 竜が怒り狂い、尾を横薙ぎに振るう。


 木々がまとめてへし折られる。


 その破壊の中を、ミレイアは軽やかに跳んだ。


「この程度ですか?」


 着地と同時に踏み込み、再び懐へ。


 巨体と小さな人影。


 あまりにも大きさが違う。


 それなのに、追い詰められているように見えるのは竜の方だった。



 別の一体が空高く舞い上がる。


 その口内へ、灼熱の光が集まった。


 狙いはエレナ。


 しかし彼女は避ける素振りすら見せない。


「……それで魔法のつもりですか」


 杖を掲げた。


 その瞬間、周囲の空間が紫黒に染まる。


 竜が放った炎と、エレナの魔法が正面から激突した。


 炎が膨れ上がり、森の上空に巨大な火球が生まれる。


 押し合ったのは、ほんの一瞬だった。


 紫黒の光が炎を突き破る。


 竜のブレスを逆に呑み込み、そのまま胸部へ直撃した。


 轟音。


 空を飛んでいた巨大な身体が大きく仰け反る。


 エレナは杖を僅かに振った。


「もう一度いきます」


 二発目。


 今度は避ける暇すら与えなかった。



 ヴィオラの前には、二体の竜が同時に降り立っていた。


 左右から迫る牙と爪。


 しかし彼女は一歩も動かない。


「触れさせません」


 薔薇色の光が広がった。


 巨大な爪が空中で止まる。


 まるで見えない壁へ突き当たったように、竜の腕が弾かれた。


 もう一体が横から噛みつこうとする。


 その頭部まで、空間そのものに押さえ込まれた。


 ヴィオラが杖を傾ける。


「跪きなさい」


 結界が反転した。


 守るための壁だった力が、今度は外側から二体を締め上げる。


 空間に固定された巨体が地面へ叩きつけられ、岩盤が大きく陥没した。



 その中央を、ゼノは歩いていた。


 戦っている四人を見るでもない。


 それぞれが勝つことなど、最初から分かっている。


 視線は、そのさらに奥へ向けられていた。



 低い咆哮が響いた。



 それまでとは違う。


 ライルが一瞬だけ動きを止め、音のした方を見る。


「……お?」


 山腹が動いた。


 そう錯覚するほど巨大な影だった。


 森の木々を押し倒しながら、それはゆっくりと姿を現す。


 他の竜より、一回りどころではない。


 頭部だけで小さな家ほどある。


 全身を覆う黒銀の鱗には無数の古傷が刻まれ、左右へ伸びた角は歪にねじれている。


 翼を開く。


 その瞬間、周囲の竜たちが一斉に動きを止めた。


 空にいたものまで高度を下げる。


 竜たちの視線が、一体へ集まる。


 ゼノが笑った。


「あいつが頭か」


「でっか……!」


 ライルが目を輝かせる。


「ゼノ、あれヤバそうだな!」


「そう見えるか?」


「最高じゃん!」


 迷いなくそう返して、ライルは自分の相手へ再び向かっていった。


 ミレイアたちも同じだった。


 誰もゼノを案じない。


 必要がないからだ。



 巨竜がゼノを見下ろした。


 次いで、大地を揺らす咆哮。


 他の竜たちまで呼応する。


 そして巨大な口が開いた。


 光が集まる。


 青でも赤でもない。


 紫がかった黒い魔力。


 それだけで周囲の木々が軋み、地面から小石が浮かび始める。


 放たれた。


 視界すべてを埋め尽くすほどのブレス。


 森を削りながら進むその一撃を前に、ゼノは避けなかった。


「へえ」


 右手を上げる。


「まあまあだな」


 ゼノの身体から、赤黒い魔力が溢れた。


 次の瞬間。


 正面からぶつかった。


 爆音。


 地面が陥没し、衝撃だけで周囲の木々が根元から吹き飛んだ。


 光と闇がぶつかり合う。


 だが均衡は長く続かない。


 赤黒い魔力が、巨竜のブレスを侵食していく。


 押し返すのではない。


 呑み込んでいる。


 竜がさらに魔力を吐き出した。


 それでも止まらない。


「その程度か?」


 ゼノが笑った。


 一歩、前へ出る。


 さらに一歩。


 巨大なブレスの中を、歩いて進む。


 赤黒い魔力が周囲を染め上げ、そのたびに竜の力が削られていった。


 やがて。


 ゼノが腕を振る。


 ブレスが真っ二つに裂けた。



 巨竜が初めて後退した。



「今さら下がんなよ」


 ゼノの姿が消える。


 巨竜が反応するより速い。


 次の瞬間、ゼノはその頭上にいた。


 巨大な瞳が動く。


 腕が振り下ろされた。



 轟音。



 巨竜の頭部が大地へ叩きつけられた。


 山が崩れたような衝撃が走り、周囲の森が円形に押し倒される。


 それでも竜は立ち上がった。


 怒り狂った爪がゼノを襲う。


 ゼノは片腕で受け止めた。


 人間と竜。


 あまりにも大きさが違う。


 それでも押されたのは竜だった。


「いいね」


 ゼノの口元が吊り上がる。


「少しくらいは楽しませろよ!」


 魔力が爆発した。


 巨竜の前脚が弾けるように持ち上がり、巨体そのものが横へ吹き飛ぶ。


 岩壁へ激突。


 山肌が崩れ落ちる。


 それでも起き上がろうとする竜へ、ゼノは躊躇なく追いついた。


 拳。


 蹴り。


 魔力。


 その一撃ごとに、大地が砕けていく。


 強大な竜だった。


 他の土地なら、英雄たちが集められるほどの怪物だったかもしれない。


 だが、この戦場では違った。


 戦いが続くほど明確になる。


 どちらが強者なのか。


 どちらが、この場を支配しているのか。


 最後に巨竜が天を仰いだ。


 全身の魔力を口内へ集める。


 先ほどを遥かに超える光。


 ゼノも足を止めた。


「それが最後か?」


 巨竜が吠える。


「じゃあ――」


 赤黒い魔力がゼノの周囲へ凝縮していく。


「終わりだ」


 二つの力が衝突した。


 世界が白く染まった。



 少し遅れて、音が来た。



 森を揺るがす大爆発。


 空を覆った雲にまで巨大な穴が開く。


 土煙が晴れていく。


 最初に見えたのは、地面へ倒れ伏した巨竜だった。


 巨大な頭部は動かない。


 翼も、尾も。


 その上に、ゼノだけが立っている。



「……ははっ!」


 ライルが笑った。


 自身が相手をしていた竜を蹴り退けながら、心底楽しそうに叫ぶ。


「やっぱゼノ、すげえな!」



 その時だった。



 残っていた竜たちが、動きを止めた。



 ミレイアの剣の前にいたもの。


 エレナと撃ち合っていたもの。


 ヴィオラの結界に捕らえられていたもの。


 そして空を旋回していた数体。


 すべてが、巨竜の死骸の上に立つゼノを見ている。


 ゼノもまた、竜たちを見返した。


「……まだやるか?」


 赤黒い魔力が広がる。


 先ほどまでの戦闘で見せたものとは違う。


 破壊するための力ではなかった。


 大地へ染み込み、空気へ溶け込み、周囲すべてを覆っていく。


 魔力に触れた竜たちの身体が強張る。


 翼を広げていた一体が、ゆっくりと降りた。


 続いてもう一体。


 巨体が地面へ伏せる。


 頭が下がる。


 一体。


 また一体。


 やがて残っていたすべての竜が、ゼノの前で首を伏せていた。



 静寂。



 ライルが目を丸くする。


「……従った」


 次の瞬間には、嬉しそうに笑っていた。


「ははっ! ドラゴンまで仲間にしちまった!」


 ミレイアも剣を収め、ゼノへ視線を向ける。


「さすがでございます、ゼノ様」


「殺すより使った方が得だろ」


 ゼノは巨竜の死骸から飛び降りた。


 一体の竜が、その動きを追うように顔を上げる。


 先ほどまで敵だった怪物だ。


 だがもう襲ってこない。


 ゼノの魔力の下で、静かに命令を待っている。


 ヴィオラが周囲を見渡した。


「この者たちも、お連れになるのですか?」


「ああ」


 ゼノは当然のように答えた。


「空を飛べる奴は使える」


「なるほど。国の上空を守らせるおつもりなのですね」


「察しがいいな」


 エレナが僅かに微笑む。


「人間の国では、まず見られない光景になりそうです」


「人間の国を作る気なんかねえよ」


 ゼノの言葉に、三人が視線を向ける。


 ライルも笑みを残したまま振り返った。


 ゼノはその先へ歩いていく。


 森を抜けた先。


 高台。


 そこから、果ての見えない大地が広がっていた。


 巨大な河川。


 深い森。


 山脈。


 広大な平原。


 人間の城壁も、街道も、国境を示すものも何一つない。


 ゼノはしばらくその景色を眺めていた。


「ここならいい」


 ミレイアが隣へ進む。


「ここを、拠点になさるのですか?」


「拠点?」


 ゼノが笑う。


「そんな小さい話じゃねえよ」


 背後では、数体の竜が静かに伏せている。


 その向こうには、戦いで荒れ果てた森。


 そして群れの長だった巨竜の死骸。


「ここに国を作る」


 誰も言葉を挟まなかった。


 驚いている。


 だが否定する者はいない。


「今の拠点にいる連中も、順番にこっちへ移す。《ブラッドホーン》も呼ぶ」


「全員ですか?」


「ああ」


 ゼノは大陸を見渡した。


「人間も、亜人も、魔物も関係ねえ」


「使える奴は全部集める」


 ライルが眼下の大地を見る。


 そして、少年のように目を輝かせた。


「いいな、それ!」


 どこまでも広がる土地を見ながら笑う。


「ここなら、いくらでもデカくできそうだ!」


「だろ?」


 ゼノも笑った。


 ヴィオラが静かに頭を下げる。


「ゼノ様がお望みになる国でしたら、必ず形にしてみせます」


「私も、すべてお力になります」


 エレナが続く。


 ミレイアもゼノを見つめた。


「どこまでも、お供いたします」


 四人を見る。


 そのさらに向こうには、ゼノへ屈服した竜たちがいる。


 今はまだ、たった五人。


 だが、ここへ人が集まる。


 亜人が集まる。


 魔物すら集まる。


 人間の王国では決して生まれない、新しい勢力がこの大陸に根を張っていく。


 ゼノは広大な大地へ向き直った。


 その顔には、初めてこの世界へ来た時と変わらない、楽しそうな笑みが浮かんでいる。


「よし」


 そして宣言した。



「ここから、俺たちの国を作るぞ!」

【あとがき】


今回の異世界マーケティングは、「顧客起点」です。


四つのギルドに与えられた課題は、王都とラグナートの間に「継続して使える物流網」を作ることでした。


しかし、山を前にすると、どうしても考えてしまいます。


どこに道を通すか。

どうやって橋を架けるか。

どうすれば最短で山を越えられるか。


《翠嶺の砦》は新しい道を作り、

《風穿ちの鷹》は山そのものを貫こうとし、

《黄金獅子》は最も優れた旧街道を取り戻しました。


どれも間違った答えではありません。


ただ、ノアだけは最初に山へ行きませんでした。


ラグナートへ行き、


何が高くて困っているのか。

何が売れずに余っているのか。

何をもっと作れるのか。

なぜ運べないのか。


まず、街の人たちを見ました。


そこで見えてきた本当の問題は、


「道がない」


ではなく、


「物が流れない」


ということでした。


だからノアが作ったのは、立派な一本の道ではありません。


石橋を作り、

中継拠点を置き、

荷車と馬を区間ごとに回し、

急斜面では荷物だけを昇降機で運び、

運送業者自身が継続して管理できる仕組みにする。


道も、橋も、昇降機も、すべては手段です。


欲しかったのは、


「荷物が止まらずに流れ続ける状態」


でした。


ビジネスでも、目の前の商品や技術から考え始めると、「もっと良い商品を作ろう」「もっと高性能にしよう」となりがちです。


でも、お客さんが本当に欲しいものは、その商品そのものではなく、その先で得られる結果かもしれません。


今回、《白樫の枝》が勝てた理由は、世界最高峰より優れた道を作れたからではありません。


最初から見ていたものが違ったからです。


そして、ノアが街の人たちを見たからこそ、街の人たちもノアたちを見て、一緒に動いてくれました。


「あんたたちは、道じゃなく俺たちを見てくれた」


今回、一番書きたかったのはこの部分でした。



そして物語の最後では、久しぶりにゼノたちが登場しました。


ノアが人と人を繋ぎ、街を動かす仕組みを作っている一方で、


ゼノは人間だけでなく、亜人も、そして魔物すら従える「国」を作ろうとしています。


まだ五人。


けれど、その五人が巨大な竜の群れさえねじ伏せ、その頂点に立つ存在を倒し、残った竜まで従わせました。


ノアたちが成長している間、当然、ゼノたちも止まってはいません。


ここから物語の規模も、少しずつ大きくなっていきます。



第二章、ここまでお付き合いいただきありがとうございました!


面白かった、続きが気になると思っていただけましたら、

評価・ブックマークをいただけると、とても励みになります。


次章もよろしくお願いします!

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