第二十六話 それぞれの攻略法
ノアたちがラグナートへ向かった頃、リゼットとガルドは《黄金獅子》の三人を追って旧街道へ入っていた。
六年間、ほとんど使われていない道。
もっと荒れ果てていると思っていたが、実際に歩いてみると印象は違った。路肩から草木がせり出し、石畳が土に埋もれた場所こそあるものの、道幅は大型荷車が十分に通れる。古びた宿場跡や苔むした石橋も残っていた。
「……もったいないわね」
「道か」
「ええ。これだけ残ってるなら、魔物さえいなければ一番いいじゃない」
「だから《黄金獅子》はここを選んだんだろうな」
ガルドの言う通りだった。
少し先を進むユリウス、グレン、レティシアも、ただ強引に前進しているわけではない。獣の足跡や折れた枝を見つければ立ち止まり、周辺の地形や森の奥を確認している。
「本当に全部倒して進むつもりなのかしら」
「見れば分かる」
「そうね」
その答えは、すぐに出た。
先頭のユリウスが足を止める。
ほぼ同時にガルドも視線を森へ向けた。
「来るぞ」
低い唸り声とともに木々が揺れた。
街道へ姿を現したのは、全身を硬い甲殻に覆われた大型魔獣だった。その左右から狼に似た肉食魔獣の群れが広がり、頭上では翼を持つ魔獣まで旋回を始めている。
リゼットの表情が変わる。
「資料より多くない?」
「確認されてない個体もいるって話だったろ」
肉食種だけでも十を超える。大型種が二体。それに飛行種。
一体でも高難度討伐の対象になる魔物が、同じ街道上で縄張りを重ねていた。
「私たちなら一度引くわね」
「ああ。場所が悪い」
街道は広いが、左右は深い森だ。正面と上空を同時に相手にする必要がある。
普通なら態勢を整え直す。
だが、ユリウスは肩に担いでいた長槍を下ろしただけだった。
「まず俺が開ける」
「お願い」
レティシアが軽く答え、グレンは拳を鳴らす。
「でかいのは残しとけよ」
「保証はしない」
それだけだった。
肉食魔獣の群れが一斉に走り出す。
ユリウスが半歩前へ出た。
「――《千槍雨》」
次の瞬間、槍の穂先が消えた。
銀色の閃光が、街道の前方を埋め尽くす。
一撃ではない。
一本の槍から放たれた無数の突きが、雨のように魔獣の群れへ降り注いだ。
先頭の一体が脚を貫かれて倒れ、その背後から飛びかかった魔獣は空中で喉を撃ち抜かれる。左右へ散ろうとした個体にも槍撃が追いつき、十を超えていた群れが瞬く間に崩れていった。
「何本あるのよ、あの槍……」
「一本だ」
「分かってるわよ」
リゼットは目を離さない。
「ガルド、見えた?」
「全部は無理だ」
「あなたでも?」
「だから九牙なんだろ」
群れを踏み越え、甲殻魔獣がユリウスへ突進する。
その横から、グレンが前へ出た。
「次は俺だな」
右拳を握る。
腕から溢れた魔力が拳へ集まり、淡い光が一気に濃くなった。
大型魔獣が頭を低くして地面を蹴る。人間など鎧ごと吹き飛ばすほどの巨体が真正面から迫った。
グレンは避けない。
一歩踏み込み、拳を振り抜く。
「――《破城拳》!」
轟音。
圧縮された魔力が拳から炸裂し、衝撃波が街道を走った。
大型魔獣の巨体が一瞬止まり、次の瞬間には地面から浮いていた。
何倍もの体格を持つ魔獣が後方へ吹き飛ばされ、二本の木をへし折ってようやく止まる。硬い甲殻には、中心から大きな亀裂が走っていた。
「……素手であれ?」
「素手だな」
ガルドもさすがに目を細めていた。
だが、戦闘は終わっていない。
頭上から甲高い鳴き声が降ってくる。
三羽の飛行魔獣が急降下した。
「あら。私の分もちゃんと残ってるじゃない」
レティシアの肩から流れていた一本の長い羽衣が、風もないのにふわりと浮いた。
次の瞬間、それが鞭のように伸びる。
先頭の飛行種を横から打ち据え、その勢いのまま街道脇の大木へ巻きついた。
レティシアの身体が宙へ引き上げられる。
空中で身体を翻すと、羽衣が木から離れ、今度は鋭く張り詰めた。
「――《天衣輪舞》」
刃と化した羽衣が二羽目の翼を切り裂く。
そこからさらに大きな弧を描き、逃れようとした飛行種を横薙ぎにした。
長い羽衣は止まらない。
地上の魔獣へ絡みついたかと思えば、その身体を振り回して別の一体へ叩きつける。次の瞬間には再び木へ伸び、レティシア自身の身体を別の位置へ運んでいた。
鞭。
刃。
拘束。
移動のための支点。
一本の羽衣が、舞うたびに役割を変えていく。
「……あれは嫌だな」
ガルドが呟いた。
「ガルドがそう言うなら相当ね」
「間合いが読めん。遠くにいても安全じゃない」
「近くも嫌よ」
「だろうな」
最後の飛行種が地面へ落ちた。
森へ逃げようとした肉食魔獣の前には、すでにユリウスが回り込んでいる。
数度の銀光。
それで終わった。
戦闘開始から、ほとんど時間は経っていない。
街道には十数体の魔物が倒れ、《黄金獅子》の三人には傷一つない。
「結構いるな」
ユリウスは何事もなかったように槍を肩へ戻した。
「この先はもっと多いんだろ?」
グレンが楽しそうに笑う。
「なら暇にはならなそうだな」
「私はもう少し優雅な依頼が好きなんだけど」
「さっき一番楽しそうだったぞ」
「見間違いじゃない?」
三人はそのまま旧街道の奥へ歩き始めた。
リゼットはしばらく、その背中を見ていた。
「……すごいわね」
「ああ」
「そこは普通に認めるのね」
「強いものは強い。それだけだ」
ガルドらしい答えだった。
資料で魔物の数を見た時、旧街道を復旧させるのは無謀に近いと思った。
実際に来てみても、危険度そのものは想像以上だ。
ただし――相手も想像以上だった。
「この道、本当に開くかもしれない」
「少なくとも、あいつらはそのつもりだろうな」
「ノアに報告することが増えたわね」
「まだ先も見てからだ」
「分かってるわよ。行きましょう」
二人も《黄金獅子》の後を追った。
◆
旧街道から大きく外れた山中では、《翠嶺の砦》が別の可能性を掴み始めていた。
「ローディン! こっちです!」
探索に慣れた仲間の声を頼りに斜面を越える。
その先は、それまでの山道とは明らかに違った。
傾斜が緩く、大岩も少ない。木々の間隔も広いため、伐採と整地を進めれば荷車が通る幅を取れそうだった。
「このまま南西へ抜ければ、ラグナート側の古い作業道へ繋がります」
斥候が地図を広げる。
「魔物の痕跡も旧街道周辺よりかなり少ないです」
ローディンはしゃがんで地面を確かめた。
「雨が降った時は?」
「水は谷側へ抜けます。補強が必要な場所はありますが、街道にはできます」
「距離は?」
「今の迂回路よりかなり短くできます」
「よし。先を見るぞ」
一行は地形を確認しながら進んだ。
やがて森が途切れ、その先で全員が足を止める。
深い谷が進路を横切っていた。
「……ここか」
ローディンが地図を見る。
「南へ回れば越えられますが、かなり遠回りになります」
「それじゃ意味が薄いな」
対岸には、そのままラグナート方面へ続く緩やかな地形が見えている。
ローディンは谷と両岸を見比べた。
「ここに橋を架ける」
「吊り橋ですか?」
「ああ。荷車を通せる規模で造れれば、この経路をそのまま街道にできる」
仲間の一人が谷を覗き込んだ。
「簡単じゃありませんよ」
「分かってる」
ローディンは笑った。
「簡単なら、他の連中もとっくに見つけてる」
すぐに表情を戻す。
「谷幅、深さ、風向き、固定に使える岩盤。全部調べろ。橋の構造は職人に判断させる」
「了解!」
「ここまでの経路ももう一度洗うぞ。作った後で崩れるような道じゃ意味がない」
仲間たちがそれぞれの仕事へ散っていく。
安全性の高い経路は見つかった。
大きな障害も、この谷に絞られた。
ローディンは地図へ一本の線を引く。
「道は見えた。あとは、ここを繋げるだけだ」
◆
《風穿ちの鷹》が見つけたのは、道ではなかった。
「イリーナ!」
先行していた仲間の声に、イリーナが岩場を回り込む。
切り立った岩壁に、暗い穴が開いていた。
自然の洞窟ではない。入口には朽ちた補強材が残り、地面には錆びた軌道跡が奥へ続いている。
「旧鉱山?」
「最初は俺もそう思った」
一行は明かりを用意して中へ入った。
坑道は広く、勾配も緩い。採掘用に枝分かれした細い坑道ではなく、大量の人員や資材を通すことを想定した造りだった。
奥で古い標識を見つけた男が、土を払って文字を読む。
「……これ、採掘坑じゃないぞ」
「何?」
「山向こうまで抜くための工事跡だ」
一気に空気が変わった。
さらに奥へ進む。
途中には崩れた支柱もあったが、坑道そのものはかなり残っている。
やがて巨大な岩壁に突き当たった。
「ここで工事が止まったのね」
イリーナは壁へ触れた。
「地図」
すぐに仲間が広げる。
現在地と山の反対側を照らし合わせる。
「王都側からここまでなら?」
「整地は必要だが、道を引ける。そこまで険しくない」
「問題は残りのトンネルか」
「そうなるな」
イリーナが岩壁を叩く。
「あとどれくらい?」
「古い工事記録が残ってれば絞れる。ただ、今の資料だけじゃ正確には分からん」
「九十日で抜ける?」
「この岩質が続けば、可能性はある」
仲間の返事は慎重だった。
「ただし先で硬い層に当たったら工期は延びる。水脈も怖い。崩落してる区間が残ってる可能性もある」
「つまり、かなりの博打ね」
「今さら?」
後ろから笑い声が上がった。
「地下魔獣に追われた時よりはマシだろ」
「生き埋めになりかけた時もあったな」
「あれはあんたが余計な壁を壊したからでしょうが!」
「結果的に近道になった」
「結果論で威張らないで!」
暗い坑道に笑い声が響く。
イリーナも呆れながら笑った。
彼らは地下を知らない集団ではない。
鉱山都市での救出、地下魔獣の討伐、崩落坑道の突破。危険を知っているからこそ、何が賭けになるのかも分かる。
「他のギルドなら、私は止めるわ」
イリーナは仲間たちを見回した。
「でも、私たちなら?」
「やれる」
返事は早かった。
「地下なら俺たちの領分だ」
「残りの距離を調べよう。掘削班を集めれば勝負できる」
「古い記録も探す。放棄された理由が分かれば、危険も読める」
次々に声が上がる。
イリーナの口元が上がった。
「じゃあ決まり」
拳で岩壁を軽く叩く。
「九十日で、この山をぶち抜くわよ」
◆
一方その頃。
ノア、セラ、フィーネの三人は、まだ山へ入ってすらいなかった。
交易都市ラグナート。
城門を抜いた三人を迎えたのは、想像以上の賑わいだった。
大通りには荷車が行き交い、市場には野菜や肉、陶器、衣類が並ぶ。山側から木材や鉱石を載せた台車が下り、職人街からは槌を打つ音が絶えない。
「……もっと寂れているのかと思ってました」
フィーネが辺りを見回す。
「街道が使えなくなって六年なんですよね?」
「街道一本なくなったくらいで、街そのものまで消えるわけじゃないからな」
「それにしても元気よね」
セラが屋台を覗き込む。
「ノア。せっかくだし何か食べない?」
「着いて早々?」
「調査よ、調査。この街の食文化を知るのも大事でしょう?」
「絶対今考えただろ」
「バレた?」
フィーネがくすっと笑う。
「でも、いい匂いしますね」
「ほら。フィーネも賛成」
「フィーネを味方につけるの早いな」
「強い味方は早めに確保する主義なの」
「じゃあ一軒だけな」
「やった」
「セラさん、本当に調査じゃなかったんですね……」
三人で笑いながら市場へ入る。
街は確かに生きていた。
ただ、店を見て歩くうちに、ノアは少しずつ違和感を拾い始めた。
最初に足を止めたのは、紙と薬を扱う店だった。
「ノアさん、これ……高くないですか?」
フィーネが薬瓶の値札を見て眉を寄せる。
「フィーネがそんな顔するくらいなら、かなり高いんだろうな」
「どんな顔ですか……?」
「治療院で請求書を見た時の顔」
「私、そんな顔してました?」
「してたわよ」
セラが即座に加わる。
「『これだけあったら薬草が何束買えるんでしょう……』って顔」
「二人とも意地悪です……」
「ごめんごめん」
ノアは笑いながら、もう一度値札を見る。
「でも王都よりかなり高いな」
店主が会話を聞きつけた。
「王都から来たのか? なら分かるだろうさ」
「昔からこの値段ですか?」
「まさか。旧街道が使えた頃はもっと安かったよ。今は山を大回りして半月以上かけて運ぶんだ。紙も薬も、向こうから来る物は大抵高くなった」
フィーネが薬瓶へ視線を戻す。
「あの……必要な方は多いですよね?」
「そりゃな。高くなったからって、病人に使わないわけにはいかない」
ちょうど年配の女性が薬瓶を手に取り、財布の硬貨を何度か数え直していた。
フィーネの表情が少し曇る。
「街道が戻ったら、やっぱり助かりますか?」
「そりゃ助かるさ。薬も紙も贅沢品じゃないからな。昔くらいの値段で入ってくれば、それだけでも違う」
店を離れたあと、フィーネがぽつりと言った。
「高くても買わなきゃいけない物って、困りますね」
「そうだな」
「我慢すれば済む物じゃないですもんね」
ノアは頷く。
「いいところ見てるな、フィーネ」
「え?」
「値段だけ見て終わるところだった」
セラがすかさず振り返る。
「ええ。ノアなんて値札ばっかり見てたもの」
「なんでそうなるんだ? ちゃんと人も見てるさ!」
「こんな可愛い女の子二人を連れてお買い物に来てるんだから、もっと楽しそうにしなさい!」
「確かに君たち二人がいたら、退屈はしなさそうだな」
「わ、私も入ってるんですか?」
フィーネが少し照れたように自分を指す。
「もちろん」
「ほら。やればできるじゃない」
「何の評価なんだよ、それ」
セラが楽しそうに笑い、フィーネもつられて笑った。
そのまま市場を歩く。
王都方面から入ってくるのは、薬品や紙、香辛料、細かな加工品など、小さくても価値のある物が多かった。
一方、ラグナートには木材、石材、鉱石といった重量物が豊富に並んでいる。
「ノア」
セラが加工された石材を示した。
「これ、妙に安くない?」
「やっぱりそう思う?」
「その顔。自分でも気づいてたわね」
「確認したかった」
「私で?」
「こういう違和感はセラの方が早いから」
「……そういう素直な評価をされると、からかいにくいんだけど」
「じゃあ黙っててくれ」
「それは嫌」
「だと思った」
店の主人が二人の会話を聞いて笑った。
「王都まで持っていけりゃ、もっと値がつくんだけどな」
「欲しがる人はいるんですか?」
フィーネが聞く。
「いるさ。問題は売れないんじゃなく、運びきれないことだ」
「運びきれない?」
その意味は、間もなく分かった。
城門から数台の大型荷車が入ってくる。
馬も御者も長旅の土にまみれ、荷台からは薬や紙、加工品が次々と下ろされていった。
「王都からですか?」
ノアが御者へ声をかける。
「ああ。十六日だ」
「今回は?」
「まだ早い方。雨が続けばもっとかかる」
「帰りも同じくらいですか?」
「積み込みや休みまで入れりゃ、一往復でひと月は見る」
セラが少し眉を上げる。
「ひと月で一往復?」
「そういうこと」
御者が肩をすくめた。
ノアは荷車を見る。
「便を増やせないんですか?」
「簡単に言うなよ。馬も荷車も御者も護衛も、一度出たらひと月戻ってこない。近場なら同じ期間でもっと稼げる」
「それでも、運びたい荷物はある?」
「ありすぎるくらいだ」
隣にいた運送人が口を挟んだ。
「だから優先順位をつける。必要な物、高く売れる物、急ぐ物からだ」
フィーネが首を傾げる。
「じゃあ、運べなかった物はどうなるんですか?」
「次の便を待つ」
「次もいっぱいだったら?」
「また待つ」
男は街の奥を指した。
「倉庫を見れば分かるよ」
セラがノアを見る。
「次の目的地、決まったわね」
「話が早くて助かる」
「でしょう?」
「そこは自分で言うんだな」
◆
倉庫街では、壁際まで荷物が積み上がっていた。
「奥を詰めろ! 次の荷が入らねえぞ!」
石材、木材、鉱石、陶器。生産が止まったのではなく、外へ出ていく量が減り、街の中で順番を待っている。
セラが荷物の山を見上げた。
「これ、売れ残りじゃないのね」
「え?」
フィーネが隣を見る。
「売れないんじゃなくて、出ていけない。だから全部、順番待ち」
「あ……」
フィーネも倉庫を見回す。
「それなら道が戻ったら、一気に動きますよね?」
「たぶんな」
ノアが答える。
セラが横目を向けた。
「たぶん?」
「確かめる前に断言したら、セラに怒られるだろ」
「よく分かってるじゃない」
「付き合い長いからな」
「それ、褒めてる?」
「かなり」
「ならいいわ」
倉庫の主人から、荷物の出どころを聞く。
石材は北の石工街。木材は西側。鉱石は北東の山裾。
三人は街に溜まった荷物を、今度は逆に辿っていった。
石工街では鑿と槌の音が響き、大きな石を鉄の楔で割る者、太い縄と滑車で石材を吊り上げる者が忙しく働いている。
「仕事がないわけじゃない」
年配の職人が、削りかけの石を叩いた。
「ただ王都方面からの注文は減った。石は腐らんが、倉庫で寝かせても金にはならん」
「街道が戻れば?」
ノアが聞く。
「注文が来るなら作るさ。人が足りなきゃ増やす」
「増やせるんですね」
フィーネが少し嬉しそうに言う。
「腕のいい奴はまだ残ってる。仕事があるなら呼び戻せる奴もいる」
工房を出ると、フィーネがノアを見た。
「さっきの人、ちょっと嬉しそうでしたね」
「そう見えた?」
「はい。『人を増やす』って言った時」
ノアは少し考え、笑った。
「フィーネは本当に人の顔をよく見てるな」
「ノアさんが値札ばかり見てるから、代わりにです」
「……セラに影響されてない?」
「いい傾向ね」
「そこは否定してくれよ」
今度はフィーネまで楽しそうに笑った。
その先では木工職人が荷箱や樽を組み、馬車工房では車輪を外して軸を削っている。別の作業場では数人が長い繊維束を撚り合わせ、太い縄へ仕上げていた。
場所が変われば作る物も違う。
それでも聞こえてくる話は似ていた。
昔は王都行きの馬車をもっと修理した。
交易が増えれば荷箱の注文も戻る。
運送が増えれば縄も売れる。
「ねえ、ノア」
セラが書き込みだらけになった紙を覗く。
「今日ずっと聞いてるのって、値段だけじゃないわよね」
「うん」
「どれだけ作れるか。何人いるか。道が戻ったら何をしたいか」
ノアがセラを見る。
「よく見てるな」
「誰かさんと違って、人もちゃんと見てるから」
「まだ引っ張るのか?」
「気に入ったの」
「知ってた」
◆
街の北東にある採掘区域では、坑口から鉱石を載せた台車が次々と出ていた。
補強材を運ぶ男、鉱石を選り分ける作業員、道具を研ぐ鉱夫。少し離れた斜面では、大きな木枠に巻かれた太い縄を、数人が長い棒を押して巻き取っている。
ぎしり、と木が軋むたび、斜面の下から鉱石を積んだ大籠がゆっくり引き上げられた。
「そっちは銅だ! 鉄は右へ!」
怒鳴り声の脇を台車が通り過ぎる。
三人も邪魔にならないよう端へ寄った。
「フィーネ、足元」
「あっ……ありがとうございます」
ノアが腕を引くと、すぐ横を重い台車が通過した。
「危なかったですね……」
「ここは市場みたいに歩いてたら轢かれるぞ」
「気をつけます」
セラが二人の後ろから笑う。
「随分お兄ちゃんしてるじゃない」
「目の前で仲間が台車に轢かれそうなら誰でも止めるだろ」
「そういうところよ」
「何がだよ」
「秘密」
「今日のセラ、面倒だな」
「今日も、でしょ?」
「自覚あるのか」
フィーネが間に挟まれながら笑った。
鉱山の責任者に話を聞く。
「昔より掘る量は減ってるよ」
「掘れないからではなく?」
「運べないからだ。外へ出せる量以上に掘っても置き場を食うだけだからな」
「街道が戻ったら?」
ノアが尋ねる。
「増やすさ。売れるなら掘る。それだけだ」
また同じ答えだった。
道が戻れば、もっと作る。
もっと掘る。
もっと働ける。
ラグナートには、物流の回復を待つ人間が想像以上に多かった。
◆
最後に三人が訪れたのは、街の運送組合だった。
「旧街道が生きてた頃は、王都との往復だけで食う連中がもっといたよ」
組合の男は、大型荷車が並ぶ敷地を見ながら話した。
「今は近場へ移った奴もいるし、辞めた奴もいる。一往復ひと月じゃ、台数を増やすにも限度がある」
「もし、それが大きく短くなったら?」
ノアが聞く。
男の表情が変わった。
「そりゃ話は別だ」
「今ある荷車でも?」
「回せる回数が増えるんだから当然だろ。仕事になるなら昔の連中へ声をかける奴も出る」
「運べる物も増えますよね?」
フィーネが尋ねる。
「ああ。今みたいに一便ごとに載せる荷物を絞る必要も減る」
「じゃあ、本当に足りないのは荷物じゃないのね」
セラが呟いた。
「便だ」
男が答える。
「運べるなら、俺たちは運ぶよ」
外へ出る頃には、日は山の向こうへ傾いていた。
大通りには仕事帰りの鉱夫が増え、工房からはまだ槌音が聞こえている。店じまいを始める商人の横で、夕方の客を呼び込む屋台が声を張り上げていた。
「最初は、あまり困ってるように見えませんでした」
フィーネが街を見ながら言う。
「でも、みんな少しずつ我慢してるんですね」
「そうね」
セラが頷く。
「薬が高くても買う。作った物が運べなければ量を減らす。荷車が回らなければ別の仕事をする」
「それでも街はちゃんと動いてる」
フィーネが続ける。
ノアは二人を見る。
「今日、二人と来てよかったよ」
「急にどうしたの?」
「俺一人だったら、数字ばっかり見てたかもしれない」
フィーネが少し驚いた顔をしたあと、嬉しそうに笑った。
「じゃあ、役に立てました?」
「かなり」
「私は?」
「セラは放っておいても役に立ったって言うだろ」
「よく分かってるじゃない」
「付き合い長いからな」
「二回目よ、それ」
「便利だから気に入った」
今度は三人で笑った。
ノアは一日で集めたメモを見る。
商品の価格、輸送日数、荷物の量。工房の生産力、職人、鉱山、荷車。そして、この街で暮らす人たちの言葉。
知りたかったことは、かなり見えてきた。
「じゃあ、明日も街歩き?」
セラが聞く。
「いや」
ノアは紙を畳んだ。
「俺たちも山へ行こう」
フィーネが顔を上げる。
「今度は経路を探すんですね」
「ああ」
「ようやく冒険者らしいことをするのね」
「俺は冒険者じゃないけど」
「《灰色の翼》のリーダーが今さら何言ってるのよ」
「それ言われると弱いな」
ノアは笑ってから、一度だけ背後のラグナートを振り返った。
「ただ、三人だけじゃ行かない」
フィーネが首を傾げる。
「え?」
「何人か、連れていきたい人たちがいる」
お読みいただきありがとうございます。
今回の異世界マーケティングは、『市場調査』です。
同じ物流案件でも、各ギルドが見ているものは大きく違います。
《黄金獅子》は、最短の旧街道を圧倒的な戦闘力で奪い返す。
《翠嶺の砦》は、安全性の高い新ルートを探し、橋による短縮を狙う。
《風穿ちの鷹》は、自分たちの地下攻略経験を活かして、未完成のトンネルに可能性を見出す。
どれも合理的な攻略法です。
一方、ノアが最初に向かったのは山ではなく、交易都市ラグナートでした。
市場で商品の価格を見る。
住民が何に困っているのかを聞く。
倉庫に何が滞留しているのかを見る。
職人は何を作れるのか、鉱山はどれだけ生産できるのか、運送業者はなぜ便を増やせないのかを調べる。
マーケティングでは、解決策を考える前に「市場で実際に何が起きているのか」を知ることが重要です。
数字だけでは分からないこともあります。
薬が高くても買わざるを得ない人がいる。
売れる商品を作れるのに、運べないため生産量を抑えている職人がいる。
荷物はあるのに、一往復に時間がかかりすぎて輸送量を増やせない運送業者がいる。
そして調べていくと、困っている人たちは同時に、
「道が戻ればもっと作れる」
「もっと掘れる」
「もっと運べる」
という、物流を復活させる理由を持った人たちでもありました。
ノアが今回集めていたのは、単なる情報だけではありません。
街が何を求めているのか。
そして、この案件を一緒に動かせるのは誰なのか。
その材料を集めていたわけです。
次回、ようやくノアたちも山へ。
ただし――三人だけではありません。
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