第二十二話 中央塔、最後の攻防
◇ ◇ ◇
ノアは、遥か先を進むレオンの背中と、その向こうにそびえる中央塔を見比べた。
最上層は巨大な円形構造になっている。四人が立つ場所から中央塔までは深い空間で隔てられ、正規の道は反対側に架かる一本の橋だけ。その橋へ向かうレオンは、すでに外周の大半を走り終えていた。
「そんな……あんな先じゃ、もう……」
フィーネの声が沈む。ガルドも左右の通路を確認したが、どちらを選んだところで距離は変わらない。
「普通に追ったら間に合わないな」
「本当に嫌になるくらい速いわね、あの人」
セラが悔しそうにレオンの背中を睨む。
だが、ノアが見ていたのはレオンではなかった。
橋でもない。
自分たちと中央塔のあいだに広がる、何もない空間だった。
普通なら、ここは道ではない。
けれど――。
「フィーネ」
「はい?」
「結界を足場みたいにできるか?」
フィーネが目を瞬かせる。
「足場……ですか?」
「四人が乗れるくらいでいい。長時間は保たなくていい。数秒だけ、全員の体重を支えられれば十分だ」
「それなら……できると思います」
ノアは頷き、今度はセラを見る。
「セラ。その結界の下で、爆発を起こせるか?」
セラは一瞬だけ考えたあと、すぐに意図を理解したらしい。琥珀色の瞳が楽しそうに細くなる。
「なるほど。あなた、随分と無茶なこと考えるじゃない」
「え?」
まだ分かっていないフィーネに、ノアは中央塔を指した。
「橋を使わない。ここから直接飛ぶ」
フィーネの顔が固まった。
「……飛ぶ?」
「そう」
「私たちが?」
「四人で」
少しの沈黙。
ガルドが中央塔までの距離を見て、ノアへ視線を戻した。
「相当あるぞ」
「だから意味がある。走って追いつけないなら、走る必要はない」
その言葉に、フィーネもようやく中央塔と自分たちの位置を見比べた。
「……確かに、真っ直ぐならずっと近いです」
「できそうか?」
「やります」
フィーネはすぐに頷いた。
セラはすでに杖を握り直している。
「私は賛成。普通に走って負けるより、飛んで追いつく方が面白いもの」
ガルドが呆れたように息を吐く。
「ノアまでセラみたいなことを考えるようになったか」
「ちょっと。どういう意味よ、それ」
「そのままの意味だ」
「失礼ね。私はちゃんと成功する無茶しかしないわよ」
「それを無茶って言うんだ」
いつものやり取りに、フィーネが少しだけ笑った。
緊張が解ける。
ノアは中央塔を見た。
「行こう」
フィーネが両手を前へ伸ばすと、四人の足元に青白い光が集まり始めた。半透明の結界が水平に広がり、やがて四人がぎりぎり乗れるほどの大きさになる。
その上へ四人が乗る。
フィーネは中央で結界を維持し、ガルドは弓を押さえながら低く構えた。ノアも前方へ重心を落とし、セラだけが後方へ向き直って杖を構える。
「ノア」
「何?」
「着地については考えてる?」
「フィーネに任せる」
「ノアさん!?」
「大丈夫。フィーネならできる」
「そ、そんな急に信頼を重くしないでください!」
セラが吹き出した。
「じゃあ行くわよ。フィーネ、絶対に消さないでね」
「セラさんも壊さないでください!」
「注文が多いわね」
セラの杖に光が集まる。
ノアは中央塔を見据えた。
「頼む」
「ええ。しっかり捕まってなさい!」
結界の真下で、爆発が起きた。
轟音とともに、四人を乗せた結界が前方へ射出された。
「きゃあああっ!?」
フィーネの悲鳴が風に消える。
身体が後ろへ持っていかれるほどの加速。結界の下では爆発の光が長い尾を引き、四人は巨大な空間を一直線に飛んでいく。
眼下には、底すら見えないほど深い空隙。左右では外周の石壁や柱が高速で流れ、髪もマントも激しく後方へなびいていた。
ガルドは結界の端に片膝をつき、飛ばされないよう姿勢を低くしている。
「セラ! 火力強すぎないか!」
「このくらいじゃないと届かないわよ!」
「もう少し優しく飛べませんか!?」
「飛んでる最中に注文しないで!」
フィーネが必死に結界を維持する横で、セラだけは明らかに楽しんでいた。
中央塔が急速に近づいてくる。
「着地点、もうすぐだ!」
ノアが声を上げる。
「分かってます!」
フィーネが結界の角度を変える。
セラも最後の爆発を弱めた。
四人を乗せた結界が中央塔前の石床へ斜めに滑り込み、激しい音を立てながら砕ける。ノアたちは勢いのまま石床を転がり、それぞれ何とか身体を起こした。
「……着いた」
フィーネが呆然と中央塔を見上げる。
「本当に飛んできちゃいました……」
「成功したんだからいいじゃない」
セラが乱れた帽子を直しながら、何事もなかったように言った。
「あなたはもう少し怖がってください!」
その時、後方から足音が響いた。
橋を渡りきったレオンが、こちらへ向かって走ってくる。
飛んできた四人を見た彼の顔に、珍しく明確な驚きが浮かんでいた。
「……は?」
セラが振り返り、にやりと笑う。
「追いついたわよ」
「お前ら……何やってんだ?」
「見れば分かるでしょう。飛んできたの」
「そういう意味じゃねえ」
「あら。今日はよく喋るじゃない」
「お前といると喋らされるんだよ」
セラの笑みが少し深くなった。
「それ、褒め言葉として受け取っておくわ」
「好きにしろ」
「そうする」
レオンはため息をつきながら、それでも僅かに笑っていた。
フィーネが二人の向こうにある中央塔へ視線を向ける。
塔の正面には大きな入口が開いていた。その先は、証票が置かれた最上部の指揮室へ続いている。
「……あそこ」
フィーネが小さく呟いた。
「誰か一人でも先に中へ入れたら、勝てますよね」
その言葉で、全員の視線が入口へ向いた。
ノアもすぐに状況を理解する。
《灰色の翼》は四人いる。
一人がレオンを引きつけ、その隙に別の誰かが塔へ入ればいい。全員でレオンを倒す必要はない。
だが。
レオンも同じことを考えていた。
彼自身も塔へ入りたい。しかし四人を無視して背を向ければ、誰かが先に飛び込む。かといって一人だけを追えば、残った三人のうち誰かが入口へ抜ける。
五人の位置から入口までは、ほんの数十歩。
ゴール目前。
だからこそ、誰も簡単には動けなかった。
「随分と難しい顔してるじゃない」
セラが杖を肩へ乗せる。
レオンは四人から視線を外さない。
「四人いるからな」
「あら。ようやく数の多さが嫌になった?」
「一人追えば、残りが入る」
「正解」
セラが楽しそうに笑う。
「あなたにも、数で囲まれる面倒臭さが分かってきたみたいね」
「お前らも同じだろ」
「何が?」
「俺を放って入口へ走れば、そいつを止める」
「……急に喋るようになったわね」
「状況説明が必要だった」
「そういうところよ。真面目に返されると、からかい甲斐があるのよね」
「面倒だな」
「それ、もう聞いたわ」
レオンが大剣を抜く。
「なら覚えとけ」
セラも杖を構えた。
「もちろん。あなたが負ける時まで覚えておいてあげる」
空気が変わった。
フィーネが入口へ向けて一歩踏み出す。
その瞬間、レオンが反応した。
大剣が横へ動く。
刃そのものはまだ届いていない。それでもフィーネは咄嗟に足を止めた。
あと一歩踏み込めば、完全に大剣の間合いへ入る。
そこを狙ってガルドの矢が飛ぶ。
レオンはフィーネへ向けていた剣をそのまま返し、矢を弾いた。
今度はセラが反対側から入口へ回り込む。
「それなら私はこっち」
レオンが身体を向ける。
「残念」
セラは最初から入口へ走るつもりなどなかった。杖の先に魔法陣が浮かび、至近距離から魔力弾が放たれる。
「避けられるなら、どうぞ」
レオンが大剣で魔力弾を薙ぎ払う。
「ほんと、可愛げがないわね」
「褒めてるのか?」
「半分くらいはね」
その間にガルドが別方向へ走る。
だがレオンはセラから視線を外すと、すぐにガルドへ身体を向けた。
大剣一本で、入口までの空間をすべて警戒している。
誰か一人を止めるのではない。
四人全員を見ている。
ノアはその動きを観察していた。
フィーネへ反応した時。
セラへ向いた時。
ガルドを止めた時。
レオンは必ず、入口へ近い者を最優先に見る。
なら。
ノアは腰の袋から小さな金属片を取り出し、入口とは反対側へ投げた。
乾いた音が石床を跳ねる。
レオンの視線が、ほんの僅かにそちらへ動いた。
それだけで十分だった。
フィーネが走る。
レオンが踏み込む。
だが、その進路にはガルドの矢が飛んでいた。
足を止めればフィーネが抜ける。進めば矢を受ける。
レオンは大剣で矢を叩き落としながら前へ出た。
その瞬間、セラの魔法が飛ぶ。
「今度はそっちからよ」
レオンが大剣を返して魔法を防ぐ。
フィーネは止められた。
だが今度はガルドが入口へ向かう。
レオンが再び身体を反転させる。
四人が別々に動くたび、レオンの視線と剣も忙しく切り替わっていく。
それでも、誰一人通さない。
「……すごい」
フィーネが思わず呟いた。
レオンは息こそ荒くなっているものの、まだ入口の前から崩れていない。
一人で四人を相手にしながら、自分が入口へ飛び込む機会まで狙っている。
ノアはレオンの足元を見る。
中央塔の前には、崩れた石柱の残骸がいくつか転がっていた。
その一つへ細いロープを絡ませる。
レオンはまだ気づかない。
ノアが少しだけ位置を変える。
セラもそれを見て、何も聞かずに反対側へ動いた。
ガルドも入口から距離を取る。
フィーネだけが真正面に残った。
レオンの視線がフィーネへ向く。
その瞬間、ノアがロープを引いた。
石柱の破片が転がり、レオンの右側へ道を作る。
人は、塞がれていない方へ動く。
レオンも例外ではなかった。
半歩、右へ。
そこへガルドの矢が飛んだ。
レオンが大剣を振る。
さらにセラの魔法。
「今度は逃げ道まで用意してもらえると思わないことね」
紫の魔力が着弾し、レオンの左側を塞ぐ。
正面にはフィーネの結界。
後ろには中央塔の入口。
右からガルド。
左からセラ。
ノアはさらに一歩前へ出る。
レオンの選択肢が、削れていく。
――取った。
ノアはそう思った。
フィーネが入口へ走る。
レオンがフィーネを追えば、セラが入る。
セラへ向けば、ガルドが抜ける。
ガルドを止めれば、ノアが入る。
もう一人ずつ止めることはできない。
「今度こそ、逃げ場ないわよ」
セラが笑った。
レオンは四人を見た。
そして、初めて大剣を両手で握り直した。
「……なら」
腰を落とす。
「まとめて退かす」
次の瞬間。
大剣が振り抜かれた。
空気が破裂した。
「――っ!?」
凄まじい斬撃が、中央塔前の広場そのものを薙ぎ払う。
ガルドの矢が空中で弾け飛び、セラの魔法陣が一瞬で崩れた。
フィーネが反射的に結界を展開する。
「みんな、下がって!」
だが。
斬撃が結界へ激突した。
青白い障壁が大きく歪む。
亀裂。
そして、砕けた。
爆発したような衝撃が四人をまとめて襲う。
「きゃあっ!」
「っ……!」
フィーネの身体が宙へ浮き、ガルドも石床を滑る。
セラは杖を抱えたまま吹き飛ばされ、ノアも受け身を取る暇すらなく地面を転がった。
周囲の石片まで巻き上がり、中央塔前が一瞬で砂埃に包まれる。
「な……に、それ……」
セラが顔を上げる。
視界の向こう。
大剣を振り抜いたレオンが立っていた。
逃げたわけではない。
四人を正面から、一撃で押し退けた。
そのままレオンが中央塔へ走り出す。
「ちょっと……あなた、それ最初からできたの!?」
セラが叫ぶ。
レオンは走りながら振り返った。
「四人まとめて狙える位置に来るまで使えなかった」
「……本当に腹立つわね!」
「悪い」
「絶対思ってないでしょう、それ!」
セラが立ち上がろうとする。
ノアも身体を起こした。
追わなければ。
だが、数秒。
たったそれだけの差が、この最後の競争では致命的だった。
塔の中から、鐘の音が響いた。
「証票確保!」
審判役の声が続く。
「勝者――レオン・ヴァレイン!」
四人の動きが止まった。
あと少しだった。
本当に、あと一歩だった。
しばらくして、中央塔の入口からレオンが戻ってくる。
セラは石粉を払いながら、悔しそうに彼を睨んだ。
「最後くらい、もう少し格好悪く勝ってくれてもよかったんじゃない?」
「なんでだよ」
「負けたこっちが悔しいでしょう」
「なら次は勝て」
セラの眉が上がった。
「……言ったわね」
「言った」
「覚えておきなさい。次はその大剣ごとあなたを吹っ飛ばしてあげる」
「楽しみにしてる」
レオンの返事は短い。
それなのに、セラとの会話だけは妙に続く。
「ほんと、そういうところよね」
「何が?」
「別に。あなたにはまだ分からなくていいわ」
「……意味分からん」
「でしょうね」
セラが少しだけ笑った。
ノアは、レオンの背中を見た。
勝負には負けた。
だが、何もできなかったわけではない。
救助のために失った時間を、四人の力と一つの発想で取り戻した。リゼットがいない状態でも、レオンを最後の一手まで追い込んだ。
そして、その最後の一手を覆したのは、レオン自身の力だった。
ノアが選択肢を狭めた。
レオンは、その選択肢すべてを一振りで吹き飛ばした。
悔しい。
だが同時に、胸の奥には妙な高揚感も残っていた。
もっと強くなれる。
もっと面白くなる。
そう思わせる相手だった。
◇ ◇ ◇
巨大な商業都市と数多くの迷宮を抱える大陸。その反対側、ルヴェリアを中心とした小さな経済圏のさらに外縁部に、その街はあった。
山と荒れ地に囲まれ、近隣の鉱山と街道によって成り立つ小都市。門をくぐった時点で、ゼノたちにも街の異様さはすぐに分かった。
通りの中央を堂々と歩くのは、頭部に角を持つ《灰角族》の兵士たち。その脇では人間たちが大量の鉱石を積んだ荷車を引かされ、鞭を持った兵士に急かされながら働いている。
「ずいぶん分かりやすい街ですこと」
ヴィオラは冷めた目で通りを眺めた。
「中央広場に人が集められてるみたいだぜ」
先を見ていたライルが言う。
「なら、そっち行こうぜ」
ゼノは何の迷いもなく、人の流れへ入っていった。
中央広場には、大勢の人間が集められていた。その中心では一人の男が木製の台へ縛りつけられ、服を破られ、腫れた顔を晒している。
「よく見ておけ!」
灰角族の兵士が住民たちへ向かって声を張り上げた。
「鉱石を隠した者がどうなるか、この街の人間どもにもう一度教えてやる!」
「違う! 俺は盗んでなんか――」
棒が振り下ろされ、男の言葉が途中で潰れた。
周囲の住民たちは目を逸らそうともしない。いや、逸らすことすら許されていないのだろう。兵士たちに囲まれ、自分たちも逆らえば同じ目に遭うのだと見せつけられていた。
「くだらねえな」
ゼノの声が広場へ響いた。
兵士たちが一斉に振り返る。
「なんだ、貴様」
「弱い奴を縛って殴ってるだけだろ。そんなもん見せられても面白くねえよ」
「……この街で《ブラッドホーン》に逆らう意味が分かっているのか?」
「知らねえし、興味もねえ」
兵士の顔が怒りで歪む。
「捕らえろ!」
数人が一斉にゼノへ飛びかかった。
直後、赤黒い魔力が広場を薙ぐ。
「ぐあっ!?」
兵士たちはまとめて吹き飛ばされ、石畳の上へ転がった。
ゼノは倒れた男たちへ一度だけ視線を向ける。
「邪魔」
あまりにも呆気ない決着に、拘束されていた男も周囲の住民も声を失っていた。
やがて、人混みの中から一人の老人が恐る恐る近づいてきた。
「お、お前たち……逃げた方がいい」
「なんで?」
「今倒したのは下っ端だ。この街には四人の幹部がいる。その上には頭領もいる。地元の兵士も冒険者も何度も挑んだ。王都から一流の冒険者まで来てくれたんだ……それでも駄目だった」
「へえ」
ゼノの目が少しだけ楽しそうに細くなる。
老人によれば、かつてこの土地では灰角族の方が人間から酷い扱いを受けていたらしい。仕事を与えられず、宿にも泊めてもらえず、鉱山では奴隷同然に働かされた者もいた。
その末に反乱を起こし、人間から街を奪った。
だが、自由を手に入れたところで止まらなかった。今度は人間を鉱山へ送り、財産を奪い、自分たちが受けた仕打ちをそのまま人間へ返すようになったという。
「なるほど」
エレナが薄く笑った。
「差別されていた惨めな種族が、力を持った途端に自分たちが王様ごっこを始めたわけですね」
老人が思わず顔を引きつらせる。
ヴィオラも街を見回し、冷ややかな微笑を浮かべた。
「所詮、虐げられていただけの者たちですもの。立場が逆転したところで、やることまで小さいですこと」
「お、お嬢さんたち……」
「何か?」
「……いや、何でもない」
老人はそれ以上口を挟まなかった。
ゼノだけは、別のところに興味を持っていた。
「つまり、こいつら人間が死ぬほど嫌いってことか?」
「……まあ、そういうことになるだろう」
その答えを聞いた瞬間、ゼノの口元が吊り上がった。
「そりゃいい」
「何がいいんだよ」
ライルが嫌そうな顔をする。
「いいこと聞いたって言ってんだ」
「絶対ろくなこと考えてねえだろ」
「当然だろ」
ゼノは楽しそうに笑った。
その時、広場の奥から大勢の兵士が現れた。先頭を歩くのは、それまでの兵士より一回り大きな灰角族の男だった。分厚い鎧を身につけ、腰には二本の剣を差している。
「兵隊長だ……」
老人の顔から血の気が引いた。
兵隊長は地面に転がる部下を見たあと、ゼノたちへ視線を向ける。
「冒険者か?」
「まあ、そんなところだな」
「なら関係ねえ」
兵隊長は即座に剣を抜いた。
「この街で俺たちに逆らった時点で同じだ。男は鉱山で死ぬまで働かせる。女は好きに使え。全員捕まえろ!」
「随分と品のない男ですこと」
ヴィオラが露骨に眉をひそめる。
「ゼノ様に向かって、よくそんな口が利けますね」
エレナの笑みからも温度が消えた。
だが、ゼノだけはむしろ楽しそうだった。
「分かりやすくていいじゃん」
兵隊長が踏み込む。
その直後には、もう勝負が終わっていた。
「がっ――!」
兵隊長の身体が石畳へ叩きつけられる。何が起きたのか本人にすら分かっていない。立ち上がろうとしたところへゼノが足を置き、そのまま動きを封じた。
「テメーらのボスを呼んでこい」
「な、何を……」
「四人の幹部と、その上の頭領。全員だ」
兵隊長が歯を食いしばってゼノを睨む。
「頭領を呼べば……貴様らなど――」
「断るなら、今すぐ殺す」
ゼノは笑ったままだった。
だが、その声には冗談がない。
兵隊長の表情が変わった。
「……伝えろ!」
倒れたまま部下へ怒鳴る。
「幹部たちに……頭領にもだ!」
一人の兵士が慌てて街の奥へ走っていった。
それを見送ったヴィオラが、静かに口を開く。
「ですが、あの男程度から報告が届いたところで、彼らの“王”がわざわざ姿を見せるとは思えませんが」
「まあ、そうだろうな」
ゼノはあっさり認め、後ろを振り返った。
「だからエレナ。派手なの、空にぶっ放せ」
「はい、ゼノ様」
エレナの瞳が一気に輝く。
「どのくらい派手にしてよろしいですか?」
「街がなくならねえ程度にしとけ。見せつけてやりゃ、向こうも顔出すだろ」
「承知しました」
エレナが嬉しそうに杖を掲げると、周囲の魔力が一気に上空へ吸い上げられていった。
広場にいた者たちも、何事かと頭上を見上げる。
遥か上空で、巨大な紫黒の魔力塊が膨れ上がった。
「ちょっと待て」
ライルが嫌な予感に顔を引きつらせる。
「それ、本当に街がなくならない程度か?」
「もちろんです」
「今ちょっと間があったよな?」
エレナは答えず、楽しそうに杖を振り下ろした。
直後、街の上空で巨大な魔法が炸裂した。
轟音とともに紫黒の光が空一面へ広がり、爆風が広場まで吹き下ろす。建物の窓が激しく震え、街中から悲鳴と怒号が上がった。
空が一瞬、夜よりも暗い紫に染まる。
やがて魔力の光が消えていくと、エレナは満足そうに杖を下ろした。
「これくらいでよろしいですか、ゼノ様?」
「上出来」
「……十分すぎると思いますわ」
ヴィオラが呆れたように空を見上げる。
「お前らの『街を壊さない程度』って基準、絶対おかしいからな」
ライルだけが疲れた顔をしていた。
それから、そう時間はかからなかった。
街の奥から重い鐘が鳴り響く。
広場にいた灰角族の兵士たちの空気が一斉に変わり、人混みが左右へ割れていく。兵士たちが頭を下げ、その間を五人の男女がゆっくりと歩いてきた。
三人の男と、一人の女。
その誰もが、先ほどの兵隊長とは比較にならないほどの圧を纏っている。
四人の幹部。
そして、その中央には一際大きな灰角族の男がいた。
「……頭領まで来た」
老人の声が震える。
広場にいた人間たちの顔から、一斉に血の気が引いていく。王都から来た一流冒険者ですら倒せなかった、この街の支配者たち。その五人が、揃って中央広場へ現れた。
ゼノは一歩だけ前へ出た。
その後ろには、ミレイア、ライル、エレナ、ヴィオラ。誰一人として怯えるどころか、これから現れる獲物を待っていたかのような余裕を崩していない。
ゼノは、ようやく姿を現した五人を見て楽しそうに笑った。
「やっと出てきたか」
街を支配する五人と、ゼノたち五人。
互いの視線が、中央広場でぶつかった。
今回の異世界マーケティングは、「競争軸の転換」です。
レオンとの速度勝負では、《灰色の翼》に勝ち目はありませんでした。
そこでノアが考えたのは、どうすればもっと速く走れるかではなく、
「そもそも、同じ道を走る必要があるのか?」
ということです。
これはビジネスでも同じです。
価格、規模、知名度など、競合が圧倒的に強い軸で真正面から戦い続けても、勝つのは簡単ではありません。
そんな時は、既存の競争条件そのものを疑い、
自社の強みが活きる別の軸へ勝負を移す。
今回なら、
フィーネの結界。
セラの火力。
そしてノアの発想。
それぞれ単体では「移動速度」でレオンに敵わなくても、組み合わせれば競争そのものを変えられる。
ただし、相手もこちらの想定通りに動いてくれるとは限りません。
選択肢を削り切ったノアたちに対して、レオンは最後に、その選択肢ごと一振りで吹き飛ばしました。
戦略とは、正しい答えを一度出して終わるものではありません。
相手も考え、動き、こちらの戦略を壊してくる。
だからこそ、競争は面白い。
次回もよろしくお願いします。




