第二十話 大剣のソロ冒険者 ――レオン・ヴァレイン――
第一関門を突破した《灰色の翼》は、そのまま砦の上層を目指していた。
外郭を抜けると、道は徐々に狭くなっていく。石造りの階段と回廊が複雑に入り組み、それまで別々だった進入経路も、少しずつ同じ方向へ集まり始めていた。
遠くに見える中央塔は、まだずっと高い。
「思ったより広いわね」
セラが階段を上りながら、上を見た。
「でも、道はだいぶ合流してきてる」
リゼットも周囲を確認する。
別の通路から、先行する冒険者たちの姿が見えるようになっていた。
「ここからは参加者同士でぶつかることも増えそうですね」
「そうだな」
ノアが答える。
第一関門までは、それぞれのパーティーが自分たちのルートを進めばよかった。
だが中央塔へ近づくほど、その条件は変わっていく。
「……前」
ガルドが言った。
全員が視線を向ける。
少し先の石段を、一人の男が上っていた。
青灰色の髪。
背中には巨大な大剣。
「あ」
セラがすぐに気づく。
「さっきの無口な人」
その声が聞こえたのか、レオンが振り返った。
「……またお前らか」
「何よ、その嫌そうな言い方」
「嫌とは言ってない」
「顔が言ってるわよ」
「普通だ」
「じゃあ普段から感じ悪いのね」
レオンが僅かに眉を寄せる。
「お前、本当に面倒だな」
セラが楽しそうに笑った。
「ちゃんと喋れるじゃない」
「……」
「黙ったら私の勝ち」
「だから何の勝負だよ」
ノアは思わず苦笑した。
やはりセラが相手だと、レオンは妙に会話が続く。
しかし、今は雑談をしている場合ではない。
この先へ進めば、レオンも同じ中央塔を目指す競争相手になる。
「レオン」
ノアが呼ぶ。
「ここから先も、一人で行くのか?」
「ああ」
「俺たちも、あの塔を目指してる」
「知ってる」
レオンは大剣の柄へ手をかけた。
「なら、抜けるだけだ」
その一言で空気が変わった。
リゼットが剣を抜く。
ガルドも弓へ矢をつがえ、フィーネの周囲には淡い光が広がっていく。
「随分簡単に言うじゃない」
セラも杖を構えた。
「五人いるのよ?」
「見れば分かる」
「そういう意味じゃないわよ」
レオンは大剣を抜いた。
その大きさに反して、構えには無駄がない。
ノアは一歩下がりながら、周囲へ視線を走らせた。
狭い通路。
右側には崩れかけた石柱。
左には壁。
真正面には上へ続く階段。
レオンが抜けるなら、結局そこしかない。
先に動いたのはリゼットだった。
低く踏み込み、一気に間合いを詰める。
レオンは大剣を横へ滑らせ、リゼットの剣を受け流した。
「っ……!」
重い。
力任せに弾いたわけではない。
刃の角度だけで、リゼットの剣筋をずらしている。
その瞬間、矢が飛ぶ。
ガルドの矢。
レオンは身体を僅かに傾けて避けると、次の一射が来る前に前へ出た。
「そっちは駄目!」
フィーネの結界が階段への進路を塞ぐ。
レオンの足が止まる。
そこへセラの魔法が飛んだ。
爆発。
「ちょっと!」
煙の向こうからレオンが飛び出す。
「今の結構すごい魔法だったんだけど!」
「分かってる」
「じゃあもう少し驚きなさいよ!」
「驚いてる暇ないだろ」
「可愛げないわね!」
「戦ってる最中に何を求めてるんだ、お前は!」
セラが一瞬笑った。
そのわずかな間にも、レオンは止まらない。
ノアは腰の小袋へ手を入れた。
取り出したのは、小さな金属片。
石柱の向こうへ投げる。
カンッ。
高い音。
レオンの目が一瞬だけそちらへ動く。
その先には、すでにガルドの矢が走っていた。
「……!」
レオンが大剣を立てる。
矢が弾かれた。
しかし、その一瞬でリゼットが再び間合いへ入る。
上段からの剣。
レオンは受ける。
さらに横からセラの魔法。
背後にはフィーネの結界。
逃げ道が狭まる。
「今度は抜けられないわよ」
セラが笑う。
ノアも、そう思った。
五人とも、誰かの指示を待っていない。
レオンの動きに合わせ、それぞれが自分で次の場所を埋めていく。
だが。
レオンは周囲を一度だけ見た。
そして、大剣を振り下ろした。
狙いは誰でもない。
崩れかけた石柱。
「え?」
轟音。
石柱が倒れ、破片と砂埃が一気に広がった。
ガルドの射線が消える。
リゼットが反射的に飛び退く。
フィーネの結界が、降ってきた瓦礫を受け止める。
「セラ!」
「見えてる!」
セラが煙を吹き飛ばす。
だが、その時にはもう。
「いない!」
フィーネが振り返る。
レオンは階段の上にいた。
「ちょっと待ちなさい!」
セラが叫ぶ。
レオンは一度だけ振り返る。
「悪い!」
「絶対悪いと思ってないでしょ!」
返事はない。
大剣を背負い直したレオンは、そのまま上へ駆けていった。
「……やられた」
ノアが呟く。
倒されたわけではない。
だが、止められなかった。
それが妙に悔しかった。
ノアは崩れた石柱を見る。
自分たちはレオンを囲んだ。
逃げ道も塞いだ。
だからレオンは、逃げ道そのものを作った。
「追うぞ!」
ノアが走り出す。
四人もすぐに続いた。
◇ ◇ ◇
レオンとの差を詰めるため、《灰色の翼》は休まず砦を登った。
石段を駆け上がり、別の区画へ抜ける。
その時だった。
ゴゴゴゴゴ――。
低い音が響いた。
「何?」
セラが足を止める。
次の瞬間、少し先の回廊が大きく揺れた。
古い壁が崩れる。
石材が落ち、白い砂埃が通路を覆った。
「うわあああっ!」
悲鳴。
「誰かいる!」
フィーネが真っ先に駆け出した。
瓦礫の向こうにいたのは、数人の冒険者たちだった。
ノアには見覚えがない。
だが彼らは、第一関門でレオンの戦いを目撃していたパーティーだった。
一人は脚を挟まれ、もう一人は崩れかけた壁の下から動けなくなっている。
さらに上から、まだ細かな石が落ち続けていた。
「まずい!」
フィーネが結界を張る。
透明な壁が頭上へ広がり、落ちてきた瓦礫を受け止めた。
「まだ崩れる!」
リゼットが中へ飛び込む。
「こっちは私が出す!」
返事を待たず、動けない冒険者の腕を取った。
ガルドは目を閉じる。
周囲の叫びや石の音の中から、必要な音だけを拾っていく。
「奥に一人いる」
「どこですか?」
「右。壁の向こうだ」
フィーネが小さな結界を作る。
それがゆっくりと横へ動き、崩れかけた石材の下へ滑り込んだ。
「……動いてる」
自分でも少し驚いた顔をする。
だが止めない。
結界を支えにして、瓦礫を僅かに持ち上げる。
「セラ!」
「分かってる」
セラは杖を向けた。
いつものように巨大な魔法は作らない。
小さな魔力を何本かに分け、瓦礫の隙間へ撃ち込む。
石材だけが砕けた。
「よし!」
リゼットが中の男を引きずり出す。
ノアは周囲を見た。
外れかけた梁。
残った柱。
散乱したロープ。
壊れた荷台。
ロープを柱へ回し、荷台の軸を支点にする。
それを見たリゼットがすぐに意図を察した。
「これを引けばいいのね」
「ああ」
ガルドも無言で反対側へ回る。
ノアが力を込めると、三人で梁を持ち上げた。
最後の一人が抜け出す。
「全員います!」
フィーネが叫んだ。
直後。
結界の上へ大きな瓦礫が落ちた。
「っ……!」
フィーネが踏ん張る。
全員が崩落区画から飛び出した。
数秒後。
回廊の一部が完全に崩れ落ちた。
「……危なかった」
セラが息を吐く。
助け出された冒険者たちは、その場に座り込んでいた。
リーダーらしい男が、息を整えながら《灰色の翼》を見る。
「助かった……」
「動けますか?」
フィーネが尋ねる。
「ああ。もう大丈夫だ」
男は頷く。
そして、何かを思い出したように顔を上げた。
「お前ら、あの大剣の奴を追ってるんだろ?」
ノアが見る。
「知ってるのか?」
「あいつ、第一関門のゴーレムを一人で倒した」
「一人で……」
リゼットの表情が変わる。
「俺たちはあれに負けた」
男は苦笑した。
「それを、あいつはあっという間に倒した」
そして、上へ続く道を見る。
「かなり先に行ってるはずだ」
「……」
「俺たちはもう大丈夫だ。行け」
男が笑った。
「せっかく助けてもらったんだ。こんなところで俺たちに付き合って負けられたら、こっちも寝覚めが悪い」
ノアは一度だけ仲間を見る。
全員、もう立っていた。
「ありがとう」
「礼を言うのはこっちだ」
ノアたちは再び走り出した。
◇ ◇ ◇
旧砦の臨時指揮所。
見取り図の上では、参加者を示す札が次々と上層へ移されていた。
「報告!」
伝令が入ってくる。
「中郭第二通路で崩落! 参加者一組が巻き込まれました!」
王国軍の上級士官が顔を上げる。
「負傷者は?」
「《灰色の翼》が救助に入り、全員救出されています」
「……灰色の翼が?」
「はい。追跡を中断して救助を行いました」
軍人が地図を見る。
「競争中に足を止めたのか」
「判断としては甘いか?」
公募責任者が尋ねる。
「勝つためだけならな」
軍人が答えた。
「自分たちから時間を捨てたことになる」
すると冒険者組合の男が笑った。
「俺は逆に、少し安心したがな」
「何がだ」
「本物の依頼だったらどうする?」
男は机に肘をついた。
「依頼先へ向かう途中で、民間人が崩落に巻き込まれていた」
「……」
「それを見捨てて『依頼を達成しました』と帰ってくる連中に、次も仕事を預けたいか?」
軍人は答えなかった。
公募責任者が、砦の見取り図を見る。
「今回の目的は、一番強い冒険者を決めることではない」
「ああ」
組合の男が頷く。
「王都の高難度案件は、《黄金獅子》へ集中しすぎている」
「強いし、信用もあるからな」
「だからこそだ」
男は複数の札を見る。
「遠方の案件まで全部一つのギルドへ頼るわけにはいかん。地方にも、仕事を任せられる連中が必要だ」
戦闘力。
判断力。
そして信用。
この公募は、そのすべてを見るために用意されていた。
「それでも」
軍人が《灰色の翼》の札を見る。
「かなり遅れたぞ」
「そうだな」
組合の男が笑った。
「さて、ここからどうするかだ」
◇ ◇ ◇
《灰色の翼》は、ひたすら上へ走っていた。
だが。
レオンの姿は見えない。
「……まずいわね」
セラが息を整えながら言う。
「あいつ、全然待ってくれてないじゃない」
「待つ理由がない」
ガルドが返す。
「分かってるわよ!」
ノアも同じことを考えていた。
自分たちは一度レオンを止めようとして失敗した。
さらに救助で時間を使った。
その間、レオンは一度も止まっていない。
普通に追いかけるだけでは、差は縮まらない。
それでも。
まだ公募は終わっていない。
「行こう」
ノアが上を見る。
中央塔は、先ほどよりずっと大きく見えていた。
「まだ、証票は取られてない」
五人は再び石段を駆け上がった。
さらに上へ。
中央塔を目指して。
◇ ◇ ◇
地方の魔法学校。
エレナ・フェルミアは、ここでは完全に下位の生徒だった。
地味で暗い。魔法は火力ばかり大きく、細かな制御ができない。実技で同じ班になれば迷惑をかける――そんな評価がすっかり定着し、教師からも周囲の生徒からも、最初から期待されていなかった。
「またフェルミア、実技失敗したらしいぞ」
「知ってる。火力だけ無駄にでかいやつだろ?」
「一緒の班になると最悪なんだよな」
昼休みの教室。
少し離れた席で魔導書を開いていたエレナにも、その声ははっきり届いていた。
「しかも暗いし」
「地味だよな」
「ぶっちゃけ、可愛くないし」
笑い声が重なる。
エレナは何も言わず、ただ魔導書へ視線を落とした。
反論する自信などなかった。魔法は上手く扱えないし、自分が華やかな女の子ではないことも分かっている。
いつからか、馬鹿にされるのも仕方がないと思うようになっていた。
「エレナ」
顔を上げると、同じクラスの男子生徒が立っていた。
「これ。昨日休んでただろ」
「あ……」
「ノート。使えよ」
「ありがとう……」
エレナは少しだけ笑った。
彼だけは、自分を露骨に馬鹿にしなかった。
実技に失敗した時も「気にすんなよ」と声をかけてくれた。困っていれば助けてくれる。
学校で唯一、自分を普通の人間として扱ってくれる相手。
いつの間にか、エレナはその優しさに小さな希望を抱いていた。
◇ ◇ ◇
その日の放課後。
借りていたノートを返そうと、エレナは男子生徒を探していた。
校舎裏へ回ったところで、聞き覚えのある声がする。
「お前さ、最近フェルミアとよくいるよな」
「まさか、あいつのこと好きなの?」
「は? 違うって」
男子生徒が笑った。
「別に顔が好みでもないし。暗いし、地味だし」
エレナの足が止まる。
「じゃあ何であんなに優しくしてんだよ」
「あいつ、ちょっと優しくするとすぐ懐くだろ?」
友人たちが笑う。
「服が地味だから分かりづらいけど、身体は結構いいしさ」
エレナの指が強張った。
「もう少し優しくしとけば、そのうちいいことできるかなって」
「最低だなお前!」
「何だよ。向こうが勝手に好きになってるんだから、別によくない?」
「付き合う気は?」
「ないない」
即答だった。
「女として遊ぶならともかく、彼女にするのは無理だろ。魔法もまともに使えないし、ずっとあんな暗いのと一緒とか面倒だって」
「でも、あいつお前のこと本気で好きそうじゃん」
「だから使いやすいんだろ」
また笑い声が響いた。
エレナはその場から動けなかった。
ノートを貸してくれたことも、励ましてくれたことも、笑いかけてくれたことも。
全部、自分だけが勝手に意味を持たせていた。
手の中のノートが、震えていた。
◇ ◇ ◇
翌朝。
学年の生徒たちが見守る中、公開実技が行われていた。
課題は、指定された標的へ魔法を当てるだけ。
名前を呼ばれたエレナが中央へ出ただけで、周囲から笑い声が起きた。
「今日は何壊すんだ?」
「そもそも撃てるの?」
「フェルミア、早くしろ」
教師にも急かされ、エレナは杖を構える。
標的を見る。
魔力を集めればいい。
それだけなのに、手が震えた。
「まだ?」
「何も出てないぞ」
「魔法使いが魔法も使えないのかよ」
笑い声が耳に刺さる。
昨日知ってしまったことも、今向けられている視線も、全部が頭の中で絡まり合っていく。
魔力を集めようとするほど、身体が強張った。
「……っ」
何も出ない。
小さな火花すら。
「フェルミア」
教師が苛立った声を出す。
「いつまで待たせる」
「す、すみません……」
「撃つのか、撃たないのか」
エレナは必死に杖を握った。
それでも、魔法は出なかった。
「……もういい」
教師がため息をつく。
「下がれ」
「……」
「次の生徒の邪魔だ」
何一つできないまま。
エレナは大勢の視線と笑い声を浴びながら、訓練場の端へ戻った。
顔を上げることはできなかった。
◇ ◇ ◇
昼休み。
エレナは学校を抜け出し、少し離れた丘にいた。
鞄と魔導書を足元へ置き、一人で座り込む。
「私……何のために頑張ってたんだろ」
本当は魔法が好きだった。
特に、大きくて派手な魔法が好きだった。空を染めるほどの力を放てた時だけは、自分にも何か特別なものがあるような気がした。
けれど学校では、それすら否定され続けた。
抑えろ。
小さくしろ。
丁寧にやれ。
危険だ。
周りに合わせようとして。
普通になろうとして。
最後には、魔法すら出せなくなった。
「もう……嫌」
涙が零れた。
「何が?」
突然、声がした。
顔を上げると、一人の青年が立っていた。
黒に近い紫の髪。
赤紫の瞳。
どこか楽しそうに笑っている。
「……誰?」
「ゼノ」
青年はそれだけ答えた。
「お前、さっき実技に出てた奴だろ?」
エレナの表情が強張る。
「……笑いに来たんですか」
「何で?」
「何も……できなかったから」
「今日はな」
「……え?」
ゼノは肩をすくめる。
「普段はもっと出せるんだろ?」
「どうして……」
「周りの奴らが散々言ってたじゃねえか。火力だけは無駄にでかいって」
エレナの顔が曇る。
「それ、悪口です」
「俺様には褒め言葉に聞こえるけどな」
「……?」
「すげえ火力なんだろ?」
ゼノは笑った。
「派手で、強くて、分かりやすい。いいじゃねえか」
エレナは目を見開いた。
そんなことを言われたのは初めてだった。
「でも……みんなは」
「みんな?」
ゼノが鼻で笑う。
「評判でしか人間を評価できねえ馬鹿共の話なんか、どうでもいいだろ」
そして今度は、エレナ自身をじっと見る。
「お前、自分のことブスだと思ってる?」
エレナの身体が強張った。
「……みんな、そう言うから」
「やっぱ馬鹿だな、そいつら」
「え……?」
「お前、普通に顔もいいぞ」
エレナが固まる。
「身体だって、女としてちゃんと魅力ある」
「や、やめてください……」
一気に顔が熱くなる。
「からかわないで……」
だがゼノの表情は変わらなかった。
「からかってねえよ」
まっすぐエレナを見る。
「俺様は、そう思ったから言ってるだけだ」
「……」
「魔法も、顔も、身体も。お前が駄目なんじゃねえ」
ゼノが笑う。
「周りの馬鹿共が、お前の良さを見る目なかっただけだろ」
胸の奥が熱くなる。
嫌いだったもの。
恥ずかしかったもの。
隠したかったもの。
全部を、この男だけが肯定してくれた。
「お前、自分を抑えすぎなんだよ」
ゼノが手を差し出す。
「俺様が全部、解放してやる」
「……全部?」
「ああ」
「もっと強くなりたいか?」
エレナは差し出された手を見る。
もう一度学校へ戻り、何もなかったように笑われ続ける未来を思う。
答えはすぐに出た。
「……なりたいです」
「だったら来い」
エレナは、ゼノの手を取った。
その瞬間、赤黒い魔力が身体を包み込む。
熱い。
けれど苦しくない。
むしろ、ずっと押し込めていた感情が一気に解き放たれていくようだった。
怒りも。
悔しさも。
綺麗になりたい気持ちも。
誰かに認めてもらいたかった気持ちも。
そして、自分を初めてそのまま受け入れてくれた男への想いも。
「ゼノ……様……」
自然と、その呼び方が口から零れた。
魔力が弾ける。
地味だった髪には艶が宿り、大きく波打つ。学生服は黒と深紫、ワインレッドを基調とした華やかな魔術師衣装へと変わった。
エレナは自分の姿を見下ろす。
「……これが、私……?」
ゼノは上から下まで眺めて、満足そうに笑った。
「ほらな」
「……」
「やっぱり似合ってんじゃねえか」
胸が高鳴る。
「ゼノ様……」
「その顔の方がいい」
たったそれだけで。
今なら何でもできる気がした。
◇ ◇ ◇
午後の授業が始まってしばらくした頃。
魔法学校の校舎が、大きく揺れた。
「な、何だ!?」
「外だ!」
教師と生徒たちが窓へ駆け寄る。
中庭に、一人の女が立っていた。
艶のある髪。
華やかな衣装。
堂々とした立ち姿。
「……誰?」
「え……?」
「エレナ……?」
ようやく誰かが気づく。
エレナは楽しそうに笑った。
「今さら気づいたの?」
教師が外へ飛び出してくる。
「フェルミア! 何をしている!」
「先生」
エレナは振り返る。
「私、やっと分かりました」
「何をだ!」
杖の先に巨大な魔力が集まり始める。
以前なら必死に抑えていた力。
今は違う。
「私の魔法って――」
エレナは膨れ上がる光を見て、嬉しそうに笑った。
「こんなに素敵だったんですね」
「待て! フェルミア!」
「嫌です」
さらに魔力が膨れ上がる。
「もう、誰の言うことも聞きません」
杖を振り上げる。
「これが――私の魔法よ!」
巨大な光が空を染めた。
轟音とともに訓練場が吹き飛び、校舎の一部が崩れる。さらに学校の象徴だった高い塔へ魔法が直撃し、上部が大きく砕け散った。
教師たちが防御魔法を展開し、生徒たちが悲鳴を上げながら避難していく。
その光景を見ながら。
エレナは、心の底から笑っていた。
◇ ◇ ◇
学校から少し離れた丘。
ゼノは腕を組み、煙を上げる魔法学校を眺めていた。
隣にはミレイアとライルもいる。
「派手にやったな」
ライルが笑う。
「いいじゃねえか」
ゼノも楽しそうだった。
やがて、エレナが戻ってくる。
その顔には、隠しきれない高揚感が浮かんでいた。
「ゼノ様」
「おう」
「やってきました」
「見りゃ分かる」
ゼノは学校を一度見てから、エレナへ視線を戻した。
「よくやった」
「……!」
大きな手が、エレナの頭へ乗る。
優しく撫でられた瞬間、エレナの表情が一気に緩んだ。
「……はい」
頬を赤くし、嬉しそうに目を細める。
「ありがとうございます、ゼノ様♡」
自分から、その手へ頭を寄せた。
今まで誰にも認めてもらえなかった。
魔法も、自分自身も。
けれどゼノは違う。
力を認めてくれる。
女として見てくれる。
頑張れば、ちゃんと褒めてくれる。
「もっと頑張ります」
エレナは嬉しそうにゼノを見上げた。
「ゼノ様に、もっと褒めていただけるように」
ゼノは満足そうに笑う。
「いいじゃねえか」
エレナの頬へ軽く触れる。
「俺様のために、もっと強くなれ」
「はい、ゼノ様♡」
煙を上げる魔法学校を背に。
ゼノの手下が、また一人増えた。
今回の異世界マーケティングは、「ジョブ・トゥ・ビー・ダン(Jobs to Be Done)」です。
この物語では、マーケティングを意識して使うのは基本的にノアです。
ただ、マーケティングの考え方というのは、誰かが理論を知らなければ存在しないものではありません。
人が目的を考え、合理的に選び、より良い結果を求めて行動した時。
その判断を後から見てみると、マーケティング理論で説明できることがあります。
今回の王都もそうです。
彼らが欲しいのは、「一番強い冒険者」ではありません。
本当に欲しいのは、
「高難度の仕事を安心して任せられる存在」です。
これは、商品そのものではなく、
「その商品によって何を達成したいのか」を考える
ジョブ・トゥ・ビー・ダンに近い発想です。
《灰色の翼》が競争を止めて救助へ向かった行動も、
単純な攻略速度だけを見れば不利です。
ですが王都が求める“仕事を任せられる冒険者”という目的から見れば、
それも重要な評価材料になります。
マーケティングは、特別な魔法ではありません。
人が何を求め、何を選び、何を価値だと感じるのか。
その合理的な動きを整理して言葉にしたものでもあります。
次回、公募案件はさらに上へ。
ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。




