第十五話 異世界マーケティング 灰色の翼VSザハーク
――このままでは、勝てない。
リゼットはカインを見据えたまま、浅く息を吸った。
速さでは負けていない。それでも攻撃へ入る瞬間だけを狙われれば、いくら動き回っても最後にはカインの剣が待っている。
同じことを繰り返しても、結果は変わらない。
なら。
変えるしかない。
リゼットの左手が、肩当ての留め具へ伸びた。
金具を外す。
重い防具が石畳へ落ち、乾いた音を立てた。
反対側も同じように外す。身体を守っていた装備を一つずつ減らすたび、肩回りが驚くほど自由になった。
以前、一度だけ肩当てを外した時にも感じた軽さ。
だが今は、それ以上だった。
「……何の真似だ?」
カインが訝しげに眉を寄せる。
リゼットは答えなかった。
自分を守るためのものを減らせば、そのぶん速く動ける。
考えてみれば、自分にとってそれほど難しい選択ではなかった。
誰かを守れるなら、自分が傷つくことくらい構わない。
ずっとそうしてきた。
だからこそ、胸の奥に小さな引っかかりも残った。
まただ。
結局、自分はまた、自分を犠牲にすることで前へ進もうとしている。
それが間違っているとは思えない。
けれど、なぜか少しだけ納得できない。
その理由を考える時間はなかった。
今は勝つ。
それだけだった。
リゼットは剣を構え直した。
「……来いよ」
カインの目つきが変わる。
次の瞬間、リゼットが踏み込んだ。
「――っ!」
速い。
カインの剣が反応するより早く、リゼットが横を抜ける。
肩へ一閃。
剣を返しながらさらに踏み込み、反対側からもう一撃。
カインが二撃目を受ける。
「ぐっ……!」
衝撃に押されながら剣を振るが、空を切った。
「何だ、その速さ……!」
リゼット自身も、自分の身体の軽さに驚いていた。
踏み込んだ足が今までより前へ出る。身体を切り返しても重さが残らない。剣を振ったあと、その勢いを殺さず次の一歩へ繋げられる。
ただし。
代わりに失ったものも大きい。
カインが放った横薙ぎを、リゼットは身体を反らして避けた。
刃が首元のほんの僅か先を通過する。
肌が粟立った。
もう少し遅ければ。
それだけで終わっていた。
次は頬の横。
さらに次は脇腹。
どれも当たらない。
だが、紙一重だった。
防具を外したぶん、まともに受ければ今までのようには済まない。
カインの剣が視界を横切るたび、身体のすぐ隣に死がある。
リゼットは初めてだった。
戦うことそのものを。
怖いと思った。
怖い。
それでも足は止めなかった。
カインの剣を避け、踏み込みの速度をそのまま刃へ乗せる。
一撃。
防がれる。
すぐに角度を変え、もう一撃。
今度は肩へ入った。
「チッ!」
カインが大きく下がる。
最初こそ速度の上昇に驚いていたが、すぐに表情から動揺が消えていった。
防具を捨てた。
なら、むしろ話は単純だ。
全部を捉える必要はない。
一発。
たった一発、まともに入れればいい。
「調子に乗るなよ……!」
踏み込んできたリゼットへ、カインが剣を置く。
避けられる。
それでも切っ先は髪を数本さらった。
次。
肩。
また外れる。
だが近い。
カインの口元に、少しずつ笑みが戻っていた。
一度は、この女の速さを攻略した。
自分が何年剣を握ってきたと思っている。
何人と斬り合い、何人を倒してきたと思っている。
速い。
確かに強い。
だが、それだけで自分との差が埋まるほど剣の世界は甘くない。
リゼットが右から入る。
カインは待つ。
最後の一歩。
そこへ剣を振る。
僅かに外れた。
「……チッ」
次はもっと近い。
その次も。
一撃だけ。
一撃だけ当てれば、自分の勝ちだ。
カインの呼吸が深くなる。
久しぶりだった。
次の一手を間違えれば、自分も本当に斬られる。
その緊張が妙な高揚を生む。
同時に、自分よりずっと若い女にここまで食い下がられている現実が腹立たしかった。
「来い……!」
カインが構える。
リゼットが踏み込んだ。
剣が交差する。
またカインの刃が僅かに遅れる。
「……?」
違和感。
次。
同じ位置へ合わせる。
今度は切っ先が届かなかった。
リゼットはもう、その場所を通り過ぎていた。
「おい……」
さらに一撃。
カインが受ける。
間に合った。
だが衝撃が先ほどより重い。
リゼットは何も言わない。
表情も変わらない。
ただ、青い瞳だけが鋭くカインを捉えていた。
呼吸。
踏み込み。
剣。
それ以外のものが、少しずつ彼女の中から消えていく。
再び踏み込む。
カインの剣が動いた。
遅れる。
「な……!」
リゼットが横を抜けた。
斬撃が肩を走る。
カインが振り向く。
もう次が来ている。
「待て……!」
受ける。
今度は完全には間に合わない。
腕を斬られる。
それでもカインは諦めなかった。
一発だ。
一発入れば終わる。
何度外してもいい。
一度だけ。
合わせればいい。
カインが刃を振るう。
また空を切った。
「何で……」
おかしい。
経験したことのある速さではない。
先ほどまでなら、攻撃へ入る瞬間だけは捉えられた。
今は、その瞬間すら短くなっている。
リゼットの輪郭が揺れた。
「……は?」
一瞬。
二人に見えた。
次の瞬間には、三方向から赤茶色の髪が流れたように見えた。
カインの背中に冷たいものが走る。
「うそだろ……」
リゼットは答えない。
その目はもう、カインの言葉すら聞いていないようだった。
ただ前へ。
ただ速く。
もっと速く。
踏み込みの速度を、そのまま次の踏み込みへ繋げる。
剣を振る力すら、次の加速へ変えていく。
そして。
その動きはついに、人の目が追える速度を越えた。
残ったのは、赤茶色の髪と白い剣閃の残像だけ。
――《神速》。
「来るな……!」
カインが剣を構える。
怖い。
そう感じた自分自身に、さらに腹が立った。
ザハーク以外に。
自分が。
こんな小娘を相手に。
「ふざけんな!」
剣を振る。
届かない。
一撃。
胸元を斬られる。
二撃。
肩。
三撃目を受けようとした時には、リゼットはすでに逆側にいる。
「待て!」
カインが身体ごと振り向いた。
白い閃光。
剣同士がぶつかる。
甲高い音が響いた。
カインのロングソードに亀裂が走る。
「……え?」
もう一撃。
亀裂が広がる。
「やめ――」
最後の剣閃。
ロングソードが。
折れた。
「…………!」
半ばから砕けた刃が宙を舞う。
カインの手には、折れた剣だけが残った。
「うそだ……」
呆然と、自分の手を見る。
リゼットの連撃は止まらない。
防ぐ剣はもうない。
刃が走り、カインの身体が大きく揺れる。
膝が落ちた。
「俺が……?」
顔を上げる。
目の前には、剣を構えたリゼット。
「こんな……」
信じられない。
信じたくない。
自分は強い。
ブラックハウンドの中でも。
この街でも。
ザハークを除けば、自分を倒せる奴なんていない。
ずっと、そう信じてきた。
それを。
目の前の若い女が。
真正面から。
剣ごと叩き壊した。
「うそだ……!」
カインの顔から、最後の余裕が消えた。
「うそだぁぁぁっ!!」
リゼットの剣が閃く。
その一撃を最後に、カインの身体が石畳へ崩れ落ちた。
動かない。
しばらく。
リゼットもその場から動かなかった。
やがて剣を下ろす。
ゆっくりと。
刃を腰の鞘へ収めた。
倒れたカインを見る。
先ほどまで研ぎ澄まされていた瞳から、張り詰めていた鋭さがすぅっと消えていく。
戻ったのは、いつものリゼットの優しい目だった。
小さく。
一息だけ、安堵の息を吐く。
それだけだった。
リゼットは背を向ける。
兵舎の向こうでは、武器庫から運び出された剣や槍を元衛兵たちが次々と受け取っていた。
戦いは、まだ終わっていない。
リゼットは足を止めず、そのまま仲間たちのいる方角へ歩いていった。
◇
ベルナード中央部。
「出てこい」
低い声が路地に響いた。
一人の男が壁際へ投げ出される。
抵抗組織の兵士だった。
その胸倉を掴み、片手で引き起こした男を見た瞬間、周囲の市民たちが息を呑む。
ザハーク。
ブラックハウンドの支配者。
「テメーらのボスはどこだ?」
「……知らねぇ」
「そうかよ」
拳が腹へ入った。
男の身体が折れ、そのまま地面へ崩れる。
ザハークは見下ろしもしなかった。
視線を上げる。
窓。
路地。
屋根の向こう。
隠れて自分を見ている気配が、いくつもある。
「さっきからコソコソ見やがって」
誰も動かない。
ザハークの眉間に深い皺が入る。
幹部が何人やられたかなど、今はどうでもよかった。
気に入らないのは。
自分の街で。
自分の支配する国で。
自分に逆らう連中が、好き勝手に動き回っていることだった。
「俺の国で反乱ごっこか」
ザハークが近くの木箱を蹴り飛ばす。
大きな音に、路地の奥で誰かが動いた。
「いたな」
歩き出す。
捕まえた一人が何も知らないなら、次を捕まえる。
次も知らないなら、その次。
兵士でも。
市民でも。
誰かが口を割るまで。
それだけの話だった。
◇
「ノア!」
扉が勢いよく開いた。
息を切らした伝令が飛び込んでくる。
「ザハークが動いた!」
室内にいたノアが顔を上げた。
ダリオとフィーネも振り返る。
「何があった?」
「監視してた連中が気づかれた。レジスタンスを捕まえて、お前たちの居場所を聞き出してる」
「一人捕まったくらいなら――」
ダリオが言いかける。
「違う」
伝令が首を振った。
「一人じゃない。答えない奴は放って、次を襲ってる。市民までだ」
ノアの表情が変わった。
作戦そのものは崩れない。
情報は分散している。
誰か一人が捕まったところで、全体を止められるようには作っていない。
そこは間違っていなかった。
だが。
ザハークは仕組みを壊そうとしているわけではない。
情報が出るまで、人間を壊して回るつもりなのだ。
このままなら。
作戦が維持できても。
被害だけが増えていく。
「……中央広場」
ノアが呟いた。
「何?」
「ザハークに伝えてくれ」
伝令を見る。
「ノアが中央広場へ向かってるって」
ダリオが目を見開いた。
「おい!」
「わざと聞かせるんだ。あいつが俺たちを探してるなら、探させる必要はない」
「待て」
ダリオが立ち上がった。
「お前一人で何ができる!」
フィーネも慌ててノアへ近づく。
「ノアさん、駄目です。今行ったら――」
「一人で勝ちに行くんじゃない」
二人が止まる。
ノアは腰の鞄を確かめた。
残っている道具。
使えそうなもの。
頭の中で素早く数える。
「みんな今、自分にできることをやってる」
シドと戦ったガルドも。
街を守ったフィーネも。
マティアスと戦っているセラも。
カインのもとへ向かったリゼットも。
そして。
この街の人たちも。
「俺も、自分にできることをやるだけだ」
ノアは扉へ向かった。
振り返る。
「全員で勝つぞ」
それ以上は言わなかった。
扉を開け、外へ出る。
◇
中央広場へ続く道を、ノアは走っていた。
遠くで何度か剣戟の音が聞こえる。
街のあちこちで、まだ戦いは続いている。
曲がり角へ差しかかった時。
「ノア」
聞き慣れた声がした。
振り向く。
建物の陰からガルドが現れた。
身体にはまだ戦いの傷が残っている。万全には程遠い。
それでも、足取りはしっかりしていた。
「伝令を聞いた」
「ああ」
ガルドがノアの横へ並ぶ。
「一人で行く気か?」
ノアは少しだけ笑った。
「最初からずっと、一人じゃないさ」
ガルドが一瞬だけ黙る。
それから。
口元を僅かに上げた。
「……そうだったな」
二人は並んで歩き出した。
中央広場へ。
◇
広場は、不気味なほど静かだった。
ノアとガルドが中央まで進む。
周囲の路地から、人の気配が消えている。
やがて。
重い足音が聞こえた。
一歩。
また一歩。
正面の通りから、大柄な男が現れる。
ザハーク。
ノアを見つけると、足を止めた。
その横に立つガルドへ視線を移す。
「……二人か」
口元が歪む。
「随分舐められたもんだな」
ガルドが静かに腰を落とした。
ノアも鞄へ手を伸ばす。
今ここにいるのは。
剣も魔法も使えない男と。
傷だらけの獣人。
それでも。
二人とも逃げなかった。
ザハークが拳を握る。
「まとめて潰してやるよ」
中央広場で。
最後の戦いが始まった。
◇
中央広場。
先に動いたのはザハークだった。
大きく踏み込んだだけで、石畳が鈍い音を立てる。その巨体からは想像しにくい速度で、一気に距離を詰めてきた。
「ガルド!」
ノアの声より早く、ガルドは横へ跳んでいた。
ザハークの拳が空を切る。
そのまま石畳へ叩きつけられ、砕けた破片が周囲へ飛び散った。
ガルドは着地と同時に弓を引く。
放たれた矢を、ザハークは腕で払い落とした。
「そんなもんで俺を止める気か?」
さらに前へ出る。
ガルドは距離を取った。
シドとの戦いで、もう分かっている。
無理に相手の距離へ付き合う必要はない。
自分には弓がある。
ノアも鞄へ手を入れた。
ガルドが撃ちやすい一瞬を作る。
今の自分にできるのは、それくらいだ。
小さな袋をザハークの足元へ投げる。
弾けた中身が白い粉となって広がった。
「チッ」
ザハークが一瞬だけ顔を背ける。
その間に弦が鳴った。
矢が飛ぶ。
ザハークが身体を捻って避ける。
続けて二本目。
今度は肩口を狙った矢を拳で叩き落とした。
「悪くねぇ」
ザハークがガルドを見る。
「先にテメーを潰すか」
ノアではない。
ガルドだった。
当然だ。
今ここで直接自分へ傷を与えられるのはガルドだけ。
なら、先に弓を潰せばいい。
ザハークはその判断に迷いがなかった。
一気に距離を詰める。
ガルドが後退しながら矢を放つ。
一発。
二発。
急所へ届く前に払われる。
ノアも横から小石を投げ、壁へ当てて音を出した。
だが。
ザハークはそちらを見もしなかった。
「くだらねぇ」
もうノアの小細工を追わない。
ガルドだけを見ている。
まずい。
このまま距離を潰されたら、ガルドの弓が使えなくなる。
ノアが次の道具へ手を伸ばした、その時だった。
「ちょっと」
女の声が広場へ響いた。
直後。
紫色の魔法がザハークの頬の横を走る。
「……あ?」
ザハークが足を止めた。
広場へ続く通り。
大きな三角帽子を指で押さえながら、セラが歩いてくる。
「随分と偉そうな人がいると思ったら」
杖を肩へ乗せる。
「街を一つ奪って、王様ごっこしてるだけの人だったのね」
ザハークの眉が動いた。
「……何だと?」
「あら。聞こえなかった?」
セラは笑顔のまま杖を向ける。
「耳まで悪いなら、治癒術師を紹介してあげてもいいけど?」
「セラ!」
ノアが呼ぶ。
セラは視線だけを向けた。
「遅くなったわね」
「十分だ!」
「そう」
杖先へ魔力が集まる。
「なら、続きは後で」
放つ。
ザハークが横へ避ける。
その動いた先へ、ガルドの矢が飛んだ。
「チッ!」
腕で叩き落とす。
今度は反対側からセラの魔法。
ガルドとセラ。
二方向から攻撃が来ることで、ザハークもさっきまでのようには前へ出られなくなった。
ノアはその間を縫って小道具を投げ、視線をずらす。
ガルドがその隙に矢を通し、セラが別方向から魔法を重ねる。
少しずつ、攻撃の幅が広がっていく。
だが。
ザハークは止まらなかった。
「この程度なら」
セラの魔法が腕へ直撃する。
袖が焼け、煙が上がる。
それでも前へ出た。
「食らってでも行ける」
「ちょっと……!」
セラが後ろへ下がる。
ガルドの矢が飛ぶ。
ザハークは肩をずらして避け、そのまま距離を詰める。
ノアの投げた袋も、今度は腕で払い落とされた。
「セラ、下がれ!」
「分かってるわよ!」
魔法を連続して放つ。
一発は避ける。
一発は受ける。
ザハークは、どの攻撃なら食らっても構わないかを判断しながら前へ進んでいた。
そして。
ついにセラの間合いまで入る。
「まず一人」
拳が上がった。
セラが杖を構える。
間に合わない。
その瞬間。
透明な壁が、二人の間へ滑り込んだ。
轟音。
ザハークの拳が結界へ突き刺さる。
「っ……!」
少し離れた場所で、フィーネが両手を前へ伸ばしていた。
「セラさん!」
「フィーネ!」
結界が大きく歪む。
それでも割れない。
フィーネが足を踏ん張る。
「まだ……通しません!」
その間にセラが距離を取る。
「助かったわ」
「はい!」
「あとで抱きしめる」
「えっ?」
「前見て!」
「は、はい!」
セラの魔法がフィーネの結界越しに飛ぶ。
ザハークが腕で庇った。
その隙へガルドの矢が入る。
ノアも位置を変えながら道具を投げる。
近づけさせないための弓。
遠距離からの魔法。
ザハークの攻撃を止める結界。
さっきまでより、明らかに戦えるようにはなった。
だが。
決め手がない。
ザハークも、それに気づいていた。
「で?」
拳がフィーネの結界を叩く。
亀裂が走った。
「守って、逃げて、遠くからちょこちょこ撃って」
もう一撃。
フィーネの身体が僅かに下がる。
ザハークが笑う。
「俺を倒す手はあんのか?」
誰も答えない。
ザハークが拳を振り上げた。
「なけりゃ、いつか全部潰れるだけだ」
振り下ろす。
その直前。
横から鋭い剣閃が走った。
「――っ!」
ザハークが咄嗟に腕を引いた。
拳の軌道が逸れる。
赤茶色の髪がフィーネの前を横切り、一人の女剣士が着地した。
「リゼットさん!」
フィーネの声に、リゼットが振り返る。
「怪我は?」
「だ、大丈夫です!」
「……よかった」
短く頷く。
それだけ確認すると、すぐにザハークへ向き直った。
カインとの死闘を終えたばかりなのは、傷ついた装備を見れば分かる。
それでも。
握った剣は揺れていない。
「あら」
セラが帽子のつばを上げる。
「ちゃんと間に合ったじゃない」
「みんなは?」
「見ての通りよ」
リゼットはガルド、フィーネ、ノアへ順に目を向けた。
全員、傷だらけだった。
それでも。
全員が立っている。
リゼットは何も言わず、剣を構えた。
少し離れた位置でガルドが弓を引く。
セラが杖を向ける。
フィーネも、いつでも結界を出せるように構える。
そして。
ノア。
五人。
ようやく。
《灰色の翼》が揃った。
◇
五人になった。
なら。
どう戦う。
ノアの頭は、いつものように仲間たちの力を整理し始めた。
ガルドは遠距離から敵の動きを読み、矢で行動を制限できる。
セラは大火力だけではなく、マティアスとの戦いで精密な魔力制御まで磨いた。
フィーネは攻撃を受け止めるだけではない。力を流し、包み、相手の体勢そのものを崩せる。
リゼットには、圧倒的な速度と剣技がある。
誰をどこへ置く。
誰の攻撃に、誰を繋げる。
どうすれば、それぞれの強みを最大限に活かせる。
これまでノアは、ずっとそうやって勝ち方を考えてきた。
仲間に何ができるのか。
自分たちには、どんな強みがあるのか。
そこから戦い方を作る。
それで何度も勝ってきた。
けれど。
ノアはザハークを見る。
こいつは、それに対応している。
ガルドが撃てば、矢を避けるか叩き落とす。
セラが加われば、食らっていい魔法と避けるべき魔法を選ぶ。
フィーネが守れば、壊れるまで力をぶつける。
こちらが持っているものを基準にして。
それをどうザハークへぶつけるか。
――待て。
ノアの思考が止まった。
この考え方。
知っている。
自分たちが持っている技術。
自分たちが作れるもの。
自分たちが得意なもの。
まずそこを起点にして商品やサービスを作り、相手へ届けていく。
現代で言えば。
――プロダクトアウト。
決して間違った考え方じゃない。
強いものを持っているなら、その強みを最大限に活かせばいい。
実際、《灰色の翼》はそうやってここまで強くなった。
でも。
反対の考え方がある。
ノアは仲間から視線を外した。
見るのは。
ザハーク。
自分たちが何を持っているかではない。
相手は何を求める。
何を嫌う。
何を危険だと判断する。
どんなものなら受けても構わないと思う。
何だけは避ける。
どちらへ動き。
誰を先に潰そうとする。
市場や顧客の側から考え、その反応を起点に商品や戦略を組み立てる。
――マーケットイン。
ノアの目が見開かれた。
相手が客じゃなくても。
商品を売る場面じゃなくても。
考え方は同じだ。
相手の側に立つ。
相手がどう考えるか。
どう判断するか。
どう動くか。
そこから逆算する。
だったら。
戦いにも使える。
ザハークがどう動くのかを読むだけじゃない。
こちらが見せるものを変えれば。
避けたいものを置けば。
危険だと思わせる方向を作れば。
ザハーク自身に。
こちらが望んだ行動を選ばせることができる。
胸の奥で、何かが一気に繋がった。
剣は使えない。
魔法も使えない。
この世界へ来てから、それは一度も変わっていない。
でも。
自分には。
前の世界から持ってきたものがある。
人を見る。
相手を知る。
相手の立場から考える。
どうすれば動くのかを考え抜く。
マーケティング。
それを。
戦いに使えばいい。
ノアの口元が僅かに上がった。
ようやく。
見つけた。
剣も魔法も使えない自分が。
この世界で戦う方法を。
――これが。
俺なりの、異世界での戦い方だ。
◇
「セラ」
「何?」
「最初の一発だけ、右に外してくれ」
セラが眉を上げる。
「外すの?」
「ああ」
ノアはザハークから目を離さない。
そして。
四人へ聞こえるように言った。
「あとは、俺を信じて合わせてくれ」
一瞬。
セラがノアを見る。
何かを察したように、口元が上がった。
「それだけ?」
「それだけだ」
「いいわ」
杖を構える。
「乗ってあげる」
魔法陣が展開する。
紫色の光が放たれた。
狙いは、ザハークの右側。
最初から直撃する軌道ではない。
「どこ狙ってやがる」
ザハークが左へ身体をずらした。
その瞬間。
ノアが走る。
鞄から小さな筒を取り出し、ザハークの足元へ投げつけた。
乾いた破裂音。
白い粉が石畳から一気に舞い上がる。
「チッ!」
ザハークの視線が僅かに下へ落ちる。
ノアの攻撃では、ザハークを倒せない。
まともな傷だって与えられない。
でも。
見させることはできる。
動かすことはできる。
ザハークが粉を避けるように一歩踏み出す。
遠くで。
弦が鳴った。
ガルド。
矢は、ザハーク自身を狙っていなかった。
次に踏み込もうとしていた場所へ。
「……!」
ザハークが咄嗟に足を止める。
目の前の石畳へ矢が突き立った。
すぐ二本目。
肩口。
ザハークが腕で払い落とす。
その間にノアが横へ動いた。
ザハークの視線が追う。
セラが気づいた。
指示はない。
「そっちは駄目よ」
ザハークが逃げようとした側へ、精密な魔法を撃ち込む。
「クソが!」
進路を塞がれたザハークが反対へ踏み込む。
ガルドの目が細くなった。
見るものは多くない。
肩。
腰。
足。
次にどこへ動くのか。
それだけでいい。
弓を引く。
放つ。
矢がザハークの足元へ飛んだ。
巨体が僅かに身体を捻って避ける。
そのために、体重が片足へ寄った。
フィーネが気づく。
足元へ薄い結界が広がった。
ザハークが踏み込んだ瞬間。
その力を止めるのではなく。
僅かに横へ流す。
「なっ――!」
巨体の重心が崩れた。
ザハークは反射的に逆の足へ力を移す。
そこへ。
次の矢。
ガルドだった。
支えようとした側へ飛んできた矢を避けるため、ザハークの足が浮く。
体勢がさらに崩れた。
ガルドが。
崩した。
その瞬間。
リゼットが動いた。
ノアは何も言わない。
誰かに命令されたわけでもない。
ただ。
そこに生まれた一瞬の隙を。
彼女自身が見つけた。
地面を蹴る。
赤茶色の髪が流れる。
ザハークが顔を上げた。
もう遅い。
剣閃。
「ぐあっ!!」
リゼットの一撃が胸元へ入った。
ザハークの巨体が、大きく後ろへよろめく。
初めて。
明確に。
押し込んだ。
ノアはその光景を見つめた。
誰にも細かい指示なんて出していない。
セラへ頼んだのは、最初の一発だけ。
その後は。
セラが自分で意図を読んだ。
ガルドがザハークの動きを見て、次の場所へ矢を置いた。
フィーネが、その体重移動へ咄嗟に合わせた。
リゼットは、最後に生まれた隙を見逃さなかった。
ノアが動かしたのは。
仲間じゃない。
ザハークだった。
どこを見る。
どちらへ逃げる。
どの足を出す。
何を避ける。
その選択へ働きかけただけ。
それだけで。
四人が自分たちで繋いだ。
今までとは。
まるで違う。
「……テメー」
ザハークがゆっくりと身体を起こす。
その視線が。
真っ直ぐノアへ向いた。
初めてだった。
ガルドでもない。
セラでもない。
リゼットでもない。
剣も魔法も使えない男を。
ザハークが明確に敵として見た。
ノアはその視線を受け止めた。
ガルドが再び弓を引く。
セラの杖先へ魔力が集まる。
フィーネが静かに構える。
リゼットが剣先をザハークへ向ける。
誰一人。
ノアの次の命令を待っていない。
それでいい。
自分がきっかけを作れば。
みんなが見る。
考える。
そして。
誰かの一手を。
次の誰かが繋ぐ。
ノアは四人を見た。
そして。
笑った。
「これが《灰色の翼》だ」
四人の視線が前を向く。
ノアもザハークを見据えた。
「全員で勝つぞ!」
〖今回の異世界マーケティング〗
今回のテーマは「プロダクトアウト」と「マーケットイン」。
プロダクトアウトとは、
「自分たちには何ができるか」
「どんな強みを持っているか」
を起点に、商品やサービスを考える方法です。
これまでのノアは、まさにこの考え方で《灰色の翼》を強くしてきました。
ガルドには何ができるのか。
セラの強みは何なのか。
フィーネにはどんな守り方ができるのか。
リゼットの速さをどう活かすのか。
一人一人の強みを見つけ、それを組み合わせる。
決して間違った方法ではありません。
しかし今回、ザハークはそのすべてに対応してきました。
そこでノアが辿り着いたのが、その反対側にある「マーケットイン」です。
マーケットインは、
自分たちが売りたいものから考えるのではなく、
「相手は何を求めているのか」
「何を嫌がるのか」
「どう判断し、どう行動するのか」
相手側から逆算して戦略を作る考え方です。
ノアはこれを戦闘へ応用しました。
ザハークを倒すために、仲間へ細かく指示を出すのではない。
ザハークが何を見るのか。
何を避けるのか。
どちらへ動くのか。
その選択へ働きかける。
ノアが敵を動かせば、
その隙をガルドが見つけ、
フィーネが崩し、
セラが繋ぎ、
リゼットが斬る。
もう《灰色の翼》は、ノアの指示を待つだけのパーティーではありません。
一人一人が自分で考え、
互いの動きを見て、
勝手に繋がっていく。
剣も魔法も使えないノアが、ようやく見つけた異世界での戦い方。
マーケティングは、商品を売るためだけのものではない。
相手を知り、相手の視点から考え、行動を変える。
――これが、ノアなりの「異世界マーケティング」です。




