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『異世界マーケティング ~剣も魔法も使えない俺は、勝てる仕組みで仲間を最強にする~』  作者: ポチ
灰色の翼編

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14/30

第十四話 守りの剣士 ――リゼットVSカイン――



「……降参する気にはなったか?」


 マティアスの声が飛ぶ。


 セラは大杖を支えにしながら、ゆっくり顔を上げた。


 肩で息をしている。


 帽子のつばは切れ、左肩には焦げ跡。頬にも小さな傷が増えていた。


 それでも。


 琥珀色の瞳から、まだ光は消えていない。


「ピンチと負けは別でしょう?」


「強がりを」


「あら。まだ分からない?」


 セラは杖を構え直した。


 マティアスの指先が動く。


 小さな魔法陣。


 そこから放たれた光が、途中で大きく軌道を曲げた。


 セラは身体を捻って避ける。


 その直後。


 自分の杖先にも魔法陣を作った。


「……!」


 放つ。


 今度はセラの魔法が、マティアスの使ったものとよく似た軌道を描いた。


 マティアスが一歩ずれる。


「真似事か」


「そう見える?」


 次の魔法。


 マティアスは一つの光弾を途中で三つに分ける。


 セラは防ぐ。


 そして数秒後。


 同じように分裂させる。


 ただし。


 三つではない。


 四つ。


 マティアスの眉が僅かに動いた。


 さらに攻防が続く。


 防御魔法の展開位置。


 魔力を流す角度。


 無駄を削った術式。


 セラは受けるたびに見ていた。


 次には試す。


 失敗すれば直す。


 そしてまた使う。


「……何をしている」


 マティアスが訊いた。


「勉強」


「……戦闘中だぞ」


「だから何?」


 セラは次の魔法を防ぎながら笑った。


「元宮廷魔術師の大先生が、個人レッスンしてくれてるのよ? しっかり学んでおかないとね!」


「……」


「こんな機会、滅多にないでしょう?」


 マティアスの表情から、少しずつ余裕が消えていった。


 単に技を真似しているだけではない。


 一度見たものを理解し、自分の魔力に合わせて組み替えている。


 戦いながら。


 目の前で。


「お前……」


「何?」


「どこまで覚えるつもりだ」


「取れるだけ」


 セラは即答した。


「取れるだけ取って帰るわ」


「私の魔術をか?」


「ええ」


 マティアスの目が細くなる。


「散々嫌っていたくせに」


「あなたのことと、魔術は別でしょう?」


「……」


「あなた、魔術は本当に凄いもの」


 セラは素直に言った。


 冗談でも挑発でもない。


「だから、まだ見せて」


 杖を構える。


「もっと見せてよ」


 マティアスはしばらく何も言わなかった。


 やがて。


 ゆっくりと姿勢を変えた。


「……いいだろう」


 空気が変わる。


 周囲の魔力が、一気にマティアスへ集まり始めた。


 小さな術式ではない。


 今まで使ってきた精密で効率的な魔法とも違う。


 巨大な魔法陣が、彼の背後に広がっていく。


 幾重にも重なる光。


 複雑な術式。


 圧倒的な密度。


 セラの瞳が見開かれた。


「ここまで私を本気にさせた魔導師は、お前が初めてだ」


 マティアスは静かに告げた。


「だから私も、最大の魔法で終わらせる」


 巨大な魔法陣がさらに広がる。


 その光景を。


 セラは。


 呆然と見上げていた。


 恐怖ではない。


 口元が。


 少しずつ。


 上がっていく。


 マティアスはまだ気づいていなかった。


 セラ・ファルネが。


 何より。


 こういう魔法を。


 大好きだということに。


 巨大な魔法陣が完成した。



     ◇



「……何だ、その顔は」


 マティアスが眉を寄せる。


 セラは巨大な魔法陣を見上げたまま、目を輝かせていた。


「やっとじゃない!」


「……何?」


「ずーっと細かい魔法ばっかりだったでしょう?」


 セラが杖を両手で握る。


「最後くらい、こういうの見せてくれないと!」


 マティアスが言葉を失う。


 セラの周囲へ。


 魔力が集まり始めた。


 最初は風だった。


 髪が揺れる。


 帽子のつばが震える。


 次に、小石が浮いた。


 石畳の細かな欠片が宙へ舞い上がる。


 大気そのものが、低く唸り始めた。


「……待て」


 マティアスの表情が変わる。


 セラの杖先へ集まる光が膨れ続けている。


「おい、待て……!」


 さっきまでの余裕が消えた。


 目を見開き。


 浅く息をし。


 無意識に一歩後ろへ下がる。


「何だ……その魔力量は……」


 まだ増える。


「待て!」


 マティアスが叫んだ。


「そんなの反則だっ!!」


 セラは答えない。


「あり得ない……! あれだけ戦った後だぞ!?」


 さらに魔力が集まる。


「何でまだそんなに残ってる!?」


 マティアスの声が裏返る。


「セラ!」


 返事はない。


「待て! 本当に待て!」


 杖先の光がさらに大きくなる。


「やめろ……!」


 マティアスは完全に狼狽えていた。


「おい……やめろ!」


 その時。


 セラがようやく彼を見る。


 琥珀色の瞳を、ほんの少し細める。


 長い睫毛の下から、僅かに上目遣いで。


 戦いの熱が残る頬には、うっすらと桃色が差していた。


 口元に浮かんだのは、冷たい勝者の笑みではない。


 悪戯が成功する直前の少女のような。


 可愛らしくて。


 ほんの少しだけ艶のある笑み。


 セラは小さく首を傾げた。


「待て……!」


 両手で大杖を握る。


 そして。


 甘えるような声で。


「イヤよ♡」


挿絵(By みてみん)


 大杖を振り抜いた。


「やめろーーーーー!!」


 セラの魔力が、一気に解放された。


 轟音。


 マティアスも反射的に両腕を振り下ろす。


 完成していた巨大な魔法陣が輝き、彼の最大魔法が放たれた。


 二つの魔力が真正面から激突する。


 街路が白く染まり、石畳が激しく震えた。


 だが。


 拮抗したのは、ほんの一瞬だった。


「な――」


 マティアスの顔から血の気が引く。


 自分の魔法が押されている。


 いや。


 押されているのではない。


 飲み込まれている。


「馬鹿な……!」


 術式を修正する。


 密度を上げる。


 崩れかけた箇所へ魔力を送り込む。


 何十年と積み上げてきた技術を、すべて注ぎ込む。


 それでも止まらない。


 精度。


 効率。


 経験。


 そのすべてでマティアスが上でも。


 最後にぶつかった出力だけは。


 桁が違った。


 巨大な魔法陣へ亀裂が走る。


 一つ。


 さらに一つ。


「待――」


 砕けた。


 セラの魔法が、マティアスの最大魔法を真正面から粉砕する。


「――――っ!!」


 巨大な光が街路を駆け抜けた。


 マティアスの身体が、その中へ飲み込まれる。


 爆音。


 衝撃。


 猛烈な風が吹き抜け。


 やがて。


 光が消えていった。


 舞い上がった粉塵の向こうで、マティアスは地面に倒れていた。


「……ありえない……」


 息をするだけでも苦しそうだった。


 身体を起こそうと腕に力を入れるが、肘が震え、そのまま崩れる。


「こんな……小娘が……」


 対するセラは、大杖を地面についた。


 そして。


 何事もなかったように、切れた紫の三角帽子へ手を伸ばす。


 少し傾いていた帽子を直し。


 つばを指先で整え。


 すっと背筋を伸ばした。


 その姿は、勝負を終えた魔術師というより。


 舞台を終え、観客へ一礼する前の少女のようだった。


 頬を伝った汗を一筋だけ残して。


 ほんの僅かに乱れた呼吸すら、表には出さない。


 強がっているようにも見える。


 けれど。


 本当に強がっているだけなのか。


 それとも、まだ余裕を残しているのか。


 マティアスには分からなかった。


「……なんで」


 掠れた声が漏れる。


 セラが振り向いた。


「ん?」


「なんで……そんな顔をしていられる……」


 マティアスは信じられないものを見るように、彼女を見上げる。


「セラ……お前はいったい……?」


 セラは一瞬だけ目を丸くした。


 それから。


 楽しそうに笑った。


「あんなにハラハラする、絶体絶命の大ピンチ」


 帽子のつばへ指を添える。


「最後は特大の大魔法で、派手に大逆転」


 琥珀色の瞳が、いたずらっぽく細められた。


「とっても素敵だったでしょ?」


「…………!?」


 マティアスの目が見開かれる。


「何を……言っている……?」


 セラは答えない。


 ただ、楽しそうに微笑んでいる。


 マティアスの表情がさらに変わった。


「まさか……」


 息を呑む。


「お前は最初から……この演出のために……!?」


 セラは口元へ人差し指を立てた。


「ひ、み、つ♡」


「…………」


 真実は分からない。


 本当に追い詰められていたのかもしれない。


 最後の一撃だって、文字通り全力だったのかもしれない。


 それとも。


 どこかに余裕を残したまま、最後まで自分の好きな形へ戦いを運んでいたのか。


 セラは何も教えなかった。


 ただ。


 帽子を整えたまま、凛と立っている。


「でも」


 セラはマティアスを見た。


「あなたは、とっても素敵なダンスパートナーだったわよ」


 それだけ言って、背を向ける。


 紫の帽子が揺れた。


 マティアスは、その背中を見つめていた。


 若い。


 自分より遥かに若い。


 それなのに。


 才能があり。


 力があり。


 そして何より。


 夢を持っている。


 自分が嫌いになった場所を。


 自分が憎んだ世界を。


 まだ、あんなふうに笑いながら目指している。


 その姿を見ているうちに。


 胸の奥に張りついていた何かが、急に小さく見えた。


 奪われた評価も。


 認められなかった過去も。


 自分だけが不幸だったように抱え続けてきた怒りも。


 目の前の少女と比べれば。


 ひどく、ちっぽけなものに思えた。


 マティアスは目を閉じる。


 不思議と。


 もう腹は立たなかった。


「……セラ・ファルネ」


 遠ざかる背中へ。


 小さく笑う。


「お前が……羨ましいよ」


 その声は。


 今までで一番、穏やかだった。


 そして。


 マティアスは、そのまま静かに意識を失った。


     ◇



 ベルナード北西部。


 かつて街の衛兵たちが使っていた兵舎と、その裏手に建つ武器庫。ブラックハウンドがベルナードを支配してから、この一帯は真っ先に押さえられていた。


 剣や槍、盾、予備の防具。街を守るために蓄えられていた装備の多くが、今は市民の手から奪われている。


「正面は俺たちが押さえる!」


 抵抗組織の男が叫んだ。


「元衛兵は武器庫へ! 開けたら使える装備から外へ出せ!」


「分かった!」


 男たちは二手に分かれた。


 ここを取り戻せば、元衛兵たちへもう一度武器を渡せる。街の中で動き始めた抵抗組織にも、まともな装備を回せるようになる。


 ベルナードが、自分たちで自分たちを守るための力を取り戻す。


 当然、ブラックハウンドも簡単に明け渡すつもりはなかった。


「武器を取り返しに来たか」


 兵舎前の広場に、大柄な男が立っていた。


 使い込まれたロングソードを片手に持ち、その周囲にはブラックハウンドの構成員たちが陣取っている。


 カインだった。


 抵抗組織の男たちが足を止める。


「そこをどけ」


「やれるもんならやってみろよ」


 カインは面倒そうに剣を肩へ乗せた。


 その視線が、人垣の向こうから歩いてくる一人の女剣士を捉える。


 赤茶色の長い髪に、赤と白の鎧。手にはレムナ鉱で鍛えられた剣。


 カインの目が僅かに細くなった。


「あの時の女剣士か」


「カイン」


「覚えてたか」


「忘れるわけない」


 リゼットは前へ出た。


「今日はあなたを倒して、ここを取り戻す」


「へえ」


 カインが肩に乗せていた剣を下ろす。


「少しは楽しめそうだな」


 リゼットも剣を構えた。


「今度は本気であなたを倒しに来た」


「そうかよ」


 カインの口元に薄い笑みが浮かぶ。


「じゃあ、来い」


 リゼットが地面を蹴った。



     ◇



 踏み込んだ勢いのまま、剣が走る。


 カインが受けた。


 金属音とともに火花が散る。


「……っ」


 想像していたより重い。


 押し返そうとした時には、リゼットはもう力を抜いていた。カインの身体が僅かに前へ流れ、その横を抜けながら剣を返す。


 脇腹。


「チッ!」


 カインが身を捻る。


 刃は浅く防具を掠めただけだったが、その間にリゼットはすでに距離を取っている。


 カインが追えば、正面から来る。そう思わせたところで、間合いに入る直前に身体の向きを変える。


 横へ抜け、そこからさらに踏み込み、肩を狙う。


 カインの剣が遅れた。


 防具が裂ける。


「……マジかよ」


 カインは反射的に剣を振り返したが、もう届かない。


 リゼットは速い。


 だが、彼女の強さは足の速さだけではなかった。


 踏み込みの勢いを腰へ伝え、身体の回転を肩と腕へ繋ぎ、そのまま剣へ乗せる。相手の横を抜ける動きさえ、次の斬撃のための加速になる。


 速さと剣技が、一つの威力になっていた。


 もう一度、カインが正面から受ける。


 腕に衝撃が走った。


「ぐっ……!」


 剣同士がぶつかった瞬間にリゼットが角度を変え、今度は反対側へ抜ける。


 追う。


 また遅れる。


 剣が空を切った直後、背中側から斬撃が来た。


 カインは辛うじて受け止め、数歩下がった。


「……前と全然違うじゃねぇか」


「前は、あなたを倒すことだけに集中できてなかった」


 リゼットは息を整えながら剣を構える。


「今日は違う。あなたに勝つつもりで戦ってる」


「なるほどな」


 カインが肩の傷へ目を落とした。


 血が滲んでいる。


 一瞬だけ、驚いたように傷を見つめたあと、口元がゆっくりと吊り上がった。


「……面白ぇ」


 さっきまでの余裕とは少し違う。


 何度も剣を振るい、何人もの相手を倒してきたカインにとっても、正面からここまで食い込んでくる相手はそう多くない。


 久しぶりに、少しでも気を抜けば本当に斬られる。


 そんな緊張が、身体の奥に残っていた感覚を呼び起こしていた。


 同時に、自分よりずっと若い女剣士に押されている事実は、カインの自尊心を確実に逆撫でしている。


 リゼットがもう一度踏み込む。


 カインも今度は待たず、前へ出た。


 剣がぶつかる。


 一撃。


 続けて二撃。


 カインの力を正面から受け続けることはせず、リゼットは刃を流しながら横へ抜ける。そこから足を止めずに斬り返した。


 カインの腕へ浅い傷が増えた。


「チッ……!」


 苛立ちが顔に出る。


 それでも、剣を握る手に迷いはなかった。


 むしろ目つきは、戦いが始まった時よりずっと鋭くなっている。


 リゼットは次の攻撃へ入ろうとした。


 その時だった。


 カインの身体が突然、別の方向へ向いた。


「――!」


 狙われたのはリゼットではない。


 武器庫へ向かおうとしていた元衛兵の一人だった。


 男は別のブラックハウンドの相手をしていて、背後から迫るカインに気づいていない。


「危ない!」


 リゼットが駆ける。


 男とカインの間へ滑り込み、振り下ろされたロングソードを受け止めた。


 強い衝撃が両腕へ走る。


「っ……!」


 自分だけなら避けられた。


 だが後ろに人がいる。


 避ければ、そのまま斬られる。


 押し込まれるリゼットを見て、カインが笑った。


「ほらな」


 リゼットが剣を押し返す。


 カインは一度離れた。


「こうすりゃ止まる。だろ?」


 リゼットは答えない。


 その間にもカインは周囲を見る。


 今度は兵舎の脇を抜けようとしている別の男へ向かった。


 リゼットが追う。


 また割り込む。


 剣を受ける。


 自由に動けていたはずの足が、誰かを守るたびに止まっていく。


「くっ……!」


 剣を弾き、反撃する。


 だがカインは無理に付き合わない。


 また周囲へ狙いを移す。


「お前が強かろうが」


 次の剣をリゼットが受けた。


「横にお荷物がいりゃ変わんねぇだろ」


 リゼットの表情が僅かに歪んだ。


 頭の中に、以前の言葉が蘇る。


『守りたい奴が多すぎる』


『だから遅い』


 また同じだった。


 自分なら避けられる攻撃を、後ろの誰かを守るために受ける。


 相手だけを見ていればいいはずの戦いで、周囲へ意識を割く。


 そうするたび、本来の速さが失われていく。


「リゼット!」


 背後から声が飛んだ。


 先ほど助けた元衛兵だった。


「俺たちは裏へ回る!」


 リゼットが振り向く。


「裏?」


「武器庫の裏口を知ってる奴がいる。こっちはこっちで進む!」


 別の男も頷く。


「カインをお前が引きつけてるなら、その間に武器を出す!」


「でも、そっちにもブラックハウンドがいる」


「分かってる」


 男は剣を握り直した。


「俺たちだって、そのくらいはやるさ」


 リゼットが彼らを見る。


「ここにいたら、あいつに利用されるだけだ」


 男はカインへ目を向けてから、苦笑した。


「お前の足を引っ張ってる場合じゃないだろ」


 リゼットはすぐには答えなかった。


 彼らを守りたい気持ちは変わらない。


 だが、彼らはただ守られるためについてきたわけではなかった。


 自分たちの街を取り戻すために、自分で考えてここまで来た。


「……分かった」


 リゼットは頷く。


「無理だけはしないで」


「そっちもな」


 元衛兵たちは兵舎の脇へ走った。


 カインがその背中へ視線を向ける。


 追おうと、一歩だけ身体を動かした。


 その進路へリゼットが入る。


「行かせない」


「……そうかよ」


 カインは元衛兵たちを見るのをやめた。


 改めてリゼットへ向き直る。


 周囲ではまだ剣戟が続いているが、二人の間に割って入る者はいない。


 リゼットは剣を構え直した。


「ここからは、あなたに集中できる」


「やってみろよ」


 地面を蹴った。



     ◇



 さっきまでとは、さらに違った。


 守る相手の位置を確認する必要がない。誰かの前へ戻る必要もない。


 カインだけを見て、最短の動きで斬り込める。


 正面から踏み込んだリゼットは、間合いの直前で右へ抜けた。カインが剣を向けるより早く肩を斬り、そのまま身体の向きを変えて次へ繋げる。


 反対側から二撃目。


 カインは受ける。


 だが、衝撃を止めた時にはもう三撃目が来ている。


「ぐっ……!」


 腕を刃が掠めた。


 カインが大きく剣を振る。


 リゼットはその間合いから抜け、振り切った直後を狙って再び踏み込んだ。


 頬に浅い傷。


「……っ」


 カインが舌打ちする。


 リゼットは止まらない。


 レムナ鉱の剣を手にした時、一撃の強さを求めすぎていた。


 だが、自分の強さはそこだけではない。


 無理に力を込めなくても、この剣は応えてくれる。


 なら、自分が得意な形で振ればいい。


 走る。


 踏み込む。


 身体の速度をそのまま剣へ乗せる。


 カインの防御を抜けるたび、傷が一つずつ増えていった。


「……クソ速ぇな」


 吐き捨てるような声だった。


 それでもカインの口元には、まだ僅かに笑みが残っている。


 危ない。


 本当に一歩間違えれば斬られる。


 その緊張を楽しんでいる自分がいる一方で、二十歳そこそこの女剣士に好き放題斬られている現状への苛立ちも隠しきれていなかった。


 リゼットは距離を取り、短く息を整える。


 カインの肩で血が滲んでいた。


 腕にも傷がある。


 自分にも疲労はある。


 それでも。


 いける。


 周囲に気を取られず、このまま自分の戦い方を続けられるなら。


 勝てる。


 そう思った。


 もう一度、リゼットが踏み込んだ。


 右から入る。


 カインが剣を上げた。


 そこから左へ切り返す。


 今までなら、それで防御の外へ出られた。


 だが。


「――っ!」


 剣があった。


 リゼットの斬撃がカインへ届くより先に、ロングソードの切っ先が進路へ入り込んでいる。


 咄嗟に身体を捻り、攻撃を中断した。


 胸元を刃が掠める。


 リゼットは距離を取る。


 カインは追ってこなかった。


 リゼットは一瞬だけ眉を寄せる。


 今のは、読まれた?


 もう一度。


 今度は大きく右へ回る。


 直前で速度を上げ、背後へ抜ける。


 剣を振ろうとした瞬間。


 またカインの刃が先に入った。


「っ!」


 金属音。


 受けざるを得ない。


 身体が押し返される。


 リゼットはすぐに離れた。


 おかしい。


 さっきまで、この速度には対応できていなかった。


 なのに突然、攻撃が入らなくなった。


 カインが速くなった?


 違う。


 呼吸を整えながら、相手を見る。


 むしろ。


 さっきより動いていない。


 リゼットはもう一度仕掛けた。


 真正面。


 そこから低く潜り込み、脚を狙うと見せかけて剣筋を上へ変える。


 カインは途中の動きに反応しなかった。


 最後。


 リゼットが間合いへ入った瞬間だけ。


 ロングソードが動く。


「くっ……!」


 肩当てを刃が深く擦った。


 金属音が響く。


 リゼットは後ろへ跳んだ。


 呼吸が少し乱れている。


 一方でカインは、先ほどまでのようにリゼットの周囲を動き回ってはいなかった。


 構えた位置から、ほとんど動いていない。


 視線も。


 自分の姿をずっと追っているわけではない。


 ――まさか。


 リゼットがカインを見る。


「……私を追ってない?」


 カインの口元が歪んだ。


「やっと気づいたか」


「……」


「追うのやめたんだよ」


 カインは剣を握ったまま、肩を僅かに回した。


「お前、速すぎるからな」


 リゼットは黙って聞いている。


「どっから来ようが、斬る時は結局こっちに来るだろ」


 それだけ言うと、カインは再び構えた。


 リゼットの背中を冷たい汗が流れた。


 最初から動きを見切られていたわけではない。


 カインは途中で、自分の速さを追うことそのものをやめた。


 右から来るのか。


 左から来るのか。


 どれほど速く方向を変えるのか。


 そこには付き合わない。


 自分を斬るため、最後に間合いへ入る。その一瞬だけを待っている。


 言葉にしてしまえば単純だった。


 だが、それを実戦の最中に選び、相手の動きから攻撃へ入る距離と瞬間を測り続けることは簡単ではない。


 カインは今まで、どれだけの剣士と戦ってきたのだろう。


 自分より速い者もいたかもしれない。


 力で上回る者も。


 癖のある相手も。


 そういう相手と何度も斬り合って、それでも生き残ってきた。


 ――戦った数が、違う……?


 リゼットより長く剣を握ってきた年月。


 その中で積み上げてきた経験。


 カインは自分より速くなったのではない。


 その経験の中から、自分の速さに付き合わずに戦う方法を選んだのだ。


 リゼットは剣を握り直した。


 だったら、待っている剣より速く入る。


 再び踏み込む。


 一気に間合いを詰めた。


 今度こそ。


 そう思った瞬間、カインの剣が動く。


「――っ!」


 避ける。


 完全には間に合わない。


 刃が腕を掠め、赤い線を残した。


 リゼットが離れる。


 カインは追わない。


 また構える。


 次は角度を変える。


 さらに深く回り込む。


 それでも、攻撃へ移る最後の瞬間にはカインの剣が待っている。


 今度は脇腹。


「くっ……!」


 鎧の表面を深く削られ、リゼットは後ろへ跳んだ。


 肩で息をする。


 カインはほとんどその場から動いていない。


 速さでは負けていない。剣の威力でも劣っているとは思わないし、技術だけを比べてもまるで届かない相手ではない。


 それでも、自分が攻めれば攻めるほど、先にカインの刃が待っている。


 さっきまで押していたはずなのに。


 戦い方を一つ変えられただけで、状況が完全に逆転していた。


 もう一度同じように踏み込めば、次はもっと深く斬られる。


 その次は、避けきれないかもしれない。


 リゼットは呼吸を整えながら、カインを見る。


 今のままでは。


 自分の得意な速さを、そのままぶつけるだけでは。


 勝てない。


 リゼットは剣を構え直した。


 ――このままでは、勝てない。


〖今回の異世界マーケティング〗


今回のテーマは「相手の強みと、同じ土俵で戦わない」。


セラは、自分より経験豊富なマティアスの魔術を戦いながら観察し、使える技術を吸収していきました。


これはマーケティングでいう「ベンチマーキング」に近い考え方です。


優れた競合のやり方をただ真似するのではなく、

「なぜ上手くいっているのか」を学び、自分の強みと組み合わせる。


セラの場合は、マティアスから学んだ精密な魔術制御に、自分が元々持っていた圧倒的な魔力量を重ねました。


一方、カインは正反対です。


リゼットの最大の強みである「速さ」に正面から付き合えば勝てない。


ならば、追いかけない。


相手が攻撃するために自分の間合いへ入ってくる、その瞬間だけを狙う。


ビジネスでも、価格で勝てない相手と価格競争をしたり、知名度で勝てない大企業と広告量を競ったりする必要はありません。


勝てない競争軸なら、競争軸そのものを変える。


「相手より強くなる」だけが、勝つ方法ではないのです。


そしてリゼットは今、自分が一番得意だったはずの戦い方を封じられました。


守りの剣士は、ここから何を選ぶのか。


次回へ続きます。

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