8.少女との出会い
ソフィアと初めて出会ったのは、十歳にもならない頃だった。
王宮で開かれた子供向けの茶会には、貴族家の子供たちが大勢招かれていた。私もすでにアルベルト殿下の婚約者として扱われており、会場へ着いて間もなく、何人もの令嬢たちに囲まれてしまった。
「レティシア様は、アルベルト殿下のどこがお好きなのですか?」
「殿下から贈り物をいただいたことは?」
次々と飛んでくる質問へ笑顔で答えながら、私は逃げ出す機会だけを探していた。当時から殿下との婚約について聞かれるのは苦手だった。嫌いだと言えば問題になる。かといって好きだと答える気にもなれない。だから曖昧に笑って誤魔化すしかなく、それを繰り返しているうちにすっかり疲れてしまっていた。
ようやく令嬢たちの輪から抜け出し、庭園の奥へ逃げ込んだところで、小さな泣き声が聞こえてきた。声を辿っていくと、庭園に設けられた小さなテーブルの前に一人の少女が座っている。
柔らかなピンクブロンドの髪をした少女だった。
少女の前には花柄の皿に何枚ものクッキーが並んでいる。すでに一枚だけ食べたらしく、少女の手元には小さな欠片が残っていた。
「……どうしたの?」
声を掛けると、少女はビクッと震えた後、慌てて涙を拭った。
「ごめんなさい、驚かせちゃったかしら?」
「いいえ、大丈夫です……」
「もしよかったら、どうして泣いていたのか教えてくない?」
私が尋ねると、少女は少し悩んだ後にテーブルの上のクッキーを見る。
「これ……お友達が作ってくれたんです。私のために昨日から頑張って作ってくれたみたいで……すごく嬉しかったんです。それで、一枚食べてみたんですけど……」
そこで言葉が途切れた。表情を見るだけで、何となく事情が分かった。
「美味しくなかったの?」
「……」
少女は答えず、代わりに今にも泣きそうな顔で俯いてしまった。私はテーブルの反対側へ座ると、皿から一枚だけクッキーを取った。
「一枚もらってもいい?」
少女が小さく頷いたので、口へ運ぶ。
硬い。そして、驚くほど甘い。
なるほど。これは確かに、美味しいとは言いづらい。
「お友達があとで感想を聞きに来るんです」
少女がぽつりと話し始めた。
「きっと『美味しかった?』って聞かれます。でも……美味しいって答えたら……」
そう言いながら、胸元へそっと手を添える。服の隙間から、一瞬だけ金色の光が見えた。私は思わず少女の胸元を見る。
――聖印。
聖女の胸元に現れる、金色の印だ。その印を見間違えるはずはない。つまり、目の前にいる少女は――聖女なのだ。
「あなた……嘘をつけないのね」
少女の肩がびくりと揺れた。
(しまった……)
声に出すべきではなかったと思い、私は慌てて周囲を確認する。幸い、近くに他の子供や大人の姿はなかった。
「大丈夫。誰にも言わないわ」
「……本当ですか?」
「ええ」
私が頷くと、少女は少しだけ安心したようだった。
「美味しくないって言ったら、お友達が悲しむと思うんです。私のために作ってくれたのは、本当に嬉しいのに……」
また目に涙が浮かぶ。私は目の前のクッキーへ視線を落とした。
「残りはどうするつもりだったの?」
「全部食べます」
「美味しくないのに?」
「だって、私のために作ってくれたものですから」
その答えを聞いて、少し考える。そして、一つ思いついた。
「なら、大丈夫じゃない?」
「え?」
「全部食べるのでしょう?」
「はい」
「だったら、その子に美味しかったか聞かれた時、『一枚も残らなかったくらい!』って答えればいいのよ」
少女が目を丸くした。意味が分からないらしく、私と皿の上のクッキーを交互に見ている。
「でも、それって美味しかったって言っていることになりませんか?」
「美味しかったとは一言も言っていないでしょう?」
私は皿を指差した。
「思わず全部食べちゃったから一枚も残っていない。それをそのまま伝えるだけよ」
「……嘘じゃない?」
「ええ。嘘じゃないわ」
少女はしばらく考え込んでいたが、やがて残っているクッキーを一枚手に取った。少し覚悟を決めるような顔をして、それを口へ運ぶ。決して美味しそうな顔ではなかった。
けれど一枚、また一枚と、自分の手で食べていく。最後の一枚を飲み込んだ頃には、皿の上には本当に何も残っていなかった。
「……一枚も残らなかったくらい」
確かめるように呟いてから、少女は私を見る。
「そうよ」
「これなら、お友達を悲しませずに済みますか?」
「きっとね」
私の答えに少女の顔へようやく笑顔が戻った。泣いていた時とは別人のような、明るい笑顔だった。
「ありがとうございます、レティシア様!」
「どうして私の名前を?」
「知っています。ヴァレンティア公爵家のレティシア様ですよね?」
「ええ。あなたは?」
「私はソフィア……ソフィア・エルフェルトと申します」
そう名乗ると彼女は嬉しそうに笑った。
それが私とソフィアの出会いだった。




