6.国外へ
王宮を出た頃には、すっかり夜も深くなっていた。
卒業パーティー用のドレスから動きやすい服へ着替え、最低限の荷物だけを持って裏門へ向かう。公爵家へ戻ることも考えたが、一度戻れば騒ぎを聞きつけた王宮から使者が来る可能性が高い。
何より、国外追放を命じられた身だ。
命令した本人が撤回すると叫んでいたことは、この際忘れておこう。
裏門には一台の馬車が待っていた。
御者は私を見ると何も聞かずに頭を下げ、扉を開ける。その手際の良さに少しだけ笑いそうになりながら乗り込むと、向かいの座席にはすでに一人の侍女が座っていた。
深く被った帽子のせいで顔はほとんど見えない。私はその隣へ荷物を置き、座席へ腰を下ろした。
「出してください」
馬車がゆっくりと動き出す。王都の石畳を車輪が叩く音を聞きながら窓の外を眺めていると、ようやく今日一日の出来事が終わりつつあるのだという実感が湧いてきた。
王太子との婚約がなくなり、国外追放まで命じられた。普通なら人生のどん底とでも呼ぶところなのだろう。
けれど、口元が緩んでしまう。
やがて馬車が王都の門を抜け、人通りの少ない街道へ入ったところで、私は向かいへ視線を戻した。
「もう帽子を取ってもいいわよ、ソフィア」
「……ふぅ」
深い溜め息とともに、侍女が帽子を脱ぐ。中から現れたのは、見慣れた柔らかなピンクブロンドだった。
「蒸れました……」
「最初に言うことがそれなの?」
「だって、本当に暑かったんですもの」
先ほどまで聖女の力を失ったと誰もが信じていた少女が、目の前で頬を膨らませている。
それを見た途端、堪えていたものが一気に込み上げてきた。
「ふふっ……」
「レティシア様?」
「ごめんなさい。でも、あの殿下のお顔を思い出したら……」
我慢できずに笑い始めると、ソフィアも数秒耐えたあと、肩を震わせた。
「私も国外追放は予想していなかったので……」
「婚約破棄までは予定通りだったのにね」
「むしろ予定以上です」
二人で笑い合っているうちに、張り詰めていた身体からようやく力が抜けていった。
しばらくして笑いが収まると、ソフィアがふと思い出したように片手を差し出した。
「そうだ。レティシア様、見てください」
指先へ魔力を集めると、柔らかな金色の光がふわりと浮かび上がる。
見間違えるはずもない。紛れもなく聖女の力だった。
「はいはい。無事に使えてよかったわ」
「反応が軽くありません?」
「最初から大丈夫だと思っていたもの」
そう答えながらも、私は小さく息を吐いた。あれだけ大勢の前で嘘にも見える受け答えをさせたのだ。問題なく力を使えているところを実際に見れば、やはり少しくらいは安心する。
ソフィアはそんな私を見て、どこか楽しそうに笑っている。
その顔を見ていると、なんだか照れ臭くなってきた。私は誤魔化すように視線を窓の外へ向ける。
「それにしても、あの間の取り方は上手だったわね」
先ほどまでのソフィアを思い出しながらそう言うと、彼女は少し得意そうに胸を張った。
「当然です。塗料に魔力を流して、色が変わるまで少し時間が必要でしたから」
「あそこまで苦しそうな顔をする必要はなかったでしょう?」
「その方が自然じゃないですか。すぐに『はい』と答えて、その直後に聖印が黒くなったら、かえって不自然じゃないですか」
言われてみればその通りだった。
ソフィアは事実ではない質問をされるたび、答える前に聖印へ塗った塗料へ魔力を流し、色が変わるのを待っていた。
あの沈黙は、答えるのをためらっているように見せるためだけではなく、塗料が反応し、聖印の黒い濁りが深まるまでの時間でもあったというわけだ。
「あなた、思っていた以上に演技派だったのね」
「褒めてくださっているんですよね?」
「もちろんよ……たぶん」
「最後の一言が余計です」
ソフィアはそう言って笑う。その表情を見ながら、私は窓の外へ目を向ける。王都の明かりは、もう随分遠くなっていた。
これから先、何が待っているのかは分からない。それでも、不安より楽しみの方が大きい。そして何より、私は一人ではない。
向かいに座るソフィアは、何事もなかったかのように笑っていた。




