23.私の名を刻む
クライン工房で働き始めてから、一年ほどが経った。
最初は部品の整理や掃除ばかりだった私も、今では簡単な修理なら一人で任せてもらえるようになっている。もちろん、クラインさんに呆れられるような失敗をすることもまだあるけれど、少しずつできることは増えていた。
ある日の夕食後、向かいに座るソフィが自分の手を見ながら、何度か指を曲げ伸ばししていた。
「どうしたの?」
「いえ、今日は洗い物が多かったので、少し疲れただけです」
「洗い物?」
「治療に使った布とか、小さな器具とかです。患者さんが多い日はどうしてもたくさん出るんですよ」
治癒魔法があるからといって、治癒院の仕事がそれだけで終わるわけではないらしい。
傷口を拭くための布も使えば、治療に使う器具もある。それらを毎回きちんと洗い、次に使えるよう準備するのも治癒使たちの仕事だという。
「それ、毎日手で洗っているの?」
「はい。大きなものはまとめて洗いますけど、細かい器具なんかは一つずつですね」
ソフィは大変そうに言いながらも、嫌そうな顔はしていない。けれど、一日に何人もの患者を診ながら、それだけの作業までしているのなら、かなりの時間を取られているはずだ。
「……洗う作業を、魔道具に任せられないかしら」
「え?」
「水の中に入れておくだけで、ある程度汚れを落としてくれるようなものよ。そうすれば、その間に別の仕事ができるでしょう?」
「そんなもの、作れるんですか?」
「まだ分からないわ」
作れるかどうか分からないからこそ考えてみたくなった。夕食を終えたあともその考えが頭から離れず、私は紙と筆記具を持ってきた。
容器の底へ魔石を置き、水に流れを作る。けれど、一方向に回すだけでは布が同じ場所に留まってしまうかもしれない。それなら途中で流れを反転させればいい。
思いついたことを一つずつ書き込みながら、何度も線を引き直していく。
「もう作り始めるんですか?」
「まだ考えているだけよ」
そう答えながらも、気づけば紙の上には大まかな形が出来上がっていた。
翌日、私はその図面を持って工房へ向かった。
「水の流れで汚れを落とす魔道具?」
「はい。布や小さな器具を入れて使えるくらいの大きさで考えています」
昨夜描いた図面を差し出すと、クラインさんはしばらく黙ったまま眺めていた。
水をただ回すだけではなく、一定時間ごとに流れの向きを変える。そのたびに中の物も動けば、布の重なった部分や器具の細かな隙間にも水が入りやすくなるはずだ。
「……面白いんじゃないか」
「本当ですか?」
「作れるならな」
相変わらず簡単には褒めてくれない。
それでも止められなかったということは、試す価値くらいはあるのだろう。
そこから何度も失敗した。
最初の試作品は水流が強すぎて、入れていた布が容器の中で絡まった。次は逆に弱すぎて、ほとんど汚れが落ちない。
器具を洗える程度に強く、それでいて布を傷めない。その加減を探すだけでも、思っていた以上に時間がかかった。
「また駄目だった……」
何度目かの試作品を前に肩を落としていると、クラインさんが横から容器の中を覗き込んだ。
絡まった布と、その隣に沈んでいる器具をしばらく見比べてから、短く息を吐く。
「全部同じ強さで洗おうとしているからだ」
「でも、強さを落としたら器具の汚れが――」
「なら、分ければいい」
その言葉に、私はもう一度容器の中を見る。
布と器具では、必要な水流が違う。それなのに、一つの強さですべてに対応させようとしていた。
「……そうか」
洗うものに合わせて、水流を変える。
布を洗う時は弱く、器具を洗う時は強くする。さらに流れの向きを一定時間ごとに切り替えれば、細かな部分にも水が入りやすくなる。
そこから完成までは早かった。
「できた……」
試作品の中から布を取り出す。
最後にすすぐ必要はあるものの、最初についていた汚れはほとんど残っていない。小さな器具の隙間に入っていた汚れも、以前よりずっと落ちていた。
クラインさんも何度か動作を確認し、水流を切り替えながら中の様子をじっと見ている。
やがて問題がないと判断したのか、ようやく魔石から手を離した。
「治癒院へ持っていって試してもらえ」
「いいんですか?」
「使う奴が使えないと言ったら、完成とは言えないだろう」
そう言うクラインさんは相変わらずぶっきらぼうだったけれど、その表情にはどこか余裕があった。まるで、治癒院へ持って行っても大丈夫だと、私より先に確信しているように見えた。
数日後、ソフィに試してもらったところ、治癒院でも問題なく使えたらしい。
「レティ、すごく便利でした!」
帰ってくるなりそう言われ、思わず頬が緩む。
「洗っている間に別の準備ができるんです。ほかの治癒使の方たちも欲しいって言っていましたよ」
「それならよかったわ」
翌日、その話をクラインさんへ伝えると、彼は完成した魔道具を作業台へ置いた。
何度か全体を眺めたあと、小さな刻印用の道具を取り出し、私へ差し出す。
「名前を入れろ」
「……私の?」
「お前が考えて、お前が作ったんだろう」
受け取った道具が、急に重く感じた。これまで修理したものにも、手伝って作ったものにも、自分の名を残したことはない。
少しだけ緊張しながら、魔道具の端へ刻印を入れる。
――L. Valentia
小さく刻まれた文字を見つめていると、胸の奥がじんわりと熱くなった。
王太子の婚約者でも、公爵令嬢でもない。魔道具師レティシアとして、初めて自分の名を残した魔道具だった。




