21.治癒使として
クライン工房へ通い始めてから、私たちの生活にも少しずつ決まった流れができていた。
朝になれば私は工房へ向かい、ソフィも少し遅れて家を出る。夕方になると先に帰った方が夕食の準備をして、その日にあったことを話しながら食卓を囲む。
ちなみに、料理は今のところソフィの方が美味しい。本人には言っていないけれど、同じ材料を使っているはずなのに、私が作った時より明らかに美味しいのだから認めざるを得ない。
ソフィには黙っているけど、彼女に追いつくために、今は料理についても学んでいる。
そんな生活にも慣れ始めた頃、ソフィがまだ帰って来ていないことを確認し、料理の準備を始める。
「レティ、聞いてください!」
玄関の扉が開いたと思ったら、ソフィがいつもより弾んだ声で部屋へ入ってきた。
頬が少し赤くなっているのは、急いで帰ってきたからだろうか。鞄を置くより先に私のところへやって来る様子を見る限り、よほど話したいことがあるらしい。
「どうしたの?」
「治癒院で働かせてもらえることになりました!」
「本当に? よかったじゃない」
以前からソフィは、この国でも治癒に関わる仕事を探していた。
国を出たからといって、人を助けることまでやめたいわけではない。そう話していた彼女にとって、治癒院で働けることは望んでいた形に近いのだろう。
「それで、どうだったの?」
「それがですね……院長先生、私の顔を見た瞬間に固まってしまったんです」
「固まった?」
「はい。ずっと私の顔を見たまま何も言わなくなってしまって。私から『あのー……』って声をかけたら、やっと我に返りました」
その時の様子を思い出したのか、ソフィが楽しそうに笑う。おそらく、聖女の姿はこの国でも知られていたのだろう。治癒院を預かる立場なら、なおさら気づいても不思議ではない。
ただ、まさかその聖女本人が一人で現れて、「ここで働きたい」と言い出すとは思ってもいなかっただろう。
「それから、ここで治癒使として働きたいって伝えたんです」
「何か試験はなかったの?」
「本当なら、治癒魔法をどのくらい使えるのか確認するみたいです。でも、『治癒の力を確認する必要はないでしょう。ただ、ここで働く以上、院内の決まりや患者の診方については他の治癒使と同じように覚えていただきます』って」
確かに、聖女の治癒能力をわざわざ試験する意味はほとんどない。けれど、ソフィが嬉しそうなのはそこではないらしい。話しているうちにますます表情が明るくなっていくので、私は続きを待った。
「そのあと、院長先生が言ってくれたんです」
ソフィは一度言葉を切ると、その時の声を思い出すように少しだけ背筋を伸ばした。
「『必要な時には、そのお力をお借りすることもあるでしょう。ですが、それ以外は他の治癒使と同じように、一人でも多くの患者を診ていただければと思います』って」
「……それで採用?」
「はい!」
あまりにも嬉しそうに頷くので、ようやくソフィが何に喜んでいるのか分かった。
聖女だから特別な立場を用意するのではない。必要な時にはその力を頼るけれど、普段は他の治癒使と同じように患者と向き合ってほしい。
院長はソフィが聖女と知りながらも、治癒院で働く一人の治癒使として迎えるつもりなのだとわかる。
「ソフィもいい人に出会ったのね」
「はい。本当に」
返ってきた声はさっきまでより少し穏やかで、とても嬉しそうだった。
翌日から、ソフィも治癒院へ通い始めた。
最初から難しい治療を任されるわけではなく、まずは薬や包帯の置き場所を覚え、患者の案内をしたり、他の治癒使の補助をしたりしているらしい。
「今日は先輩の治癒使さんに、『手が空いているなら、この人をお願い』って言われたんですよ」
夕食を食べながら、ソフィはその日の出来事を一つずつ話してくれる。
頼まれたのは軽い切り傷の治療だったらしい。その場にいた治癒使の一人として仕事を渡されたことが、本人にはとても嬉しかったようだ。
「それから、帰る患者さんの荷物を持ったら、お礼も言われました」
「治療した人?」
「違います。待っている間に少しお話をしていただけの方です」
ソフィはそこで、少し照れたように笑った。
「『ありがとう、ソフィアさん』って言ってくれたんです」
その一言だけでどうしてそんなに嬉しかったのか、今度は聞かなくても分かった。
これまでソフィは何人もの人を助け、そのたびに「聖女様」と呼ばれてきた。それを嫌っていたわけではない。助けた相手から感謝されること自体はいつだって嬉しかったはずだ。
けれど今日は聖女としてではなく、そこにいたソフィアという一人の人間へ向けて礼を言ってもらえた。
「よかったわね、ソフィ」
「はい」
嬉しそうに笑う彼女を見ながら、私は少し前の自分を思い出していた。
私も今では、公爵令嬢でも王太子の婚約者でもなく、工房で失敗すれば普通に叱られる見習いだ。住む場所だけではなく、私たちを呼ぶ名前も、周囲から向けられる目も変わった。
この国で私たちはようやく、それぞれ自分で選んだ場所に立ち始めていた。




