19.新しい居場所
国境を越えてからしばらく馬車に揺られ、ようやくルーディア王国の街へ辿り着いた。
窓の外には初めて見る建物が並んでいる。大きく雰囲気が違うわけではないけれど、店先に置かれている照明や看板には魔道具が使われているものが多く、つい目で追ってしまった。
「レティシア様、宿を探しましょう」
馬車を降りる準備をしながら、ソフィアが外を覗き込む。
「この時間からだと、早めに探しておいた方がいいですよね。空いているところがなかったら大変ですし」
「待って」
「はい?」
今にも御者へ宿の場所を聞きそうなソフィアを止めると、彼女は不思議そうにこちらを振り返った。
「宿なら探さなくていいわよ」
「……どうしてですか?」
「住むところは、もう用意してあるから」
ソフィアの動きがぴたりと止まった。それから私の顔をじっと見つめ、何か聞き間違えたのではないかというように目を瞬く。
「用意してあるって……家をですか?」
「ええ。大きくはないけれど、二人で暮らすには十分なはずよ」
「いつの間にそんなことをしたんですか?」
当然の疑問だろう。私自身、国外へ出ると決めてから今日まで、自由にルーディアへ足を運べたわけではない。
「それは……着けば分かるわ」
「また私の知らないところで何かしていたんですね?」
「あなたにだけは言われたくないわね」
何通もの手紙を用意して、私が何を答えても旧図書塔へ来るよう仕向けたのはどこの誰だっただろうか。
そう指摘すると、ソフィアは何か言い返そうとして口を開いたものの、結局何も言えずにむすっと頬を膨らませた。
馬車はそのまま街の中心から少し離れた住宅街へ入っていく。華やかな屋敷が並ぶ場所ではないが、道は整えられていて店も近くにある。これから普通に暮らしていくには、むしろこのくらいの方が落ち着けそうだった。
やがて馬車が一軒の家の前で止まる。
「ここよ」
窓の外を見ると、二階建ての小さな家が建っていた。
公爵家の屋敷と比べれば、当然ながら驚くほど小さい。それでも二人で暮らすには十分そうで、窓から差し込む光も明るい。玄関脇には小さな庭まで付いていた。
そして、その門の前には見覚えのある少女が立っている。
「お待ちしていました、レティシア様!」
「……リシェル?」
隣から聞こえたソフィアの声が、僅かに低くなる。リシェルは一瞬だけ肩を揺らしたものの、すぐに笑顔を浮かべた。
「ソフィアちゃんも、お疲れさま」
「どうしてリシェルがここにいるんですか?」
「どうしてって……」
リシェルの視線が私へ向く。その視線に釣られ、ソフィアもまたこちらを見た。
「まさか」
「ええ。この家を探してくれたのはリシェルよ」
「やっぱり!」
ソフィアが私とリシェルを交互に見る。
「二人とも知っていたんですか? 私だけ何も聞いてないんですけど!」
「レティシア様に黙っていてほしいって頼まれていたから……」
「リシェルまで!」
随分と不満そうだけれど、先日の仕返しだと思えば少しくらい許してもらいたい。
リシェルには婚約者がこちらにいるうえ、今もルーディアの学園へ通っている。その伝手を借りて、小さくてもすぐに暮らせる家を探してもらっていたのだ。
「でも、家を買うなんて……かなりお金が掛かったんじゃないですか?」
ソフィアの疑問に、私は少しだけ視線を逸らした。
「最初は、今までにもらった宝石をいくつか売るつもりだったのよ」
王太子の婚約者として贈られた装飾品の中には、私自身がほとんど使っていないものも多い。それを売れば、当面の生活費と小さな家くらいはどうにかなると思っていた。
けれど、宝石箱を整理していたところをお母様に見つかってしまった。
『何をしているの?』
そう尋ねられ、素直に事情を話した結果、その日のうちにお父様にも知られることになった。
『家を用意する金くらい、こちらで出す』
『それでは自分で生活を始める意味がありません』
私も譲らず、しばらく言い合いになった末、最後はお父様の方が折れた。
『なら、貸したことにしておこう。魔道具師として自分で稼げるようになったら返しに来なさい』
あの言葉を思い出すと、愛されている事を実感し、胸の奥が温かくなる。
「だから、この家は両親から借りたお金で買ったの」
「返しに来なさい、ですか」
「ええ」
ソフィアは少しだけ笑った。
「ちゃんと帰ってきなさいって意味にも聞こえますね」
「……私も、そう思うわ」
そのためにも、まずは魔道具師として自分で稼げるようにならなければならない。
目の前にある小さな家は、公爵令嬢として与えられたものではなく、自分で選んだ人生を始めるための場所だ。
「では、中をご案内しますね」
リシェルが鍵を取り出し、玄関へ向かう。その後ろを追いながら、私は改めて家を見上げた。
案内を終えたリシェルを見送り、玄関の扉を閉める。
知らない国の、知らない家。けれど今日からは、ここが私たちの暮らす場所になる。
「レティ」
「……え?」
聞き慣れない呼び方に、思わず振り返った。ソフィアは少し照れたように笑っている。
「今?」
「今だからです」
「どういうこと?」
「今までは、外でうっかり『レティ』って呼んだら困るでしょう? だから普段からずっと『レティシア様』って呼ぶようにしていたんです」
確かに、学園でも王宮でも、私たちが人前で顔を合わせる機会はよくあった。
「それほど気にすることかしら?」
「気にしますよ。レティは平気そうでしたけど、私は絶対にどこかで間違えますから」
「そう?」
「そうです。外では何事もなかったみたいに『ソフィア様』って呼ぶじゃないですか。あれ、ちょっとだけ羨ましかったんですよ?」
そんなところに嫉妬されていたとは思わず、つい笑ってしまう。
けれど、ここには王太子の婚約者も、王宮で傅かれる聖女様もいないのだから、もう呼び方を気にする必要はない。
「ふふっ、改めてよろしくね、ソフィ」
一瞬、ソフィアの目が大きくなる。けれどすぐに、その顔いっぱいに嬉しそうな笑みが広がった。
「もう一回呼んでください」
「……嫌よ」
「どうしてですか!」
さっきまでどこか現実味のなかったこの家が、急に少しだけ私たちのものになったような気がした。
ここからは、レティとソフィとしての新しい暮らしが始まる。




