18.国境を超えて
あの日、お父様とお母様に自分の望みを伝えてから、卒業パーティーまでは驚くほど早く過ぎていった。
そして今、私はソフィアとともに王都を離れ、隣国へ向かう馬車に揺られている。
窓の外には、王都を離れてから見慣れない景色が続いていた。街道を進むにつれ、人家も少なくなっている。
「そろそろ国境ですね」
向かいに座るソフィアが窓の外を眺めながらそう言った。
「ええ」
国を出る。何度も考え、両親にも伝え、自分で決めたことだというのに、いざその時が近づくと不思議な気分だった。
アルベルト殿下との婚約に未練はない。けれど、この国で過ごしたすべてが嫌だったわけではない。両親もいるし、幼い頃からの思い出だってたくさんある。
それでも私は、自分で選んだ道を進むと決めた。
やがて馬車は国境の検問所へ差しかかった。
貴族令嬢が国外へ出る。それも卒業パーティで婚約破棄をされた令嬢と聖女の力がなくなった令嬢の二人が。
だから、もっと時間が掛かるものだと思っていたけれど、用意していた書類を確認されただけで、拍子抜けするほどあっさりと通される。
「……思ったより簡単だったわね」
「そうですね。もっと色々聞かれるかと思っていました」
馬車が再び動き出すのを感じながら、私は遠ざかっていく検問所を振り返った。
おそらくだけど、お父様があらかじめ話を通してくれていたのだろう。
国を出ることを認めてくれただけではなく、こうして私が困らないよう、見えないところで準備までしてくれていたらしい。そのことが嬉しくて、胸の奥がじんわりと温かくなる。
しばらく進むと、国境を示す石碑が後方へ流れていった。
「……越えたのね」
「はい」
生まれてからずっと暮らしてきた国を、とうとう出た。そう思っても、まだ実感が追いつかない。
私は何となくもう一度後ろを振り返り、遠ざかっていく故郷の空を見上げた。
その時、馬車の揺れに合わせて景色の角度が変わり、空にほんのわずかな光が走ったような気がした。
「……あれ?」
目を凝らしてみる。一見すれば、何もないように見える。けれど注意して見れば、青空の向こうに景色へ溶け込むような薄い光の膜があった。
「ソフィア」
「はい?」
「あれ、結界じゃない?」
私が指差した先を確認したソフィアは、少しだけ目を丸くしたあと、すぐに楽しそうな笑みを浮かべた。
「気づきました?」
「やっぱり張り直していたのね」
「はい。王都を出て、人目がなくなってから」
あまりにも当然のように答えるので、私は改めて空を見上げる。
卒業パーティーの時には確かに消えたはずの結界が、今は再び国を覆っている。ただし、以前のように一目で分かるものではなく、こうして意識して探さなければ見落としてしまいそうなほど目立たない。
「前とは随分見え方が違うわね」
「そこは少し工夫しました」
「どうして?」
「普通に張り直したら、私にまだ力が残っているって気づかれるかもしれないじゃないですか」
ソフィアはそう言ってから、少し悪戯っぽく笑った。
「特に殿下には知られたくありませんし。なので、見えにくくしてみました!」
「……そんなことまでできるの?」
「聖女ですから!」
「便利な言葉ね、それ」
「便利ですよ?」
悪びれもしないソフィアに、思わず笑ってしまう。けれど、結界そのものを張り直した理由については、わざわざ聞く必要もない気がした。
ソフィアはこの国を嫌って出てきたわけではない。
両親もいるし、友人もいる。これまで自分が守ってきた人たちを、国を出るからという理由だけで危険にさらしたいはずがない。
聖女として誰かを救うことを嫌になったわけでもない。ただ、私を選んで、ついて来てくれたのだと思うと妙に照れ臭くなる。
そんな気恥ずかしさを誤魔化すためにもう一度空を見上げ、よく目を凝らす。
薄い光の膜は今も変わらず故郷を覆っていた。
私はしばらくその光を眺めてから、ゆっくりと前へ向き直る。
馬車の先には、まだ見たことのない隣国の景色が続いていた。




