16.実験
「聖印を、黒くなったように見せればいいのよ」
そう言った私を、ソフィアはしばらく見つめていた。
「……そんなこと、できるんでしょうか?」
「まだ分からないわ。でも、使えそうなものに心当たりはあるの」
以前、魔道具を分解した時に見た魔力反応塗料。魔力を流すことで色を変える特殊な素材で、魔道具の一部にも使われているものだ。
そのままでは肌に使えないし、色の変化も今回の目的には合わない。それでも、配合や反応の仕方を調整できれば、聖印が黒く濁ったように見せられるかもしれない。
「聖印の上に塗るんですか?」
「ええ。ただし、最初から黒く見えては意味がないわ。普段はほとんど分からず、魔力を流した時だけ黒く変わるようにしないと」
さらに、一度に真っ黒になってしまうのも不自然だ。
嘘を重ねるたびに少しずつ黒い濁りが深まり、最後には金色の輝きまで失われたように見える。それが理想だった。
「少し時間をちょうだい。試してみるわ」
「お願いします」
その日はそこで話を終え、それから数日。
何度か配合を変えながら試した末、ようやく使えそうなものが出来上がった。
再びソフィアと向かい合った私は、小さな瓶を机の上へ置く。中には黒に近い紫色の液体が入っていた。
「……思ったより黒いですね」
「瓶の中ではね」
私は細い筆へ液体を含ませ、まず自分の手の甲へ薄く伸ばした。
「どう?」
ソフィアが身を乗り出し、塗った場所をじっと見る。
「……ほとんど分かりません」
「これなら、塗っているだけでは気づかれなさそうね」
乾いたところで、今度は手の甲へ少量の魔力を流す。
すぐには何も起こらなかったものの、塗った部分にじわりと黒い色が浮かび始めた。さらに魔力を加えると色は濃くなり、止めればそこで変化も止まる。
「黒くなりました!」
「ええ。塗料そのものは問題なさそう」
肌への刺激もない。だけど、これだけではまだ安心できなかった。
手の甲を黒くできることと、もともと金色に輝いている聖印を黒く見せることは別だ。塗料が反応しても、その下から聖印の光が透けてしまえば、計画には使えない。
「次は、ソフィアの聖印で試してもいい?」
「もちろんです」
ソフィアは迷うことなく頷き、襟元を少し開いた。
現れた黄金の聖印へ、私は改めて筆を近づける。適当に塗れば、魔力を流した時に聖印以外の部分まで黒くなってしまう。金色の線に沿って、はみ出さないよう慎重になぞっていく必要があった。
「ひゃっ」
「動かないで」
「くすぐったいです……」
「我慢しなさい。ずれたら聖印じゃないところまで黒くなるわよ」
そう言うと、ソフィアはぴたりと動きを止めた。
細かな曲線を一つずつなぞり、最後まで塗り終える。少し離れて確認してみても、普段とほとんど変わらない。金色の聖印は、変わらず柔らかな光を放っていた。
「それじゃあ、少しだけ魔力を流してみて」
「はい」
ソフィアが胸元へ手を添える。数秒後、金色の聖印に黒い濁りがわずかに滲んだ。
「もう少しお願い」
ソフィアが再び魔力が流す。すると、黒い濁りが深まるにつれて、聖印の金色の輝きも少しずつ弱くなっていく。
その変化を見て、私はようやく小さく息を吐いた。
「……光もちゃんと弱くなるのね」
「そこが心配だったんですか?」
「ええ。黒くなっても、その下で金色に光ったままだったら意味がないでしょう?」
そこだけは実際に試してみるまで分からなかった。
けれど、黒い濁りが深くなるほど、金色の光も覆い隠されていく。これなら最後には、本当に聖印の輝きを失ったように見せられる。
「これなら使えそうね」
「ただ、色が変わるまで少し時間が掛かりますね」
「そこは仕方ないわね」
するとソフィアは、少し黒く濁った聖印を見つめながら考え込んだ。
「だったら、その時間も使えませんか?」
「使う?」
「質問されてすぐには答えず、その間に魔力を流すんです。色が変わってから『はい』と答えれば、言いたくないことを迷いながら答えているように見えるでしょう?」
なるほど。
塗料が反応するまでの時間を、そのままためらいに見せればいい。
さらに事実である質問を一つ混ぜ、その時だけは魔力を流さず、迷わず答える。金色のままの聖印と、黒く濁っていく聖印。
その違いを見せれば、事情を知る者ほど聖印が正しく反応していると信じるはずだ。
ようやく、私たちの計画が形になってきた。




