15.聖印について
殿下の希望通り、婚約破棄を行ってもらおう。そう決めたところで、今度はどうやってその場をひっくり返すかを考えなければならない。
アルベルト殿下が私を嫌っていることも、ソフィアが何を言っても自分に都合よく受け取ることも、今さらどうしようもない。問題はそこではなかった。
「殿下本人を納得させる必要はないわね」
「そうですね。アルベルト殿下、人の話はまったく聞きませんから」
「言い切ったわね……」
「何度否定したと思っているんですか」
少し疲れたように言うソフィアを見れば、反論する気にもなれない。
たとえ卒業パーティーの場でソフィアが「嫌がらせなどされていません」と否定しても、殿下なら「レティシアに脅されているのだろう」とでも言い出すだろう。
けれど、それでは話が終わらない。
「大事なのは、その場にいる人たちよ」
「他の方々……ですか?」
「ええ。殿下が勝手に婚約を破棄する分には構わないけれど、私が本当にあなたへ嫌がらせをしていたと思われたまま国を出るのは御免だわ」
公爵家の名誉にも関わる。何より、やってもいないことで罪人扱いされたまま去るなんて、気分が悪い。
周囲が見ても、アルベルト殿下より私の言い分の方が正しいと分かる状況を作る必要がある。
「そのためには、あなたが重要になるわ」
「私ですか?」
「その聖印よ」
私が胸元を指すと、ソフィアも自分の聖印へ視線を落とした。
「聖女が嘘をつけば、その聖印は黒く染まる。それを繰り返せば、最悪の場合は聖印そのものを失って、聖女の力まで失う可能性があるわ」
「……え?」
「えっ?」
ソフィアの予想外の反応に、今度はこちらが目を瞬く。
「ソフィア……知らなかったの?」
「初めて聞きました」
「自分の聖印なのに?」
「嘘をついちゃ駄目だというのは感覚的に分かります。でも、どうしてなのかまでは……」
どうやらソフィアには、理由も分からないまま『嘘はいけない』と感覚だけが備わっていたらしい。
「あなたの周りの大人は何をやってるのよ……」
思わず呟きながら、私は旧図書塔の本棚を見回した。
古い蔵書ばかりが集められたこの場所なら、私が幼い頃に教えてもらった過去の聖女について記した書物もここにも残っているはず。
「探してみましょう。実際に読んだ方が、あなたも納得できるでしょう?」
二人で棚を調べていくと、しばらくして歴代の聖女について記された古い本が見つかった。
黄ばんだ頁をめくり、該当する記述をソフィアと並んで読む。そこには私が教わった通り、故意に虚偽を口にした聖女の聖印が黒く濁り、それを重ねた末に聖印と力を失った例まで記されていた。
「……本当ですね」
「だから言ったでしょう」
「私、こんな大事なことも知らなかったんですね……」
「今知ったのだからいいでしょう。これから気をつければいいわ」
本を閉じながら、私は改めて考える。
上位貴族の多くは、この聖印の性質を知っている。だからこそ、ソフィアの聖印を利用できれば、殿下の言葉よりもはるかに説得力のある証拠になるはずだ。
「でも、私が嘘をつくわけにはいきませんよね」
「もちろんよ。私のためにソフィアにそんな事をしてもらうつもりはないわ」
しばらく考え込んでいたソフィアが、不意に顔を上げた。
「……だったら、レティシア様。私に全部『はい』と答えるように言ってもらえませんか?」
「全部?」
「はい。質問を始める前に、『これからする質問には、内容にかかわらず、すべてはいと答えてください』って」
思いがけない提案に、私は眉を寄せた。
「そのあと私があなたへの嫌がらせについて聞くの?」
「そうです。私は何を聞かれても『はい』と答えます」
「それ、嘘にならないの?」
ソフィアはすぐには答えず、自分の胸元へ手を添えた。何かを確かめるように少し考えてから、ゆっくり首を振る。
「上手く説明できないんですけど……それなら、嘘をつこうとした時の嫌な感じがしないんです」
「本当に?」
「たぶん」
「たぶんなの?」
「こんなことを考えたのは初めてなんですから、仕方ないじゃないですか」
少し頬を膨らませるソフィアを見ながら、私は腕を組む。
理屈はよく分からない。けれど、嘘をつこうとした瞬間にそれを感じ取れる本人が大丈夫だと言うのなら、試す価値はありそうだった。
ただし、それだけでは足りない。
「待って。それだと聖印は黒くならないわ」
「あ……」
ソフィアの聖印が金色のままなら、事情を知る者ほど違和感を覚える。周囲を納得させるためには、ソフィアが嘘をついたと信じ込ませるだけの変化が必要だ。
私は先ほどの本をもう一度開き、黒く染まった聖印についての記述へ目を落とした。
ソフィアに本当に嘘をつかせることはできない。
ならば――
「聖印が黒くなったように見せればいいんだわ」




