11.聖女と呼ばれるようになって
私たちが王立学園へ入学して一年ほど経った頃、ソフィアが聖女であることは国中に知られることになった。
きっかけは、魔法実習中の事故だった。
魔力の制御に失敗した生徒の魔法が暴発し、周囲にいた数人が巻き込まれた。命に関わるほどではなかったものの、深い傷を負った生徒もいたという。
その場に居合わせたソフィアは、迷わず力を使った。聖女として正しい行動だったのだと思う。
目の前に助けられる相手がいて、そのための力を持っているのなら使わない理由はない。
事故のことはすでに学園中へ広まっていた。
傷口へ手をかざしただけで出血が止まり、治癒魔法では時間のかかる怪我まで瞬く間に塞がったらしい。それを見ていた生徒も多く、今さら別の魔法だったと言って誤魔化せる状況ではなかった。
けれど、その瞬間から今までと同じ生活には戻れなくなることも、私は分かっていた。
「隠しておかなくてよかったの?」
数日後、人目のない場所でそう尋ねた。
今回の件をきっかけに、ソフィアを取り巻く環境が大きく変わることは私にも分かっていた。これまで伏せられていた聖女の存在が明らかになれば、今までと同じように学園生活を送ることは難しくなるだろう。
もちろん、それはソフィア自身も分かっているはずだ。それでも彼女は後悔している様子を見せることなく、少し困ったように笑った。
「だって、目の前で怪我をしていたんですよ」
「それは分かるけれど……」
「助けられるのに、正体が知られるからって見ているだけなんて、私にはできません」
迷いのない返事だった。昔からソフィアはそういう子だ。友人一人を傷つけることさえ嫌がって泣いていた彼女が、目の前の怪我人を放っておけるはずもない。
「怒っていますか?」
「いいえ、そんなわけないでしょ」
私は首を横に振った。
怒るはずがない。むしろ、誰かが困っている時に自分のことを後回しにして動けるソフィアを、少し誇らしく思っていた。
そんなソフィアを羨ましくも思う。
私は何かを選ぶ時、いつも先に公爵家のことや王太子の婚約者としての立場を考える。それが当たり前になりすぎて、自分がどうしたいかを後から考えることさえ珍しくなっていた。
目の前に助けられる人がいた。それだけで動ける彼女が、私には眩しく見えた。
「ソフィアらしいと思っているだけ」
私が笑ってそう答えると、彼女は少し照れたように視線を逸らした。
「褒められているんですよね?」
「もちろん」
「なら、よかったです」
そう言って笑う顔はこれまでと何も変わらない。
その後、想像していた通り王家はソフィアが聖女であることを正式に発表し、状況は一変した。
学園へ通いながら怪我人を癒し、各地の瘴気を浄化し、やがて国を守る結界まで構築する。
誰もが彼女を讃えたけれど、久しぶりに二人だけで会った時のソフィアは、少し疲れた顔をしていた。
「聖女様って呼ばれるの、まだ慣れません」
「私もそう呼びましょうか、聖女様?」
「やめてください!」
間髪入れずに返され、思わず笑ってしまう。ソフィアは私が面白がっていることに気づいたらしく、不満そうに頬を膨らませた。
「レティシア様には、今まで通りにしていてほしいんです」
「そんなに嫌なの?」
「嫌というより……聖女様と呼ばれると、急に自分ではない誰かになったような気がするんです」
その言葉に、私は笑うのをやめた。最近のソフィアを見ていれば、その気持ちも少しは分かる。
聖女であることが公になってから、彼女を見る周囲の目は明らかに変わった。以前から親しかった者まで態度を変えたわけではないけれど、初めて話しかけてくる者の中には、ソフィア本人ではなく「聖女」と親しくなりたいだけなのではないかと思える者もいる。
学園の外へ出れば、その傾向はさらに強かった。治療や浄化を求める声が届き、王家から呼ばれる機会も増えている。国を守るほどの力を持つ者を、王家がこれまでと同じ一貴族令嬢として扱うはずがない。
公爵家に生まれ、王太子の婚約者として教育を受けてきた私には、そのくらいのことは分かっていた。
「レティシア様は今まで通りでいてください」
「もちろんよ」
今度はからかわずに答える。
「聖女と呼ばれるようになっても、あなたがソフィアであることは変わらないでしょう?」
ソフィアは少し驚いたように目を見開いたあと、嬉しそうに笑った。
「……はい」
その表情は、初めて出会った頃から何も変わっていないように見えた。
けれど、彼女を取り巻く環境はもう以前とは違う。
これからソフィアの力は、国にとってますます重要なものになっていくだろう。どこへ行くのか、誰のために力を使うのか。それまで本人だけで決められていたことにも、王家や周囲の意向が関わるようになる。
聖女という立場が、それほど軽いものではないことは私にも分かっていた。
これからは今までのように自由に過ごせなくなることもきっと増えていくだろう。
忙しくなっていく日々の中で、彼女が彼女らしく過ごせるようにと願うことしか、今の私にはできなかった。




