第16話 きっと今日のお食事会は、マキナの人生においてもっとも喜ばしい日になります
近場のスーパーで手短に買い物を済ませ、タナちゃんの家を目指した。
市街地を抜け、住宅街を並んで歩く。空はすっかり暗く、月も星もない夜空が広がっていた。
ジーと音を鳴らす街灯が、やや前を歩くタナちゃんの影を映し出している。
両手両足を大振りし、ネギの飛び出たレジ袋が振り子のように揺れていた。
「おにっくにおやっさい、みーんな楽しいご飯のじっかん。マキナちゃんふっくら、いずみ姉さんちょっとぱっつり、ぱっつぱつ」
即興と思わしき歌を口ずさむタナちゃんの足取りは軽やかだ。
「ふふ、あんなにはしゃいで、よっぽど嬉しかったのかな」
真横を歩いていたマキナが、いずみを軽く見上げた。
「ご飯を食べるのは、タナちゃんにとって嬉しいことらしいのです。以前、教えてもらったことがあります」
「あー、見たまんまって感じだね。けど、ふふ、タナちゃんと一緒は楽しそう」
「いずみ先輩も、やはりそのように感じるのですか?」
「え? うん、そうだけど、マキナちゃんは違うの?」
マキナはタナちゃんの背中を見た。
「楽しいと思えたら、嬉しいのです。ですから、今日の夕食会には期待しています、です」
いずみも後を追うように、タナちゃんの背中を見つめた。
マキナちゃんも、やっぱりちょっと変わってる。楽しいと思ったことがないってことなのかな。雰囲気だけじゃなくて本当にロボットだったりして。
まさか、そんなことあるわけないよね。でも無感情少女が悩んでるなら、一言くらいアドバイス。
「ねえマキナちゃん、楽しみたいなら、期待したり頭で考えたりするよりも、その場の雰囲気を感じたらいいんだよ。居心地がいいなって思えたら、それは楽しいんだよ」
笑顔を向けると、マキナはいずみをじっと見つめた。
「いずみ先輩、それは武士道の精神なのですね。感服いたしました。やはり、只者ではないのです」
「解釈おかしくない?」
マキナは小さく首をひねった。
武士道精神。そんな重いものじゃないんだけどな、この子はほんと生真面目さんだ。
いつのまにか歩調がゆっくりになっていて、振り向いたタナちゃんが「はーやーく」と手招きをしていた。
そのような雑談を繰り返しながら、20分ほど歩き続けた。また景色は変わり、交通量の多い国道沿いに出てきた。
それにしても、いつになったら着くんだろう。マキナに聞いても知らないと言われたので、いずみは直接タナちゃんに尋ねた。
「んーとねぇ、もうちょっと!」
それからさらに15分も歩いた。だんだん車通りは少なくなっていき、山間へと近づいていた。
いずみはまた尋ねた。ちょうど視界の奥に迫りくるタクシーが見えていた。もしあと30分とか言われたらあの車を止めよう。痛いけど、ちょっとくらいなら見栄張ってもいい。まあ、15分なら我慢しようかな。
「えっと、結構歩いてるけど、もう少しってどのくらいなの?」
「さぼりーまんのコーヒーブレイクくらぁい」
「わからないような、わかるような……いやわかんない、時間だとどのくらい?」
「2時か――」
いずみは車道に踏み出し、迫りくるヘッドライトに片手を上げた。
「へいタクシー!」
ハザードランプが点灯するのを見届けてから、いずみはタナちゃんに向き直った。
自分の頬がひくついているのは、今は気にしないことにした。
「こ、ここからは車で行こっか。私が、お金は出すから、ね?」
「おぉー! さっすが姉さぁん」
「太っ腹なのです」
パチパチと、マキナの拍手が響き渡った。
徒歩で2時間、となると車で何分? 距離は? メーターは? お財布は?
「……よし、歩くよりはマシ……歩くよりはずっと……」
目の前でタクシーが停車して、自動でドアが開いた。
ぽつん、と雨がひと粒落ちてきたのは、その時のことだった。
平地を抜け、車は山道を進んだ。
暗黒の森林を、ヘッドライトの光だけが照らしている。路面は荒れ放題で、窪みを超えるたびに車体が大きく上下した。
膝に両手を置いて後部座席で小さくなっていたいずみは、木々の合間から見える地上がもはや遠くにあることに気づき、自分はなにか過ちを犯したのではないかと考えるようになった。
タナちゃんは陽気に道案内をしているが、行き着く先は誰にもわからない。
雨足は徐々に強くなっていった。
時折、曇天の空がまたたき、遅れてゴロゴロと雷鳴が聞こえた。
やっぱり、今日は遠慮しておこうかな。このままタクシーと一緒に帰ったほうがいいかもしれない。帰りのこともあるし、時間も遅くなっちゃったし、それから、それから他にも理由はあるはず。門限があるとかで――
「いずみ先輩」
「ひっ、って、あ、ま、マキナちゃんか、どうしたの?」
「到着したようなのです」
マキナが言うと同時にタナちゃんも「とーちゃーく!」と叫んだ。
カチカチと音を鳴らして、車は路肩に停車していた。
いつの間にか森を抜けているようだった。リアウインドウから外を見ると、ガードレールのすぐ奥が絶壁になっていた。
闇のせいで、今いる場所がどれほどの高さなのか見当もつかなかった。
運転手がメーターを止めて、乗車料金を告げてきた。
今、今この瞬間しかない、一緒に下山するって伝えよう。タナちゃんには悪いけど、この状況は生きた心地がしない。
「あの、すみません、やっぱり私は」
「会食……いいえ、お食事会、楽しみなのです」
「え、あーそうだね、でも私は」
頬を緩ませたマキナが、シートに手をついていずみに顔を寄せた。
「いずみ先輩に伝授していただいた武士道の心得を、是非実践したいと思うのです。正確に言えば、既に高揚感というものを認識し始めています、聞いてください、マキナは楽しみですと発言しました、自然に口から出たその言葉は、きっと人間らしい感情の発露に他ならないのです」
いずみの喉が詰まった。純粋な子どものような視線が、胸にグサグサと突き刺さった。
運転手が、お金の受け皿にとんと指を乗せた。
「ごめんなさいねえ、お話は降りてからにしてもらって、お代よろしいでしょうか?」
「す、すみません、えっと、う……じゃあ現金で……それと」
マキナのことを思って、肝心なところで言い淀んでしまう。
言おう、言うんだ、言え、雨は強くなるぞ、今日中に帰れるかわからないぞ。
そのマキナが、胸元に両手を置いて、堪えきれないというように小さく笑った。
「きっと今日のお食事会は、マキナの人生においてもっとも喜ばしい日になります。こんな気持は、はじめてなのです」
「うっ、そ、そうなんだ……」
なんでそんな重いことを言うの、なんで。
マキナは身体が密着するほどに、顔を寄せてきた。
「早く、早く車を降りましょう。もう、待ちきれないのです」
目を座らせた運転手が、とんとんと受け皿を叩く。
いずみは目だけで二人を交互に見る。
「お金」
「さぁ、さぁ、早く行きましょうです」
目が回る。思考が定まらない。自分を慕う後輩、家に送り届けてくれるおじさん。
どっち、どっちを選ぶの、どっち。
「…………よし」
いずみが決意すると同時に空が光って、車内が明滅した。
その直後、ズンと轟音が轟いた。




