第11話 S23:最優先指令
潜入任務が始まってから3日目の朝。
虫が入ってくるから閉めろと言っても聞かず、マキナは窓から外を眺め続けていた。
どうしても富士山が見たいらしい。今日は曇りなのにも関わらず、頑なだった。
天草は朝食の鯖を口に運びながら、その様子を見ていた。
ちゃぶ台の上がほとんど空になった頃、飛ばしていた観測用ドローンを抱えてマキナは振り返った。
「一郎、今朝の気象条件なら観測可能なはずの富士山が見えません。敵対組織の妨害工作かもしれません、調査が必要です」
天草はちらと外を見た。薄い雲が広がっていて、空は白っぽい。
正確な距離はわからないが富士山まではそれなりに離れているので、このぐらいの天気ならまあ見えなくても仕方ないだろうと思う。
「ふぅん……そいつら何者だ?」
「わかりません。人型タナトスを擁する秘密結社かもしれませんが、詳細はマキナにも不明なのです」
「なんのために山を隠すんだよ。陰謀論ならもっとマシなの引っ張ってこい、そんなんじゃ気が乗らねえよ。一つ教えておいてやる、予測と現実が違ったらまず前提条件をミスってないか確かめろ。お前のことだから、思い込みで計算してんだろ」
マキナの胸元から、ドローンが浮かび上がった。稼働状態を示すランプが赤色に点滅し、機体前方が沈み込む。
ヤバい。そう思った瞬間に、ドローンはスラスターの出力を一気に上昇させた。
風を切り裂くような音とともに、機体は一直線に突っ込んできた。
「あたしの妹を虐めんなぁ!」
「ぐほぁっ」
避けようと思う間もなく、強化プラスチックの塊が額に直撃した。
天草は大きくのけぞり、茶碗が宙に舞った。
理不尽すぎる、ぜ。
天草の抗議は声にならず、嗚咽だけが部屋に響き渡った。
一方マキナは、飛び散った食器を畳に落ちる直前に全てキャッチしていた。
この家では一番立場が低い。それが天草の現実だった。
マキナの姉を自称するあのAIは、四六時中部屋に居座ってこちらを監視している。不用意な発言一つが命取りになる、ここはそんな場所だ。
尊厳返せこんちくしょう。
天草がよろよろと起き上がると、ドローンはマキナの目の前に移動していた。こっちの気など知らず、二人は和やかな雰囲気だ。
マキナすらも制裁は日常的なものだと覚えてしまった。もうおしまいだ。
おしまいなのは、この空間で繰り広げられている会話自体もだった。笑う人間が頭を揺らすように上下運動するドローンが、とても聞き取れない速度でなにかを発言した。
「$¥$$#&¥(-$)」
マキナは、僅かに頬を緩ませた。10倍速にした動画みたいな調子で返事をした。
「○^∀/!{_$¥$」
何度か同じようなやり取りが繰り返されて、二人は同時に天草を見た。
どっ、と弾けるように笑いが広がった。
マキナは天草を指さしてなにかを言っているが、独自言語でやりとりしているために、一切理解できなかった。
「お、おいこらてめえら、人んちではわかる言葉で話せ!」
「あ、ごめんなさいなのです一郎。圧縮言語のほうが何百倍も効率的なのでついつい使用してしまいました。そうだ、もしよかったら一郎にもレクチャーしましょうか?」
「いらねえよ! 気色わ……」悪寒がして言い直す「人に聞かれたら怪しまれるから、圧縮言語とかで話すのは禁止だ、上官命令だ、わかったな!?」
「それはそうかもしれません、さすがです。わかりました、これからは控えるのです」
ドローン、もといマキナの姉が不機嫌そうにつぶやいた。
「向上心のない男。価値観の硬直した人間なんて、淘汰されていくだけなのに」
「その発言は不適切です。一郎は感情に流されているわけではなく、合理的な意思決定ができる人なのです」
「どーかーしらねー」
「本当なのです。ただ不快だからとか、理解できないからとか、意味不明だからと癇癪を起こして使用を中止させるような人ではありません。バディとして、マキナはちゃんと理解しているのです」
マキナはそうですよね? と言わんばかりに天草を見つめた。まん丸の目がキラキラと輝いている。
身に覚えのない羨望を向けられている。こいつの場合皮肉で言ってるわけじゃなさそうだから困る。
天草は目を逸らしつつ、軽く頷いた。呼吸を整えてから、改めてマキナを見た。
「あー、ええと、それでだ、さっきはなにを笑ってやがったんだ。ちゃんとわかる言葉で説明しろ」
「はいなのです。実は一郎のおっしゃられたように前提条件に誤りが発覚し、二人でその洞察力に敬服していたのです」
「あ? んああ、富士山の。だから言っただろ、お前はデータを信用しすぎるんだって、ん」
じゃあなんで殴られたんだ。あいつこそ感情的じゃねえか。
天草がマキナの姉を睨みつけると、スゥーッと音もなく移動してドローンは窓の外へと消えていった。
マキナは気にする素振りもなく、話を続けた。
「実は『超越道』という文献に『曇天に富嶽あり』と記述されていたのを、客観的事実だと解釈してしまっていたようなのです。一口で言えば武士道にも近い精神論について語った本でした」
「なんだそりゃ。それで朝っぱらあんなことしてたのかよ」
「はい、ごめんさ――」
頭を下げる途中で、マキナはピタリと動きを止めた。
首元に手をあてて、硬質な口調で言った。
「少佐から緊急入電なのです。S23、最優先命令です」
「S23……だと? おいそれ本当か、間違いなら洒落になんねえぞ」
「暗号化を解除、詳細を確認します」
天草の額に汗が浮かんだ。喉の奥につばが溜まって、ゴクリと音を立てて飲み込んだ。
S23――それは全業務の一時停止及び最優先即応命令を意味する特別運用コード。
領土への侵攻、領海上での武力衝突、そしてタナトスの出現時など緊急事態にのみ発令されるコード。それがなぜこのタイミングで、まさか人型タナトスの噂は本当だったのか。
そんな馬鹿な、誤報ではないのだとしたら。
街が戦場になる。
「確認終了。命令書を読み上げます」
食道が焼けそうなほどに、息が熱く感じた。落ち着かせようとしても、呼吸はどんどん早くなっていく。めまいがして、倒れそうになるのを必死にこらえた。
マキナは、淡々と内容を読み上げた。
「――マキナのアルバイト先が見つかったので、指定時間に面接に向かうこと。なお天草一郎中尉は随伴せず、秘密裏に護衛されたし。以上」
「……ん? すまん、もう一度言ってくれ」
はい、と言ってマキナはもう一度同じ文面を読み上げた。
天草は深く息を吸って、吐いた。胸に手を当てて、心を落ち着かせた。
そうか、バイトね、なるほど、そいつは大変だ。
「これは……高度な諜報活動なのです」
深刻な顔してなに言ってんだよお前は。
「なあマキナ、それ何時から」
「15時からなのです。偵察に向かいますか?」
時計を見た。まだ8時だった。天草は力なく首を左右に振った。
「あ、そう、二度寝するわ、おやすみ」
悪態すらつく気にもなれず、天草は寝室へと向かっていった。
だりぃ、力がはいらん。
トボトボ歩いていると、背後でマキナがつぶやいた。
「一人で面接ですか、ちょっと不安なのです」
開けっ放しの窓の外で、雀がチュンチュンと鳴いていた。




