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第5話:テスト勉強と、図書室の三角気流

「……ちょっと、高橋くん。ここ、さっきも教えたわよね?」

放課後の図書室。

西日の差し込む静かな空間に、白川結衣の少し不機嫌そうな、けれどどこか甘えたような声が響いた。

目の前には、英文法の参考書とノートを広げた僕。そしてその隣には、生徒会長の腕章を外し、ブラウス姿になった結衣が座って鉛筆をトントンと机に当てている。

中間テストまであと一週間。

あの雨の日の相合傘から数日——僕たちの距離は確実に縮まっていた。雨の中で触れ合った肩の温もりや、家に着くまでずっと触れていた感覚がまだ残っているかのように、二人でいる時の空気はどこか甘く、そして心地よかった。

「生徒会役員のくせに、このままでは赤点を取って私の顔に泥を塗ることになるわ! 放課後の『お仕置き』の一環として、徹底的に私が勉強を教えてあげるんだから!」

——そんな名目で、最近の僕たちは毎日この図書室でテスト勉強をしていた。

「いや、だってこの関係代名詞の省略がさ、どうも頭に入らなくてさ」

「もう……しょうがないわね」

呆れたようにため息をつきつつも、結衣は嬉しそうに自分のノートを僕のほうへスライドさせた。

実はこの図書室、僕の幼馴染である橘栞(たちばな しおり)がいつも陣取っている「特等席」のすぐ近くだった。

その証拠に、少し離れた窓際の席から、栞が文学書のページをめくる手を止め、冷めたような、それでいてどこか面白がるような視線をこちらに向けているのが視界の端に見える。

(……栞、絶対心の中で『相合傘で帰ったくらいから余計にいちゃついているよ』って呆れてるだろうな)

そう思いながら苦笑いしていると、結衣は僕が別のところを見ていると勘違いしたらしい。

「ちょっと、聞いてるの? 私が教えてあげてるんだから、ちゃんとボード……じゃなくて、ノートを見なさいよ!」

「はいはい、見てますよ、生徒会長先生」

僕が素直にうなずくと、結衣はふんっと小さく鼻を鳴らした。

だが、その頬はほんのりと赤く染まっていて、僕の隣に座っていること自体が恥ずかしくてたまらないといった様子だ。

すると、少し離れた席から、栞が静かに立ち上がり、僕たちのテーブルへと歩いてきた。

手には、数冊の分厚い資料本が抱えられている。

「……邪魔してごめんね、生徒会長さん。高橋、この資料の棚入れを手伝ってくれるかい?」

栞がいつものポーカーフェイスで声をかけると、結衣は慌てて背筋をピンと伸ばし、生徒会長としての仮面をかぶり直した。

「あ、橘さん……ええ、どうぞ。少し席を外すくらいなら構わないわ」

「ありがとう。じゃあ、行くよ、高橋」

栞に促されるまま、僕はノートから目を離し、棚のほうへ歩き出した。

本棚の陰に隠れ、結衣の姿が見えなくなった瞬間、栞は小声でクスリと笑った。

「……相変わらず、ベタベタだね、二人とも」

「ベタベタって……勉強教えてもらってるだけだよ」

「そうかい? さっきから会長さん、君のノートを覗き込むたびに耳まで真っ赤にして、心の中で『近い……相合傘の時みたいに胸がドキドキする……』って大パニックを起こしてたけど?」

——うっ。栞の観察眼は相変わらず恐ろしいほどに鋭い。

もちろん栞は、結衣がギリシャ語でデレていることまでは知らないはずだが、彼女の挙動不審な様子だけでそこまで見抜いているらしい。

「……お前、たまにエスパーみたいなこと言うよな」

「ただの観察さ。……ねえ、高橋」

栞は本棚から一冊の本を抜き出しながら、ふと、少しだけ真面目な声色になった。

「ん?」

「あの人、君の前ではあんなに不器用で可愛いのに、学校全体の前では『氷の女王』を演じ続けてる。……ちゃんと、彼女のその仮面を外してあげられるのは、君だけなんだからね」

その言葉は、幼馴染としての冷やかしというよりも、どこか温かい応援の響きを含んでいた。

僕は少し驚いたが、すぐに納得して小さくうなずいた。

「ああ、分かってるよ」

数分後、再び結衣の隣の席に戻ると、彼女は待たされていたことが不満だったのか、腕を組んでふてくされていた。

「……遅かったじゃない。私を置いて、橘さんと何を楽しそうに話していたのよ」

その声には、明らかに分かりやすい「嫉妬」の色が混じっている。

高嶺の花と呼ばれ、誰も近づけなかった「氷の女王」が、今では僕の前でこんな風にヤキモチを焼いてくれる。その愛おしさに胸が締め付けられるようだった。

「ごめんごめん。資料の整理を手伝ってただけだよ。ねえ、白川さん」

「な、なによ……」

「テストが終わったらさ、ご褒美に二人でどこか出かけないか? もちろん、生徒会の仕事以外で」

僕がそう微笑みながら提案すると、結衣の時が完全に止まった。

蒼い瞳が大きく見開き、数秒間のフリーズのあと、彼女の顔が一気に沸騰したように真っ赤に染まる。

「っ——! な、なに急にそんな……! デートみたいなお願いをしてくるのよ!」

「デートのつもりだけど、嫌だった?」

「い、嫌じゃ……ないけど……!」

言葉を詰まらせた結衣は、たまらずノートに顔をうずめ、またいつもの癖で小さな声でギリシャ語を早口で呟き始めた。

«Θεέ μου... με κάλεσε σε ραντεβού... Τι να κάνω, η καρδιά μου πρόκειται να σπαράξει από χαρά...!»

(神様……デートに誘われちゃった……どうしよう、嬉しすぎてもう心臓が破裂しそう……!)

«Και... και εγώ θέλω τόσο πολύ να πάω μαζί του...!»

(それに……私も、すごく彼と一緒にいきたい……!)

——すべて、丸聞こえですよ、生徒会長。

「ねえ、何か言った?」

「Τίποτα! ……じゃなくて、なんでもないわよっ!」

(なんでもないわよっ!)

真っ赤な顔で慌てて顔を上げ、強がるようにツンとした顔を作る結衣。

だが、その口元はどうしても隠しきれないほどの満面の笑みに緩んでいた。

少し離れた席から、栞がその様子を見て静かに微笑んでいる。

中間テストに向けた勉強会は、こうして甘い熱を帯びながら、テスト後の約束(そしてまだ連絡先すら交換していない二人の不器用な休日)へと向かっていくのだった。


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