第2話:生徒会室の密室と、手作りの「お仕置き」
西日の差し込む静まり返った生徒会室。
あの直球すぎる告白と、泣きながら零したギリシャ語の独り言からまだたった一日しか経っていない。
ドアの鍵をカチリと閉めた結衣の背中を見つめながら、僕はゴクリと生唾を飲み込んだ。
昨日、「私を振ったこと、絶対に後悔させてあげる! 明日から毎日、生徒会室で私からの『厳しいお仕置き』を受けてもらうわ……っ!」と宣言されたあの場所へ、こうして再び足を踏み入れてしまったのだ。
「……で、どういうことだよ、陸」
放課後の写真部室での翔太の顔が脳裏をよぎる。
『お前、毎日生徒会室に呼び出されてるんだって? クラスの奴ら全員、高橋が生徒会の逆鱗に触れて処刑されるぞってざわついてるぞ』
——処刑ならまだ気楽だったかもしれない。精神的なライフが音を立てて削られていくこの状況に比べれば。
「……遅いわね、高橋くん。生徒会役員としての自覚はどうなっているのかしら」
ピタリと動きを止めた結衣が、ゆっくりと振り返った。
その顔は、昨日見せた涙の跡など綺麗に消し去られ、いつもの完璧な「氷の女王」の仮面が装着されていた。制服の着こなしも乱れがなく、涼しげな蒼の瞳が僕を射抜く。
だが、僕には分かってしまった。その完璧な仮面の下で、彼女の耳たぶがうっすらと赤く染まっているということが。昨日、あんな風にすべてをさらけ出して泣いてしまったのだから、気まずくないはずがないのだ。
「ご、ごめん。部活の機材の片付けが少し長引いて……」
「……ま、いいわ。そこに座りなさい」
結衣が顎でしゃくったのは、応接用のローテーブルだった。
恐る恐る近づいた僕の目は、そこに置かれたものを見つめて釘付けになった。
綺麗にラップに包まれた、手作りのサンドイッチと、魔法瓶のマグカップ。
「……これ、は?」
「なによ。見て分からないかしら。お昼ご飯の時間が足りなくて、余ったから処理を手伝わせるのよ。……勘違いしないでよね、別にあなたのために作ったわけじゃないんだから」
ツンとした口調、冷ややかな視線。
ツンデレの教科書をそのまま実写化したような台詞回しだった。
だが、問題はそこではない。
(……え? 手作り? あの生徒会長が、僕のために料理を……?)
呆然とする僕の前に、結衣はトコトコと歩み寄り、椅子の背もたれに手をかけて少しだけ身を乗り出してきた。昨日見せたか弱い姿はどこへやら、威圧感を放とうと必死になっている。
「ほら、早く食べなさい。それとも何? 私が食べさせてあげないと口を開けないのかしら?」
「い、いや、自分で食べるよ!」
「……っ! じ、自分で食べられるなら早く食べなさいよ!」
図星を突かれたのか、結衣は顔を真っ赤にしてフンと顔をそむけた。
昨日、あんなに切なく「好きになってよ」と泣いていた少女が、今日は今日とて不器用にプライドを全開にしている。そのギャップに、胸の奥がキュッと締め付けられた。
仕方なく、僕はラップを剥がし、サンドイッチを一口かじった。
——旨い。
ほんのり甘い卵焼きと、シャキシャキのレタス。昨日あんなに激しく動揺していたはずなのに、こんなに丁寧で美味しい料理を作ってきたのかと思うと、愛おしさがこみ上げてくる。
「……どう? 私の料理の腕に文句でもあるのかしら」
「ううん、すごく美味しいよ。ありがとう、白川さん」
素直にそう笑うと、結衣は「っ……!」と息を呑み、慌てて両手で自分の頬を押さえた。急な直球の褒め言葉に、完全にキャパシティを超えたらしい。
彼女は自分のデスクへ逃げるように戻り、背中を向けたまま、聞こえないと思ったのかボソッとギリシャ語を呟いた。
«Θεέ μου, του άρεσε... Χτυπάει η καρδιά μου τόσο δυνατά, μακάρι να μην το προσέξει...»
(神様、美味しいって言ってくれた……! 胸がこんなにうるさいの、気づかれないでよ……)
——すべて、丸聞こえです、生徒会長。
心の中で思わずツッコミを入れながら、僕は二口目のサンドイッチを頬張った。
昨日までは「高嶺の花だから」「僕なんかじゃ釣り合わないから」と勝手に恐れをなし、逃げ出そうとしていた。けれど、彼女が自分の前で見せるこの不器用な必死さを知ってしまった今、あの冷たい塩対応の裏側にある愛おしさが、痛いほどよく分かる。
「……ねぇ、高橋くん」
「ん?」
窓際の夕日を背に、結衣が少しだけ震えを抑えた柔らかい声で振り返った。
その蒼い瞳には、昨日と同じ、怯えと期待が入り混じった光が宿っている。
「明日も……部活のあと、ここにきなさい。……『お仕置き』の続きは、まだまだあるんだから」
それは命令の形をしていながら、どこか頼むような、離れたくないような響きを帯びていた。
昨日、自分が彼女を振ってしまわなければ、この甘酸っぱい日常は訪れなかったかもしれない。そう思えば、この「お仕置き」という名の特等席をくれた昨日の自分に、少しだけ感謝したくなった。
僕はサンドイッチを飲み込み、優しく微笑んでうなずいた。
「——了解。『お仕置き』の続き、たっぷり楽しみにしとくよ、会長」
その言葉に、結衣は耳まで真っ赤にして「なっ……からかわないでっ!」と教科書を投げつけてきたのだった。
夕暮れの生徒会室に、二人の笑い声と、彼女の焦ったギリシャ語の独り言が小さく響く。僕たちの歪で甘い関係は、こうして静かに、けれど確実に動き始めていた。




