第10話:月曜日の生徒会室と、画面越しの余韻
「……来たわね、高橋くん」
月曜日の放課後。
生徒会室のドアを開けると、そこにはいつものように完璧な「生徒会長」の仮面を被った白川結衣が待っていた。
腕章をきっちりと巻き、姿勢を正してデスクに座る姿は、先週末に私服で照れまくっていた少女と同一人物には見えないほど、堂々とした「氷の女王」そのものだ。
だが、部屋に入った瞬間、僕は彼女の机の端に置かれたスマホが小さく画面を光らせたのを見逃さなかった。
……そして、彼女の白い耳たぶが、すでにうっすらとピンク色に染まっていることも。
「遅いんじゃないかしら? 週末に浮かれて、生徒会役員としての自覚を忘れたわけじゃないでしょうね」
「ごめんごめん、写真部の用事で少し長引いちゃってさ。お仕置きの遅刻ペナルティなら受けるよ、会長」
僕がパイプ椅子を引き寄せて向かいに座ると、結衣はふんっと小さく鼻を鳴らした。
「別に……怒ってはいないわよ。それより、今日の『お仕置き』だけど……この書類の整理を手伝いなさい」
「了解。……あ、そういえば」
僕がポケットからスマホを取り出し、画面を見せながら微笑む。
「土曜日は本当に楽しかったよ。昨日の夜の『おやすみ』も嬉しかったな。わざわざギリシャ語で打ってくれたのも、白川さんらしくてさ」
その言葉を口にした瞬間、結衣の時がピタリと止まった。
書類をめくろうとしていた指先が固まり、蒼い瞳が大きく見開き、顔全体が一気に真っ赤に染まっていく。
「っ——!? な、なにを、急に……っ!?」
「え? 感想を言っただけだけど」
「だ、誰が昨日のメッセージを喜んだなんて言ったのよ! あれは……そう! ギリシャ語のタイピング練習のためにたまたま送っただけなんだから!」
必死で取り繕う結衣。
だが、隠しきれるはずがない。彼女は焦って机の上の書類をバタバタとまとめながら、俯いてボソボソと小さな独り言を呟き始めた。
«Θεέ μου... το πρόσεξε...! Τι να κάνω, είμαι τόσο χαρούμενη που θέλω να κρυφτώ...!»
(神様……気づかれてた……! どうしよう、嬉しすぎて穴があったら入りたい……!)
«Ήθελα τόσο πολύ να του το πω από κοντά...!»
(本当は、直接『楽しかった』って言いたかったのに……!)
——全部、丸聞こえですよ、生徒会長。
「練習だったんだ? でも、すごく綺麗なギリシャ語だったよ。僕、ギリシャに住んでた頃を思い出して懐かしくなっちゃった」
「っ……! あなたが帰国子女なのは知ってるわよ! だ、だからって変な深読みしないでちょうだい!」
赤顔のままノートで顔を隠す結衣。
その時、タイミング良く(あるいは最悪のタイミングで)生徒会室のドアがガラリと開いた。
「失礼するよ。会長、写真部から行事の提出資料を……って、おや」
入ってきたのは、僕の親友であり写真部副部長の翔太と、その隣に並ぶ幼馴染の橘栞だった。
翔太は部屋の中の甘甘な空気を一瞬で察知し、ニヤニヤとした嫌らしい笑みを浮かべた。
「なんだよ高橋、放課後の『お仕置き』って、こんなに甘い雰囲気でやってんのか? えーっと、白川会長? 顔が真っ赤ですけど熱でもあります?」
「し、翔太! 余計なこと言うな!」
「ふふ、野良犬くんは週末に会長さんとデートして、すっかり骨抜きにされたみたいだからね」
栞がすかさず追い打ちをかけると、結衣は「っ〜〜〜!」と声にならない悲鳴を上げて立ち上がった。
「だ、デートじゃありません! これは公務の一環……じゃなくて、生徒会役員の指導です!」
「はいはい、ご指導ご苦労様。はい、これ提出資料ね」
翔太から書類を受け取った結衣は、二人を見送った後、がっくりと肩を落としてデスクに突っ伏した。
「……もう、みんなして私をからかって……」
「ごめんごめん、あいつら悪気はないんだ。……ねえ、白川さん」
僕が優しく声をかけると、結衣は突っ伏したまま、上目遣いに僕を見上げてきた。
その瞳は少し潤んでいて、ツンとした態度を保ちきれない愛おしさに満ちていた。
「なに……?」
「週末のデート……じゃなくて、お出かけ、また行こうね。今度はどこに行こうか?」
僕が真っ直ぐに微笑みかけると、結衣の顔が再びぽっと赤くなった。
彼女はゆっくりと身体を起こし、整えられた前髪を指先で弄りながら、蚊の鳴くような声で呟いた。
「……あなたが、誘ってくれるなら……考えてあげなくもないわ」
そして、聞こえないと思ったのか、いつものように小さくギリシャ語の本音を零すのだった。
«Θέλω να πάω μαζί σου οπουδήποτε...»
(あなたとなら、どこへだって行きたいよ……)
夕暮れの生徒会室に、心地よい風が吹き抜ける。
振られたはずの「お仕置き」から始まった僕たちの関係は、もう誰も邪魔できない特別な熱を帯び始めていた。




