番外編_雨の砦-リディア視点-
雨が降っている。
目に入る。冷たい。拭こうとすると、手がない。
おかしい。
あったはずの手は、どこへ行った。
足元で何かが動く。牙。黒い皮。地面を叩く尾。
喉から音が漏れた。
笑い声だった。
どうして笑っているのか、分からない。怖いものがいる。痛いことをするものがいる。それを壊すと、胸の奥が軽くなる。もう一度動けば、もう一度壊せる。
その繰り返しが、とても簡単だった。
相手が身をよじると、もっと手を伸ばしたくなる。
手は、いつの間にか戻っている。
白い指。赤い爪の間。雨が流れて、すぐにまた黒くなる。
向こうで鐘が鳴っている。
鐘。
門がある。
門の向こうに、人がいる。
小さな人。大きな人。抱えられて動く人。ひとりで立てない人。
そちらを見ようとすると、目の前の獣が吠えた。腹の奥で、愉快なものが膨らむ。もっと近づけば、もっと大きな音が聞ける。
足が前へ出た。
すると、別の声がした。
細く、短く、途切れる声。
振り返った先に、壊れた荷車がある。車輪の下に誰かの足が見えた。助けを呼んでいる。
獣が、そちらへ向かう。
胸の奥の愉快なものが、消えた。
先に行かなければ。
考えたのか、身体が勝手に動いたのか分からない。跳んだときには、荷車の前へ着いていた。
牙が肩へ入る。
痛みは遠い。身体の内側で、何かが急いでつながっていく。
車輪の下の人がこちらを見た。
怯えている。
どうして。
その人の顔が、動かなくなった。荷車の下から、別の誰かが引っ張り出していく。助かったのかもしれない。
よかった。
そう思った気がする。
けれど次の瞬間には、牙のあるものしか見えなかった。
喉が笑う。
雨が降る。
木箱の中で瓶が触れ合い、小さな音を立てる。手が伸びる。栓がうまく外れない。邪魔なものは歯で砕けばいい。
黒い液体が喉を落ちる。
また動ける。
門がある。
あちらには、誰も入れない。




