番外編_菓子を渡した日-リディア視点-
北門の詰所にお菓子を持っていくのは、これで三度目になる。
最初に来たとき、守衛の人たちはずいぶん驚いていた。王太子の婚約者が、なぜ門番の詰所に来るのか分からなかったらしい。
「負傷した方はいらっしゃいませんか」
私はそう尋ねたのだけれど、一人の兵士に「ご心配には及びません」と言われて追い返されそうになった。
その人は、片脚が義足だった。
長く立っていると革の当たるところが痛むのだと、隣の兵士が教えてくれた。その人にも聞こえていたと思うけれど、何も言わず、表情も変えなかった。
それから私は、北門へ行くたびに温かい飲み物と、少しだけお菓子を持っていくようになった。
治癒術でできることには限りがある。軽い傷ならすぐ治せても、何年も前に失われた脚は簡単には戻せない。必要な魔力が大きすぎて、私一人の思いつきで使える術ではなかった。
けれど、痛む人がいると分かっていて、何も持たずに帰るのは嫌だった。
今日も詰所の前で籠を下ろした。
「皆さんで召し上がってください」
「聖女様、いつもすみません」
若い兵士が慌てて出てきて、その後ろから少年が顔をのぞかせた。
「お兄ちゃん、早く」
「おい、仕事中だぞ」
「お菓子があるって聞いた」
少年は兵士に注意されても気にした様子はなく、私を見た。きっと、この兵士の弟なのだろう。
「今日は蜂蜜の焼き菓子ですよ」
一つ渡すと、少年はその場でかじろうとした。兄に止められて、少し考えてから籠の中をもう一度覗き込んだ。
「聖女様の分は?」
「私はあとでいただきます」
「ほんと?」
「ええ、本当です」
少年はやっと納得して、兄の袖を引っ張りながら詰所へ戻っていった。
義足の守衛兵は、少し離れた場所でその様子を見ていた。
「……いつも、ありがとうございます」
「お身体は大丈夫ですか」
「はい。自分で歩けますから」
歩けるかどうかではなく、痛むところはないかと聞きたかった。
言い直そうとして、やめた。触れてほしくないことなのかもしれない。痛みは癒やせても、どんな言葉をかければいいのか、私にも分からないことがある。
「では、お仕事が終わったら休んでくださいね」
彼は困ったように笑った。
「努力します」
私は籠を持ち直し、詰所を出た。
*
春先、北の峠から魔物が現れた。初めは兵士たちが追い払える程度の小さな群れで、都の人々もそのうち収まるだろうと話していた。
次に、砦から負傷者が運ばれてきた。
さらに次の日、負傷者を運んでいた荷車そのものが帰ってこなくなった。
治療所には寝台が足りない。廊下にまで人が横たわり、私は朝から晩まで手を動かした。
それでも、間に合わない人がいる。
息を引き取った兵士の手を離すとき、爪の下に泥が詰まっているのが見えた。家族が迎えに来るのだろうか。それとも、知らせを運ぶ人さえいなくなってしまったのだろうか。
私は、その日の夕方も北門へ行った。
あの子の姿が見えなかった。無事でいてくれるといいのだけれど。
詰所の若い兵士は、弟を市街地の奥へ避難させたと教えてくれた。義足の兵士も、以前と同じ場所に立っていた。
「聖女様。もう、ここへは来ない方がいい」
「怪我をした方がいます」
「これから、もっと増えます。あなたまでここにいたら……」
彼はそこで言葉を切った。
私は返事ができなかった。
ここにいても、遠くの砦は守れない。治療所にいても、峠から来るものを止められない。誰かを助ける間に、別の誰かが死んでいく。
手の中の籠が、ひどく軽かった。
ついこの間まで、ここにお菓子を入れて、皆さんに配っていたのに。
「……私にできることを、考えます」
自分でも、何ができるのか分からないまま言った。
北門の向こうでは、まだ誰かが戦っていた。




