10 ダルド
「ぐす、ねえねぇ……」
夜の帳が下りた庭。
義父が外に出て行った後、クリスと私は井戸に行く。腫れている所を冷やしたり、切れて鉄の味がする口の中や口の端を水で洗った。
とうとうクリスにも手を上げ始めた義父。私も庇うが、身体の大きな義父を止めることはできず、クリスも無傷ではいられない。
「だから義父と話しちゃダメって言ったのに」
「だって、だってぇ……。ぼく、ねぇねをたたくの、とめたくて……」
優しいクリスが、私の心配をしてくれたのは知っている。
でも、こんな小さなクリスが怪我をする方が心配だ。
「ほら、おいで。元気になるおまじないするから」
腕に飛び込んできたクリスに、癒しの魔法をかける。
手当も兼ねて服を脱がせているから、治り具合が目視できてわかりやすい。
骨ばったクリスの身体を、前から後ろからよく確認する。
怪我もあざも残ってない、よし!
「……おまじない、すごい。すごい、いたくない」
クリスに癒しの魔法は使っていたが、怪我を治したのは初めてだ。治っていく様を目の当たりにしたクリスは、目を丸くする。
「ねえねのおまじないは特別なんだよ」
「ねえねのケガは、なおせないの?」
クリスが、私の怪我を優しくなでる。
「自分には効かないおまじないなの。その分、クリスが冷やしたりなでたりしてくれる?」
「ひやすし、なでるよ! ねえね、いたくないする!」
優しくて天使なクリスは、傷の手当てを手伝ってくれた。
「そんでェ、それは、癒しの魔法かぁ?」
胸ぐらを掴まれて、持ち上げられる。苦しくて、床から浮いた足をバタバタさせる。
何度か怪我をしたクリスを癒しているうちに、怪しまれてバレてしまった。
当然と言えば当然だ。クリスだけ、怪我が翌日には治るのだ。怪しまれた義父に、魔法を使っている瞬間も見られてしまった。
それでも、クリスを癒さないという選択肢は無かった。
宙に吊り上げられてから、床に叩きつけられる。
「よくもそんな力を何年も隠してくれたなァ、ナメくさりやがってェ。自分は治せねェのか、ウケんじゃねェか」
義父は淀んだ目で口の端を吊り上げて、人相悪く笑う。
「もっと早く言ってくれりゃあ、使い道もあったのになァ」
義父は、床に転がってる私の腕を掴んで引きずるように外に出た。
腕を掴まれたまま、異臭のする夜の路地を歩き出す。
「道ィ、覚えろ。この通り以外は、歩くんじゃねェ」
真っ直ぐ歩いて、2回道を曲がった所。小汚い集合住宅の隅に医者のような小さな看板。
乱暴にドアを開けて、奥に向かって義父が叫ぶ。
「おい! ダルド!!」
「あぁ? 時間外だ。うるせえぞ、バスコ」
奥からヨレヨレの白衣を着てボサボサの濃い茶色の髪をした、ダルそうな男が出てくる。
「お前、診療所忙しいって助手探してただろォ。コイツを貸してやる。俺の娘でエリシアってェんだ」
「あぁ? ガキに何ができんだよ。子守りでもさせる気かよ」
「コイツ、癒しの魔力持ちだ」
ダルド、と呼ばれた男が目を丸くする。
「本当かよ。癒しの魔力属性は少ねえんだ、王都以外で聞いたことねえぞ」
義父が大きなアザのできた腕を、私の前に出す。
「やってみろ」
こんな男、治したくないけど選べるような立場ではない。
嫌々、義父の腕を治す。
「ほお、こいつは本物だな。俺は明日は動けねえから、明後日の朝からいけるか?」
「いいぜェ。また明日のこのくらいの時間に条件詰めに来ンわ」
何がどうなったのかイマイチ分からないが、どうやら決まってしまったようだ。
ご機嫌になった義父が、また私の腕を掴んで出て行こうとすると、ダルドと呼ばれた男が言い放った。
「言っておくが、一応客商売だからな。顔は傷つけんな。治療する側の顔がボコボコじゃあ説得力がねえ。あと、動けねえ状態でも話になんねえから、手加減しとけ」
診療所に行く日の朝。
珍しく朝から家にいた義父が、私を家から追い出した。
今日からクリスは家に一人だ。
掃除や洗濯が滞ると義父が怒り出すので、私が家に居ない間、できる範囲でクリスが手伝ってくれることになったが、目の届かない所で義父がクリスに手を上げるかと思うと、ハラハラして心配が尽きない。
それでも、家を出て二人で生きてくことは現実的に難しく、無力さを痛感しながら路地を歩いた。
帰ったら、いっぱいクリスを癒して甘やかそう……!!
そう決意しながら、診療所の扉を叩く。
「入ってこーい」
声の通りに鍵の空いている扉を開けて中に入ると、ヨレヨレ白衣のダルそうな男、ダルドが出てくる。
「来たな……って、バスコの奴……。マトモな服着せてこいっつったのに、マジでガキ育てる気ねえな……」
ダルドは頭をガシガシ掻きながら、ゴソゴソと部屋の隅の荷物を漁る。
「クッソ、こんなこったろうと思ったから服用意しといて正解だったわ。おい、そのナリじゃ人前に出らんねえからその服に着替えろ」
義父が服を与えてくれる訳はなく。自分の格好を見直すと、今の私の服は義母の着倒してボロボロになった部屋着、良く言えばワンピース、率直に言えばただのボロだ。確かに仕事で人前に出られる格好では無い。
ちなみにこのボロは、この後クリスが大きくなったら着ることになると思う。
衝立の裏を指差されゴソゴソと着替えていると、ダルドが話し始める。
「着替えながら、そのまま聞け。お前の父親も悪党だが、俺も同じ悪党だ。この辺りには悪党しかいねえが、俺にも期待すんな」
そのままダルドは話し続ける。
「お前が働いた分の給料は全部バスコに行く。お前の手元にゃ一銭も残らねえし、俺は知っててこき使う。癒しの魔法は使えるが、お前が殴られてるのを知ってて癒さねえ。俺を信用すんな。覚えとけ」
義父よりは少しだけ、マトモな大人だと思った。
「先生のことは、先生、と呼べばいいですか?」
ついでに、どう呼べばいいのか迷っていたので聞いてみた。
お医者さんといえば、先生かな。
ケイフォードの家を思い出しながら聞いてみたら「うへぇっ」と背中を虫が這ったような声がした。
「先生なんて気色わりい……ダルドでいい」
「ダルドさん? ……ダルドせんせい?」
「うひぃっ……! ゾワッとする……さんもつけんな、ダルドだ」
用意されていた服は、古びてはいるが簡素なシャツにスカート、白いエプロン。何故かサイズもピッタリだ。
衝立から出て軽く仕事の説明をされてから、一日中癒しまくりのハードな仕事が開始した。
次から次へと患者がやって来る。
治安の悪い地域なだけに、怪我人病人が後を絶たない。
ダルドに指示され言われるがまま、片っ端から癒しをかけた。
お昼には休憩時間があり、なんと私の分の昼食が出た。
粗食だが、数年ぶりのまともな食事だ。
感動と共に、ひとりで家にいるクリスを思い出した。
あの骨だらけの子は、生まれてから一度もちゃんとした食事をしていない。
「おい、ガキ。食わねえのか?」
「あの……半分持って帰って良いですか? 小さい弟が、食事……出来てなくて……」
ダルドはガシガシ頭を掻いた。
「あーっっもうっ!! アイツめっっ!! そいつは、全部食え。癒しの魔法は体力勝負だ。腹減ってバテられたら話になんねえ」
慈善事業で、食事をもらえる訳ではないのだ。
それはそうだよね、とシュンとしていると、ダルドが「その代わり」と続ける。
「これと同じメシを帰りに持たせてやる。お前と弟の夜メシも持たせてやる。それで、いいだろ……っっ」
パッと顔を上げる。
え……!!? クリスの分の食事もくれるの、本当に……!!? 何て良いひと……!!?
「俺は、お前に金もやらずに体力尽きるまでこき使う悪党だからな! メシも食わずにぶっ倒れられちゃ困るから食わせんだ! メシくらいで懐くなよっっ!!」
感覚がマヒしているとは思うが、指を差して、唾を飛ばして叫ぶダルドは、案外悪いひとじゃないのかもしれないと思った。




