ただの友達
学校という場所は、子ども以上に「親」という存在に敏感だ。
特に、お母さんが亡くなってからの私は、無意識の物珍しそうな視線に晒されていた。
その日は、二学期が始まって最初の保護者参観だった。
五時間目、国語の授業。教室の後ろには、クラスメイトの保護者たちがズラリと並んでいる。授業参観にやってきた千夏さんは、案の定、教室の中で浮いていた。
いつもより少し綺麗めのジャケットを着て、ボサボサの茶髪をなんとか後ろで結んでいるものの、どこか落ち着かない様子で自分のバッグの紐をぎゅっと握りしめている。他の親御さんたちが楽しそうにママ友同士で談笑する中、千夏さんは肩をすぼめて小さくなっていた。
授業中、私が指名されて教科書を朗読すると、後ろから「がんばれ!」「すごいじゃん……!」と小さな千夏さんの声が聞こえてきた。参観している保護者の中で、一人だけ我が子の発表をハラハラ見守る新米親のように落ち着きがない。
(恥ずかしいから、もっとどっしり構えててよ……)
私は心の中でツッコミを入れつつ、音読を終えて席に着いた。
***
帰りの会が終わり、児童たちが下校し始めた放課後。
私は千夏さんと一緒に帰ろうと廊下で待っていたが、担任の渡辺先生に呼び止められた。
「花咲さん。少しだけ、お時間をいただけますか?」
渡辺先生は、申し訳なさそうに、でも少し硬い表情で私たちを相談室へと促した。
静かな相談室。パイプ椅子に向かい合って座ると、渡辺先生は手元の書類――緊急連絡先や家族構成が書かれた個人調査票に目を落としながら、慎重に言葉を選んで切り出した。
「……佐伯さん。花咲さんの未成年後見人として手続きをされていることは、教頭とも共有しております。ただ、この保護者カードの『続柄』の欄ですが……『母の親友』というのは、公的な書類としては少し扱いが難しくなっておりまして」
「あ、やっぱりダメですか……? 『同居人』とか『保護者(仮)』とかのほうがいいでしょうか」
「そういう問題ではなくてですね……」
渡辺先生の言葉の端々に、微かな戸惑いと警戒心が透けて見えた。
血縁関係のない、独身の三十代女性。お母さんの「ただの友達」。
先生の言いたいことは痛いほどわかった。世間から見れば、千夏さんの立場はどこまでも曖昧で、不鮮明で、怪しいのだ。
「佐伯さん。花咲さんのおじい様やおばあ様……血縁関係のあるご親族の方とは、定期的に連絡を取られていますか? やはり今後のことなどは、最終的な判断や責任はご親族の方に……」
「あの、先生」
千夏さんが言葉を遮った。
いつもはおちゃらけていて、叱られるとすぐに縮こまる千夏さんの声が、静かにまっすぐ部屋に響いた。
「希穂ちゃんのおじいさんたちとも連絡は取っています。でも、日々の学校の準備も、熱を出したときの迎えも、怪我をしたときの病院も、全部私が責任を持ってやります。……私が、希穂ちゃんの保護者です。親戚じゃないからって、いい加減な気持ちでここにいるわけじゃありません」
先生の前にピシッと背筋を伸ばして座る千夏さん。
いつもは頼りない背中が、その時だけは驚くほど大きく見えた。
渡辺先生は千夏さんの強い眼差しに圧倒されたように一瞬口をつぐみ、「……分かりました。では学校としては『保護者代表』として佐伯様にご連絡します」と深く頷いた。
***
学校を出ると、秋の涼しい風が校門の前を吹き抜けていった。
夕暮れ時の通学路を、私と千夏さんは並んで歩く。千夏さんは校門を出た瞬間、「ふはーっ! 緊張したーっ! 怒られるかと思った!」と大げさに胸を押さえて深呼吸をした。
「希穂ちゃん、私ちゃんと喋れてた!? 変なこと言ってなかった!?」
「ちょっと不審でしたけど、内容はちゃんとしてました」
「よかったー! 先生の視線が鋭すぎて、私途中で『あ、私今逮捕されるのかな』って思っちゃったよ」
ガハハと笑う千夏さん。
けれど、私の中には、さっきの相談室でのやり取りが重く残っていた。
親戚でもないのに。
世間や学校からそんな不躾な目で見られてまで、なんでこの人は私の保護者になろうとするんだろう。自分の仕事だってあるのに、世間体だって悪くなるのに。
胸の奥に溜まっていた疑問が、どうしても抑えきれなくなって、私の口からこぼれ落ちた。
「……千夏さん」
「んー? なに? 今日の夜ご飯はコロッケがいい?買って帰る?」
「コロッケじゃなくて。……千夏さんって、お母さんのなんなんですか?」
夕道に、私の小さな声が響いた。
千夏さんはピタリと足を止めた。アスファルトの上に、二人の影が長く伸びている。
「学校でも、面談で困った顔されて……自分の仕事だってあるのに、周りから怪しまれてまで、なんで私の保護者なんかやってるんですか」
私は千夏さんを見上げた。
「お母さんとは、ただの『友達』なんでしょう? 親戚でもない、家族でもないのに……千夏さんは、どうしてここまでしてくれるんですか?」
千夏さんは静かに私を見つめ返した。
夕日のオレンジ色が、丸いメガネのレンズに反射してキラキラと揺れる。
一秒、二秒。
長い沈黙が流れた。
そして、千夏さんは――どこか胸の奥が痛むのを必死に耐えるように、少し傷ついたような、儚い笑顔を浮かべた。
「親友だよ」
千夏さんの声は、秋風に消えてしまいそうなほど優しく、そして切なかった。
「世界でいちばん、大好きな親友」
千夏さんはそう言うと、私の頭を大きくてゴツゴツした手で、ポンポンと優しく叩いた。
「だからね、希穂ちゃん。私が希穂ちゃんの保護者をやるのは、世間のためじゃないの。私が、そうしたくてやってるの。……あかりが愛した人を、私も同じくらい愛したいから」
そう言って微笑む千夏さんの表情に、私は何も言い返せなくなった。
「ほら、お腹空いた! 帰ってお風呂沸かして、今日は特売のコロッケ買って食べよ!」
「……キャベツもちゃんと食べてくださいね」
「えっ、キャベツ!? 千切り!? 包丁の危険度が跳ね上がるじゃん!」
「私がやりますから、千夏さんはお皿出してください」
「希穂様ー! 一生ついていきます!」
情けなく叫びながら歩き出した千夏さんの背中を追いかけながら、私は自分の胸の手前で、ギュッとランドセルのベルトを握りしめた。
伸びた二人の影が、夕暮れの道でピタリと重なっていた。




