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終末保管局のリボン付き遺失物―落とし物に宿った感情が見える私が、先輩の喪失を受け取るまで―  作者: 明石竜


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第二十三章 名前を呼ぶ

 十二月の最初の週、晴澄さんから連絡が来た。

「話したいことがある。今週末、会えますか」

「会えます」

「場所は、あの駅前のカフェで」

「はい」

「あと、ルチルも一緒に来てほしい」

「ルチルを?」

「お願いしたいことがある」

 ルチルに伝えたら「……分かった」と言った。

 珍しく、すぐに答えた。何を頼まれるか、分かっているのかもしれなかった。


 土曜日の午後、カフェに行った。

 晴澄さんはいつもの奥の席にいた。今日は一人だった。志季さんは来ていなかった。

「志季さんは?」

「今日は二人で話したかったので。ルチルも含めて三人で」

「そうですか」

「座って」

 座った。ルチルがテーブルの端に来た。

 晴澄さんが私とルチルを交互に見た。

「記憶が、かなり戻ってきた」

「最近、特に?」

「文化祭が終わってから、じわじわと。毎日少しずつ。昨日の夜、大きな記憶が一つ戻ってきた」

「どんな記憶ですか」

「文化祭の前日のこと。るりと二人で旧校舎の廊下を歩いていた。翌日の出し物の確認をしていた。 その帰りに、るりが言った」

「何と?」

「好き、と言った」

 カフェのざわめきが、遠くなった気がした。

「るりさんが、先輩に?」

「そう。友達として好き、じゃなくて、もっと別の意味で好きだと思う、と言った。言い方が、そういう言い方だったから」

 晴澄さんの声が、少し違う温度を持っていた

「先輩は何と答えましたか」

「私も、と言った」

「先輩も、そう思っていたんですね」

「うん。あの頃から、もう思っていた。でも言えなかった。るりが先に言ってくれた」

「それで」

「それで、翌日の文化祭があって。怪異があって。るりが向かっていって」

 晴澄さんが少し間を置いた。

「好き、と言い合った翌日に、あんなことになった」

「それは」

「最初に記憶が戻ってきたとき、この記憶だけは戻ってこなければよかったと思った。戻ってきたら、もっと苦しくなる気がして」

「でも戻ってきた」

「戻ってきた。でも、思ったよりは、苦しくなかった」

「なんでですか」

「あの子が好きだと言ってくれたことを、私は覚えていられる。封印されていても、感情が残っていた。四年間、覚えていられなかったけど、感情は残っていた。それがあの子への返事だったのかもしれない、と思ったから」

「……そうだと思います」

「ましろがそう言ってくれていたから、そう思えた」

「先輩が覚えていようとしていたから、感情が残っていたんです」

「そうかな」

「そうです」

 晴澄さんが、テーブルの上のコーヒーカップを両手で持った。

「ましろ」

「はい」

「一個、お願いしていいですか」

「どうぞ」

「るりの名前を、ちゃんと呼びたい。でも、一人では怖い」

「怖い?」

「名前を呼んだとき、何も感じなかったら、と思って。あの子がもういないことが、あまりに明確になったら、と思って」

「……一緒にいます」

「うん。だから、ここで呼ぼうと思って。あなたとルチルがいる場所で」

「はい」

「ルチル」

 晴澄さんがルチルを見た。

「なんだ」

 ルチルの声が、いつもより静かだった。

「あなたが、るりの一部から来ている、とましろから聞いた。だから、あなたの前で呼びたい。るりに一番近いところに、届けたいから」

 ルチルが黙った。

「……分かった」

「受け取ってくれますか」

「……受け取る」

「ありがとう」

 晴澄さんが目を閉じた。

 少しの間、そのまま静かにしていた。

 カフェの音が流れていた。

 それから、晴澄さんが口を開いた。

「るり」

 名前を呼んだ。

 ただそれだけだった。

 でも、感応が動いた。

 穏やかに、温かく動いた。

 怪異の揺れではなかった。誰かの感情が、ちゃんと届いたときの、あの感じだった。

 「るり」

 もう一度呼んだ。

「覚えていなくてごめんなさい。忘れさせられていたけど、それでも、ごめんなさい」

「先輩」

「あなたが好きだと言ってくれたこと、私も好きだと答えたこと、覚えていられなかったことが、悔しい。でも今は覚えている。だから、今言う」

 晴澄さんの目から、涙が出た。

 静かに出た。声を上げるわけでもなく、ただ出た。

「あなたのことが、好きだった。今も、記憶の中で、好きだよ」

 感応が、もう一度動いた。

 今度は、もっと大きく。

 温かかった。

 るりの感情の残滓が、記憶の中から動いた。届いた、という感じだった。受け取った、という感じだった。

 ルチルが、テーブルの端で動いた。

 尻尾が、一度大きく揺れた。

「……届いた」

 小さく言った。

「るりに届いた」

「はい」

 私は言った。

「そうか」

「届きました」

 ルチルが目を閉じた。

 閉じたまま、しばらくそこにいた。


 晴澄さんが目を開けた。

「感じた?」とルチルに尋ねた。

「感じた」

「届いたの?」

「届いた。あたしが言えることはそれだけだが、届いた」

「よかった」

「……よかった」

 ルチルも、同じ言葉を言った。

 晴澄さんが涙を拭いた。それから、少し笑った。

「ここで泣くつもりじゃなかったのに」

「いいじゃないですか」

 私は言った。

「カフェで泣くのは恥ずかしい」

「誰も見ていないですよ、たぶん」

「あなたが見てる」

「見てます。でも恥ずかしくないです、先輩が泣くのは」

「なんで」

「ちゃんと泣けることは、大事なことだから」

 晴澄さんが私を見た。

「あなたは、本当に」

「本当に何ですか」

「変なことを、当たり前みたいに言う」

「変ですか」

「変じゃない。でも、普通の人は言わない」

「私が普通じゃないんだと思います」

「そうね」晴澄さんが、また少し笑った。「普通じゃないけど、それがよかった」

「よかったですか」

「うん。普通じゃないあなたが、るりのことを覚えていてくれて、私のそばにいてくれた。よかったと思う」

「先輩」

「なに」

「私も、よかったと思っています」

「何が?」

「先輩のそばにいられたことが」

 晴澄さんが目を伏せた。

「……うまいことを言う」

「うまいことではないですが」

「うまいことだよ。聞いた私が、そうか、って思うんだから」

「そうかって思いましたか」

「思った。あなたがそばにいてよかったって、私もそう思う」

「それは嬉しいです」

「受け取れた?」

「受け取れました」

「よかった。最近、受け取り方が上手くなったね」

「練習しました」

「誰に?」

「ルチルに言われて」

「あたしは練習させた覚えはない」

「日々の会話が練習でした」

「……そうか」

「そうですよ」

「ルチルが先生扱いされている」

「先生ではない」

 晴澄さんに言われ、ルチルはすぐに否定した。

「でも教えてくれた」

「……」

 私が言うと、ルチルが黙った。

 珍しく、反論しなかった。

 晴澄さんが「ルチル」と呼んだ。

「なんだ」

「るりのことを、ありがとう。ずっと覚えていてくれて」

「前にも言っただろう」

「また言いたかった。今日、名前を呼んだ後に、また言いたかった」

「……どういたしまして」

 今日も言えた。

 ルチルが、どういたしまして、と言えるようになった。

 ただの返事のはずなのに、その短い言葉は、長い時間を越えてきたみたいに聞こえた。

 私は少し嬉しかった。成長、とルチルに言ったら怒るだろうけれど、成長だと思った。


 カフェを出て、少し歩いた。

 三人で歩いた。ルチルは私の肩で、晴澄さんと私が並んで歩いた。

「これからも、記憶が戻ってくるんですよね」

「そう思う。少しずつ」

「戻ってくるたびに、また話しましょう」

「話していいの?」

「いつでも。聞きます」

「ありがとう」

「どういたしまして」

 晴澄さんが少し笑った。

「あなたも、どういたしまして、って言えるようになった」

「練習しました」

「さっきと同じ答えね」

「さっきと同じ答えです」

「ルチルのおかげ?」

「日々の会話のおかげです」

「それはルチルとの会話?」

「ルチルとも、先輩とも」

「私も、あなたの練習に付き合っていたのか」

「そういうことになります」

「知らなかった」

「言っていなかったですから」

「教えてほしかった」

「教えていたら、意識させてしまうので」

「……なるほど」

 晴澄さんが少し考えた。

「では、私もあなたの練習相手として、これからも話を聞く」

「お願いします」

「でも、私も練習している」

「何の練習ですか」

「色々と。整えなくていい場所を、増やす練習。頼る練習。泣く練習」

「先輩が泣く練習をしているとは思いませんでした」

「泣くのが苦手だったから。整えることに慣れすぎていて」

「今日、ちゃんと泣けていましたよ」

「あなたとルチルがいたから」

「これからも、一緒にいます」

「うん」

「先輩も、いますか。これからも」

「いる。どこに行くつもりもないし」

「よかった」

「あなたが安心しすぎると、こっちが落ち着かない」

「なんでですか」

「……なんか、もっと心配してほしい気がする、たまに」

「心配しています。でも先輩が大丈夫だと分かっているので、安心します」

「大丈夫だと、どうして分かるの」

「なんとなく」

 晴澄さんが苦笑した。

「あなたの、なんとなく、は信頼性が高い」

「ありがとうございます」

「ただ、もう少し心配してほしいとも思う。矛盾しているけど」

「心配します。もう少し表に出すようにします」

「そうして」

「はい」

「それから」

「それから?」

 晴澄さんが少し間を置いた。

「先日、言いかけて止めたことがある」

「いつですか」

「旧校舎を出たとき。本館の入り口で、振り返って、言いかけた」

「覚えています。何を言おうとしていましたか」

「あのときは言えなかった。でも、今日るりの名前を呼んで、少し変わった気がする。言えそうな気がする」

「どうぞ」

「……急かすな」

「すみません」

「急かされると言えなくなる」

「分かりました。急かしません」

「……」

 しばらく、二人で歩いた。

 ルチルが肩の上で、尻尾をゆっくり揺らしていた。

「ましろ」

「はい」

「あなたのことが、好きだと思う」

「……はい」

「友達として好き、だけじゃない意味で。整理できていない部分もあるけど、それでも、今言える」

「今言ってくれてよかったです」

「そう?」

「はい。いつか言ってもらえると思っていたけど、今日言ってもらえて、よかったです」

「いつか言うと思っていたの?」

「なんとなく」

 晴澄さんが少し笑った。

「またなんとなく」

「でも当たりましたよね」

「当たった」

「だから信頼してください、なんとなくを」

「信頼している。でも」

「でも?」

「私が好きだと言ったのに、あなたはどう思ってるか聞かないの?」

「聞いていいですか」

「……聞いていいよ」

「先輩のことが、好きです」

「それだけ?」

「それだけで十分ですか?」

「十分だけど、もう少し聞きたい」

「先輩のことを考えると、胸のあたりが少し騒ぐので。それが好きということだと思います。先輩が笑うと、よかったと思います。先輩が苦しんでいると、どうにかしたいと思います。先輩のそばにいたいと、ずっと思っています」

「最後のが一番好きかも」

「どれがですか」

「そばにいたい、というの」

「ずっと思っています、それは」

「……うん」

 晴澄さんが、私の隣で少し肩の力を抜いた。整えていない、という感じが出た。

「ましろ」

「はい」

「名前を呼ぶ、というのは大事だと思った。今日、るりの名前を呼んで」

「大事ですよね」

「だから、あなたの名前も、ちゃんと呼び続けたい。ましろ、って」

「呼んでください」

「ましろ」

「はい」

「……これからも、よろしく」

「よろしくお願いします、晴澄さん」

「先輩、でいい」

「先輩」

「うん」

 晴澄さんが、少し歩くのを遅くした。

 私も遅くした。

 ルチルが肩の上で「うるさい」と言った。

「何が?」

 私は聞いた。

「二人とも、胸のあたりがうるさい」

「感知できるんですか?」

「感応持ちのそばにいると、少し伝わる」

「それは失礼しました」

「謝らなくていい。ただ、うるさい」

「嫌ですか」

「……嫌いではない」

「よかったです」

「でも、もう少し静かにしろ」

「努力します」

「努力だけでは困る」

「難しいです、今は」

「……知っている」

 ルチルが尻尾を揺らした。

 怒っているわけではないと、分かった。

「ルチル、ありがとう」

 晴澄さんが言った。

「今度は何の礼だ」

「一緒にいてくれていることの礼」

「あたしは関係ない、今の話は」

「関係ある。あなたがいてくれるから、私も話せた。今日だけじゃなくて、ずっと。あなたがましろのそばにいてくれたから」

 ルチルが黙った。

「……あたしは、ましろのそばにいたかっただけだ」

「それが、私にとってもよかった」

「……そうか」

「どういたしまして、は言えますか」

「……どういたしまして」

「ありがとう」

「礼の礼は要らない」

「でも言いたいので言いました」

「……それも、ましろから移ったのか」

「そうかもしれない」

「……移りやすい言葉だな」

「いい言葉だから」

「……そうかもしれない」

 三人で歩いた。

 十二月の空気は冷たかったけれど、悪くなかった。

「るりも、今日のこと、見えていたかな」

 その言い方は独り言に近かった。返事を求めていないのに、返事がなければ立っていられないみたいでもあった。

「見えていたと思います」

 私が答えた。

「そうか」

「るりさんが見えていたとしたら、どう思うと思いますか」

「……笑うと思う」

「笑いますか」

「あいつはすぐ笑うから。こういう場面では特に」

「それは、いい笑い方で?」

「いい笑い方で」

「よかったです」

「……よかった」

 ルチルが空を見た。

 冬の空が、青かった。

 るりさんが好きだったかどうか分からない空の色が、今日の私には、るりさんが好きそうな色に見えた。

 根拠は、なんとなく、だけだったけれど。


 家に帰ってから、机に向かった。

 宿題をやりながら、ルチルが本棚の端にいた。

「ルチル」

「なんだ」

「今日、名前を呼ぶ、というのが大事だと分かりました」

「晴澄が言っていたことか」

「はい。名前を呼ばれることが、その人に届く。名前を呼ぶことで、忘れていないと伝えられる」

「そうだな」

「ルチルに、一個お願いしていいですか」

「なんだ」

「私の名前を、たまに呼んでください」

「呼んでいるだろう、いつも」

「おまえ、とか、高槻、とか呼んでいますよね」

「そうだが」

「ましろ、と呼んでほしいです。たまに」

 ルチルが少し間を置いた。

「……なんで」

「先輩に言われて、気づいたんです。名前で呼ばれると、ちゃんと届く気がして」

「あたしに届けてほしいことがあるのか」

「私がここにいることを、覚えていてほしいです。ルチルに」

「覚えている」

「名前で呼んでもらえると、より覚えられている感じがします」

「……そういうものか」

「そういうものです」

 ルチルが黙った。

 しばらして。

「……ましろ」

 呼んだ。 

「はい」

「こんな感じか」

「そうです。ありがとうございます」

「礼は要らない」

「言いたいので言います」

「……知っている」

「またお願いします、たまに」

「……する」

「約束ですか」

「約束だ」

「よかったです」

「大げさだ」

「大げさじゃないです」

「……そうか」

 ルチルが目を閉じた。

「おやすみ、ルチル」

「……おやすみ、ましろ」

 名前で言ってくれた。

 電気を消した。

 暗い部屋で、ルチルの気配がした。

 名前を呼んでもらった感触が、胸のあたりに残っていた。

 落とし物みたいに、そこに残っていた。

 でもこれは、誰かに拾ってもらう必要がない感触だった。

 自分で持っていられる、温かいものだった。

 眠った。

 今夜は、すぐに眠れた。

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