第八十七話 橋を断つ者、砦に隠される者
石橋の半ばまで進んだところで、先行していた斥候が足を止めた。車輪の跡を追っていたはずが、今は欄干の根元へ視線を落としている。近づいてみると、その部分だけ目地の色が周囲と違い、石の継ぎ目に新しい漆喰が押し込まれていた。
「ここを直したのも、荷車を通した連中でしょうか」
「さあな。橋を使うなら補修くらいはするだろうが、妙な場所を選んだもんだ」
荷車の重さを支える路面ならともかく、欄干の基部を細長く塗り固める理由が思いつかない。斥候が携えていた探り棒で漆喰の端を削ると、中から細い金属線が現れた。錆びた補強材にしては表面が滑らかで、何かに覆われている。
「ルクス殿、これは……」
「触らない方がよさそうだな。二人とも戻ろう。本隊に知らせるのは、それからだ」
片方の兵士はすぐに退路を取り、もう一人が道具を引き抜く。そのとき、砦の門楼で灯りに似たものが一度だけ明滅した。こんな昼間に合図を送る相手がいるとすれば、俺たち以外に考えられない。
「走れ! 橋から離れるぞ!」
警告に続いて、路面の下から鈍い衝撃が突き上げてきた。継ぎ目に沿って石が持ち上がり、次の破裂で橋の中央が崩れる。退きかけていた斥候の一人は陸側へ転がり込んだが、もう一人の足元からは石畳が消えた。俺は落ちかけた兵士の腕を掴み、残っている欄干へ六爪剣の一枚を打ち込んで身体を支える。
砕けた石が谷底へ降り注ぐ音に紛れて、別の音が混じった。弦の鳴る、鋭く短い音だ。門楼の陰から飛んできた矢が肩当てで砕け、続く一射は俺の腕の下にぶら下がる兵士へ向かっていた。
「ルクス殿、私を置いて――」
「谷底へか? 悪いが、そんな命令は聞けん」
兵士を自分の胸元へ引き寄せて矢を受け止めると、甲冑の表面で鉄の鏃が弾けた。俺を撃っても無駄だと分かった連中は、最初から鎧の隙間ではなく、こちらが抱えた人間を狙っている。足場の残り具合を確かめるより先に、射線を遮る必要があった。
「ルクスさん、足場を繋ぎます! 兵士さんを支えたまま、こちらへ来てください!」
エマの声とともに、崩れた橋の間へ青白い光が走った。手前の岸から俺の足元まで聖壁が伸び、割れた路面を覆うように厚みのある足場を形作る。上方には別の防壁まで展開されており、門楼から追加で放たれた矢が光の表面で跳ね返された。
兵士の腕を引き上げ、足場へ降ろす。俺が乗ってもびくともしない防壁は、二人が並んで進めるだけの幅を保っていた。エマはその先を岸まで繋げ、こちらの移動に合わせて上の防壁も動かしてくれる。
「被弾して足を痛めてる。受け取ってくれ!」
「はい! どうぞ、私の方へ。無理に歩かなくても大丈夫ですから」
岸の兵士たちが負傷者を引き取る間にも、砦の弩兵は撃つのをやめなかった。防壁を正面から破れるわけもなく、今度は横合いへ回り込もうと欄干の残骸から身を乗り出している。
「エマ、もう少しそのままお願い!」
サクヤの声を聞いて、俺は門楼へ顔を向けた。次に狙われるのが岸に集まった兵士なら、聖壁だけで受け続けるのは得策ではない。そんな心配をする間もなく、白い雷光が門楼の石壁を打った。射手の立つ胸壁のすぐ下で石片が弾け、敵兵が弩を取り落として身を隠す。
「距離があるから、精度は結構ギリギリだったけど……なんとかなったね」
「助かったぞ。良い狙いだったな」
「砦を壊したら中まで巻き込むでしょ。嫌がらせくらいで勘弁してあげる」
「そいつは向こうに伝わったと思うぞ。なかなか説得力のある嫌がらせだった」
サクヤの雷撃で弩兵の射撃が止まり、エマの足場を渡り終えた俺は負傷者のもとへ向かった。足首は妙な方向に曲がっていないものの、転落しかけたときに石へぶつけたらしい。痛む場所を確かめるエマに本人が恐縮しているあいだ、俺は砕けた橋を見直した。
中央部は完全に落ち、両岸に残る石組みも亀裂だらけだった。人が渡るだけならエマの構築する足場でどうにでもなるが、重い砲車を動かし、補給を続ける帝国軍には別の話になる。門楼の敵が破壊する場所を選んだのなら、連中の狙いは最初からこちらの進軍を止めることだったのだろう。
「足首を診ますね。痛いときは遠慮せず言ってください」
「助けていただいたばかりか、治療まで……面目ありません」
「橋を壊した人に文句を言ってください。それに、これがわたしの役割ですから」
少し離れたところで状況を見守っていた斥候も無事だった。本人はすぐ偵察へ戻ると言い張ったが、俺たちが見つけた金属線のことを報告する仕事だけで十分だと伝える。そうこうしているうちに、ヴィクトルとイルゼが工兵を連れて到着した。
「橋を落としてから弩を射掛けるとは、随分と露骨な歓迎ですね」
「立入調査を断るにしては過激だな。入口の扱いが悪いと、客は怒るぞ」
「お怒りになるのは構いませんが、砦の中へ踏み込むのはまだお待ちください。あの連中が何を隠しているのか、確かめる必要があります」
「わかってるが、時間を掛けると連中も次の手に移るぞ」
ヴィクトルが監察局の部下へ襲撃の記録と証言の確保を指示する一方、イルゼは橋の残骸を見て砲兵の配置を組み直していた。重い魔導砲を無理に近づければ、まだ崩れるかもしれない路肩に足を取られる。砲の二門は安全な地盤へ下げ、狙える範囲を門楼と橋の周辺に絞るようだ。
「敵が橋へ出てきたら私の隊で押さえるわ。ただし、砦の内部を吹き飛ばすのは無しよ。あそこに人がいたら洒落にならないもの」
「ああ。助けに来た相手を瓦礫の下に埋めることになれば、本末転倒だ」
「それと、黒騎士。あんた一人なら向こうへ跳べるでしょうけど、勝手に行かないで。今度は私が後始末をする羽目になるんだから」
「信用がないな。さっきは兵士を助けて戻ってきただけなんだが」
「それは見てたわ。だから今のうちに釘を刺してるの」
橋の残骸に残っていた金属線は、工兵が安全を確認したうえで切れ端を回収した。ディートヒルトは少し離れた作業台に検査器を据え、ヨナスと二人で被覆を調べ始める。回収できたのはごく短い部分だけだったが、それでも彼女には興味をそそられるものらしい。
「これ、魔力を伝えるための線だよ。しかも石の補修と一緒に埋めたみたい。橋そのものに元からあった設備じゃないね」
「門楼から合図が見えた直後に爆ぜた。あそこから起動させたと考えていいのか?」
「その可能性は高いと思う。でも、線の途中に別の装置があったら、引っ張るだけでも危ないかもしれない」
「主任、残りを調べるのは工兵の許可が出てからです。検査器を持って近づけば済む話ではありませんよ」
「分かってるよ! こんな手の込んだもの、もっとちゃんと調べたいけどさ」
ディートヒルトは切れ端を布の上へ戻した。残存部分の調査は工兵に任せるほかないとしても、後から橋を爆破できるように改造したことまでは分かった。こちらの接近を予測していたのか、それとも普段から侵入者への備えを怠らなかったのか。その違いによって、向こうが逃げるまでの時間も変わってくる。
俺は門の奥を見通せないか、砦を背負う岩山へ視線を巡らせた。外壁に守られた正面からは中の様子が分からないが、尾根へ回れば裏側が覗けそうな場所がある。斥候に伝えると、古い測量図に似た地形が残っていた。
「ヴィクトル、少し高いところから見てみないか。向こうが門を開けないなら、こちらも見方を変えよう」
「尾根の岩場ですね。砦側から見つかる危険はありますが、外壁へ近づくよりは状況を確かめられそうです」
「連れていく兵は少なくていい。ここにいる連中まで引き連れて、射撃の的になる必要はないだろう」
◇
砦から離れた斜面を登ると、黒い露岩の間から裏手の建物が覗いた。外壁に隠れていた荷捌き場らしい場所には、背の低い倉庫と、そこから山側へ続く細い道がある。地図に残っていた古い鉱山の搬送路と、おおよそ位置が重なっていた。
「あれ、荷車じゃない?」
サクヤの言う先に、幌を深く下ろした荷車が二台並んでいた。しばらくすると倉庫からもう一台が引き出され、先頭の車が動き始める。橋が壊れたばかりだというのに、護衛の歩調も車を出す順番も揃っている。警報を受けて慌てて逃げ出したにしては、用意がよすぎる。
「正門を塞いで、その間に裏から出すつもりか。ずいぶん気が利く連中だな」
「搬送路の先には古い採掘場がいくつもあります。どこへ繋がっているか、今ある地図だけでは断定できません」
「先回りは難しいか」
「軍を動かすなら、通行可能な道を確認する必要があります。少人数で追うにしても、別の爆破装置が仕掛けられていないとは限りません」
ヴィクトルの指摘はもっともだった。橋の一件で分かったのは、敵がこちらの装備と進路を見て、必要な場所を潰せるということだ。足の速さだけで飛び出せば荷車には追いつけるかもしれないが、そこに何が積まれているのかも知らずに斬り込むわけにはいかない。
「ルクスさん、あの荷車……幌が内側から動きませんでしたか?」
エマに促されて幌の端を確かめると、後ろから二台目の布が内側へ引かれるように歪んだ。山道の悪路に揺さぶられたのかとも思ったが、車が緩やかな場所へ出ても同じ箇所が動く。やがて護衛の一人が荷台へ上がり、布を押さえ込んだ。
谷を渡って車輪の軋みが届いた。その下に、硬いものが数度ぶつかる音が混じる。荷車の振動に任せたものとは違う、短い間隔を置いた打音だ。中に人間がいて、外へ合図を送ろうとしている――そこまで考えかけたところで、音が途切れた。
「……あの幌の中、誰かいるかもしれん」
「私にも見えました。布が揺れたとき、護衛が押さえに行ったんです」
「その可能性を無視できませんね。荷車を止めるにしても、積み荷を傷つけない手段を取る必要があります」
ヴィクトルが持参した地図を広げ直す。旧鉱山の搬送路は斜面の途中で複数に分かれており、どれも馬車を走らせるには狭い。俺だけで追いつくことはできても、荷車の周囲で戦いになれば、中にいるかもしれない人間の命を危険に晒す。
「サクヤ、ここから荷車を止められるか?」
「術で車輪を壊すくらいならできるよ。でも、坂の途中でひっくり返ったら困るよね」
「なら撃つのは待ってくれ。中身も分からんうちに谷へ転がすのは、さすがに勘弁だ」
「うん。護衛がこっちを見つけたら、そっちは止めるから」
エマは岩場の端から搬送路へ視線を通し、谷の深さと足場になりそうな場所を確かめていた。ここでも聖壁を使えば近道は作れるが、その先でどう動くかを決めるのは俺たちだけの仕事ではない。捕らえた者を連れ帰る人手も、砦の証拠を押さえる兵も必要になる。
「ヴィクトル。迂回路を探すのと並行して、あの車列を見失わないよう斥候を出せるか。俺たちも動ける場所に出たら協力する」
「手配します。イルゼ殿にはこちらから知らせましょう。砦の敵が橋へ出てくるなら、砲兵の警戒が必要です」
「できれば荷車の行き先を突き止めたい。ここで捕まえ損ねても、砦の中へ戻ってきてくれるとは限らんからな」
斥候の一人が尾根伝いに進める場所を探しに行き、ヴィクトルは後方へ伝令を戻した。俺は荷車から目を離さずにいたが、三台目が曲がり角を抜ける頃には、尾根の陰が車列へ迫っている。
最後尾の幌が、今度は大きく外へ突き出した。積み荷がずれたにしては形が妙だ。護衛が慌てて荷台の縁に足を掛け、布の上から何かを押さえつける。その直後、幌の内側から三度、金属を叩く音が聞こえた。
車列は速度を落とさず、岩山の向こうへ消えていった。




