第八十六話 カルデン丘陵を越えて
監察局を出る頃には、傾いた日差しが街路の石畳を赤く染め始めていた。旧第四砦へ向かう軍との調整はヴィクトルに任せ、俺たちはひとまず宿へ戻ることになったのだが、その前に片付けておきたい話がある。
「セラス、ちょっといいか?」
「なによ。まだ何か面白いことでも隠してるの?」
「期待してるところ悪いが、お前には少々つまらん頼みがある」
エマとサクヤには先に宿へ戻ってもらい、人通りの少ない路地で本題を切り出した。
「今回の旧砦には、俺とエマ、サクヤの三人で向かう。お前にはミレイユの護衛を頼みたい」
「はあ!? 改造獣も怪しい魔導装置も待ってるのに、アタシだけ留守番!?」
聞き終わるのも待たずに抗議が飛んできた。セラスは旧砦で暴れるのを楽しみにしていた節がある。気持ちは分かるが、先日の襲撃で俺たちが全員倒したのは、あくまで現場にいた連中だけだ。襲撃の成否を遠くから確かめる者がいなかったという保証はない。
「俺が捜査に加わっていると知られたら、次は商隊を狙うかもしれん。ミレイユを危険に晒したくはない」
口を挟みかけたセラスはそこで黙った。帝国兵にも警備を頼むつもりだが、改造獣まで用意できる相手なら、どんな手で商隊を襲うか分からない。彼女なら離れた敵への狙撃も、護衛対象の目前での迎撃もこなせる。
「遠くから狙われても、懐へ飛び込まれても、一人で切り抜けられる。俺が最も信頼できる戦力となれば……セラス、お前しかいないだろ」
「……そういう口説き文句、どこで覚えてきたのかしらね」
褒めれば喜んで引き受けるような付き合いではない。セラスはしばらく路地の出口を眺め、砦へ向かう隊列を想像したのか、未練たっぷりの顔でこちらへ向き直った。頼んでいるのは俺の都合だが、他の誰かに任せるつもりもなかった。
「仕方ないわね。そこまで頼まれたら断れないじゃない。ミレイユのことはアタシに任せなさい!」
「助かる。ただ、一つだけ約束してくれ。最悪の場合はミレイユだけでも担ぎ上げて離脱しろ。敵と正面からやり合う必要はない」
「……あんた、アタシに逃げろって言ってるの?」
セラスの実力を疑うつもりは毛頭ない。ただ、敵の規模も手札も分からない状態で、商隊を守りながら勝つことまで求めれば、彼女は最後まで踏みとどまってしまうだろう。荷物も馬車も捨てて構わないと重ねて伝えると、セラスは渋々ながら口を結んだ。
「分かったわよ。本人が文句を言おうと担いで逃げる。その代わり、帰ってきたら現地の話を全部聞かせなさい!」
「土産話なら任せろ。無事に帰ったら、お前の気が済むまで付き合おう」
「話だけじゃ駄目よ。ちゃんとお土産もね!」
最後はいつもの調子に戻ったものの、今の約束を軽く考えていないことくらい、俺には分かる。
宿へ戻ると、ミレイユはアルフォンスとの商談書類を広げていた。訂正の入った見積書が重なり、隣には新しい取引品の目録まで置かれている。
「なるほど。ルクスさんを狙うより、こちらを人質にする方が手っ取り早いと思う者もいるでしょうね」
ミレイユは書類を端へ寄せ、宿と倉庫の出入りを管理する方法を考え始めた。大げさな警備で取引先の出入りまで妨げれば、敵が何もしなくても商売に支障が出る。帝国側への協力要請と、従業員への連絡を同時に進めるつもりらしい。
「物騒な話を持ち込んで悪いな」
「私も商人ですから、自分に付く値札くらいは知っておきたいものです。身代金の相場を調べる日が来るとは思いませんでしたけれど」
「そいつは勘弁してほしい。俺の財布じゃ賄いきれんからな」
「セラスにも残ってもらうことにした。遠距離からの攻撃にも対応できるし、判断も任せられる」
「それは心強いですね。セラスさん、よろしくお願いいたします」
「当然よ! アタシがいれば、その綺麗な髪一本にも触れさせやしないわ!」
ミレイユは頼もしい護衛に礼を述べつつも、彼女一人へ負担を集中させる気はなかった。従業員にも避難路を覚えさせ、見張りを増やすという。俺からは商品より人命を優先してほしいと伝えたが、その点は商会主の方がよほど現実的だった。人がいなくなれば、どれほど立派な契約書も紙屑になると分かっている。
ただし、セラスへの最後の指示は伏せておく。ミレイユが従業員を置いて逃げることを認めるとは思えない。万一のときだけは、セラスに嫌われ役を引き受けてもらうつもりだった。
◇
それから数日、監察局と帝国軍の調整が進み、俺たちも遠征の準備に追われた。
開発院では、ディートヒルトの作業室が引っ越し騒ぎになっていた。工具箱が床を埋め、作業台には大小の計測器が所狭しと並んでいる。ヨナスは荷物一覧を手に、予備まで四台持ち出そうとする主任へ二台で足りると訴えていた。
「二台同時に壊れたら困るでしょ! 予備のさらに先も要るの!」
「そのときは主任に修理していただきます」
俺が研究室ごと運ぶつもりかと尋ねると、ディートヒルトは不満そうに唇を尖らせた。現地で何が見つかるか分からない以上、測る道具だけでも揃えたいらしい。積み上げられた箱の中身は魔導回路の検査器や接合部の固定工具が中心で、装置が人間に取り付けられていた場合まで考えた準備だった。
「同行の許可は?」
「エミールが出してくれたよ。でも危険な場所へ行くなって、何回も!」
作業前にはヨナスへ相談し、軍の指示を守ることも条件だという。俺も特に異存はない。揃って念を押したところ、ディートヒルトは二人していじめるなと抗議したが、ヨナスの方は最後まで譲らなかった。
「それと、シンデレラの弾はどうなった?」
「専用弾なら、もう出発に必要な分はできてるよ! 追加分も優先してもらえるように頼んでるけど、特注加工の工程があるから、そっちは少し時間がかかっちゃうんだよねえ」
「それなら助かる。帰ってきたら、また試験に付き合おう」
ディートヒルトは保管箱から完成した専用弾を取り出して並べた。これで空だったシンデレラの弾倉にも補充ができる。試験の約束まで取れたことが嬉しいらしく、彼女は早くも項目を書き足し始めていた。次に来る頃には倍になっていそうだ。
南方軍管区からの支援隊が到着したのは、さらに数日後。駐屯地では二門の軽魔導砲を兵士たちが点検しており、その中に見覚えのある女性がいた。
「黒騎士の名前で嫌な予感はしてたけど、今度は廃砦? 厄介事の収集でも始めたの?」
「どうも向こうから押し寄せてくる。こっちも迷惑してるところでな、元凶を片付けにいく」
イルゼは挨拶もそこそこに地図を広げた。丘陵は砲を据えられる平地が少なく、旧砦の内部に人がいれば壁ごと吹き飛ばすわけにもいかない。彼女が地図に置いた指先は、斜面に遮られる射線を一つずつ潰していった。砲兵の仕事は、敵を見つけて撃つだけでは済まないらしい。
「改造獣が外へ出たら頼るぞ。俺を撃たないでくれれば、なおありがたい」
「その辺りは、前と同じように私が群れを動かせばいいかな?」
「バルガルドじゃ助かったわ。今回も誘導してもらえるなら、射線の通る場所を先に決めたい」
「このサクヤさんにまかせちゃって! 華麗にエスコートして追い込んでみせるよ」
前の防衛戦でサクヤが敵群を動かし、イルゼの砲撃がそれを仕留めた。今回もその実績を頼りにできるが、砲弾が届くまでの時間や遮蔽物は現地で確かめなくてはならない。二人は早くも地図の上で、射点になりそうな場所を選び始めていた。
「そういえば、あのエルフは?」
「セラスなら本来の依頼である護衛に残した。今回は参加しない」
「残念ね。あの狙撃にはずいぶん助けられたのに」
「今回は帝国の斥候と弓兵も頼ることになりそうだ」
「私の隊は砲撃戦だけじゃないわよ。それを活かす為の兵が揃ってるから、そこは安心して」
ヴィクトルも合流し、先に砦の外周を調べる方針が確認された。警戒と戦闘は軍、捜査と証拠保全は監察局が受け持つ。
「ルクス殿、調査中に独断で砦へ入られると、こちらも困りますので考慮を願います」
「心配しなくても、何でもぶち壊せば済む話じゃないのは分かってる」
「そのお言葉を信じましょう。魔獣の口に飛び込む無茶をする方だと伺っていますので、念のため確認したまでです」
「……事実を突きつけられているだけに、何も言い返せんな」
◇
翌朝、グライゼンの東門を抜けた。俺とサクヤは黒鹿に二人乗りし、エマは牝鹿に跨る。砲車や技術班の輸送車両と足並みを揃えての行軍だ。
「ほら、相変わらず私には甘いんだからねえ。身体は大きいけど可愛く見えるよ」
両手で首筋を撫でられると、黒鹿は鼻を鳴らした。以前から懐いているが、俺と二人のときより愛想がいい。
「そのうち、私だけでも乗せてくれるかな?」
「こいつが嫌がらなければな。些か気難しい部分と荒い部分があるが、それ次第だろう」
「大丈夫だって。ルクスさんも一緒に乗せてあげるから!」
「いつの間にか俺が居候扱いか」
工業地帯を抜けると露岩が目立ち、昼過ぎには煙突も見えなくなった。乾いた草が風に倒れ、轍の深いところでは荷車の車輪が小石を噛む。
一日目の夜営では俺も見回りに加わったが、兵士たちの交代手順を乱すつもりはない。
「ルクスさん、また一回りしてきたの? そんなに心配? 緊張してるって柄じゃないだろうしさ」
焚き火の近くへ戻ると、肩に掛けた毛布からサクヤが顔を上げて、毛並みの揃った尻尾を緩く揺らした。
「歩き回ってる方が退屈しないんでな。お前はもう休んでおけ」
「眠らなくていいのは知ってるけどさ、退屈なら私とお話してればいいじゃん!」
「そうすると、お前が夜更かしをして休めなくなるだろ。ついでに警戒の手伝いをしてるだけだぞ」
「だからって夜中にデカくて黒い鎧が立ってたら怖いって。じっとしてるほうが良い事もあるの!」
「自分で言うのも何だが、否定しづらいな」
毛布の向こうからはエマの笑い声まで聞こえてきた。せっかく休める時間に二人を起こしておくのも悪い。焚き火に薪を足したところで話は切り上げ、あとは夜営地の静けさに耳を傾けることにした。
◇
翌日の昼過ぎ、カルデン丘陵に入ったところで先行の斥候が本隊へ戻ってきた。旧第四砦へ続く補給路は長らく使われていないはずだが、何者かが通行している形跡があるという。軍が足を止め、俺もヴィクトルと報告のあった場所へ向かう。
路肩の石垣は崩れた箇所だけ色の違う石で積み直されており、路面には雨に洗われても消えなかった轍が奥まで続いている。放置された廃道にしては妙に手が行き届いているし、荷車が通ったのもそう昔ではなさそうだ。
「廃道にしては、随分と働き者の道だな」
「こちらの通行許可は出ていませんし、鉱山側からの補修申請もないようです」
「届け出を忘れた親切者が、わざわざ石垣まで直してくれたわけか」
「必要なら感謝状を用意しましょう。署名をいただく際に、少々質問させてもらうだけです」
「その質問をする前に、荒事になりそうではあるな」
先へ進むほど道は狭まり、砲車を転回させられる場所も限られてくる。軍は車列が伸びすぎないよう、斥候との連絡を密にしていた。
木立の向こうに古い石橋が現れ、その先には黒い岩肌を背負った砦が建っていた。外壁の一部は崩れているが、門の周囲には手を入れた跡がある。轍も橋を越え、砦へ続いていた。
「先刻の廃道もそうだったが、廃墟と言う割には立派な門が残ってるな」
「感心してる場合じゃないぞ、黒騎士。あの橋を渡った先で砲車を止められたら、退くにも苦労するんだから」
確かに橋幅には余裕がない。二門の砲を向こうへ運んでから敵に押さえられれば、退くだけでも一苦労だ。
「まずは橋の手前で停止しましょう。外周を確認してから、部隊を進めるか判断します」
停止命令を受けた後続の車両は転回できる場所へ移り、砲兵たちはその間に橋へ向けた射線を確かめていた。
「俺も斥候と一緒に様子を見てこよう。近づけば分かることもあるだろう」
「構いませんが、砦の内部へは独断で入らないでください。まず必要なのは、誰があそこを使っているのか確かめることです」
「まだ何者が住んでるかも分からん家に、いきなり押しかけるほど無作法じゃない」
「ご理解いただけているなら、結構です」
「向こうが先に殴りかかってきたら、即時即応でいいな?」
「……できれば、門が残っているうちに報告をお願いします」
どうにも信用されていないらしい。
黒鹿から降り、手綱をサクヤへ預けた。エマにも本隊の警戒を頼み、先遣の兵士たちと石橋へ向かう。
橋の欄干には古い苔が張り付いていたが、路面の傷はそれほど古くない。荷車の鉄輪が削ったらしい細い溝は、石橋の中央を越え、砦の門へと続いていた。




