第八十五話 揃わぬ数字、辿る道筋は丘陵へ
焼け焦げた馬車を路肩へ寄せる頃には、工業区の通りもようやく落ち着きを取り戻していた。増援に駆けつけた帝国兵が周囲の倉庫を調べ、ヴィクトルは回収した帳簿と証人を別々の馬車へ乗せ直している。斧槍や獣の装具には封印札が付けられた。
「帳簿は別の道で運ぶんだな」
「ええ。証人と証拠を一度に失うような真似は、もう御免ですから」
「違いない。あれだけ派手に仕掛けてきた連中だ。二度目もないとは言い切れん」
「次は何を持ち出してくるやら。できれば、こちらの想像力を試すのは遠慮してほしいものです」
襲撃者の所持品からは所属を示すものが出ていない。改造獣まで持ち出した相手が、名刺を残してくれるとも思えなかった。
俺たちはフリッツの馬車を囲んで出発した。セラスは通りを見渡せる屋根を先行し、サクヤは馬車の横、エマは車内へ戻る。曲がり角では護衛兵も気を緩めなかった。俺の探知に新たな敵性反応が現れることはなく、厳重な門を二つ抜けたところで、ようやくフリッツの移送が終わった。
保護施設の応接室は、外から見るより質素だった。鉄格子の窓と机、椅子、水差しだけがある。フリッツは椅子に座ると、差し出された水に手を付けず、ヴィクトルが広げた記録用紙を見つめた。
「……あの人たちは、みんな死んだんでしょうか」
「確認できた襲撃者は、全員死亡しています」
「私が話したせいで、あんな……」
そこで言葉が途切れた。エマが水差しから杯を満たして彼の近くへ置いたが、慰めの言葉は続けなかった。彼女にも、相手を殺さずに済ませたかった気持ちは残っているはずだ。
「フリッツさん。運ばれていた人たちのこと、今も覚えていますか?」
「忘れられるものですか。あの日の荷は、いつもよりずっと静かで……荷台の中から、鎖が擦れる音だけがしていました」
「なら、そこから話してください。私たちが探しているのは、まだ帰れていない人たちです」
フリッツは長いこと杯を握ったままだったが、やがて帳簿の頁をめくるような調子で話し始めた。運送会社では、通常の貨物なら受け渡しのたびに担当者の署名が要る。それがある時期から、鉱山資材の一部だけ受取人の欄を埋めず、別の番号表で処理するよう命じられたという。
「人間だと知ったのは、最初の三便が終わってからです。それでも私は……上司に確かめず、帳尻だけ合わせていた」
「同僚が失踪した件も、その頃ですか」
「はい。引渡先を調べに行った男が戻らなかった。私も消されると思って、控えを持ち出したんです。正しいことをしたくて通報したなんて、胸を張れません」
「胸を張る必要はありません。まず、知っている事実を残してください」
ヴィクトルの筆が紙を滑った。フリッツの関与は後で調べればいい。今は失踪した人々の行方が先だ。
焼け残った帳簿は、隣室で係官が一枚ずつ広げていた。熱で反った頁を無理に伸ばさず、紙の下へ薄い板を差し込んでいる。受領番号の末尾は読めなくなっていたが、日付と輸送重量、荷車の組合せは辛うじて残っていた。
「この三件、同じ鉱山宛てになっていますね」
ヴィクトルが示した記載を見て、フリッツは首を振った。
「鉱山へ運んだのは途中までです。あそこの荷揚げ場で隊列を組み替えて、東の古い道へ入りました」
「古い道?」
「私が現地へ行ったのは一度だけですが、山際に砦のような建物が見えました。門の前までは行かせてもらえませんでした」
ヴィクトルは係官に別の書類を持ってこさせた。彼が一年以上追っていた軍需品の払い出し記録だ。そこにも同じ日の輸送があり、表向きには鉱山で消費されたことになっている。ところが、添えられた鉱山側の記録には、その量の金属材を受け入れた形跡がなかった。
「数字は消されていない。届け先だけが、ずいぶん器用に迷子になってるな」
「鉱山の出納簿が正しければ、そもそも届いていません。もっとも、帳簿同士が口裏を合わせていないという保証もありませんが」
「それなら、道を確かめる方が早いか」
広げられた古い軍用地図には、カルデン丘陵へ延びる補給路が描かれていた。ヴィクトルが新しい鉱山台帳と重ねると、フリッツの話した分岐点から先に、すでに廃止された施設の名が残っている。
「旧第四砦……ここか」
「正式な受領施設ではありません。廃止後に補修用の資材を運んだ記録も見当たらない。それなのに、この道だけは運送費が繰り返し計上されています」
フリッツが地図の一点を指した。俺には同じような丘の線にしか見えなかったが、彼には覚えがあるらしい。
「ここに古い石橋がありました。渡った先で荷を引き渡したんです。行き先の札には、確か……四の数字が」
「では候補は絞れます。ただし、砦に何があるかまでは分かりません。現地を調べる理由としては十分でしょう」
ヴィクトルは地図を畳まず、旧第四砦の位置に紙片を置いた。フリッツへは警備の引き継ぎを告げ、俺には押収した装備の立会検分を頼んできた。ディートヒルトなら、あの奇妙な品々を見て何を言い出すだろうな。
◇
開発局の作業室には、斧槍が封印台ごと運び込まれていた。折れずに残った刃元の金具を見たディートヒルトが、ヨナスの制止も聞かずに工具を取り出そうとする。
「ちょっと、これ触っていい!? ここ、接触した瞬間に横向きの衝撃を出すように組んでるでしょ!」
「主任、証拠品ですから。まず監察官の許可を……」
「ううっ、見るだけ! 見るだけだから!」
「それ、前にも聞いた気がするな」
「ルクスまでヨナスみたいなこと言わないでよ!」
ヴィクトルが立会人の前で封印を解き、検査範囲を確かめてから、ようやく彼女の工具が斧槍へ届いた。ディートヒルトは刃元の細かな溝を覗き込み、金具の一部を指で示す。
「斬撃を受け止めるより、横へ逃がす方が少ない力で済むの。でも連続で使ったら、この接合部に負荷が溜まる。実戦で何回くらい弾いた?」
「三度か四度だな。最後は随分と煙を吐いていたぞ」
「それで壊れてないの? ……あ、ほんとだ。限界の一歩手前! 作った人、詰めが甘いのか肝が太いのか分かんない!」
隣の台に並んだ改造獣の固定具へ移ると、さっきまでの弾んだ声が少し低くなった。金属の棒には生体組織の欠片が残り、無理な力を掛けた跡がある。ドミナスから回収した人工物と似た加工痕もあるらしいが、彼女はそこを断言しなかった。
「似てるところはある。でも、これだけで同じ場所の製品って決めたら、あとで笑われちゃう。もっと試料が欲しいなあ」
「なら、次の仕事で拾えるかもしれん」
「えっ、どこ行くの?」
「監察局が古い砦を調べるそうだ。あの連中が運んでいた荷の行き先かもしれんらしい」
「古い砦……。ねえルクス、あの獣、背中の装置を壊したあとも動いてた?」
「しばらくはな。脚を斬られて、まともに走れる状態じゃなかったが」
「そっか……」
ディートヒルトは固定具の端を工具で持ち上げ、肉の欠片が残る金属棒を覗き込んだ。
「これ、身体の奥まで部品が入ってるんだよ。こんなの無理に引っこ抜いたら、血管とか神経とか、何を巻き込むか分かんない」
「えらく乱暴な造りだな」
「乱暴なんてもんじゃないよ! もし人間にも同じことしてたら、装置を壊したせいで死んじゃうかもしれないんだから!」
俺はフリッツが話していた、荷台の中で鎖が擦れる音を思い出した。
「……あり得ない話じゃないな」
「でしょ!? だから、わたしも行く!」
「おいおい、待て待て。遊びに行くわけじゃないぞ」
「分かってるよ! でも、見たこともない装置が動いてたらどうするの? ルクスは壊すの得意だけど、壊さずに止めるのは別の話でしょ!」
「なかなか手厳しいな。まあ、返す言葉もないが」
「だったら決まり! わたしが行けば、装置を調べながら止める方法も考えられるもん。ヨナスも一緒に来てね!」
「……もう私の予定まで決まっているんですね」
「当たり前でしょ! 道具も記録も、わたし一人じゃ手が足りないんだから!」
「主任、まずはエミールさんの許可を取ってください。それから、現地の安全が確保できるかも確認しないと」
「分かってるってば!」
「その点は俺もヨナスに賛成だ。お前に何かあったら、助けられる人間も助けられなくなる」
「むう……ルクスまで。でも、絶対役に立つからね!」
「そこは疑うべくもない。監察官にも話しておこう」
もっとも、同行の話だけで帰るつもりはなかった。むしろ、こちらが本題だ。
「ところでディートヒルト、俺からも頼みがある。どうにもきな臭くなってきたんでな。次はシンデレラの力が要るかもしれん。弾の補充はできないか?」
「シンデレラ!? また撃ってくれるの!?」
さっきまで装具を覗き込んでいた顔が、今度は俺の方へ飛び出してきた。作業台を挟んでいたヨナスが慣れた様子で工具箱を押さえる。
「撃ちたくても、あの四発で空っぽだ。いざという時に引き金だけ引いても、相手は笑ってくれんだろうしな」
「作る、作る! ……でも、今のままだと専用弾の製造申請が……あっ!」
ディートヒルトは額のゴーグルを押し上げ、さも大発見をしたように俺を見上げた。
「シンデレラの再評価試験! それでいこう!」
「再評価か」
「だって四発だけじゃ、ルクスが撃てるって分かっただけだもん。連続運用の試験も、弾体の摩耗比較も、肝心なところが山積み! 正式な試験計画にすれば専用弾を優先で用意する理由になるでしょ?」
「試験計画を作ること自体は構いませんが、発注を認めるのは管理部門ですからね、主任」
「分かってる! エミールにはわたしが話す。ヨナス、前の試験記録も持ってきて。今度はちゃんと必要な数を出すんだから!」
「数を決める前に、まず部材の在庫を……」
「それも調べる! もう、今日のヨナスは注文が多い!」
「普段と変わりませんよ」
俺が口を挟む必要もなく、机には書類が積み上がっていった。どうやら弾薬の方は、彼女の熱意に火を付けるだけの口実を得られたらしい。ただし発注が通るまでは、シンデレラが空のままなのも変わらない。
「助かる、ディートヒルト。無理は言わんが、できれば急いでくれるとありがたい」
「まっかせて! その代わり、次の試験もルクスが撃ってね。あれを動かせる人、ほかにいないんだもん!」
「俺にも試験内容を選ばせてくれよ。前みたいに何でも撃てと言われたら、的の方が先に泣き出すぞ」
「じゃあ泣かない的を考えなきゃ! ……あれ? それ結構難しいかも」
◇
夕方、宿へ戻ると、ミレイユはすでにヴィクトルから届いた報告書を読んでいた。俺たちの無事を確かめたあと、彼女が最初に問いただしたのは報酬でも襲撃者の数でもなく、次の予定だった。
「旧軍施設の捜索へ協力したい、ということですね。ルクスさんのご判断は理解できます。でも、商隊を置いて出発するお話でしたら、その前に一つ確認させてくださいませ」
「護衛の穴、だろう?」
「ええ。命懸けで集めた商品を、商談成立の翌日に盗まれては笑い話にもなりません。私も商人として、格好を付ける場所くらいは選びます」
「ヴィクトルには、代わりの警備と移動の調整を頼むつもりだ。もちろん、あんたが納得する条件でな」
「でしたら、先方のお返事を聞いてから判断します。帝国のご厚意だけを担保にするほど、私の商売は甘くありませんから」
翌朝には監察局から警備要員の増員と連絡員の派遣について書面が届き、ミレイユは不足していた責任範囲をその場で確認させた。相手の印が揃うと、ようやく俺たちへ向き直る。
「お引き受けいたします。こちらはお任せください。ただし、戻られましたら遠征のお話は聞かせていただきますよ。危ない橋を渡った土産話くらい、商会主にも受け取る権利があるでしょう?」
「高い土産にならなきゃいいけどな」
「価値のあるお土産なら、多少はお支払いしますわ」
セラスは旧砦の話を聞いた時から落ち着かず、サクヤは改造獣の装具を造った連中を放っておけないと言う。エマだけは、少し間を置いてから口を開いた。
「私も行きます。あの人たちがしたことを、簡単に割り切れるわけじゃありません。でも、まだ閉じ込められている人がいるなら……助けに行きたいです」
「危険な場所だぞ。今回より厄介な相手が出てきてもおかしくない」
「分かっています。だからこそ、わたしの出番があるんじゃないですか」
「心強いな。今度も頼りにしてるぞ相棒」
「はあ……こういう時は調子良いんですから……。ルクスさんこそ、今度は巨獣を受け止める前に一言相談してくださいね」
「声なら掛けたぞ。馬車を下げろって」
「それは相談じゃありません!」
監察局へ戻ると、会議室の机いっぱいにカルデン丘陵の地図が広げられていた。ヴィクトルによれば南方軍管区へ共同捜索の要請を出し、旧軍施設への立ち入りと周辺警備の調整を進めているという。
「それと、ディートヒルトも同行したいと言い出してな」
「その件は開発局からも連絡が来ています。あの獣の装具が人間にも使われていたら、力ずくで取り外すわけにはいきませんから」
「俺が斬って助けたつもりで、命まで奪っちまうのは御免だ」
「技術者の必要性は私も認めます。ただ、ディートヒルト嬢を最前線に出すつもりはありません。軍が安全を確認した区画へ、護衛を付けて入っていただくことになります」
「ヨナスも一緒だそうだ。本人が勝手に決めてたけどな」
「彼なら器具の管理も記録も任せられるでしょう。もっとも、エミール殿の承認が先です。現時点では同行を確約できません」
「当然だな。そこはきっちり頼むよ」
ディートヒルトを危険へ連れ込んだ挙げ句、肝心の技術調査までできなくなっては目も当てられない。現場の安全を確保するのは俺たちと帝国軍の仕事だ。
ヴィクトルは机に広げた地図へ向き直った。
「補給路はここで鉱山の道と分かれます。橋を渡れば、旧第四砦へ続く山道は一本です」
彼の指差す先には、古びた砦の印があった。昨日まで誰にも見向きされなかった廃墟が、今日は机の真ん中を占領している。
「行き先は分かった。あとは、向こうが門を開けてくれるかだな」
「歓迎される見込みは低そうです」
「そりゃ残念だ。俺たちは礼儀正しく訪ねるつもりなんだが」
セラスが横から地図を覗き込み、砦へ至る細い道を指でなぞった。
「礼儀正しく、ね。あんたが先頭に立った時点で、向こうは門を閉めると思うわよ」
「だったら、開けてもらう方法を考えないとな」




