第八話 手負いの黒獣が東に吼える
肩に乗っていた石片が、黒い装甲を滑って落ちた。
痛みがあるわけじゃないし、二回目の死を迎えたわけじゃない。
石壁へ叩きつけられた姿勢のまま、まず右手を開閉する。指も肘も問題なく動いた。
続いて左腕を持ち上げると、命じてからわずかに遅れて肩が上がる。
胸の装甲は斜めに抉れ、裂け目の奥から赤黒い布のようなものが覗いていた。
細い筋の束が、切れた端を探すようにゆっくりと蠢いている。左肩も半分ほど砕け、深紅の布は背中側の留め具だけでつながっていた。
「……派手に持っていかれたな」
自分の身体ながら、何でできているのかは分からない。だが、動く場所と動かない場所なら確認できる。左肩の反応は鈍い。胸も大きく損傷している。それでも脚と右腕は無事だった。
立てる。なら、まだ戦える。
「黒騎士、生きてるなら隙を見て動け! 押し上げるぞ!前を向け!」
門前からカイエンの怒声が飛んだ。
俺が吹き飛ばされた直後、山賊たちは十人近くをまとめて押し込んでいる。
門の右では衛兵が長槍を並べ、左では冒険者たちが荷車の残骸を背に剣を振るっていた。
銀狼団の斥候が人混みの足元を抜け、味方の脇へ回ろうとした男の膝を短剣の柄で打つ。
「左負傷者は後ろへ回せ! 射手はあの三本から目を離すなよ! 一発きりなんて保証はねえぞ!」
カイエンは指示を飛ばしながら、自分まで抜けてきた男の剣を受け流した。
返す一撃で手首を打ち、武器を落とさせると、倒れた相手には構わず次の敵へ向き直る。
俺がいなくても、防衛線は動いていた。そうでなければ困る。
まだ賭場は閉じておらず、賭け金を取り戻す機会はあるということだ。
三本の異様な槍は、同時に放った反動からまだ立て直している途中だった。
二人は石突を引きずるように後退し、残る一人が槍身を抱えて穂先の金属環を確かめている。
その周囲へ山賊が集まり、門前との間に厚い人垣を作っていた。
さっきの三発で石畳には二つの穴が穿たれ、俺の胸には両手の拳を飲み込める程の風穴がある。
あれが連中の切り札か。外見こそ突撃槍だが、魔術の投射を行う杖の役割に近いようだ。
≪魔力残量、危険域。魔導織繊維の再生供給、最優先≫
胸と左肩の傷を塞ぐために、鎧がそちらへ力を回しているらしい事がわかる。
「だが、その再生を待っていられる状況でもないんだ」
足元に、刃の半ばから曲がった剣が落ちていた。荷車から散った失敗作か、誰かが落としたものかは分からない。
柄を拾い、右手で石壁を押して立ち上がる。
「おい!すやすやと気持ちよさそうだったが、寝覚めはどうだ!」
「石畳の寝床は勧めないな。もう一度は御免だ」
「喋れるなら働け!まだ客は捌き終わってねえぞ!」
軽口を返す間にも、敵は待ってくれない。
三本のうち一つが街道中央へ戻った。男が石突を地面へ押しつけると、穂先の金属環が低く震え始める。残る二人はまだ後方にいる。
先に整った一本でこちらを押さえ、その間に残りを立て直すつもりだ。
「アレがまたぶっ放されるぞ! 射線を中央の一本へ集中させろ!」
五本の矢が降り注ぎ、間髪入れずに次の矢が放たれる。
兵器の周囲にいた山賊が身を縮め、何人かは武器を掲げて顔を守る。
矢が肩当てを叩き、石畳へ突き立ち、人垣の中央に一瞬だけ隙間が開いた。
そこへ、無理やり身体をねじ込ませるように突破口を作る。
長柄二本を曲がった剣でまとめて押し払い、剣を構え直した男へ肩からぶつかる。三人が絡み合って倒れ、残った一人が逃げようと背を向けた。
異様な槍の音が再び高くなるが、男が慌てて穂先を俺へ向け直したことで、揃いかけていた音がまた崩れた。
この乱戦状態で、仲間ごとまとめて撃つことは出来ないだろう。
その一拍で懐へ入る。
右手で太い槍身を掴んで脇へ抱え込み、石突ごと持ち上げた。男は武器へしがみつき、全体重をかけて引き戻そうとする。
石畳から浮いたのは、槍ではなく男の両足だった。
「威力は十分だ。だが、使う間合いと相手が化物であることを考えていなかったな」
そのまま力任せに横薙ぎに振り回し、男が中空に投げ出される。
男の身体が仲間へ突っ込み、三人まとめて石畳へ転がった。
脇に挟んだ突撃槍に似た形状のそれを、右手に持ち替える。
「いい玩具だな。壊れるまでは俺が借りてやる」
残る二人はすでに後退を始めている。前衛の後ろへ隠れ、一人は門を狙える場所へ、もう一人は俺を迎え撃てる場所へ移ろうとしていた。
一人目の失敗を見て、同じ間合いでは戦わないと決めたらしい。
だが、学習するにはもう遅かった。
「カイエン、残った連中を片付ける。 暴れ回って、フィネガンの詩に謳われる見せ場になるぞ!」
「聞いたかぁ!野郎共!」
カイエンが剣を掲げた。
「見物は終わりだ! 王国の冒険者に腑抜けはいねえってことを証明するぞ!」
門前に留まっていた冒険者たちが、枷を外された獣の如く一斉に踏み出した。
≪兵装解析、完了。 兵装名 デア・トルネード≫
≪魔力供給による射撃運用。 戦闘適応、完了≫
「ご親切に説明までありがとうよ。適応したらどうなるのかまで、教えてもらいたいんだけどな」
形状こそ突撃槍にしか見えなかったが、そもそも振り回すことが前提の武器ですらないらしい。
だが、この重さが俺にとっては都合のいい鈍器として使える。
人の背丈を超える円筒状の異質な槍の柄を、脇に構えて自身を質量兵器と捉えて駆け出す。
密集した山賊たちの甲冑をひしゃげさせ、前列が崩れ、その背中へ後続がぶつかる。
「押すな! 槍が撃てねえだろ!」
「前を空けろ! お前らごと撃つぞ!」
兵器を扱う男たちが怒鳴るが、下がろうとする者と前へ押される者がぶつかり、射線はいつまでも開かない。
こちらには、その混乱を待つ理由がない。乱戦の様相を呈した場に、カイエンたち冒険者が雪崩れ込む。
「もらったぁッ!」
一段深くカイエンが踏み込み、狼狽えた槍持ちの男の顎を、剣の柄で打ち抜いた。
デア・トルネードと呼ばれる槍が手から落ち、鈍い音を立てて石畳へ転がる。
最後の一人は門を諦め、俺へ穂先を向けていた。
その前には、まだ何人もの味方がいる。それでも男は退けと怒鳴り、槍を固定したまま発射の機会を待っていた。
「全員どけ! まとめて吹き飛ばされたいのか!」
怒鳴られた山賊たちが左右へ逃げ、射線が開けた。絶好の射撃機会だ。
だが、それは俺にとっても獲物を仕留める道程が開けたのと同義だ。
「来るなぁ!」
金属環の音が高くなり、赤い光が穂先へ集まる。
浅く呼吸を繰り返し、引きつった表情の男の指が引き金へかかった。
その瞬間、屋根から一本の矢が落ち、引き金にかかった手の甲を打った。
「ぐぁぁ!ちくしょう!」
手を矢に撃ち抜かれ、男が片膝をついて崩れる。
「どうだ、黒騎士!今度は外してねえぞ!」
「いますぐ抱きしめてやりたいくらいだよ!」
背中に射手からの声を浴びながら、駆け出す。
右肩から男の胸へぶつかり、後ろへ押し倒す。男の背中が石畳へ落ち、息を吐き出した。
三本目も、これで終わりだ。 俺が顔を上げると、戦場から音が一つずつ消えていった。
俺と防衛線に挟まれた連中が、互いの顔を見て苦肉の表情を浮かべる。
最初に剣を落としたのは、まだ若い男だった。金属が石畳を叩く。
それを合図に斧や槍が次々と投げ出された。まだ戦意の残っていた者も、仲間が逃げ出すのを見ると、その背中を追った。
「深追いするな。俺たちの役割は防衛だ」
カイエンの指示が飛ぶ。
「武器を捨てた奴は縛れ! 負傷者を運べ! 街道の警戒は解くなよ、戻ってくるようなら今度こそ足を射抜け!」
逃げた者を追う必要はない。三本の兵器は残り、門前へ入り込んだ敵も制圧した。南街道から町へ押し入れる戦力は、もう残っていなかった。
カイエンが剣についた血を振り落とし、俺を見る。
「ずいぶん派手な土産を拾ったな。おい、随分な有様になってるが、大丈夫なのか?」
「問題ないとは言えないが、大丈夫だ。こいつは一本貰い受けるぞ」
町の東から甲高い音が響いた。続いて、倉庫街の屋根越しに土煙が上がる。
周囲から、戦勝の安堵感が消えた。
「チッ 東側か!」
「あそこにはエマがいる。ここは任せてもいいか」
カイエンは周囲を見回した。
縛り上げられる山賊。回収されていく兵器。門前へ戻り、負傷者を運び始めた衛兵たち。
「聖女の横にはお前がいてやらなきゃ、画にならんぜ。行ってやれよ」
それから、古傷のある口元を歪める。
「恩に着る」
「タダじゃねえ。酒で返せ」
「だから飲めないんだって」
肩にデア・トルネードを担いで、石畳を抉って走りだ出す。
背中側だけで残った深紅の布が、大きく夜風を打った。
◇
プロテクションへ斧が叩きつけられ、半透明の壁に白い波紋が広がった。
「ひっ……!」
エマの肩が跳ねる。
それでも錫杖は離さなかった。背後では、最後の荷車が中央広場へ向かっている。
自力で歩けない住民が五人。その前を衛兵二人が警戒し、後ろから三人が車体を押していた。
「ハーゲンさん! そっちの車輪が引っ掛かっています!」
「見りゃ分かる!」
戦斧を背負った巨漢が、歪んだ車輪の横へしゃがみ込んだ。
酒場では誰より大きな声で武功を競うと叫んでいた男だ。その太い腕を車軸の下へ差し込み、荷車の片側を持ち上げる。
「今だ、押せぇ!」
車輪が石畳の段差を乗り越え、車体が大きく前へ進む。
「動きました! そのまま角まで!」
「嬢ちゃんは後ろだけ見てろ! こいつらは俺が運ぶ!」
「嬢ちゃんじゃなくてエマです!」
「ガハハ! 名前を言い直す余裕があるなら、まだ持つな!」
また聖壁へ剣がぶつかった。
エマは反射的に目を閉じかけ、すぐに開く。向こう側では山賊たちが前後に押し合い、狭い通路に詰まっていた。先頭がプロテクションに弾かれ、後続がその背中へ折り重なっている。
「まだ持ちます! だから急いでください!」
「聞いたな、お前ら! ちっせぇ嬢ちゃんが意地張ってる間に運べ!」
「意地じゃありません!」
「なら、ド根性だ!」
それでも、エマの手の震えは止まらなかった。いつも自分の前に立っていた、黒く大きい背中が見えないことが、これほど怖いだなんて。
防壁の向こうで山賊たちが急に壁際へ寄った。
開いた通路の奥に、人の背丈を超える太い槍が現れる。
「……また、あれを撃つつもりです」
エマの声が掠れた。
ハーゲンが荷車から手を離し、振り返る。さっきまで怒鳴っていた顔から笑いが消えた。
「おい、エマ。もういい。壁を消して下がれ」
「まだ荷車が角を曲がっていません」
「見えてる。だが、あれはまずい」
「だから、早く押してください」
「お前が潰れたら、逃がした奴らを誰が治す!」
エマは答えられなかった。
怖い。逃げたい。あの一撃で、柵も積み荷もまとめて吹き飛ばされた。自分のプロテクションが耐えられる保証などない。
それでも、荷車はまだ避難路の途中にある。
「……ここを開けたら、追いつかれます」
「物騒な連中の相手は俺がやる」
「一人で何人止めるつもりですか!」
「こう見えて、腕っ節には自信がある!」
「見れば分かります!」
怒鳴り返した声が裏返った。
ハーゲンが一瞬だけ目を丸くする。
「なら、その腕で荷車を押してください! わたしは、わたしの仕事をします!」
髭に覆われた巨熊のような男が何かを言いかけ、口を閉じた。
それから戦斧を背負い直し、荷車の後ろへ回る。
「うおぉッ! ぐうッ! ウオオオォ!」
ハーゲンが吠え、荷車が再び動き出した。
ハーゲンの太い腕に押され、歪んだ車輪が石畳を跳ねる。荷台で負傷者が呻くたび、前を行く衛兵が振り返り、身体が揺れないよう脇から支えた。
「そのまま! 角まで行けば、広場の人たちが見えます!」
エマの声に応えるように、倉庫の向こうから呼び声が返ってくる。
「こっちだ! 荷車を受け取るぞ!」
待っていた住民たちが駆け寄り、車体へ手を伸ばした。
あと少し。
開いた通路の奥で、突撃槍をさらに太くしたような兵器が唸りを上げる。円錐状の先端部を囲む幾つもの金属環が震え、赤い光を帯びていく。
刃物ではない。
先ほど柵を粉々にした、あの一撃を放つための兵器だ。
「嬢ちゃん!」
ハーゲンが荷車を住民たちへ預け、戻ってこようとする。
「来ないでください!」
「一人で受ける気か!」
「ハーゲンさんが戻ったら、誰があの人たちを守るんですか!」
「ここを抜かれたら同じだろうが!」
「だから、抜かせません!」
自分でも、どこから声が出たのか分からなかった。
膝は震えているし、錫杖を握る手にも力が入らなくなっている。
「早く行ってください! 広場まで連れていくって、約束したでしょう!」
ハーゲンが歯を食いしばった。
「……絶対に戻ってこいよ!」
「はい!」
「聞こえねえ!」
「戻ります! 絶対に!」
戦斧を携えた巨躯を見送り、最後の衛兵と冒険者も、荷車を囲んで倉庫の角へ消えていった。
これで、避難は終わった。あとは自分が逃げるだけだ。
金属環の音が、耳の奥を刺すほど高くなる。
錫杖を胸元へ引き寄せ、残った魔力をすべてプロテクションへ注ぎ込んだ。
「お願い……もう一度だけ……!」
半透明の壁が、一際白く輝く。
甲高い音が途切れ、赤い閃光が正面から防壁へ突き刺さる。
「──っ!」
声も出なかった。
プロテクションが大きくひび割れ、エマの身体が後ろへ押し流される。靴底が石畳を擦り、錫杖を握る両腕から感覚が消えていく。
一本だった亀裂が、瞬く間に枝分かれする。
「まだ……!」
エマは倒れそうになる身体を、錫杖を突き立てて支えた。
「まだ、終わってません!」
砕けた光が髪と頬を掠める。それでも、防壁は消えなかった。
赤い光が薄れ、やがて完全に途切れる。
兵器を抱えた男がよろめいた。円環から煙が上がり、山賊たちが一瞬だけ動きを止める。
今しかない。エマはプロテクションを解き、背を向けて走った。
一歩。
二歩。
三歩目で、膝から力が抜けた。
「きゃっ……!」
錫杖をついて転倒を堪える。
背後で、山賊たちがなだれ込んでくる音がした。
「逃がすな!」
「治癒術士を捕まえろ!」
立たなければ。分かっているのに、脚が動かない。
振り返れば、剣を持った男がすぐそこまで迫っていた。
展開しようとしたプロテクションが、淡い光を一度だけ瞬かせて消える。
「そんな……」
男が腕を伸ばす。
その頭上で、瓦が弾け飛んだ。
黒い影が倉庫の屋根を越え、エマと山賊たちの間へ落ちる。石畳が深く沈み、舞い上がった石片の中で赤い眼光が灯った。
胸を深く抉られ、左肩を砕かれた黒い鎧。
背中側だけで残った深紅の布が、遅れて地面へ垂れる。
右肩には、円環を備えた突撃槍状の兵器が担がれていた。
「待たせたな、エマ!」
その声を聞いた途端、張り詰めていたものが切れて、視界が滲んだ。
「……遅いです、ルクスさん……!」
お読みいただきありがとうございました。南街道の主力との乱戦、エマが意地を見せる回となりました。
次回で冒険者との共闘、防衛戦は終幕となります。ブックマーク・評価をいただけると励みになります。




