第八十二話 護衛の仕事から生えてくる護衛の依頼
机の上に並んだ見積書は、昨日よりさらに増えていた。金具一つにも材質や加工法の違いがあり、まとめて買えば安くなるからといって飛びつけるものでもないらしい。ミレイユは納期の欄に細い線を引き、何枚かを別の束へ移している。
何気なく一枚を示すと、品物自体は良くても、次の納入時期が読めない工房だと教えられた。お客に届ける品を扱う以上、目先の安さや出来だけで選ぶわけにはいかないらしい。俺にはどれも似た金具に見える。商人の仕事も、戦場で敵味方を見分けるのと同じくらい目が要るのだろう。口を挟んでも邪魔になるだけなので、隣のセラスと護衛の交代を相談していたところへ、宿の者が封書を届けに来た。
差出人はヴィクトル・ハーゼ。王国側の取引資料に関して確認したいことがあり、都合がつけば面会してほしいという。前日に聞いたラーデン伯爵の関係先について、何か進んだのかもしれない。
午後から商会の来客があるという。護衛を減らすわけにもいかず、手紙を見せて相談した。
「エマさんとサクヤさんに残っていただければ、今のうちにお二人でどうぞ。くれぐれも、勝手に何でも引き受けてこないでくださいませ」
先手を打たれた。商談を抱えている以上、俺たちにも優先すべき仕事がある。ひとまず話を聞くだけだと約束し、セラスを連れて宿を出た。
案内されたのは監察官が使っている執務室だった。窓際の机には綴じ紐の色が違う帳簿が重なり、紙片には管理番号が細かく書き込まれている。ヴィクトルは革手袋を外してから、二冊の帳簿をこちらへ向けた。
「以前お話しした輸送記録です。ここを見ていただけますか」
同じ日付の欄に、払い出した数量と受け取った数量が並んでいる。片方には訂正の跡があり、別の紙ではその訂正すらなかったことにされていた。
「帳尻は合ってるように見せてるが、受け取った側の記録が違うな」
「ええ。しかも似た修正が、同じ運送商会を通した荷に繰り返されています」
記録には王国方面へ出た荷もあるという。ヴィクトルが確かめたいのは、夜秤会の資料に同じ記号がなかったかという点だった。確かにあの資料には人名や商会名だけでなく、符号で処理された受渡先もあった。ただ、細かな番号までは覚えていない。
「符号を使ってたのは見た。だが同じものかと聞かれたら、今ここじゃ断言できんな。写しはガダンが持ってる」
「承知しています。照会状はすでに送っていますので、そこは回答を待ちましょう。今日は、もう一人お会いいただきたい方がいます」
隣室には監察局の係官が控えているという。ヴィクトルは扉の外へ一度声を掛けてから、こちらを振り向いた。
「元帳簿管理主任のフリッツ・ナーゲル氏です。昨日、自ら私のところへ来ました。お二人を同席させることには、本人から了承を得ています」
入ってきた男は三十代半ばほど。襟元はきちんと留められていたが、袖口に古いインクの染みが残っている。椅子を勧められても腰を下ろすまでに時間がかかり、俺の鎧を見ると、手元の帽子を膝の上で握り直した。
ヴィクトルから夜秤会の事件に関わった冒険者だと紹介されると、帽子の上で動いていた手が止まった。黒騎士の名も聞いたことがあるらしい。こちらが話を聞きに来ただけだと伝えても、身構えた姿勢は変わらない。気にするなと言われて気にならなくなるなら苦労はないだろう。背もたれへ身を預けるどころか、いつでも立てる姿勢のままだ。ヴィクトルはその様子を急かさず、仕事を辞める前に扱っていた帳簿について確認を始めた。
「書類の修正は、誰から指示されたのですか」
「上の者です。私は数字を合わせただけで……輸送のことまでは知りません」
「その説明では、控え帳を持ち出した理由がわかりませんね」
指先が帽子の縁を擦った。こちらが何も言わずにいると、ようやく返ってきた声には先ほどまでの勢いがない。
「後から責任を押し付けられたら困るでしょう。帳簿を直したのは私でも、荷を動かしたのは別の者なんです」
「修正前の数字を残しておけば、自分の身を守れると思ったんです。でも、同じ帳場にいた男が急に来なくなって……家にも戻っていないと聞きました。次は私かと……」
ようやく姿勢を崩したものの、膝の上の帽子は離さない。監察官のところへ来たのも、正義感より先に身の危険があったのだろう。
「ひとつ言っておくが、帳簿をいじった責任まで消えると思わん方がいいぞ」
「わかっています! ですが、私は命令されて……」
「それを判断するのは監察官だ。ただ、話せることを隠したままじゃ、守る側も困るだろ」
男は返事をしなかった。ヴィクトルが机の上へ置いた手袋を片付け、続きを促す。
「あなたが保管していたものを、見せていただけますか。こちらで正式にお預かりします」
内ポケットから出てきたのは、手のひらほどの厚い帳面だった。端が擦り切れ、いくつもの頁に小さな紙が挟んである。ヴィクトルは受け取る前に持ち主と受領時刻を確認させ、係官の立ち会いで表紙を開いた。
そこには、先ほど見た帳簿と同じ貨物番号が並んでいた。書き消された数量の脇に本来の数が書かれ、納入先には表向きの倉庫と別の符号が付されている。いくつかの行だけ、荷の数とは別に人数らしい数字があった。
「この欄は何ですか。護送に当たった作業員の人数でしょうか」
「……違います」
「では、何の人数です?」
喉まで出かかった言葉を引っ込めるように、フリッツは口を閉じた。セラスが椅子の上で身を乗り出す気配がする。俺も数字の並びへ目を戻した。出荷された品の量と揃うはずのないところに、人間の数が記されている。
「運ばれていた人間の数です。荷物と同じ扱いで……」
「人間を? アンタ、実際に見たの?」
「一度だけ。荷台の扉が開いたとき、中に人がいました。手を縛られて、座らされていた。私はすぐに閉めろと言われたんです」
荷を数えるために近づいたのだという。開いた扉の奥で、一人が何か訴えようとしたが、立っていた運送係が扉を閉めた。その後は通常の搬出記録に従って処理し、帳面には指示された数字を書き込んだ。
セラスの声から、いつもの軽さが消えた。
「それで、見なかったことにしたわけね」
「どうしろと! あの場で騒いだら、私も……!」
「続きを聞かせてください。人数と日時は、ここに書いたものと一致しますか」
ヴィクトルの問いに、フリッツは帳面の一行を指した。貨物番号の下には仲介符号と支払いの記録がある。見知らぬ印のついた荷は別の倉庫へ移され、そこから先の送り先は自分も知らないと言う。
王国で壊滅させた夜秤会も、人を荷物として扱っていた。だが、この帳面を見ただけで同じ連中の仕業だと決めるわけにはいかない。少なくとも、帝国内でも人が運ばれていたという証言が出たことは確かだった。
王国側の符号と照らすには、ガダンからの返答が必要だった。たとえ記号が一致しても、受領記録や送金先まで追わなければ取引の証拠にはならない。グレイフィールド伯爵とラーデン伯爵の名も捜査線上にはあるが、商会を介した荷の動きを把握していることと、本人の指示を証明できることは別だ。
フリッツは伯爵の名が出るたび顔を伏せたが、上役の命令の出所までは知らないと繰り返した。わからないものを無理に言わせても、あとで証言が崩れるだけだ。ヴィクトルもそこは追い詰めず、代わりに控え帳の記号を一つずつ確かめていく。
「これを渡したら、守ってもらえるんでしょうね」
「身の安全を確保するための手配は進めます。あなたがしたことの責任とは分けて考えてください」
「もし監察局の中に、あいつらと通じている人間がいたら……」
「担当者は私が選びます。誰にでも移送先を教えるつもりはありません。ただ、この部屋に長く留まるのは避けたいところです」
元の勤め先がフリッツの行方を探し始めれば、ここにいるほど危険が増す。
証言を正式に残した後、別の保護場所へ移すという。そこまで聞けば、俺に連絡してきた理由も見えてきた。
「護送に俺たちを使いたいのか?」
「可能であれば。帝国側でも警備を手配します。民間の方へ責任を押し付けるつもりはありません」
「商隊の責任者に聞いてからだ。先に約束するわけにはいかん」
移送先と経路はまだ調整中らしい。詳しい条件を詰めてから正式に依頼するということで、その場では返事を保留した。
部屋を出る前、フリッツが俺を呼び止めた。
「……あの人たちがどこへ行ったのか、私は本当に知りません」
「なら、知ってるところまで話せばいい。後は調べる奴がいる」
ヴィクトルはもう帳面の記録へ戻っていた。次の質問を受ける前に、フリッツは帽子を置いて椅子へ座り直した。
宿へ戻る頃には、ミレイユの商談も一区切りついていた。今日の見積書を片付けながら事情を聞いた彼女は、護衛を貸し出す日数より先に、依頼主の名前を確かめた。
監察官からの依頼で、証人を狙う者が出るかもしれないと伝えると、ミレイユはむしろ前向きだった。予定表を閉じ、こちらの話を最後まで聞いてから口を開く。
「帝国の監察官に恩を売れる機会など、そうあるものではありませんから。お引き受けする価値はございます」
「そこから商売の話になるのか」
「もちろんです。帝国で商いを広げる以上、責任のある方との繋がりは大切です。困っていらっしゃるときに協力できるのでしたら、こちらにとっても悪い話ではございません」
商談の予定表を手元へ寄せ、空いている日程と、出入りする荷の受け渡しを見比べ始める。得になるからといって、荷や従業員を危険に晒すつもりもないらしい。
「ただし、帝国側には十分な警備を付けていただきます。護送の日程と、こちらから何人出せるかも調整しませんと。ルクスさんたちに頼りきりでは、監察官として困りますでしょう?」
「ヴィクトルも自分で手配すると言ってた。その辺は詰めておく」
「大量の魔獣とお転婆な天才、監察官だの伯爵様だの。仕事に来た先で仕事が生えてきてるわね」
横で聞いていたセラスの声には、ぼやきの割に妙な張りがある。
「俺に言われても困る。こっちから拾いに行った仕事ばかりじゃないんだぞ」
「嫌だって言ってんじゃないのよ。こういうのが冒険者の醍醐味だって言ってんのよ!」
「……そいつは結構。俺はもう少し穏やかな護衛でも構わんが」
「穏やかな護衛ってなによ。退屈な旅なんて、アンタも嫌いでしょうに」
「ええ。ですから、護衛のお仕事を一つ増やしていただく方向で考えましょう。ただし私たちの方も、きちんと守っていただきますからね」
「運ばれていた人たち、まだどこかにいるんですよね」
エマの言葉に、さっきまでの軽口が途切れた。帳簿に残された数字は、行方のわからない人間の数だ。フリッツの証言を失えば、その足取りを追う手掛かりも一つ消えることになる。
「そうだな。あの男には、まだ話してもらわなきゃならんことがある」
「でしたら、私も協力したいです。助けを待っている人がいるかもしれませんから」
「でもさ、わたしたちが護送についたら、逆に目立つんじゃない?」
サクヤに指摘されて、先日の商工会での騒ぎを思い出した。黒騎士と狐耳の術士。護衛としては頼もしく見えるかもしれないが、今度ばかりはそれが裏目に出る可能性もある。
「確かにな。護衛が目立ちすぎて、守る相手まで知られちゃ洒落にならん」
「でしょ? そこは監察官さんにちゃんと考えてもらわないとね」
「その辺りも含めてヴィクトルと相談だな。帝国側にも考えがあるだろう」
「それにしても、ルクスさんを選んで正解でしたわ。いろんな御縁を呼んできてくださるもの」
ミレイユは予定表を脇へ寄せ、満足そうに俺を見上げた。バルガルドの総督に始まり、魔導技術開発局の天才研究者、帝国の有力伯爵に監察官。言われてみれば、護衛を引き受けてから随分と顔見知りが増えたものだ。
「俺としては、商隊を無事に送り届けられれば十分なんだがな」
「もちろん、それが一番大切です。でも、おかげさまで商人としては願ってもないお話が続いておりますから。これからも頼りにしておりますね」
「随分と期待されてるな。護衛料を値上げしてもいいか?」
「ふふっ、それは困りますね」
即答されてしまった。商売の話となると、さすがに隙がない。
「それに、また黒騎士の所以たる活躍を見せていただけるのかしら、と少し楽しみでもありますの」
「不吉なことを言わないでくれ。まだ何か起きると決まったわけじゃないぞ。護衛なんて、何事もなく終わるのが一番だろう」
「ええ、承知しております。ですが、いざというときのルクスさんの強さは、私もよく存じておりますから」
普段の上品な微笑みに、黒騎士の話をするとき特有の熱が混じっている。こちらはできれば腕の見せ所などない方がありがたいのだが。
「……ミレイユまでセラスみたいなことを言い始めたな」
「ちょっと、アタシを何だと思ってるのよ」
「退屈が嫌いな冒険者だろ。ついさっき自分で言ってたじゃないか」
「わかってるならいいのよ!」
「ところで、依頼料はいかほどになるのでしょう?」
楽しそうにしていたミレイユが、いつもの商人の顔に戻った。
「……おい。恩を売るんじゃなかったのか?」
「それとこれとは別です。監察官の方にも、正式なお仕事としてお願いする以上、筋を通していただかなくては」
さすがに抜け目がない。俺が言い返すより先に、セラスが笑い始めた。




