第八十一話 武力の点と面の相違
食堂の卓には、商工関係者の名簿と招待状が広げられていた。窓から入る午前の日差しを背に、ミレイユは紙の端へ細かな書き込みを加えている。工房の所在地、扱う品目、紹介者の名前。俺には似たような商会名ばかりに見えるが、彼女にとってはどれも意味のある情報なのだろう。
「護衛が四人とも必要なのか? 商人同士の集まりなんだろう」
「ええ。交渉はわたくしの仕事ですが、バルガルドの黒騎士と、魔獣の大群を焼き払った狐耳の術士が商隊の護衛を務めている。その事実を知れば、初対面の方も話を聞いてくださるでしょう」
バルガルドでの騒ぎが、もうこの街にも伝わっているらしい。黒い全身鎧という姿まで噂になっているなら、隠れようもない。サクヤもまた、狐耳の目立つ容姿に加え、戦場での活躍によって帝国兵から随分と支持されているという。この街では初対面の商人も多い。まず話を聞いてもらうまでが大変なら、目立つ護衛にも使い道があるというわけか。
「看板代わりか。護衛で雇われてるんだから、そのくらいは働くか」
「ありがとうございます。けれど、ルクスさんのお名前に頼って、不利な契約まで押し通すつもりはございません」
エマからは会場に何か所の出入口があるのか質問が出た。人の多い建物では、何か起きても四人で同じ場所を塞ぐわけにはいかない。サクヤは入口と退出路を確認しておくと言い、セラスは俺の目立つ格好を見て、警備の仕事まで宣伝になりそうだとからかった。結局、ミレイユに四人全員が同行することになった。
出発前には、ディートヒルトから知らせが届いていた。会場へ向かう途中で開発局へ寄ると、解析室の扉が開くなり小柄な身体が飛び出してくる。
「ルクスぅ! ねえ、ちょっと見て! あの部品のこと、わかったかもしれない!」
俺の腕に飛びついたまま肩へよじ登ろうとするものだから、廊下の角では歩みを止める羽目になった。鎧の隙間を足掛かりにされるのは構わないが、勢い余って顔をぶつけられては困る。
「怪我はするな。話なら聞く」
「平気だってば! ほら、ここ!」
作業台には、例の人工物から読み取った刻印の拡大図があった。ヨナスの説明によれば、数字と記号の並びが帝国内で使われる検査番号の形式とよく似ているという。材質や加工の特徴も合わせれば、製造元の候補を絞り込めそうだった。
「これで造った奴を辿れるのか?」
「部品を造った工房ならね。でも、それを買った人が何に使ったかまでは別の話だよ。そこをごっちゃにしたら駄目!」
「ごもっとも。剣を造った鍛冶屋が、使い道まで決めるわけじゃないからな」
番号の照合には開発局の記録が必要で、ヨナスはエミールの承認を取っている最中らしい。前日の監察官との話も無駄にはなっていない。ディートヒルトはもっと調べたい箇所を次々挙げていたが、こちらには商隊の仕事がある。肩から降りてもらっても、今度いつ来るのかと袖を引かれる。ヨナスに会釈して部屋を出る頃には、もう次の検査の準備が始まっていた。
商工の会合は、広い展示室と隣接する談話室を使って開かれていた。磨かれた金属板には工具や小さな歯車が規則正しく並び、窓の向こうには工場の煙突が見える。王都の貴族たちが好む華やかな集まりとは違い、ここでは衣服より、誰が何を造り、どれだけ運べるかが話題の中心らしい。
受付を抜けた途端、何人かの視線が俺とサクヤに集まった。全身を覆う黒い魔導鎧も、狐耳を持つ美貌の術士も、こうした場所では嫌でも目立つ。ほどなく「バルガルド」という地名が耳に入り、商人らしき男がこちらを確かめてから、ミレイユへ声を掛けてきた。
「王国からの商会ですか。帝国内でのお取引は、まだ実績が少ないようですが」
「おっしゃるとおりです。まずは少量で、品質と納期を確かめさせていただければと」
「少量ですと、こちらも単価を下げられませんな」
「では、その条件をお見積もりください。継続した発注については、品質を確かめてから検討いたします」
相手は値踏みするように俺の鎧へ目を向け、バルガルドで戦った黒騎士かと尋ねてきた。ミレイユが護衛として同行していると紹介すると、会話の調子が変わる。といっても、急に値を下げてくれるわけではない。商会の輸送手段や破損時の負担を、初めから対等な相手に問う口ぶりになった。ミレイユはそれを待っていたらしく、荷の取り扱い条件まで詰めていく。
別の工房主からは俺の方へ声が掛かった。バルガルドへ向かう街道の護衛事情を尋ねられたので、知っている範囲で答えると、そのままミレイユとの商談が始まった。サクヤもまた、会場の警備に当たる帝国兵たちの間で話題になっている。バルガルドで魔獣の大群を焼き払った狐耳の美女として、兵士たちの間ではよほど評判らしい。
「貴女がサクヤ殿ですか。バルガルドにいた連中から聞いています。貴女の魔術のおかげで、随分と助かったそうで」
「ふっふ~ん! 私が一人でなんとかしたわけじゃないけど、ちょっと調子に乗っちゃおうかなぁ」
礼を述べる兵士に気さくに応じる様子は、俺とはまた違った意味で人目を引いていた。名前を知られているのは不思議な気分だが、実際に品物を選び、採算を計算しているのはミレイユだ。俺は口を挟まず、エマとサクヤが出入口や人の流れに気を配れる位置を取り、セラスは商談の邪魔にならない距離を保った。
「なるほど。俺の仕事は客を呼ぶところまでか」
「顔というか鎧が売れてるのよね。便利じゃない」
セラスの軽口に付き合っていると、室内の人の流れが変わった。挨拶を求める者たちが談話室の入口を空け、そこを一人の男が進んでくる。黒髪には白いものが混じり、濃緑の上着にも飾りは少ない。長身を支える姿勢は年齢を感じさせず、迎える者は言葉を選びながらも親しげだった。
立ち止まったのは、部品の納入を担当するらしい工房主の前だった。検査で規格に届かなかった品が見つかり、納期に間に合わせるために選別を緩めたいという相談らしい。男は書類を一枚確かめ、納期を遅らせるよう告げた。
「規格外のものを軍へ渡すわけにはいかん。使う兵に代償を払わせるな。違約金はこちらで負担する」
「ですが、先方の工程にも影響が……」
「だからこそ、今伝える必要がある。良品は先に納め、不足分を正確に知らせなさい」
短いやり取りだったが、それだけで決裁が済んだらしい。周囲の者も驚いていない。普段からこうして判断している男なのだろう。
「ヴォルフラム・フォン・ラーデン伯爵です」
ミレイユが教えてくれた頃には、伯爵の方も俺たちに気づいていた。金褐色の目が鎧を確かめ、周囲の紹介を待たずに声が掛かる。
「黒騎士ルクス殿ですな。バルガルドでは帝国の兵が世話になった」
「こちらも助けられた。守備隊が持ちこたえてくれなきゃ、俺たちも危なかっただろうな」
「ヴォルフラム・フォン・ラーデンです。遅ればせながら礼を申し上げたい」
「そいつはどうも。……先に断っておくが、俺は貴族相手の畏まった話し方には慣れてなくてな。伯爵相手でも、普段どおりで構わないか?」
失礼を承知で尋ねると、伯爵は愉快そうに笑った。
「ははは、構いませんとも。武辺の者はそれでよろしい。戦場を渡り歩く方に、宮廷の作法まで求めるつもりはありません。礼節というものは、言葉を飾れば備わるわけでもありませんからな」
「そう言ってもらえると助かる。下手に取り繕っても、ろくなことにならんからな」
「むしろ結構。私も腹を割って話せる相手の方が好ましい。どうぞ、気兼ねなくお話しください」
礼儀に欠けるところはないが、相手を持ち上げて懐へ入ろうという感じでもない。こちらの返答を正面から受け止める様子には、場数を踏んだ者の落ち着きがあった。やがて会場に並ぶ品の感想を尋ねられ、俺は精巧な部品の列を見渡した。
「大したもんだと思う。兵器だけじゃなく、こんな細かい部品まで大量に造れるんだからな。俺にはさっぱり仕組みのわからんものも多いが」
「造った者だけで品物の価値は決まりません。兵士の手へ届くまでに、どれほど多くの者が働いていることか」
伯爵の後ろには挨拶を待つ者がまだいる。それでも急がせる気配はなく、俺が答えを探す間をきちんと残していた。バルガルドの砲台へ弾を運び続けた兵たちを思い出す。あの補給が途中で尽きれば、いくら前線で敵を倒しても街は守れなかった。
「補給のありがたみなら、あそこで嫌というほど思い知った。兵隊も職人も、どっちが欠けても困る」
「戦場を経験された方なら、おわかりでしょう。英雄一人で国境が守れれば、私の苦労も減るのですが」
「帝国の国境全部は勘弁してくれ。今の護衛で手一杯だ」
話はやがて、俺自身の立場へ移った。帝国の外から来た冒険者が、誰の命令も受けずに戦場へ立つ。国を預かる者なら、気になるところがあるのだろう。
「ルクス殿の力が、帝国を助けたことは疑いありません。ただ、国家は個人の善意だけを頼りにはできんのです。貴殿が別の判断を下されたとき、守られる側は何を拠り所にすればよいのでしょう」
「伯爵の立場なら気になるだろうな。だが、俺が誰を助けるかまで、国に決められるつもりはない」
「無論、貴殿へ命令する権利は私にはありません。だからこそ、備えが要る。貴殿が善良であることと、万一の備えを欠かさぬことは両立します」
筋の通った言い分だった。だからといって、俺が従う理由にもならない。相手もそれは承知しているらしく、それ以上踏み込まずに話を戻した。自分の考えを譲らないまま、相手の立場を扱える男だ。
そこで伯爵はミレイユへ商談の具合を尋ねた。彼女は少量取引を希望する理由を丁寧に説明したが、言葉を飾って伯爵の機嫌を取る気はないらしい。
「良い品なら王国でも扱いたいと考えております。ただ、供給が続かなければお客様にもご迷惑をおかけします」
「慎重ですな。機会を逃すこともあるでしょう」
「一度の利益を惜しんで、その後のお取引を失いたくはありませんので。初めてのお相手とは、まず互いの仕事を確かめたいのです」
「よろしい考えだ。私のところへ来る話は、初めから大きすぎるものが多い」
伯爵は取引の便宜を約束したりせず、必要な品を必要な時期に届けられる相手を選ぶよう告げた。立ち去る前、俺にはまた機会があれば話したいと言い残す。背後で待っていた商工関係者が入れ替わり、次の相談が始まった。理路整然とした語り口は、随分と聞く者を選ぶ。セラスも言葉の端に残る自信が気になったらしい。
「自分の理屈には、相当自信があるみたいだったけど」
「国を背負うなら、そのくらいじゃないと務まらんのかもな。俺はご免だが」
エマは規格に届かなかった部品を止めた判断に感心していた。使う兵士にとっては、帳簿の数字より目の前の装備が役に立つかどうかの方が切実だろう。サクヤも武具の話には興味があるようだったが、ミレイユに次の商談相手が来たため、俺たちは再び護衛の位置へ戻った。
翌日、ヴィクトルから呼び出しを受けた。開発局の記録と、以前から追っていた軍需品の移送先について、照合できる箇所が出てきたらしい。机上の資料にはまだ空白が多く、監察官の口ぶりも慎重だった。
「人工物と同種の部品を扱う商会の中に、以前から追っていた軍需品の移送先と重なるところがありまして。ラーデン伯爵と関わりの深い商会も含まれています」
「ラーデン? 昨日会ったぞ。商工の集まりでな」
「伯爵ご本人と? 何かお話を?」
「国防には物資も職人も必要だって話くらいだ。筋は通ってたし、妙なことを言われた覚えもない」
「伯爵の産業政策には実績があります。名前が出たというだけでは判断できません」
その商会が扱った部品がどこへ納められ、その先で誰の手に渡ったのか。番号と伝票を一つずつ合わせる仕事が残っている。ラーデン本人の指示があったという証拠もないし、グレイフィールド伯爵との関係を裏付ける書類もまだ揃っていない。俺が昨夜聞いた立派な話と、ヴィクトルの持つ疑いを、今ここで結びつける理由はなかった。
「疑ってはいても、簡単には手を出せないわけか」
「有力貴族でなくとも同じことです。証拠にしなければ、ただの噂で終わります」
資料の端へ印を付けながら、ヴィクトルは王国側へ送る照会状にも触れた。
「王国への正式な照会も進めています。双方の記録が揃えば、見えてくるものがあるでしょう」
「そっちは任せた。必要なことがあれば聞いてくれ。こっちは護衛の仕事があるからな」
監察官が書類へ戻るのを見て、俺も席を立った。帳簿を追う相手の邪魔をしたところで、犯人が早く見つかるわけではない。
宿へ戻ると、ミレイユは新しい見積もりを並べ、供給量に不安のある品へ印を付けていた。昨日知り合った商人から、さっそく返事が届いたらしい。
「昨日はありがとうございました、ルクスさん。お話ししたかった方にもお会いできました」
「話をまとめたのはミレイユだろ。俺は立ってただけだ」
「最初に立ち止まっていただけなければ、交渉も始められませんもの。明日もお願いできますか?」
「まだ続くのか。護衛は引き受けたからな、これも仕事の一環か」
差し出された予定表には、まだ商会名がびっしり詰まっていた。隣から覗いたサクヤが楽しそうに笑っている。俺は黒い手甲で紙の端を押さえ、先の長そうな商談の日程を確かめた。
「……俺の鎧、あと何軒に見せれば済むんだ?」
「ご心配なく。お仕事が終われば、きちんと休んでいただきますから」




