第七十五話 ディートヒルト・フォン・アイゼンシュタイン
「ええと、本日は遠路はるばる……えんろ、はるばる? あれ、こういうときって何て言うんだっけ」
銀白色の髪の少女は、額のゴーグルを指で押し上げながらヨナスへ助けを求めた。つい先ほどまで廊下を勢いよく滑ってきた人物とは思えないほど、来客への挨拶に苦戦している。
「主任、まずは落ち着いていただければ。皆さん、わざわざこちらまでお越しくださったんですから」
「そ、そうだった! えっと、お越しいただき、ありがと……ございます!」
「無理にその慣れてないですます口調しなくていいわよ。アタシたち、言葉遣いで文句をつけに来たわけじゃないんだから」
セラスの一言に、ディートヒルトは恐る恐る彼女の顔をうかがった。
「……ほんとに? あとで怒らない?」
「怒らないわよ。それより、話しやすいように話してちょうだい」
「やった! じゃあ、ねえ! あの魔獣に付いてたっていう装置、持ってきたんでしょ? 早く見たい!」
切り替えの早いことだ。ヨナスが「主任、廊下では……」と言いかけるより先に、ディートヒルトは俺の手元を覗き込み始めている。
「現物はある。ただ、ここで広げていいものか?」
「あっ、そうですね。解析室をお借りしましょう。主任、先に作業台の方へ――走らなくて結構ですからね」
「走らないってば!」
勢いよく返事をしておきながら、ディートヒルトは開いた扉の向こうへ駆け込んだ。ヨナスが俺たちに頭を下げると、セラスは呆れ半分に笑っている。ミレイユもその後に続き、ようやく腰を落ち着けて話ができそうな部屋へ通された。
解析室には作業台が幾つも並び、壁際の棚には大小の器具や分解途中の部品が収められていた。机上に散らばった図面をヨナスが手早く片付け、厚手の布を敷いて場所を空けてくれる。俺は多次元ポシェットから包みを取り出し、バルガルドで回収した人工物をその上へ置いた。
「これだ。魔獣の背中から外したもので、一部はセラスの矢が貫通している。内部がどうなっているかまでは、俺たちにはわからない」
「うんうん、穴が開いてるね。……あれ?」
最初は身を乗り出していたディートヒルトが、破損箇所を確かめるために椅子を引き寄せた。ヨナスに手を出して何かを要求すると、細い金属製の探針と拡大鏡が渡される。彼女は器具を受け取るなり、接合面に沿って先端を走らせた。
「この外殻、鋳型で一度に作ったんじゃない……? 待って、積層してある。導魔路が二重、いや三重? ここの術式基板、固定の仕方が変だなぁ。普通なら流路と結節点を離すのに……あ、違う! こっち側から見たら逆転配置になるのか。じゃあ位相調整はどこでやってるの? 内側? こんな狭いところに補助回路まで押し込んだら、熱が――」
声の調子は弾んでいくばかりで、こちらが口を挟む余地もない。『普通なら』と言われても、その普通が俺にはさっぱりだ。セラスと目が合ったが、彼女も説明を求めるのは諦めたらしい。ミレイユは机に身を寄せすぎない位置から、破損箇所を覗き込んでいる。
「……ここ、矢で抜かれてるのに周りが割れてない。衝撃を逃がす構造になってる? でも、それだと固定部が……ううん、そんな簡単じゃないなぁ」
「主任、あの、お客様がいらっしゃいますので、途中のご説明も……」
ヨナスの困りきった声を聞いて、俺は昔の仲間を思い出した。
ランドルムも、たまにこんな具合になったものだ。普段は温厚で仲間の面倒を見る側だったが、例の発作が始まると髪をかきむしり、わけのわからない理論を口走りながら研究に没頭する。止めたところで聞く耳を持たないので、最後には俺たちが希少な素材を持ち寄って好きにやらせるのがお決まりだった。今となっては懐かしいが、あのときの俺たちは相当苦労したと思う。
「俺たちへの説明は考えがまとまってからでいい。こだわりの強い者は良い仕事をすると相場が決まっている。好きに見てくれ」
「えっ、いいの? まだ結論出てないよ?」
「構わない。わからないことを無理に説明してもらっても、こっちも困るからな」
「そっか! じゃあ、もう少しだけ!」
ディートヒルトは再び人工物へ向き直った。ヨナスが恐縮した様子で俺を見るので、気にしなくていいと手を振っておく。彼は使い終えた器具を順に片付けつつ、次に何を求められるか察して別の道具を並べ始めた。どうやら日頃から彼女の仕事に付き合い慣れているようだ。
しばらくしてディートヒルトは探針を置き、俺たちの方へ椅子ごと向き直った。
「ねえ、これが付いてた魔獣のこと、もっと教えて! 資料には大きな蜥蜴みたいなやつって書いてあったけど、どれくらい大きかったの?」
「蜥蜴と言っても四足歩行じゃない。二本足で立つ、十メートルほどの巨体だった。どちらかと言えば、翼のない竜に近い姿だな」
「竜!? え、羽がないのに二本足? 前脚は?」
「腕になっていた。鉤爪があって、顎も相当に大きい。灰白色の身体に長い尾、背中にはその人工物が埋まっていたらしい不自然な隆起があった」
「へええ……。それが他の魔獣を連れてきたって話、本当?」
ひとつ答えるたびに、質問が二つ三つと増える。ヨナスが紙を広げて筆を取ったが、ディートヒルトはそんなことにも気づかず、俺の返事を待っていた。
「連れてきたかどうかは断言できない。ただ、周囲の魔獣はあいつを守るように動いていた。種類の違う連中までだ。普通の群れでは考えにくい統率だったな」
「種族が違うのに、同じやつを守ってたの? 命令を出してたところは見た?」
「声らしいものを出してはいたが、それが命令だったかはわからない。少なくとも、あいつが危険にさらされると周りが間に入ろうとしていた」
「じゃあ、この装置で動かしてたのかな……」
ディートヒルトは机上の人工物を指で示したものの、すぐに首を振った。
「ううん、まだ決められないか。あ、その大きなやつ自身は? 普通の魔獣みたいに突っ込んでくるだけ?」
「むしろ、妙に頭が切れた。こちらの武器を見て警戒したり、攻め方を変えたりしていたんだ」
「武器を見て? 攻撃を受けてから覚えたんじゃなくて?」
「そこの違いは俺にも判断が難しい。ただ、こちらが使う武器を危険だと理解しているように見えた。力任せに暴れるだけの相手じゃなかったのは確かだ」
「アタシも、普通の魔獣相手ならあんなに手こずらなかったと思うわ。背中の人工物に気づいても、すぐ射線が取れたわけじゃないし」
「そう、それ! その話も聞きたい! でも、まず二人でどうやって戦ったの? そんな大きな相手に剣だけじゃ大変でしょ?」
「最初に使ったのは剣じゃないな」
俺がポシェットへ手を伸ばすと、ディートヒルトは椅子から腰を浮かせた。取り出したのは、長大なデア・トルネードだ。突撃槍を連想させる外形ながら、先端に刃はなく、魔力を放つための射撃兵装になっている。射口を人のいない壁側へ向けたまま作業台の端に置くと、ディートヒルトが口を半開きにした。
「え? なんで冒険者が携行魔導砲持ってるの?」
「見ただけでわかるのか?」
「わかるよ! こんな大きな導射部、ほかの何に使うの? ……あれ、でもこれ……」
彼女はデア・トルネードの側面へ回り込み、先端から接合部へと視線を往復させた。さっきまで人工物を調べていたとき以上に、何かが引っかかっているらしい。
「帝国の先行量産型に似てる……よね? 寸法も外装も違うし、砲身の形までおかしい。色もこんなんじゃなかったはずなのに。ねえ、これ、どこで手に入れたの? 誰がいじったの?」
「王国で手に入れた。見た目については少し事情があってな。詳しい話はあとでさせてくれ」
「ええーっ! そこが一番気になるのに!」
「その代わり、実際に撃ったときの話ならできる。聞きたいのは魔獣との戦いだっただろう?」
「聞きたい! でも、それも調べたい!」
「主任、ひとまず装置の調査が先かと。砲の方は、ご本人があとで説明してくださるそうですし」
「……わかった。じゃあ、忘れないでね!」
念を押す目は真剣だった。理由を聞かれれば鎧の機能に触れずには済まないが、会ったばかりの相手にどこまで話すかは、まだ決めかねている。技術者として頼りになりそうだからこそ、話す内容は選ぶ必要があった。
「こいつで進路を塞いでいた魔獣の群れを吹き飛ばした。数十頭まとめてな。もっとも、無理な撃ち方をしたせいで、二発目を撃とうとしたところで機能が止まった」
「数十頭!? それ、先行量産型の想定出力を越えてるんじゃ……。えっ、機能停止って、いまも?」
「ああ。無理に動かすつもりもない」
「ちょっと見たいところが……あ、だめだめ、今はこっち!」
自分に言い聞かせるようにデア・トルネードから顔を背けるのがおかしくて、セラスが小さく吹き出した。俺は兵装をポシェットへ戻し、話を続ける。
「その後はヘキサブレードで戦ったが、あいつはこっちの刃を妙に警戒していた。正面から斬り合うだけでは埒が明かない。そんな中でセラスが背中の人工物に気づいたんだ」
「最初は身体の一部かとも思ったのよ。でも、見えているところが明らかにおかしかった。そこを撃とうとしても、巨体が動くたびに背中の位置が変わって、簡単には狙えなかったわ」
「だから、俺が注意を引きつけることにした」
「どうやって?」
「武器を収めて、正面へ出た。向こうが顎を開いて食いついてきたから、わざと咥えさせて、そのまま飲み込まれた」
「……え?」
ヨナスの筆が止まり、ディートヒルトはしばらく俺を見たあと、セラスを振り返った。
「ねえ、いま何て言った? 咥えさせたって、口の中に?」
「そうよ。止める暇もなかったわ。アタシが背中を狙うために、わざと食いつかせて、そのまま飲み込まれたの」
「食べられちゃったの!?」
「そういうことになるな。装甲があったから、あの顎で噛まれてもすぐに潰される心配はなかった。身体の内側からなら外側の硬い皮膚も関係ないし、こちらも攻撃しやすい」
「いやいやいや、ちょっと待って! そういう作戦を普通に立てる人、いる!?」
「ここにいるわよ。言っておくけど、アタシだって無茶だと思ったんだから」
セラスが呆れた声を出すと、ディートヒルトは二人を交互に見比べ、とうとう笑い出した。ヨナスの方は笑うどころではないようで、「それで、ご無事だったんですよね……?」とこちらの鎧を改めて眺めている。
「このとおりだ。セラスが背中の人工物を矢で射抜いてくれた。あれで動きに乱れが出たし、俺も体内から攻撃できた」
「矢で? あの硬そうなところを?」
「そう。射抜ける位置に入るまでが厄介だったけど、当たれば貫けるとは思ってたわ。実際、ここに穴が残ってるでしょ」
セラスが人工物の破損部分を指すと、ディートヒルトは拡大鏡を取り上げかけ、慌てて元の位置に戻した。
「それでそれで! お腹の中からどうやって倒したの? まさか剣を振り回したとか?」
「銃を使った。内側から何発も撃ち込んで、ようやく倒したんだ」
「銃!? さっきの携行魔導砲で?」
「いや、あれはもう使えなかった。別の銃だ」
「……騎士なのに、銃なんて使うんだ」
今度はディートヒルトが俺の腰のあたりを見て、それから黒い鎧を頭から足先まで眺め直した。剣を提げているべき騎士が銃を使うというのは、帝国の技術者にも珍しいらしい。
「相手に効くなら使う。こっちの銃も少々変わっていてな。魔導技術で作られたものらしいんだが、本体に昔の帝国領で使われていた言葉が刻まれている」
「昔の帝国領の? どんな字?」
「共通言語になる前のものだそうだ。文章はミレイユが調べてくれたから、意味もわかっている」
「ええ。文字の意味まではわかりましたが、造り手を突き止めるところまではいきませんでした」
「ねえ、見せて! 銃も、文字も!」
机の向こうから身を乗り出す勢いに、ヨナスが落下しそうな拡大鏡を押さえた。ミレイユが解読を頼んでくれた文句は、『灰と煤に塗れていても、いつの日にか表舞台へ』。銃の持ち主への励ましとも、自分自身へ言い聞かせる言葉とも取れる、妙に印象に残る一節だった。
「わかった。少し下がってくれ。こいつはかなり重い」
ディートヒルトが机の端から身を引いたのを確かめ、俺は多次元ポシェットへ手を入れた。黒く長大な銃身と、太い専用弾を収める巨大な弾倉。シンデレラを引き抜き、刻印が見えるよう横向きにして見せる。
さっきまで途切れなかったディートヒルトの声が、ぴたりと止まった。彼女はまず銃身を見て、次に弾倉へ視線を移し、最後に刻印のある側面へ身を寄せた。ヨナスが何か尋ねかけたが、返事はない。
「それ……シンデレラ! わたしの!」




