第七十四話 商業と工業の都市 グライゼン
バルガルドを発って四日目。街道の先に、煙突を林立させたグライゼンの街並みが見え始めた。
王国の主要街道は石畳が多い。ところが帝国の道は、灰色の硬い素材を広い面に敷き固めたような造りで、車輪が拾う細かな振動が驚くほど少なかった。継ぎ目や補修の跡こそあるものの、バルガルドから百四十七キロに及ぶ道が、ほぼ同じ水準で整備されている。
「よくこれだけの道を造ったものだな。王国の街道とは造りからして違う」
「馬車で旅するにはありがたいわね。あの石畳の揺れに四日も付き合うのは、アタシだって御免だもの」
セラスの言うとおり、四台の馬車も軽快に進んでいる。しかも昨夜までの道中では、日が暮れると街道沿いの魔導灯が点き、夜でも路面を見通せた。街の中ならともかく、都市間の街道まで照らしているとは、王国では見なかった光景だ。これほどの設備を造るだけでなく、維持しているところに帝国の国力を感じる。
昨夜、野営の準備をしている間にも、道を行く荷車の灯りが途切れなかった。明るいからといって夜道の危険が消えるわけではないが、行き交う者にとっては大きな助けになるはずだ。街道一つで、商売のやり方まで変わるのかもしれない。
「ルクスさん、あれ全部工房なのかな!?」
馬車の窓から身を乗り出しかけたサクヤが、遠くの煙突を指した。傍らのエマも街並みから目を離せずにいる。バルガルドで使い果たした体力と魔力も、この四日間の移動で回復したようだ。
「煙突の数だけで決めつけられないが、工業都市という話は本当らしいな」
「すっごい! エマ、着いたらどこから見る? 魔導灯も気になるし、お店もいっぱいありそう!」
「私は神殿も見てみたいです。帝国ではどんな礼拝をしているのか、興味がありますから」
「いいね、それも行こう!」
気の早い二人を見ていると、あれほど危険な戦いをくぐり抜けたのが嘘のようだった。もっとも、俺には観光とは別の用事がある。馬車に積んである、石灰化していくドミナスの遺骸から回収した、変質せずに残っていた人工物だ。
バルガルドの総督府でそれを見せたとき、クラウス総督とハインツは顔を見合わせて、魔導技術開発局の『あのご令嬢』に回すしかないと言った。その後、俺たちは正式に調査への協力を頼まれた。
『開発局の本部は帝都ですが、グライゼンにも技術試験場があります。ディートヒルト・フォン・アイゼンシュタイン嬢が現在そちらに滞在しておりましてな』
総督によれば、彼女は帝国でも随一の天才技術者だという。依頼されたのは人工物の引き渡しと、ドミナスに直接対峙した俺とセラスによる状況説明だった。
『現場を見た者の証言が必要です。戦闘中の魔獣の挙動や、装置を発見した際の様子についてもお聞かせ願いたい』
その要請はもっともだった。俺たちにもあの襲撃には疑問が残っているし、もともとグライゼンへ向かう予定だったのだから、断る理由はない。セラスの矢で一部が破損している以上、保管しておくだけより専門家の手へ渡す方がいいだろう。俺たちにできるのは、どういう状態で魔獣に付いていたのか、実際に見たことを正確に伝えることだ。引き受けると答えると、総督は試験場へ先に連絡を入れると約束してくれた。
『ただ、ディートヒルト嬢は稀代の天才ではあるのですが、その……少々気難しい方でして』
『技術については私も保証する。人柄は……まあ、会えばわかるだろう』
歯切れの悪いハインツの返事が、かえって印象に残っている。歴戦の指揮官まで言葉を選ぶとは、どれほど気難しい人物なんだ。
やがて市門を通った商隊は、荷車と人で賑わうグライゼンの大通りへ入った。舗装された道には資材を積んだ車が行き交い、工房からは金属を打つ音が絶え間なく響く。王国にも職人街はあったが、ここでは街そのものが巨大な工房のようだ。サクヤが身を乗り出して眺めるのも無理はない。通り沿いには見慣れない品を並べる店があり、工房の外では職人らしき男たちが身振りを交えて図面を覗き込んでいる。火と鉄の匂いまではわからないが、騒がしさの中にも仕事の熱気が伝わってきた。
まずはミレイユの手配した宿に入り、馬車と積荷を落ち着かせる。バルガルドの防衛戦による足止めで商談の日程がずれたため、相手方との再調整が必要になっていた。ミレイユは到着を知らせる使いを出し、こちらの都合だけで予定を決めないよう念を押している。戦勝の知らせは届いていても、商談相手がそのために仕事を空けてくれるとは限らない。
「先方にもご予定がございますから、到着したその足でお伺いするわけにはまいりません。お返事を待つ間に、そちらの用事をお済ませになってはいかがでしょう」
「そうさせてもらおう。総督からも急ぎの調査に回すと聞いているからな」
俺は荷物を片付けたサクヤとエマを呼び寄せ、用意しておいた金貨袋を差し出した。
「二人とも、バルガルドではよくやった。無茶をしたことまで褒めるつもりはないが、今さら小言を重ねるつもりもない。帝国の街を見て回りたがっていただろう。これで好きに観光してこい」
「……えっ、いいの!? 本当に!? 気前いいじゃ~ん! 」
サクヤの耳が勢いよく立ち、尾も隠しようがないほど揺れた。エマは袋を受け取りかけて、少し戸惑っている。
「ルクスさん、こんなにいただいてしまっていいんですか?」
「二人が働いた分の褒美だ。遠慮せず使い切ってくれ。ただし、知らない街だ。暗くなる前には戻ってこい」
「おほぉ~! ありがと、ルクスさん! エマ、早く行こ!」
「待ってください、サクヤさん。まずは神殿の場所を調べないと……!」
今度は魔獣ではなく観光先の相談に夢中になり、二人は宿の入口へ向かっていった。少々騒がしくても、あの巨獣の足元から二人とも無事に連れ戻せてよかったと思う。
「アンタも、あの二人には甘いわねぇ」
「命懸けで働いたんだ。褒美くらい出してもいいだろう。二人にはしばらく、戦いのことを忘れて楽しんでほしいしな」
「別に反対してないわよ、アタシにとっても二人は可愛いんだから。……まあ、あの様子なら心配なさそうね」
残る用事を済ませようとしたところで、ミレイユが同行を申し出た。人工物の解析には直接関係しないが、『魔導技術の申し子』と呼ばれる人物には商人としても会っておきたいらしい。
「お仕事の邪魔をするつもりはございません。ですが、どのようなご縁が生まれるかわかりませんもの。ご挨拶だけでもできれば、十分嬉しい機会です」
「そういった先の取引まで見据えて動けるのが大商人ってことか」
「すぐ商談に持ち込むほど無粋ではありませんよ。まずはお相手を知るところからです」
にこやかな返答ながら、その目は商機を見逃すまいとしている。こうして技術試験場へは、俺とセラス、ミレイユの三人で向かうことになった。
試験場は工房の密集する区画から離れた場所にあり、高い塀と門衛によって出入りが管理されていた。総督からの紹介状を示すと、連絡を受けていた職員が中へ通してくれる。建物の奥では図面を抱えた研究員や部品を運ぶ作業員が行き交い、離れた部屋から低い駆動音が聞こえていた。
応接室で迎えた男は、施設管理を預かるエミール・ブレンナーと名乗った。整った官服に身を包み、挨拶から依頼内容の確認まで手際がいい。人工物についても不用意に開封させず、まず持ち込んだ経緯と預かり方を確認した。こちらが中身を詳しく知らないと聞いても、無理に説明を求めることはなかった。
「エルンフェルト総督から事情は承っております。危険な魔獣と交戦したばかりのところ、ご協力いただき感謝いたします」
「俺たちもあれの正体は気になっていたところだ。現物は持ってきているし、戦闘中のことならセラスと俺で説明できる」
「それは助かります。担当者に直接お話しいただければ、調査も進めやすいでしょう。では、助手にご案内させます」
ミレイユも商会の代表として名乗り、今回の面会への同席を認めてもらった。エミールが呼んだ助手は柔らかな栗色の髪をした青年で、こちらを迎える態度にはいかにも人のよさそうな穏やかさがあった。
「ヨナス・リヒターと申します。主任の研究補佐や予定の調整を担当しております。どうぞよろしくお願いいたします」
「ルクスだ。こちらこそよろしく頼む」
「主任? 総督からは開発の筆頭だと聞いたけど」
セラスが尋ねると、ヨナスは少し恐縮したように笑った。
「現在の役職は違うんですけど、以前からそうお呼びしていたものですから。どうにも癖が抜けなくて……」
「長い付き合いってことね。総督は稀代の天才って呼んでいたけど、どんな人なの?」
「興味を持たれたものなら、何でも突き詰めてしまう方です。今回の人工物についても、資料を読まれてから随分楽しみにしていまして。ただ、研究が始まると周りが見えなくなることも……。もし何か失礼がありましたら、先にお詫びしておきます」
そう言って頭を下げるヨナスに、クラウス総督の妙に慎重だった言葉が重なる。ますます会うのが楽しみになってきた、と考えたところで、廊下の先から腹の底に響くような爆発音が轟いた。
振動が床を伝い、俺は思わず周囲の気配を探った。セラスも足を止めている。バルガルドでの襲撃が頭をよぎったが、研究員たちは慌てて逃げるどころか、近くの職員が担当区画へ確認に向かうだけだった。誰もが音に慣れているらしい。ただ、状況確認へ向かう職員の動きには迷いがない。驚かないのは危険を軽く見ているからではなく、こうした事態への手順ができているからのようだった。
「今のは爆発だな。襲撃というわけではないのか?」
「ええ、申し訳ありません。実験が少々予定どおりに進まなかったようで……。安全確認はしていますので、どうかご心配なく」
「ずいぶん落ち着いているな。こういうことがよくあるのか?」
「ええと……時折、と申しますか。できればもう少し穏やかに進めていただけると、僕としても助かるのですが」
ヨナスの困った笑みに、セラスが呆れたような視線を向けた。どうやら総督の言う『気難しい』は、まだ控えめな表現だったかもしれない。
そのとき、廊下の先の閉ざされた扉から甲高い声が響いた。
「ヨナスぅ! ドアあけてぇ!」
「ああ、主任ですね。すみません、少々失礼します」
ヨナスが扉を開けるなり、車輪の付いた板に乗った銀白色の髪の少女が勢いよく飛び込んできた。だが、車輪が敷居で跳ねて少女は踏ん張る間もなく床に転がった。
「うぐぅ……うう……」
「ああっ、主任! だ、大丈夫ですか?」
駆け寄ったヨナスが少女を抱え起こす。額には大きなゴーグル、腰には工具帯、服の上には煤で汚れた革前掛け。跳ねた銀白色の髪の下から覗く青紫色の瞳には、転んだ痛みで涙が滲んでいた。
「いたた……もうっ、もっと早く開けてよぉ……」
「す、すみません。ですが主任も、廊下ではもう少し速度を落としていただけると……。あの、足は大丈夫ですか?」
「ちょっと痛い……。だって急いでたんだもん」
「ええ、わかります。ですから、どうか無理なさらずに。ほら、ゆっくり立ってください」
慣れた手つきで支えるヨナスを見る限り、これも普段から繰り返されている光景なのだろう。これほど幼い振る舞いをする少女が、研究区画で何をしていたのかと疑問に思っていると、ヨナスがこちらを示した。
「主任、今日はお客様がいらしているんですよ。バルガルドから、例の解析依頼で来られた方々です」
「えっ?」
初めて俺たちに気づいた少女は、青紫色の瞳を丸くした。だが、次には転んだ痛みを忘れたように背筋を伸ばし、得意げな笑顔を浮かべる。
「わたしがディートヒルト・フォン・アイゼンシュタインよ!……あっ、です!」




