第七十三話 大蜥蜴のあとしまつ
最後の砲声が途絶えてから、城壁の上には妙な静けさが残っていた。
砲煙はまだ風に流されている。だが、次弾を促す号令の代わりに聞こえてきたのは、各防衛区画から続々と届く報告だった。二頭の巨獣が倒れた後も散発的な襲撃は続いていたが、それを押し返していた帝国軍から、ようやく掃討完了の知らせが上がったらしい。
「城門周辺、敵影なし! 外壁沿いも掃討完了です!」
伝令の声に、疲れ切った兵士たちの表情が緩む。けれど、勝手に持ち場を離れる者はいない。まだ市街の被害も確かめなければならないし、逃げ散った魔獣が戻ってこないとも限らないからだ。
「全砲、射撃停止! 安全確認と砲身点検に移れ! ……よくやった、全員! 見事な射撃だった!」
イルゼの声が砲列を走り、次いでハインツの野太い声が城壁いっぱいに響いた。
「全隊、聞け! バルガルド防衛戦は我々の勝利だ! よく戦った、諸君!」
途端に歓声が弾けた。兜を掲げる者、隣の兵と抱き合う者、疲労に膝をつきながら笑う者。市街からも応えるように声が上がり、幾重もの石壁に反響して広がっていく。これだけ大勢の人間が声を張り上げているというのに、不思議と耳障りには感じなかった。
「ようやく終わったわね」
「ああ。あれだけの数を相手に、よく最後まで持ちこたえたものだ。帝国軍も大したものだな」
俺とセラスが巨獣を倒せたのも、城壁が持ち堪え、砲兵が撃ち続けてくれたからだ。防衛線の一角でも崩れていれば、サクヤとエマを救い出す余裕などなかったかもしれない。
「ミレイユたちの無事も確認しておこう。向こうも帰りを待っているだろうからな」
「その前に、もう一度ちゃんと洗ってきなさいよ。見た目はましになったけど、まだ近くにいるときついんだから」
「自分では臭いがわからないからな。悪いが、水場まで付き合ってくれ」
「アタシに礼を言うなら、せめて次は食われずに戦ってちょうだい」
確かに、そこは反論できなかった。兵士に水場を借りて、鎧の継ぎ目や赤い外套に残っていた汚れを落としてから、俺たちは城内へ向かった。
勝鬨の余韻が残る街路には、戦闘の爪痕が生々しく残っていた。割れた石畳の下には魔獣が掘り抜いた穴が開き、崩れた壁や壊れた荷車が道端へ寄せられている。城壁の外へ兵力が集まっていた間に、地中からも魔獣が侵入していたのだ。もし守備隊が外の大群だけに気を取られていたら、市街の被害はこんなものでは済まなかっただろう。
地中から侵入した魔獣の遺骸は、まだ街路のあちこちに横たわっていた。兵士や工兵たちは通行の妨げになるものを脇へ寄せ、崩れた石畳や建物の修復に取りかかっている。城壁の外で激戦が続く一方、内側でもこれほどの被害が出ていたのかと、改めて襲撃の規模を思い知らされた。
「外と内から同時にか。……偶然にしては、ずいぶん都合のいい攻め方だな」
「出来すぎてるわよね。……あの大蜥蜴の背中にあったものも気になるし」
セラスの言葉に、持ち歩いている包みの重みを意識する。戦いが終わってからドミナスの遺骸を確かめると、俺の身体が魔力の残滓を吸収した影響で巨体の石灰化は進んでいた。その白く崩れ始めた組織の中で、背中に埋め込まれていた人工物だけは変質せずに残っていたため、回収しておいたのだ。セラスの矢を受けた部分には破損が残っているが、用途どころか、どういう仕組みなのかさえわからない。
「いずれ軍にも相談した方がいいだろう。まずはミレイユのところへ行こう」
避難先へ着くと、四台の馬車は揃っていた。荷台の周囲では御者と同行者が荷物を点検し、ミレイユはその報告を受けながら、破損した箱の扱いを指示している。こちらが声をかけると、彼女は手元の書類を置き、いつもの落ち着いた笑みで迎えてくれた。
「ルクスさん、セラスさん。お帰りなさいませ」
「俺たちは無事だ。そちらも大きな被害はなかったようで何よりだ」
「ええ。ルクスさんであれば心配はしておりませんよ。どのように活躍なされたかは、お聞きしたいですけれど」
上品に笑ってみせるが、その間にも護衛から受け取った荷物の破損報告を脇へ揃えている。皆の無事を信じることと、預かった商談一行を守るために手を打つことは、彼女の中で矛盾しないらしい。
「俺よりも勲功を上げたのはサクヤとエマだ。最初の巨獣を砲撃の届く位置まで誘い出してくれた。命懸けの働きだったな」
「まあ、お二人が……。それでしたら、ぜひ直接お礼を申し上げなければ。今はどちらに?」
「救護所で休んでいる。大きな怪我はないようだが、魔術を使いすぎた」
「少しお時間をいただけますか。こちらの確認を終えたら、ご一緒させてください」
ミレイユは御者に点検結果をまとめるよう頼み、同行者の所在をもう一度確かめてから俺たちと歩き出した。どんな状況でも商人として必要な仕事を放り出さないところは、頼もしい。
救護所には負傷兵がまだ大勢運び込まれていたが、サクヤとエマは奥で休ませてもらっていた。二人の元へ向かう途中、兵士たちの話し声に何度も狐耳の魔術士が登場する。
「雷で群れごと吹き飛ばしたって、あの娘だろ?」「俺は火の方を見たぞ。しかもすげえ美人だった」
どうやらサクヤの人気は予想以上らしい。当人は寝台でその噂を聞かされ、狐耳と尻尾を嬉しそうに動かしていた。
「ルクスさん! 聞いた!? 私、兵士さんたちにめちゃくちゃ褒められてるんだけど!」
「ここへ来るまでに何度も聞いた。すっかり有名人だな」
「ふっふーん! やっぱり私の可愛さと強さに注目してたってコト! 人気者らしくちょっと挨拶してこようかな」
勢いよく起き上がりかけたものの、途中で力が抜けて寝台へ戻る。元気なのは口だけ、というのが今のところ正確な評価だろう。
「英雄のお披露目は体力が戻ってからにしてくれ。今出ていったら、救護所へ担ぎ戻されるぞ」
「ぐぐぅ……痛ぁ、せっかく人気者なのに……!」
「サクヤさん、まだふらふらしてるでしょ? ちゃんと休んでください」
隣のエマも疲れた顔をしていたが、サクヤを諫める声はしっかりしていた。あの突進を防ぎながらサクヤを支え続けたのは立派な功績だ。ミレイユも二人へ丁寧に礼を伝え、回復したら改めて話を聞かせてほしいと約束した。
その帰り道、彼女から今後の予定について相談された。街道の安全が確認できず、馬車にも点検が必要なうえ、二人には十分な休養を取らせたい。俺もセラスも異論はなく、グライゼンでの商談は維持したまま、しばらくバルガルドに留まることになった。
翌日、ハインツから総督府への招待が届いた。国境の城塞都市を守る戦いに加わった以上、現場の指揮官だけで礼を済ませるわけにはいかないという。サクヤとエマはまだ療養中なので、俺とセラス、そして商談一行を預かるミレイユが出席することになった。
総督府の入口で、俺はセラスに小声で頼んだ。
「俺は作法だの礼儀に疎い。こういう場はセラスに任せる」
「いいけど、聞かれたことまで私に丸投げしないでよね?」
「無論、聞かれたことには答える。ただ、余計な無礼を働くのは避けたいからな。頼む」
「昔からそういう面倒はアタシに押しつけるんだから。まあ、いいわ」
軽く文句を言いながらも、その歩き方には迷いがなかった。エルフの里を長くまとめてきたセラスにとって、立場のある相手との面会も経験はあるのだろう。俺が付け焼き刃の作法を披露するより、ずっと安心できる。
応接室で待っていたのは、ハインツとイルゼ、それに濃紺の礼服を着た壮年の男だった。銀の混じる髪をきちんと整え、こちらへ向ける眼差しは穏やかながら鋭い。
「バルガルド総督、クラウス・フォン・エルンフェルトです。此度のご助力、都市を預かる者として深く感謝申し上げます」
「ご丁寧なお言葉、痛み入ります。冒険者のセラスと申します。こちらは同じく冒険者のルクス、そしてリーディアム商会のミレイユ嬢です。私どももこの街に受け入れていただいた身、できることをしたまでです」
礼を返すセラスの声は、いつもの歯切れのよさを失わず、それでいて見事に場に馴染んでいた。総督も彼女へ話を向け、互いの立場を尊重しながら会話が進む。隣にいる俺は改めて任せて正解だったと思う。
「ハインツからは皆様の働きを聞いております。軍の戦功報告にも記録させていただくつもりです」
「閣下、彼らの戦功については私が保証します。彼らの働きがなければ、防衛線の損害はさらに拡大していたでしょう。特にルクスの対大型魔獣戦闘は、守備隊にとって大きな助けとなりました」
「砲兵隊からもご報告いたします。第一の巨獣を撃破できたのは、サクヤとエマの誘導があったからこそです」
イルゼは砲兵らしく、二人がどれだけ難しい役目を果たしたかを説明した。固定された重魔導砲では城壁のすぐ下を狙えず、二人が射角内へ引き出したからこそ決定打を撃てたこと。広範囲の雷撃と火焔が敵の流れを変え、さらにエマの防御魔術がなければ二人とも帰れなかったかもしれないこと。昨日の光景を思い返しているのか、その声にはまだ熱があった。
「サクヤ殿は兵士たちの間でも大人気だとか」
「はい。彼女の広域魔術は兵たちの士気を大きく高めました。容姿の華やかさもあって、砲兵隊でもすっかり評判です」
「本人も大いに喜んでいました。ただ、まだ起き上がるだけでも辛そうですから、今は休ませています」
俺がそう言うと、ハインツが声を上げて笑った。総督も口元を和らげ、療養中の二人には改めて謝意を伝えると約束してくれた。
戦功の記録に続き、話は俺たちの滞在へ移る。グライゼンでの商談を抱えているミレイユは、街道の安全確認を待つ必要があること、馬車と積荷の点検、二人の回復に時間が欲しいことを過不足なく伝えた。
「日程を守ることは大切ですが、危険を承知で商談一行を動かすわけにはまいりません。安全が確認できるまで、こちらに留まらせていただきたく存じます」
「勿論です。復旧作業の妨げにならぬ範囲で、宿泊や物資の手配には便宜を図りましょう」
ありがたい申し出に、ミレイユは必要な支援だけを具体的に相談し、出発の判断は改めて行うことで話をまとめた。さすがにこういうやり取りは手慣れたものだ。
面会もそろそろ終わるかと思ったところで、ハインツが今度は険しい顔になった。
「閣下、戦後の被害報告に看過できない点があります。城壁外から大群が攻め寄せる一方、市街には地中から魔獣が侵入していました。外郭防衛線と都市内部を同時に攻撃する、組織的な侵攻を疑わせる状況です」
「単なる魔獣の暴走では、説明しづらいということか」
「はい。種の異なる魔獣があれほど統一した動きを見せた点も、通常の暴走とは異なります」
俺にも思い当たることがあった。ドミナスが倒れた後、それまで一つの方向へ進んでいた魔獣たちの動きが乱れ、逃げるものもいれば仲間に噛みつくものまで現れた。あの巨獣が何かの役割を果たしていた可能性はあるが、それ以上は推測の域を出ない。
「こんな場で出していいかわからないが、ひとつ見てもらいたいものがあります」
持参した包みを机に置き、布を開く。中にあるのは、俺の身体が残留魔力を吸収したことで石灰化の進んだドミナスの遺骸から回収した人工物だ。周囲の組織が白く崩れ始めていた中でも、この人工物だけは原形を留めていた。セラスの矢で傷ついた部分を残したまま、特に手を加えてはいない。
「これは俺たちが倒した大蜥蜴の背中に埋まっていたものです。用途はわかりませんが、自然にできたものには見えません」
「私が戦闘中に矢を撃ち込んだのも、そこです。あの魔獣の背中で明らかに浮いていたものですから」
セラスの補足を聞いたイルゼが、品物を確かめようと身を寄せる。クラウスは触れずに眺めていたが、その表情から先ほどまでの柔らかさが消えていた。
「城壁外からの襲撃に、地中からの侵入……そこへ、この品ですか」
「これが魔獣を操っていたと断定するつもりはありません。ただ、ドミナス……大蜥蜴を倒した頃から群れの動きが崩れたのは確かです。今回の襲撃が人為的なものなら、見過ごせない手掛かりでしょう」
ハインツが低く唸った。軍勢のような攻め方も、魔獣の身体に埋め込まれた代物も、偶然と片付けるには出来すぎている。総督はしばらく人工物に目を落とした後、何かを確かめるようにハインツを見た。
二人の視線が合う。ハインツも同じ考えに至ったらしく、わずかに口元を引き締めた。
「……魔導技術開発局の、あのご令嬢に回すしかないか」




