第七十二話 強く優しく抱き上げて、ヌメヌメはやめて
重魔導砲の砲煙が風に流され、その向こうで巨獣の影が大きく揺れた。
一頭目は仕留められたらしい。大地を抉るほどの砲撃を浴びた巨体が横倒しになり、その傍にはサクヤとエマの姿があった。二人が一頭目を砲撃の届く場所まで引き出したのだろう。だが、喜んでいる暇はない。生き残ったもう一頭が、倒れた仲間には目もくれず、二人を目がけて突進していた。
あの重量で踏み潰されれば、いくらエマの防御魔術でも無事では済むまい。サクヤの方も足元が覚束なく、逃げようとするエマを支えるだけで精一杯に見える。
「セラス、とにかく脚を止めるぞ!」
「任せなさい! もう狙ってるわよ!」
答えが終わるより早く弦が鳴った。
セラスの放った矢は、巨獣が体重を乗せかけた前脚へ深々と突き刺さった。砲撃で傷んだ箇所を正確に貫かれ、巨体が一瞬だけ均衡を失う。それでもあの頑丈な脚は完全には折れず、巨獣は地面を抉りながら強引に体勢を立て直そうとしていた。
セラスの矢を受けて巨獣の踏み込みが乱れたところへ、シンデレラを構えながら一気に距離を詰める。砲撃で傷ついていた前脚を狙って引き金を絞ると、轟音とともに肉が弾け、巨体がさらに傾いだ。
それでも突進を止めようとはしない巨獣に向けて続けざまに撃ち込み、その勢いを削ぎながら地面を滑るようにしてサクヤとエマの前へ割り込んだ。
「ルクスさん!?」
背後からサクヤの驚いた声が上がる。振り返らずに銃口を巨獣へ向け直すと、二人を踏み潰そうと踏ん張った前脚へ、さらに弾丸を叩き込んだ。
「来てくれた! やっぱりこういうときに来てくれるんだ!」
「ルクスさん……!」
「二人ともよく持ちこたえた。あとは任せろ」
「そう! そういうの聞きたいの!」
安堵の滲むエマの声とは対照的に、サクヤはすっかり興奮しているらしい。もっとも、二人を喜ばせている余裕はない。目の前の巨獣は、前脚を血まみれにしながらも、まだ倒れる気配を見せていなかった。
残弾を撃ち尽くしたところで間合いを調整し、シンデレラを再装填する。その間もセラスの矢が巨獣の注意を引きつけ、再び二人へ向かおうとする動きを牽制してくれていた。
「お前もドミナスに誘導された被害者ではあるが、暴れる以上はこうするしかない」
装填を終えたシンデレラを構え直し、新たに込めた弾を残らず傷ついた前脚へ撃ち込んだ。
着弾のたびに巨体が揺さぶられ、とうとう脚の奥で何かが砕ける鈍い音が響いた。支えを失った巨獣が大きく沈み込み、地面を震わせながら倒れる。衝撃が足元から伝わり、巻き上がった土煙が城壁の一部を覆い隠した。
それでも巨獣は起き上がろうともがき、太い首を振って角を突き出してくる。まだ動く脚だけで体を支えようとしているらしいが、あの質量を受け止めるには無理があった。
シンデレラを収め、ハルバードへ持ち替える。正面から暴れる角を相手にする必要はない。頭の動きを見極めて踏み込み、首の付け根へ穂先を突き入れた。
硬い組織を割る抵抗が柄を通じて伝わる。さらに体重を乗せて押し込むと、巨獣の全身を走っていた痙攣が一度強く跳ね、それきり動かなくなった。
城壁上から歓声が上がった。
超大型の魔獣二頭が、ようやく地に伏したのだ。
もっとも、周囲にはまだ無数の魔獣が残っている。俺はハルバードを引き抜き、二人の無事を確かめるために振り返った。
「あの巨獣を砲撃の届くところまで誘い出したのか。二人とも無事で何よりだ」
「ルクスさぁん! 私めっちゃ頑張ったんだから、しっかり褒めて!」
サクヤは立ち上がろうとして膝をふらつかせたが、それでも得意げに胸を張った。顔色はひどいものの、軽口を叩くだけの元気は残っているらしい。
「こうやってヒロインのピンチに駆けつけるのが黒騎士って感じ! いま私、最高にヒロインしてる!」
「それは結構。ただ、そのヒロインがここで力尽きたら後味の悪い物語になるからな。続きは安全な場所でやってくれ」
「ええー…今のはもうちょっと格好いい返しが欲しかったんだけど!」
「助けに来たところで勘弁してくれ。台詞まで注文されるとは思わなかった」
エマは何か言おうとして、先に息を整えた。セラスが体を支えると、強張っていた肩から力が抜ける。城壁から飛び降りて巨獣の目の前へ出るなんて、治癒術士の仕事としては相当な無茶だ。
「エマ、歩けそうか?」
「……少しなら。でも、今はあまり自信が……」
「それならアタシが運ぶわ。あんな大きいのを目の前にして、よく踏み止まったじゃない」
両腕で抱え上げられた彼女が小さく礼を言うのを聞いてから、俺も空になったシンデレラへ弾を込め、サクヤへ手を伸ばす。ここから安全圏へ戻るまで、魔獣と遭遇しない保証はない。
「じゃあ、サクヤも帰るぞ。悪いが少し揺れるから我慢してくれ」
「うん! えへへぇ…黒騎士に助けられたヒロインの帰還ってやつだね!」
嬉しそうな返事をもらったところで、腰へ腕を回して肩に担ぎ上げた。まだ自分の脚で立とうとするより、こうして運んだ方が早い。途端に背中を叩かれたが、その抗議を聞いている余裕はなかった。
「ちょっと待って! なんでお姫様抱っこじゃないの!? 私のこと、ヒロインって言ったよね!?」
「お姫様抱っこだと両手が塞がるだろ。こっちは銃を使わなきゃならないんだ、物語の演出より実用性を優先させてくれ」
「今すっごく雑に担がれてるんだけど!? それになんか……ルクスさんめっちゃ臭いし、なんかヌメヌメするぅ!」
「だから近寄らないでって言ったのよ。この戦場で臭いってわかるの、よっぽどよ……」
セラスが露骨に顔を顰める。俺自身には臭いというものがわからないが、さっき倒したあの竜モドキの腹の中を思い返せば、鎧や外套に何がこびりついているかは想像できる。そういえば助けに入るのが先で、表面を拭うことすら忘れていた。
「ルクスさん、何してきたの!?」
「でかい奴にわざと食われてな。腹の中から撃って出てきたんだ。あまり楽しい経験じゃなかったぞ」
「聞かなきゃよかったぁ! しかもなんでそんな平然としてるの!?」
「……こっちはなんか良い匂いします」
「なんで私だけ!」
「日頃の行いじゃない?」
「セラスさんまでぇ!」
サクヤの抗議に付き合いながらも、足は止められない。二頭の巨獣が倒れたことで周辺の魔獣は大きく散ったが、逃げ惑うものと、何かに腹を立てたように暴れ回るものが入り混じり、かえって動きが読みにくくなっていた。目の前では狼型の魔獣が別の獣に噛みつき、その争いを避けた一頭が俺たちの帰路へ飛び出してくる。
「サクヤ、耳は塞いでいろ」
「うえっ!? この格好で!?」
「できるだろ。手は空いてるんだから」
俺の肩で慌てて両耳を押さえたのを確かめ、左腕で体を固定したままシンデレラを抜く。走りながらでも、迫ってきた獣が跳びかかる瞬間を外すほど照準は甘くない。銃声が石壁へ反響し、魔獣は勢いのまま土を滑って転がった。さらに道を塞いだ大柄な一頭も撃ち抜くと、残りは互いに押し合いながら別の方へ走っていく。
「これ、助けられてるっていうより荷物扱いじゃない!?」
「文句を言えるだけの体力が戻ったなら、自分で走ってもいいぞ」
「無理! だからもうちょっと優しく運んで! もっと紳士的に!」
「注文が多いな、今日のヒロインは」
そのやり取りを聞いていたエマが、セラスの腕の中で小さく笑った。ついさっきまでの張りつめた表情を思えば、その笑い声ひとつでも十分だった。
帝国軍が退路を確保している城壁側まで戻ると、守備兵が俺たちを迎えた。槍兵が魔獣を警戒し、衛生兵はすでに担架を用意している。矢を運ぶ兵も邪魔にならない経路を通っており、ここの守備隊にはまだ十分な余力があった。
「この二人を頼む。派手に戦ってきたからな、外傷がなくても休ませてやってくれ」
「了解! 救護所へ回します!」
サクヤを引き渡そうとすると、まだ何か言いたげに身を捩った。自分で立てないくせに大した負けず嫌いだ。
「さっきは本当に助かったぞ。二人が巨獣を引きつけてくれなかったら、城壁の砲もあの一頭を仕留められなかった。あとは俺たちに任せて休んでろ」
「……うん。後でちゃんと、全部聞いてね。私たち、すごかったんだから」
「ああ、楽しみにしてる。ただし、無茶をした分まで聞かせてもらうぞ」
「ルクスさんの食われたっていうのは無茶じゃないの!?」
「……それを言われると弱いな。まあ、お互い無事だったんだし、詳しい話は帰ってからにしよう」
「絶対だからね! ルクスさんの無茶も全部聞くから!」
エマも救護兵に付き添われ、サクヤとともに安全な場所へ運ばれていく。二人の姿を見送っている間にも、城壁の向こうでは魔導砲が轟き、帝国兵たちの号令が途切れることなく響いていた。
戦いはまだ終わっていない。だが、あの巨獣の足元から二人を無事に連れ戻せたことに、ひとまず胸を撫で下ろした。




