第七十話 あぶない二人 リターンズ
≪敵性存在、解析完了≫ ≪脅威認定、個体仮称 ドミナス≫
「ドミナス、か」
「何それ。アンタ、また勝手に名前つけたの?」
「俺じゃない。この身体がそう呼んだ」
「相変わらず勝手な身体ね」
「持ち主の俺もそう思うよ」
群れの向こうに立つ灰白色の巨体は、こちらへ顔を向けたまま動こうとしない。その代わり、周囲の魔獣が俺たちとの間へ流れ込み始めた。
死骸を飛び越えて殺到してきた狼型魔獣を迎えながら身体を返すと、六本の刃がそれぞれ異なる弧を描いて群れへ食い込んだ。先頭の数頭を断った刃はそのまま奥へしなり、後ろから突っ込んできた巨大猪型魔獣の首筋まで裂いて戻ってくる。
刃の動きを一本ずつ追うより、腕を振ったあとにどこを通って戻ってくるのかまで含めて身体へ覚え込ませた方がいい。最初に振った時より扱い方は見えてきたものの、まだ最大の間合いまで完全に掴めたわけじゃない。
血濡れの地面を越えたところで頭上から羽音が落ちてきた。急降下してきた翼竜型魔獣は、爪を伸ばすより先に額から矢を生やし、そのまま勢いを失って俺の脇を滑っていく。
「前ばっかり見てないでよ。上まで相手してたら進まないでしょうが」
「だから頼り甲斐のあるエルフに任せてるだろ」
「ならもっとありがたそうにしなさいよ」
「帰ったら一杯奢るよ」
「はぁーっ! 一杯じゃなくて樽で奢りなさいよ。あと安酒で済ませたら承知しないわよ」
「戦ってる最中に酒樽選びまで始めるなよ」
言い返す声は離れていったが、セラスの足は止まっていない。倒れかけた大型四足魔獣の肩へ駆け上がり、その巨体が沈み切る前に隣を走る獣の背へ飛び移る。揺れる足場から放たれた矢は、俺の進路へ牙を向けていた巨猪の眼窩へ吸い込まれた。前脚をもつれさせた巨体が横倒しになり、後ろから続いていた獣まで巻き込んで崩れる。
「ここでも戦功競争する? この参戦報酬とかどうなるのかしら」
「こんな場所で、酒選びの次は報酬の心配か!?」
俺が六爪剣を返す頃には、セラスはもう刃の通り道から抜けていた。俺が処理する相手へ余計な矢を使わず、進路を塞ぐ個体や上空から狙う奴だけを先に落としていく。こちらも所在を確かめるために意識を割く必要がなく、目の前の群れを削りながらドミナスへ向かえた。
距離が縮まったところで、魔獣の集まり方がさらに露骨になった。低い姿勢で駆ける狼の群れに、牙を突き出した巨猪、鱗に覆われた大型四足まで混じり、互いの身体を押し退けながら俺たちの進路へ集中してくる。本来なら同じ獲物を奪い合ってもおかしくない連中が、今はひとつの濁流になって道を塞ごうとしていた。
「分かりやすくなってきたわねぇ。アタシたちを近づけたくないみたい」
「向こうも狙われてることくらいは分かるらしいな」
「じゃあ、どうする? これ全部斬ってたら、また逃げられるわよ」
「それなら付き合ってやる必要はない」
そう答えたところで、片腕の三爪が音を立てて装甲内へ収まった。何を始めるのかとセラスが訝しむ声を背中で聞きながら、空いた手を多次元ポシェットへ差し入れ、デアちゃんを引き抜く。
握った途端、円環に赤い光が走った。
≪射撃兵装への魔力過剰供給、開始≫
「おい、過剰って──」
「何? 急に出る独り言が毎回不穏なんだけど」
「いや、こっちの話だ。セラス、そこから出来るだけ離れろ」
「その言い方する時って大体ろくでもないのよね!」
文句を言いながらも判断は早い。セラスは飛びかかってきた狼の背へ片足を乗せ、そのまま踏み切って射線から抜けた。
円環はさらに回転を上げ、赤白い光が先端へ押し込められるにつれて、握った腕へ伝わる振動も大きくなっていく。以前撃った時とは明らかに様子が違う。地面を深く踏み締めて構えを固めた時には、すでに光は限界まで膨れ上がっていた。
引き金を絞った瞬間、視界を白く染める光が真正面へ迸った。
極太の魔力光が獣の壁へ食い込み、射線上にいた群れをまとめて押し流していく。狼の身体が次々と魔力の粒子に飲み込まれて消失する。その奥にいた巨猪も四肢を地面から引き剥がされ、さらに後方で踏ん張っていた鱗の巨体まで土砂と死骸に巻かれて吹き飛んだ。光が走り抜けた跡には土を深く抉った筋が残り、その先まで一気に視界が開ける。
反動も通常の射撃とは別物だった。発射した腕が持ち上げられるだけでは収まらず、両脚で踏ん張った俺の身体そのものが後方へ運ばれる。脚甲で土を削りながら何歩分も押し戻され、ようやく止まったところで、改めてデアちゃんを見た。
「……こいつは、前と同じつもりで撃つものじゃないな」
「アンタ、実戦で使う前にどこかで試すっていう考えがないの!?」
密集していた数十頭は吹き散らされ、巻き上がった土煙の奥まで一直線に道が開いている。このままもう一射入れられるなら、わざわざ近づく必要もない。
デア・トルネードを構え直したものの、さっきまで脈打っていた赤い光は戻らず、円環も沈黙したままだった。
≪強制排熱、不可≫ ≪魔力供給路の保護を最優先、機能停止≫
「次は? 撃たないの?」
「打ち止めだな。コイツ自体が限界らしい」
「そりゃそうでしょうね。あれを何発も撃てたら、見てるこっちが嫌になるわ」
「少しくらい残念がってくれてもいいだろ」
「アンタごとどっか飛んでいきそうなものに期待する趣味はないの」
そこまで言われては仕方がない。沈黙したデアちゃんを振り下ろし、そのまま地面へ深く突き立てる。手を離すと空いた腕から三爪が再びせり出し、六本の刃が揃った。
開いた道が埋まる前に走り出す。セラスも倒れた獣を次々と足場にしながら距離を詰めてきた。
土煙を抜けた先で、ドミナスの全容が初めて近くに見えた。灰白色の鱗に覆われた胴を太い後肢が支え、前肢には肉へ食い込みそうな鉤爪が並んでいる。長い尾が地面を擦るたび土が深く削れ、こちらを捉えた大顎の奥では紫がかった唾液が糸を引いていた。
「他の連中に隠れてる臆病者かと思ったが、そうでもなさそうだな」
「肉しか食べなさそうな口して、臆病ってことは無いんじゃない?」
ドミナスの巨体が沈み、次の瞬間には地面を蹴っていた。図体の割に動き出しが速い。それでも最初の一度は、向こうが六爪剣の間合いを知らなかった。
開いた顎が届く前に腕を払う。伸びた一爪が灰白色の鱗を裂き、肩から胴へ傷を刻んだ。
二度目は同じようにはいかなかった。こちらの腕が動いた時点で間を外し、追えばそのぶんだけさらに退く。刃が届かないところから長い尾を振り抜き、抉った土砂までまとめてこちらへ浴びせてきた。
セラスの矢に対する反応も選んでいる。胴へ向かう一射なら多少傷を増やしてでも構わず動くくせに、眼や開いた口へ吸い込まれそうなものだけは首を振って軌道から外れる。セラスが倒れた巨猪の背を蹴って高さを変えると、その動きにも視線を追従させながら、俺との間合いまで崩さない。
「……こいつ、さっきより面倒になってない?」
「本能なのか仕込まれたのかわからんが賢いな。俺の間合いを覚えたらしい」
「初めて見る武器を戦いながら覚える魔獣なんて、可愛くないわ」
「可愛がるつもりだったのか?」
「少なくともアンタよりは素直かと思ったのよ」
「見る目がないな」
低く薙がれた尾が大量の土を跳ね上げる。そこを越えて懐へ踏み込むと、今度は鉤爪を備えた前肢が落ちてきた。まともに受けず身体を潜らせ、六爪剣を伸ばした時には、ドミナスはすでに届かないところまで身を引いている。傷を負わされたことに苛立って突っ込んでくる様子もない。こちらが何を狙い、どの距離なら自分が傷つくのかを見ながら戦っていた。
セラスの放った矢が頬を掠める。ドミナスがそれを避けて大きく身体を捻った時、肩から背にかけて不自然に盛り上がっていた鱗の隙間から、肉とは違う鋭い輝きが覗いた。
白銀色の金属が骨を組み合わせたように重なり、その中央には拳ほどの暗紫色の結晶が埋め込まれている。結晶の奥では赤紫の光が脈打ち、そこから伸びた黒い管や針のようなものが肉へ深く食い込んでいた。周囲の肉までそれを包み込むように癒着しており、獣の身体から自然に生えたものには到底見えない。
「ルクス! アイツの背面、見えた?」
「どう見たって生まれついての代物じゃないな」
セラスが矢を番え直すより早く、ドミナスは身体の向きを変えた。首と肩の盛り上がりに遮られ、さっきまで見えていた暗紫色の結晶が隠れる。
「賢いだけじゃなくて、自分の弱いところまで分かってるみたいね」
「困った奴だな。だが、そこまで守ろうとするってのは正解ってことだ」
こちらが誘っても、ドミナスはもう六爪剣の届くところへ入ってこない。踏み込めば距離を外され、待てば長い尾や前肢でこちらを動かしにくる。セラスが死骸を踏み台にして射線を変えても、身体の向きを合わせて背中の異物だけは狙わせなかった。
同じやり方を続けても埒が明かない。なら、こいつが警戒しているものをこちらから消してやればいい。
六本の爪をすべて格納した。
「……何してんのよ。両手挙げて降参でもする気?」
「セラス、俺に何があっても驚くなよ」
「その言い方の時点で、もう嫌な予感しかしないんだけど」
「なら心の準備はできたな。やるぞ!」
「そういう意味じゃないわよ! なにをやるのか言えっつってんのよ!」
返事を最後まで聞かずに走り出した。六爪剣が消えたことで、ドミナスの動きは目に見えて変わる。それまで自分からは越えようとしなかった間を一気に潰し、大地を揺らしながら大顎を開いた。
こちらも退くつもりはなかった。あいつが背中を守りながら戦えるのなら、その守り方を崩させればいい。迫る牙の列を避けず、そのまま口の中へ身体を滑り込ませる。
巨大な牙が黒い装甲を挟み込み、全身へ軋むような振動が走った。それでも噛み砕けないと判断したのか、ドミナスは俺を咥えたまま頭を持ち上げ、呑み込もうとして首を大きく反らす。
暗い口内から外の様子はほとんど見えなくなったが、ほどなく乾いた弦音が届いた。次いでドミナスの全身が激しく跳ね、背中側で硬いものが砕けた感触が伝わってくる。肉の奥で瞬いていた赤紫の光も、それを境に途絶えた。
「狙いも威力もさすがだ! 」
聞こえるはずもない相手へ呟きながら、多次元ポシェットへ手を伸ばす。引き出したシンデレラを狭い口内で持ち替え、銃口を柔らかな肉へ押し当てた。
「悪いな。腹の中は間合いの外じゃない、これが狙いなんだ」
引き金を絞ると、炸裂音が巨体の内側で何重にも反響した。銃口の先で肉が弾け、紫の血がこちらへ噴き戻ってくる。暴れ始めた身体に振り回されながらも角度を変えてもう一発、さらに別の場所へ銃口を押し当てて撃ち込んでいく。
外からなら厚い鱗と筋肉に守られていた身体も、内側から撃たれてはそうはいかない。発砲するたびに巨体が痙攣し、外殻の向こうで何かが破裂するたび、穿たれた穴から差し込む光が増えていった。
やがて足元の感覚が大きく崩れ、ドミナスの巨体が地面へ倒れ込む衝撃が全身を揺さぶった。噛み締めていた顎からもすでに力が抜けている。
上顎を内側から押し上げて隙間を作り、シンデレラを先に外へ出してから身体を這い出させる。鎧にも赤い外套にも紫の血と唾液、それ以外の何だか分からない粘液までべったりと絡みついていた。
周囲ではまだ魔獣が動いている。ただ、城壁へ向かっていたひとつの大きな流れはもう見えない。狼の群れが別の獲物へ散り、大型種同士が互いの進路を塞いで揉み合い、そのまま戦場から離れていく個体まで出始めている。先ほどまで揃っていた動きは崩れ、雑多な魔獣の群れへ戻りつつあった。
「やっぱり、こいつが要だったみたいだな」
少し離れた場所にいるセラスへ近づく。背中のあれを射抜いた礼くらい言っておこうと思ったのだが、数歩進んだところでセラスの顔が露骨に引きつった。
「セラス、お──」
「うおっ、くっせぇ! 近寄らないで!」
足を止めて自分の鎧と外套を見下ろす。見た目が酷いことは分かるものの、残念ながら臭いについては俺には判断のしようがない。
「……そんなにか?」
「そんなにっていうか、何に食われたらそうなるのよ! そこで止まりなさい!」
「なにって見てたんだからわかるだろ、ドミナスだ。それに食われたんじゃない。自分から入った」
「言い訳になってると思ってんの? 同じ意味どころか、余計にひどいわよ」




