第六十八話 絶対魔獣戦線バルガルド
六発の砲弾が魔獣の群れへ突き込み、平原のあちこちで土砂と獣の身体が跳ね上がった。
狼型の群れがまとめて吹き飛び、その後ろを駆けていた大型種まで巻き込まれて地面を転がる。砲撃で抉られた場所には遠目にもわかるほどの空白が生まれ、街道で俺たちが相手にした三十体なら、今の一射だけで戦況が決まっていただろう。
ところが、ここでは倒れた個体を踏み越えて後続が流れ込み、開いた穴を次々と埋めていく。六門が揃って火を噴いたばかりだというのに、少し待てば群れの厚みは元へ戻り始めていた。
「全門、再装填! 観測、着弾修正急いで!」
第一射を命じた女の声が砲煙を裂く。砲尾を開く者、次弾を運ぶ者、照準器へ張りつく者が一斉に動き、城壁の上はもう次の射撃へ移っていた。これだけの数を前にして、少なくとも守備隊の手は止まっていない。
「イルゼ! 北東の寄りが早い!」
「見えてる! 砲列はこっちで合わせるから、歩兵を下げすぎないで!」
ハインツに怒鳴り返した女――イルゼというらしい――は、こちらへ目を向ける暇も惜しんで砲兵へ指示を飛ばしている。
「これ、魔獣の急激な増加とかじゃなくて、戦争じゃない?」
セラスの声につられて平原の奥を見る。近くを埋め尽くしている群れだけでも十分異常だが、そのさらに向こうまで地面が黒く揺れていた。
「魔神戦争の頃の籠城戦に近しいな。あの頃、押し寄せてきたのは魔族だったが」
「この時代になって、また似たようなものを見るとはね」
「俺も御免だったよ」
サクヤは俺たちの会話より、砲煙の向こうが気になるらしい。城壁近くの群れからさらに遠くへ視線を伸ばし、黒い点にしか見えないものまで動いていると気づいたところで狐耳が立った。
「……ねえ。あの点みたいなのも、もしかして」
誰かが答える前に、自分で確かめてしまったらしい。
「魔獣じゃん! ねえぇ! これ訓練したからどうにかなるって数じゃないじゃん!」
「訓練してなかったら、今よりもっと嫌そうな顔をしてただろうな」
「今も十分してるから!」
「顔は可愛いままだ。問題ない」
「エヘヘェ......って、そういう心配してないんだけど?」
近くで砲弾を運んでいた兵士が一瞬だけこちらを見たが、すぐ仕事へ戻っていく。あれだけ騒げるならサクヤの方はまだ大丈夫だろう。
問題は、俺たちがここへ来た理由だった。
街道でミレイユが決めたのは、所在も規模もわからない魔獣を避けて引き返すより、城壁と守備隊のあるバルガルドへ入ることだ。あの時点では、都市そのものがこれだけの数に襲われているなんて誰も知らなかった。
このまま守備へ加われば、俺たちは四台の馬車から離れる。一方で、南の街道が完全に塞がれたわけでもない。俺とセラスがつけば、魔獣を排除しながらアルデン関門へ戻る選択肢も残っている。
そこまで俺が勝手に決めるわけにはいかなかった。
「ハインツ。悪い、少し時間をくれ」
「何だ?」
「俺たちは護衛依頼の途中でな。この数を見た後まで、依頼主に何も聞かず話を進めるのは筋が違う」
ハインツは平原から目を離さなかった。次の砲撃を待つ群れは、もう先ほど開いた穴をほとんど埋めている。
「次が城壁へ食いつくまでに戻れ」
「十分だ。セラス、ここを頼む」
「はいはい。サクヤも見とけばいい?」
「なんで私までついでなの!?」
「さっき身を乗り出してたでしょ。落ちたら面倒なのよ」
「落ちてないじゃん! ほら、ここにいるじゃん!」
「アタシが掴んだからね」
二人の言い合いを背中で聞きながら、石段を下りた。
広場へ近づくにつれて砲声が石壁越しに鈍くなり、代わりに馬の嘶きや負傷兵を運ぶ声が大きくなる。四台の馬車は城壁沿いへ寄せられ、御者たちが落ち着かない馬を宥めていた。商会の者たちも軍から指示を受け、邪魔にならないよう荷物や馬具を確認している。
ミレイユは兵士と話していたが、俺を見つけると向こうから歩いてきた。
「どうでした?」
「見ない方が気楽ではいられたな」
「……それほどに?」
「街道の三十体を見て多いと思ってたのが、少し恥ずかしくなるくらいには」
城壁の向こうで二射目が轟き、馬たちが一斉に首を振った。御者が声を掛けて宥めるのを見届けてから、ミレイユがこちらへ向き直る。
「そのために降りてきた、という顔ですね」
「この鎧兜姿で表情はわからないだろ」
「雰囲気です」
「それなら仕方ないか」
軽口を返したところで、また担架が救護所へ運び込まれていくのが見えた。長話をしている時間はない。
「俺たちがこのまま守備へ加われば、しばらくミレイユたちの側にはいられない。もう一つ、今から南へ抜けてアルデン関門まで戻る手もある」
「四台とも連れて、ですか?」
「ああ。もちろん安全とは言えない。街道にも魔獣は残ってるだろうし、別の群れに出くわす可能性もある。ただ、今見えてる主力ほど固まってはいない。俺たちが一緒なら、道を作りながら進めると思う」
ミレイユはすぐに答えず、並んだ馬車を見た。砲声のたびに馬は落ち着かなくなるが、広場では兵士が途切れず行き交い、救護所も補給もまだ回っている。
「戻ると決めたら、皆さんも一緒に来てくださるのですよね?」
「当然だろう。そこで『俺たちは戦うから、あとは頑張って帰ってくれ』なんて言ったら、何のために帝国までついてきたかわからない」
「それを聞いて安心しました」
「そこ疑われてたのか?」
「まさか。ただ、ルクスさんは目の前で困っている方を見つけると、自分から仕事を増やしそうなので」
「俺をなんだと思ってるんだ」
「黒騎士様です」
迷いのない返事に、こっちの言葉が一拍遅れた。
「……便利な答えだな、それ」
「私にはかなり説得力がありますよ」
また砲声が響いた。今度はさっきより近く感じたのか、御者の一人が馬の手綱を強く引く。その様子を見たミレイユは、やがて小さく息を吐いた。
「決めました。残りましょう」
「いいのか?」
「ええ。皆さんと一緒ならアルデン関門まで戻れるのでしょう。でも、その途中で何と出会うかはわからない。四台の馬車で何も守るもののない街道へ出るより、城壁と守備隊が機能しているここに残る方を選びます」
「俺も、ここなら絶対安全だとは言えないぞ」
「絶対に安全な場所があるなら、そもそも迷いませんよ」
言い切ったあと、ミレイユの視線が俺の鎧へ移った。
「それに、ルクスさんはここで戦うつもりなのでしょう?」
「依頼主の判断次第で、そのつもりだ」
「でしたら、私は存分に期待しています」
「随分な重圧を掛けてくれるな」
「黒騎士として戦うルクスさんに、ですよ」
さっきまで馬車と城壁を比べていた時とは違う。今度の声には、少し楽しんでいる響きまで混じっていた。
「私が黒騎士の逸話を追いかけていたこと、忘れていませんよね?」
「忘れるほど昔の話じゃない」
「なら、ここで期待するなという方が無理です」
「安全なところから頼むぞ」
「もちろんです。見物したいからと危ない場所まで出ていって、護衛対象が自分から仕事を増やしたら怒るでしょう?」
「よくわかってるじゃないか」
「長い付き合いではありませんけれど、そのくらいは」
また城壁の上から号令が飛んだ。
「軍から移動を言われたら、俺たちを待たずに従ってくれ。状況が変わったら、こっちから戻る」
「承知しました。こちらのことは気にせず、存分に戦ってきてください」
「そこまで言われたら、期待外れにはなれないな」
「ええ。楽しみにしています」
「もう少し心配して送り出してもいいんだぞ?」
「していますよ」
「そう見えないんだが」
「信頼していますから」
さらりと言われると、何を返しても野暮になりそうだった。
「……行ってくる」
「お気をつけて、ご武運を」
ミレイユと別れ、救護所の脇を通って石段へ向かう。エマは負傷兵の腕に治癒術を施しており、その周囲では帝国の治癒術士たちが次の怪我人を受け取りながら手分けして処置を進めていた。
「ルクスさん?」
「ミレイユは残る。俺たちは守備に加わることになった」
「わかりました。この方の処置が終わったら、わたしも戻ります」
「無理に切り上げなくていいぞ」
「大丈夫です。こちらは人も揃っていますから」
返事をしながらもエマの手は止まらず、負傷兵へ治癒術を重ねている。あの様子なら、俺が横から何か言う必要もなさそうだ。
救護所を離れて石段へ向かう間にも、頭上では砲声と兵たちの怒号が絶えなかった。城壁へ戻る頃には二射目の砲煙が平原へ広がっており、その向こうからまた魔獣の波が形を取り戻し始めている。
「ルクスさん! セラスさんがずっと私のこと子供みたいに扱う!」
待っていたのは戦況報告より先にサクヤの抗議だった。
「落ちなかったんだろ?」
「そういう問題じゃなぁい!」
「ほら、言った通りでしょ。アタシが見てないと危ないのよ」
「勝手に結論出さないで!」
「戻ったならこっちを見ろ!」
ハインツの怒声に押され、サクヤも渋々平原へ向き直る。
何度砲撃を受けても、北東部へ押し寄せる群れの厚みはほとんど変わっていなかった。小型の間へ大型まで混じり、城壁下で受け止める兵たちをじわじわと押している。
「一番きついのは、やっぱりあそこか?」
「ああ。北東だ。北から来た群れまで流れ込んでる」
ちょうど答えに重なるように砲撃が落ち、数体の大型が爆煙に消えた。それでも後ろから来た連中がすぐ間を詰める。
「なら、俺をそこへ投入してくれ」
「城外へ出る気か?」
「その方が俺には向いてる。ここから剣を振っても何にも届かないからな」
ハインツは俺を止める代わりに、城壁下で踏ん張る兵たちを見た。少し考えれば十分だったらしい。
「砲撃を入れる時は合図を飛ばす。帝国兵の隊列を乱すな。そこを守れるなら好きにしろ」
「アンタ一人で行くつもりじゃないでしょうね」
セラスはもう弓を担ぎ直している。止めるかどうか聞く意味もなさそうだった。
「言われずとも、セラスがいる前提だ。 頼りにするぞ」
「ふふん、わかってるじゃない。最初からそう言えばいいのよ」
「ちょっと待って。下に行く二人だけで話まとまってない? 私は?」
今度はサクヤが割り込んでくる。大群を見てあれだけ騒いでいたくせに、自分だけ置いていかれる方が気に入らないらしい。
「お前は上にいた方がいい」
「なんで?」
「この広さじゃ、下へ降りたら見える範囲が狭くなる。城壁を走って、好きなところへ術を落としてくれ」
「……それ、私だけ仕事の説明ざっくりしてない?」
向こうでは砲兵が次弾を運び始めている。術を落とせる場所はいくらでもあるし、サクヤなら細かく縛るより自由に動かした方がいい。
「お前みたいに華も腕もある魔術師はそういない。期待してるぞ」
文句を続けると思っていた口が止まり、狐耳だけがぴくりと動いた。
「……そこでそれ言う? 口説き方どうなってんの?」
「事実しか言ってないぞ」
「あとで見てなかったとか言ったら、本気で怒るからね」
「見てるよ。 だから、前線の俺に見えるくらい派手に暴れろ」
「絶対だからね!」
そこへエマが戻ってきた。救護所では帝国の治癒術士たちが変わらず負傷者を受け入れており、無理に仕事を放り出してきたわけではないらしい。
「間に合いました?」
「ちょうど今からだ」
さっきまでとは露骨に機嫌の違うサクヤを見て、エマへ声を落とす。
「だいぶ調子に乗らせたから無茶をするかもしれない。見ていてやってくれ」
「自分であそこまで乗せておいて、わたしに見てろって言うんですか?」
「頼りにしてる」
「はぁ......そういう返しだけ綺麗なんですよね」
呆れた声とは裏腹に、錫杖剣はもう上がっていた。
加速の術光に包まれたサクヤが何歩か試すと、狐耳の機嫌までさらに良くなる。
「おおっ、これやっぱり動きやすい!」
「最初から飛ばしすぎないでくださいね」
「大丈夫だって!」
「その返事が一番不安なんです」
続いてセラスにも同じ術が掛かる。最後に俺の身体へ淡い光が重なったところで、以前と同じなら期待は薄いと思いつつ、念のため腕と脚を動かしてみた。
やはり感覚に変化はない。
「悪い。俺には効いてないみたいだ」
「せっかく学んできたんですけど……」
「俺だって好きで弾いてるわけじゃないぞ」
「ルクスさんの身体、本人より頑固なんじゃない?」
「ほら、二人とも。いつまで喋ってんの」
セラスに急かされ、出撃口へ向かう。
背後ではサクヤがエマへ何か言い返し、そこへ次の砲撃を告げる号令が重なった。城壁が再び震える中、俺とセラスは兵たちの間を抜けて北東部へ降りていった。




