第六十七話 Unwelcome Empire
アルデン関門の検査は、拍子抜けするほど滞りなく終わった。
ミレイユが差し出した書類を帝国兵が順に確かめ、訪問目的と滞在予定、四台の馬車に乗る人員を照合していく。俺たち冒険者についても身分証を見られたが、黒い全身鎧を珍しがられた程度で、余計な詮索はされなかった。門楼の脇では装置の一部に淡い光が走り、兵士二人だけで巨大な門扉を巻き上げている。王国では見かけなかった仕組みだ。
「ここからがゼルメト帝国です」
先頭の馬車からミレイユが振り返る。声にはいつもの落ち着きがあり、初めて足を踏み入れる国だというのに、商談へ向かう当人が一番旅慣れて見えた。
「もっと物々しいかと思ってたけど、普通に通れたねぇ」
御者台の後ろから顔を出したサクヤに、セラスが牝鹿の上から呆れたように返す。
「国交があるんだから当たり前でしょ。毎回戦争してたら商人なんて国境越えられないわよ」
「いや、わかってるけどさ。帝国って聞くとこう……もっと門の前で睨まれる感じしない?」
「何の偏見よ、それ」
二人のやり取りを聞きながら黒鹿を進ませる。関門を離れるにつれて街道沿いの景色も少しずつ変わり、木造の家より石を厚く積んだ建物が目につくようになった。北から吹く風は王国側より乾いて冷たく、道の向こうには低い牧草地と畑が続いている。
バルガルドまでは半日もかからない。そう聞いていたから、このまま何事もなければ昼を少し回った頃には城壁が見えるはずだった。
最初に異変を運んできたのは、向こうから土煙を引いてきた三騎の帝国兵だった。
「道を空けろ! 伝令だ!」
御者たちが馬車を街道脇へ寄せる。先頭の二騎はそのまま駆け抜けたが、最後の一騎は馬の速度を落とし、脇腹を押さえたままこちらを見た。革鎧の下から血が滲んでいるのを見つけたエマが、馬車が止まりきるのを待たずに御者台から降り、兵士の脇へ回る。
「動かないでください。すぐ塞ぎます」
「治癒術士か……助かる。だが長居はできん」
傷が閉じていく間にも、兵士の視線は何度も北へ戻った。その様子を見ていたセラスが先に口を挟む。
「バルガルドで何かあったの?」
「魔獣の群れだ。数はわからん。斥候が追える規模じゃない」
「種類は?」
「バラバラだ。狼型もいれば大型の四足もいる。なのに争いもしないで、全部バルガルドへ向かってる」
治療が終わると兵士は短く礼を言い、南へ駆けていった。先頭馬車の扉が開いたのは、その背が街道の向こうへ小さくなった頃だった。
「引き返すより、バルガルドへ入った方が近いですね」
「ああ。外で群れに追いつかれるより、城壁の中へ入った方がいい」
「では進みましょう。御者には速度を上げてもらいます」
ミレイユから指示を受けた御者たちが手綱を締め直し、四台の馬車が速度を上げる。黒鹿も歩調を合わせたが、バルガルドが近づくにつれて北の空には細い煙が見え始め、少し遅れて腹の底へ響くような低い音が届いた。間を置いて二度、三度と続く音に、牝鹿まで耳を北へ向ける。
「少し質が違うけど、これは砲声ね」
「たぶんね。……あ、ルクスさん、ちょっと寄せて!」
先頭馬車の御者台へ出てきたサクヤに呼ばれ、黒鹿を横へ並べる。何をするのか聞く前に、サクヤは車体の縁を蹴ってこちらへ飛び移り、そのまま俺の前へ収まった。
「おい。わざわざこっちに来る必要あったか?」
「これこれぇ! 私いまめっちゃヒロイン感ある!」
「楽しそうで何よりだよ」
これから向かう先から砲声が聞こえているとは思えない機嫌の良さだ。まあ、怯えられるよりはずっといい。
「ヒロインには悪いが、耳を塞いでおいたほうがいいぞ」
「え?」
答える代わりに、多次元ポシェットへ手を入れる。
街道の先で地面が盛り上がり、緩い坂の向こうから獣の影が次々に姿を現した。狼に似たものもいれば、肩の高い四足獣もいる。種類が違うのに互いを気にする様子もなく、こちらへ向かって一塊になって走ってくる。
≪敵性存在、三十。侵食供給、開始≫
「三十か。俺とお前で先に崩す。後ろはセラスとエマに任せよう」
デアちゃんを引き抜くと、サクヤがようやく意味を察したらしい。両手で耳を塞ぎ、身体を縮める。
「ちょ、待って、耳塞げってそっち!?」
「ちゃんと言ったのに、ヒロイン気分で聞いてなかっただろ」
「そんな言い方する!?」
黒鹿が大角を低くして速度を上げた。馬車列を置き去りにし、揺れる背の上から密集した先頭へデアちゃんを向ける。引き金を絞った途端、腹まで震わせる轟音が街道を叩き、先頭の三体が土砂ごと吹き飛んだ。
「うわぁっ! 近い近い近い!」
「まだ一発目だぞ」
「それ今教えなくていい!」
二射目は少し右へずらす。砲撃が地面を抉り、固まっていた三体がまとめて宙へ跳ねた。残った魔獣が左右へ散り始めたところで、その向こうの道が下りへ変わり、今まで坂に隠れていた人影が見えた。数えると十四人。荷物を捨て、何人かは互いに支え合いながらこちらへ走っている。
魔獣との距離は長くない。もう一発撃てばまとめて削れるが、あの位置では爆風まで避けきれない。
「こりゃ駄目だな。サクヤ、しっかり掴まってろ」
「次は何するの?」
「今度はもう少し耳に優しいやつだ」
黒い砲身を戻し、代わりにシンデレラを抜く。黒鹿は速度を落とさず、逃げてくる人々と魔獣の間を詰めていく。銃口を一頭へ合わせて撃つと先頭の魔獣が頭から崩れ、続けて狙った一頭も、こちらへ飛びかかろうと身を沈めたところを撃ち抜いた。まとめて消し飛ばすことはできないが、一発で一頭ずつ落とせるなら今はその方がいい。
「ぜんっぜん耳に優しくないけど! ルクスさん、そっち任せた!」
何をするつもりか尋ねるより早く、サクヤの指先から雷光が弾けた。黒鹿の進路を避けて外側へ回り込んだ二体の足元を雷霆が正確に薙ぎ、駆けていた身体がほとんど同時に崩れる。
「今の見た!? ちゃんと二体まとめた!」
「見てたよ。前よりずっと綺麗に入ってるじゃないか」
「でしょ!?」
反り返った狐耳と声だけで得意げなのがわかる。
「もっと褒めてもいいよ?」
「追加注文は全部片付けてからにしてくれ」
「じゃあ絶対ね!」
機嫌を良くしたサクヤが、今度は黒鹿の横を狙って突っ込んできた一体へ雷霆を落とす。狙いは頭ではなく前脚。走る勢いを残したまま地面へ転がった魔獣へ、俺がシンデレラを一発撃ち込んだ。
「ほら! 今のも!」
「はいはい、見てる見てる。上手い上手い」
「扱いが雑ぅ!」
「注文が多いな、今日のヒロインは」
「ちゃんと心込めて!」
言い合っている間にも、黒鹿は十四人と魔獣の間へ食い込んでいく。後方では弓弦の音が続き、馬車へ進路を変えた個体がセラスの矢に射抜かれて転がった。エマの張った聖壁が一度だけ鈍い音を返したものの、馬車列は崩れずに続いてくる。
逃げていた十四人の脇を通り過ぎ、俺たちは追う側と追われる側の間へ入った。魔獣たちは獲物を変えるようにこちらへ向きを揃えたが、そこから先は長くなかった。シンデレラの銃声が重なるたびに一頭ずつ数を減らし、横へ逃れた個体にはサクヤの雷霆が食いつく。それでも外へ抜けたものは、後方から飛んでくるセラスの矢が止めた。
「右から三!」
「見えてる。ひとつ頼む!」
「ひとつと言わず――二つ!」
雷光が枝分かれし、二体がもつれて倒れる。一体だけ抜けてきたところを撃ち抜くと、サクヤがすぐにこちらへ顔を向けた。
「今の私の方が多かった!」
「張り合うところか?」
「大事でしょ!」
「わかったわかった。後で好きなだけ自慢を聞いてやるよ」
「約束ね!」
最後の一頭が街道脇へ転がったところで、黒鹿が自分から速度を緩めた。
「……ヒロインって、もっとこう、大事に乗せてもらうものじゃない?」
「これだけ喋り続けておいて、今さら儚げな役に戻るのは無理があるだろ」
「ひどくない?」
「落とさなかったし、褒めもした。十分頑張ったぞ、俺」
「ルクスさんが頑張った話になってる!」
文句を言いながらも声は弾んでいた。少なくとも、さっきの雷霆を褒められた分については満足したらしい。
追いついてきた馬車を止め、十四人を四台へ分乗させる。怪我のひどい者からエマが手を入れていく間に話を聞いたが、彼らも全体の数は知らなかった。城外の農地や集落から逃げてきたこと、別方向にも魔獣がいることだけは、誰に聞いても同じだった。
再びバルガルドへ向かった俺たちを迎えたのは、閉ざされた城門ではなかった。門前では帝国兵が避難民を次々に内側へ通し、別の兵士たちが負傷者を救護所へ振り分けている。荷車を脇へ押し込み、城壁へ補給箱を運ぶ一団もいた。騒がしくはあるが、何をすべきかわからず右往左往している者はほとんどいない。
「そこの四台、止まるな! 避難民を先に中へ入れろ!」
指示に従って門をくぐると、広場の中央で次々に命令を飛ばしている大柄な男がこちらを見た。額から右頬へ古い傷が走り、胸と肩を覆う鎧には泥が乾いてこびりついている。
「街道で魔獣を片付けた一行というのは、お前たちか」
「ああ。三十ほど追ってきてたからな。ついでに掃除してきた」
男の視線が俺の鎧からサクヤ、セラスへ動き、後方で避難民の治療を続けるエマまで確認する。
「まだ戦えるか?」
「この程度で店仕舞いじゃ、冒険者なんてやってられないからな」
「なら一つ聞く。軍の指示に従えるか」
「無茶と無謀を同じものだと思ってない指揮官ならな」
男の口元が少しだけ動いた。
「気に入った。俺も部下に無駄死にさせる趣味はない。北門へ来い。死んでも通すな、とは言わん。死なずに通すな」
「そっちの方が性に合う」
「ハインツ守備隊長! 北壁、第一射の準備が整います!」
呼ばれた男――ハインツが城壁を顎で示した。
「来い。見た方が早い」
ミレイユたちは軍の誘導に従い、四台の馬車ごと広場の奥へ入っていく。エマは救護所へ運ばれていく負傷者を見て一度こちらを振り返ったが、俺が頷くと治癒術士たちの方へ走った。セラスは牝鹿を預け、俺とサクヤと一緒に石段を上る。
城壁の上では兵士たちが砲身の向きを揃えていた。左耳を金属の覆いで塞いだ女が射角と距離を飛ばし、六門の重魔導砲へ次々に指示を出している。その脇を抜けて城外へ目を向けた俺は、さっきの三十体を大群だと思った自分をすぐに訂正した。
狼型、大型の四足獣、地を這うもの、その上を旋回する影。見える範囲だけでも種類はばらばらなのに、互いへ牙を向ける個体はいない。地面を埋めるほどの群れがひとつの流れになり、バルガルドの城壁へ押し寄せていた。
「……ねえ、ルクスさん。さっきの三十匹って、もしかしてほんの一部?」
さっきまでとは違う低い声が、俺の前から上がった。
「見りゃわかるだろ。さっきので終わりなら、俺たちが戦力として求められてない」
「……だよねぇ」
「重魔導砲、射程内!」
女の声が城壁を走る。砲兵たちが一斉に身を伏せ、俺の前ではサクヤが今度こそ言われる前に耳を塞いだ。
「第一射――撃て!」
六つの轟音が重なり、足元の石壁が震えた。




