第六十六話 痛くなければ覚えませぬ
翌朝、訓練場へ出ると、昨日とは訓練の形を変えた。
サクヤはセラスの前へ、エマは俺の前へ。二人とも昨日の依頼で判断そのものは悪くなかった。だから今日は、判断したことを身体がきちんと実行できるようにする。
「まず足ね。殴るのはそのあと」
「朝一番から地味ぃ……」
「その地味なのが出来てないから、アタシが見てるのよ」
セラスは容赦がない。サクヤが一歩踏み込めば足の置き場所を直し、引けば腰の高さを指で示す。何度か繰り返したところで、ようやく組手へ移った。
「犰狳、使ってみなさい」
「はいはい、やりますよっと! 強化術式――犰狳!」
黒紫の魔力が巡った途端、サクヤの踏み込みが一段鋭くなる。その勢いのまま伸びてきた拳を、セラスは半身になって受け流し、そのまま前腕を取った。ほんの一瞬組み合っただけで、眉がわずかに上がる。
「その犰狳って強化、全身に行き渡らせようとしてるから出力がバラけてんのよ。打撃の瞬間に拳にだけ集中させなさい」
「組み合っただけでなんでそんなとこまでわかるの!?」
「力の入れ方が均一すぎるのよ」
「戦闘中にそんな精度求められてもぉ!」
文句を言いつつ、サクヤはもう一度踏み込んだ。今度は拳へ意識を寄せたらしいが、その一瞬だけ肩が固まる。
「遅いっ!」
「今やろうとしてたの!」
「戦ってる相手は待ってくれないわよ」
「わかってるけどぉ!」
言い終わるより先に足を払われ、サクヤの尻と狐尾が地面へ落ちた。
見ていた俺としても、セラスの指摘には納得しかない。サクヤは術の扱いそのものが下手なわけじゃない。雷霆の制御はむしろ器用な部類だ。ただ、自分の身体を強化しながら殴るとなると、速さと経験で多少の崩れを押し切る癖がある。
「筋は悪くないけど、経験と種族特有の身体能力に頼りすぎね。速く動けるから誤魔化せてるだけ」
「昨日からみんなして私の殴り方に厳しくない?」
「せっかく強く出来る身体があるのに、雑に使ってるからよ」
地面に尻をついたまま、サクヤの恨めしげな視線がこっちへ向いた。
「俺を見るな。お前はセラスに任せたんだ」
「逃げた!」
「適材適所だ」
背後から楽しそうな笑い声が聞こえたせいで、サクヤの狐耳が一気に逆立った。
◇
「じゃあ、エマ。構えろ」
「……これを、ですか?」
手の中の錫杖剣へ視線を落としたエマは、どうにも納得がいかないらしく眉尻を下げた。
「これは剣といっても、戦うためのものでは……」
「使えるなら武器だ」
聞けば、一定の修練を修めた聖職者に与えられる証らしい。刃はあるが、剣士が敵を斬るために持つものとは少し違う。実用品というより、身につける者の資格や立場を示す意味合いの方が強いようだった。
なら、エマが剣術を習っていないのも不思議じゃない。
「伏魔殿のように、いつ何時でも俺が前にいるとは限らない」
錫杖剣を抱え気味にしていた腕がわずかに止まり、それまで困ったように下がっていた眉が、はっとするように持ち上がった。
「倒す為じゃない。生き延びる為に学べ」
「……はい」
「斬り返そうとするな。受ける、逸らす、距離を取る。そのどれか一つでいい。そこからお前の得意なものへ繋げろ」
速度を落として剣を振ると、最初の一撃をまともに受けたエマの腕がそのまま押し込まれ、顔が苦しげに歪む。次は斜めへ流そうとして手首が遅れ、その次は早めに退いて刃の届く場所から抜ける。
「今のは悪くない」
「ほ、本当ですか?」
「ああ。じゃあもう一回」
「ですよね……」
十度も繰り返さないうちに、エマの息が目に見えて荒くなった。肩が上下し、構えを作る腕も下がってくる。技術以前に、こっちの方が問題らしい。
「伏魔殿じゃ、随分無茶したらしいな」
「……サクヤさん、どこまで話したんですか」
「撒き餌になって怪人魚を誘き出すだけのはずが、巨大な鰐の魔獣まで釣り上げたところまでだ」
「それは概ね全部っていうことですね……」
その言い方に少し笑ってから、俺は剣先を下げた。
「生き延びる為に必要だったからやった。そこまではいい。じゃあ、同じ状況でもう一度やれって言われたら出来るか?」
答えようとしたエマの口が途中で止まる。出来ないとは言いたくないらしいが、出来るとも言い切れない顔だった。
「基礎能力があるかないかで、同じ無茶でも作戦か博打かに変わる」
「……つまり」
「瀕死の手前程度まで走るぞ」
「やっぱりそうなるんですか!?」
訓練場の向こうから、地面へ転がされたサクヤの笑い声が聞こえた。
「エマぁ! こっちよりマシだから頑張って!」
「サクヤさんも全然マシに見えません!」
◇
それから数日は、似たような朝から始まった。
サクヤは足を直され、腰を直され、犰狳の出力を拳や脚へ移すたびにセラスから「遅い」「広げすぎ」「今のはいい」と容赦なく言われ続けた。最初は一つ意識すれば一つ抜けていたが、日が進むにつれて、踏み込んだ姿勢が崩れる回数は少しずつ減っていった。
「それに体幹も鍛えれば、身体が綺麗に見えるわよ」
「……何の話?」
「ルクス振り向かせたいんでしょ?」
「今それ関係ないでしょ!?」
そこまで勢いよく否定したくせに、少し休んだ後にはサクヤの方から腰を上げた。
「……もう一回」
「あら、やる気出た? 恋する乙女はチョロいわ」
「うっさい! チョロいは余計だし!」
今度の踏み込みは確かに綺麗だった。最初の足掛けにも耐え、循環させた魔力を拳へ寄せながら打ち込む。けれどセラスはその腕を受けると、次の足払いで重心を浮かせて腰へ手を回した。
「ちょ、待っ――」
言葉が途切れた直後、サクヤの身体が地面から浮いた。
「ひょわっ!――痛ったぁっ!」
「今のはさっきより良かったわよ」
「良かったなら投げないでよ!」
「敵ならもっと酷いことするわ」
「正論で殴るのやめて!」
隣ではエマが走り込みを終えたばかりで、膝へ手をつきながら荒い息を整えていた。休ませすぎると意味がないので、そのまま錫杖剣を構えさせる。疲れた状態でも一撃だけ受け、逸らし、離れる。そこから跳座か聖壁へ繋げられれば十分だ。
五日程度で別人になるわけじゃない。それでも最初の日に比べれば、サクヤは強引に身体を振り回す回数が減り、エマは息が上がってからも足を止めなくなった。
最終日の夕方には、とうとう二人とも訓練場の端で仰向けになっていた。
「ルクスさんは私達を何にしたいわけぇ……?」
「もう足が自分のじゃないです……」
腕を組んだまま少し考えてから、息一つ乱さず立っているセラスへ目を向ける。
「……コイツが目標地点だ」
「はぁ!? 化け物目指せって言うの?」
「魔神を討った人を目標時点にするのは無理です!」
二人の声が綺麗に重なり、化け物扱いまでされたセラスまで呆れた顔を向けてくる。
「さすがに二人が私みたいに動けるなら魔神でも倒せるわよ。もっと目指しやすい指標にしてあげなさい」
「セラスにしては一理あるな」
「アタシにしてはってのは余計だっつうの。あとサクヤは組手を十本追加ね」
「やっぱり化け物だよ! 可愛い後輩に慈悲っていうものがないの!?」
その後、陽が落ちる頃合いまで、悲鳴なのか笑い声なの判別のつかない声があがっていた。
◇
出発の朝、王都の門前には四台の馬車が並んでいた。
荷の最終確認や御者たちの声が飛び交う中、俺は黒鹿の傍で手綱を確かめていた。少し離れたところではセラスの牝鹿が耳を動かし、先頭の馬車ではサクヤとエマが荷物を収め終えたところだった。
そこへミレイユが差し出してきたのは、見覚えのある深紅の外套だった。
「……いいのか?」
「帝国領でも名を売るのなら、象徴となるものが必要ですからね」
新しい外套を受け取り、左肩へ留めようとしたところで横から手が伸びてくる。
「私がやる」
「ん?」
「いいから。貸して」
外套を持っていかれ、言われるまま身体を少し落として、留め具を扱いやすい高さへ肩を寄せる。サクヤは金具を確かめながら赤い布を整え、最後に残った皺を指先で払った。
「……私以外にデレデレしないで」
「顔がないのに、なんでそう見えるんだ」
「惚れた女の直感と狐の勘」
「便利だな、それ」
「ごく一部の人にだけ便利なの」
言い切ったサクヤは満足したらしく、仕上げとばかりに外套をもう一度整えた。
やがて四台の馬車が動き出す。俺は黒鹿へ跨がり、セラスは牝鹿でその脇を進む。風を受けた赤い外套が背中で揺れ、王都の城壁が少しずつ遠ざかっていった。
しばらく街道を進んだところで、懐からガダンに渡された小さな紋章を取り出した。
何度見ても、まともな連中が掲げる意匠には見えない。
隣から牝鹿の足音が近づき、肩越しにセラスが覗き込んでくる。
「真っ当な活動してる組織の紋章じゃないのだけはわかるわ」
「全面的に同意見だな。少なくとも公的な組織には見えん」
「魔神のほうがもっと地味だったもの。これ何?」
比較対象がおかしい気もするが、言いたいことは分かる。
掌の上にある紋章へ、もう一度視線を落とす。
「俺たちの新しい獲物だ」




