第六十五話 ルクス・ブートキャンプ
ミレイユの帝国行きまで、まだ五日空いていた。
休みにしてもよかったんだが、サクヤとエマは伏魔殿から戻ったばかりだ。あそこで生き残れたことと、次も生き残れることは同じじゃない。朝一番でギルドへ寄った俺は、二等級の討伐依頼を二枚抜き取って二人へ差し出した。
「今日は俺とセラスは、基本的に手を出さない。最初にどう動くか、誰を先に潰すか、抜かれた時にどうするか。そこまで自分たちで決めろ」
「いきなり難度上がってません?」
エマが依頼書と俺の顔を交互に見上げる。隣ではサクヤが一枚目へ目を通し、口元を引きつらせていた。
「ゴブリンロード率いる群れ……って、朝から濃くない? ルクスさん」
「二等級になったんだろ?」
「なったけど! なった翌日から便利に使うのは違わない?」
「大丈夫よ。死にそうになったら助けてあげる」
後ろから覗き込んだセラスが、いかにも安心させる声音で言った。
「死にそうになるまでは助けないって意味ですよね、それ」
「エマ、賢くなったわね」
「嬉しくありません!」
文句を言えるなら元気だ。俺は二枚目の依頼書も畳んで腰へ差し込み、先に歩き出した。
◇
森の外れにある廃村へ着いた頃には、ゴブリンどももこちらへ気づいていた。
崩れた家屋の間から十数匹が飛び出し、錆びた刃物や棍棒を振り回しながら真っ直ぐ女三人へ群がってくる。俺は最後尾で足を止めた。セラスも弓へ手を掛けず、少し離れて見ている。
「すごい数が来てますけど!」
先頭の数匹が距離を詰める。いつものように雷霆を放つのかと思ったが、サクヤは嫌そうに顔をしかめた。
「来てるのはわかるの! ああもう! コレあんまり好きじゃないんだけど! 強化術式――犰狳!」
サクヤの拳と脚へ呪力が集中し、踏み込みと同時に地面を蹴る音が変わった。
一匹の棍棒を半歩ずれてかわし、そのまま懐へ潜る。拳が顎へ突き上がり、ゴブリンの身体が後ろの二匹まで巻き込んで転がった。
「ふぅん。強化して近接戦闘も出来るのね」
隣で見ていたセラスが、少し感心したように声を漏らす。
「とはいえ、経験でなんとかしてるだけで身体の動かし方は無茶だな」
力そのものは十分ある。だが、踏み込むたびに上体まで一緒に流れるし、殴った後の重心も戻りきっていない。実戦慣れで無理やり次の動きへ繋いでいるから形にはなっているが、身体を強化した分まで扱い切れているとは言い難い。
「後でそこも直す?」
「当然」
「うわぁ。サクヤ、可哀想」
「聞こえてるからね!?」
振り返る余裕まではないらしく、声だけが飛んできた。
その直後、別の一匹が背後からサクヤの肩へしがみついた。眉間に青筋を浮かべたサクヤが、身体を捻ってそいつを引き剥がす。
「オラァ! 勝手に触ってんじゃないんだよ下衆がっ!」
「サクヤ、もう一匹来てるぞ!」
「分かってますぅ!」
肩へ掴みかかった奴を振りほどいたところへ、別のゴブリンが空いた脇へ飛び込んでくる。サクヤは踏み込んできたそいつを蹴り飛ばし、できた隙間をエマが抜けた。
錫杖剣を両手で構えたものの、斬りにいかない。突き出された短剣を刃で受け、力負けすると見るや手首を返して外へ逸らす。そこへさらに一匹が距離を詰めてきたため、エマは跳座で間合いそのものを切った。
派手さはないが、それでいい。エマが剣で勝つ必要はない。次の魔術を使える場所まで生きて戻れれば十分だ。
「エマ、追いつかれるぞ」
「はいっ――聖壁!」
追いすがってきた二匹の目前へ半透明の壁が生まれ、そのまま勢いよくぶつかった。一匹が跳ね返され、もう一匹まで巻き込んでもつれる。その間にサクヤが一匹を殴り倒し、残った一匹の足を払った。
雑魚が片づいたところで、家屋の奥からひときわ大きな影が出てきた。粗末な鉄鎧を着込み、人間から奪ったらしい大剣を引きずるゴブリンロードだ。
「ここからどうする?」
俺が聞くと、サクヤは一瞬だけこちらを見た。
「ルクスさん、前で受けてもらえる? 殴り返すのは禁止ね」
「注文が増えたな」
「手ぇ出さないって言ったの、そっちでしょ」
言うようになった。
俺が前へ出ると、ロードは迷わず大剣を叩きつけてきた。両腕を交差して受け止める。重いが、問題ない。
「エマ! 剣を振る方から離れて、回り込んで!」
「分かりました!」
「ルクスさん、そのまま!」
「俺、盾としての扱い雑じゃないか?」
「頑丈なんだから我慢して!」
笑いそうになるのを堪えながら二撃目も受ける。ロードが大剣を振り戻そうと踏み込んだ先へ、エマの聖壁が立ち上がった。足を止められた巨体がわずかに傾く。
サクヤはそこを見逃さない。犰狳で強化した脚で地を蹴り、ロードが大剣へ意識を取られている隙に背後へ潜り込む。膝裏へ蹴りを叩き込んで巨体を崩し、続けて拳を側頭部へ打ち込んだ。それでも倒れきらないと見るや、無理に追わず距離を取る。
「エマ、逃げ道塞いで!」
「はい! 今度は逃がしません!」
ロードがサクヤを追おうとした先へ、二枚目の聖壁が立ち塞がった。後ろには俺、踏み出した先には壁。巨体が動きを止めた一瞬を、サクヤは逃さなかった。
雷霆が轟き、ロードの身体が激しく痙攣して地面へ沈む。
「……近づいて殴るだけじゃなくなったな」
「そこ褒めるとこ?」
「褒めてるぞ。ちゃんと勝ち方を選んでいるからな」
サクヤは少しだけ黙り、それから誤魔化すように髪をかき上げた。
「なら、まあ……悪くないかな」
狐耳がゆっくりと外側に広がり、頬が微かに紅潮している。そこを突くと話が長くなりそうなので放っておいた。
◇
二つ目の依頼は、山中に棲みついた巨大トロールの群れだった。
厄介なのは数より、その巣に攫われた女たちがいることだ。敵を倒せば終わりじゃない。守る相手がいる状態で前を抜かれた時、どう立て直すか――今日やらせたかったのは、むしろこっちだった。
「サクヤ、決めろ」
岩陰から巣を見下ろしながら告げると、サクヤはしばらく黙って配置を見た。巣穴の入口を二体が塞ぎ、その奥にもまだ影がある。攫われた女たちは入口から少し離れた岩壁際へ固められていた。
「……エマ、助ける方を優先。私が入口の二体を引っ張る。ルクスさんは抜けた奴だけ止めて。セラスさんは――」
「今日は見てるだけでいいわよ」
「じゃ、それで。私がしくじったら笑ってよ」
「ええ。盛大に」
「そこは励ますとこじゃない?」
サクヤが苦笑し、すぐに表情を締めた。
戦いが始まってからは速かった。雷霆で入口の一体を振り向かせ、もう一体へ犰狳で踏み込む。エマは二体の意識がサクヤへ向いた隙に岩壁沿いを走り、捕まっていた女たちの拘束を外していった。
だが、巣穴の奥から現れた三体目は、サクヤを無視してエマたちへ向かった。
「一体そっち行った!」
「大丈夫です! 見えてます!」
俺はトロールと女たちの間へ割り込み、振り下ろされた棍棒を肩で受ける。反撃はしない。
俺へ狙いを変えたトロールが再び棍棒を振り上げた瞬間、エマが叫んだ。
「サクヤさん! みんな動けます!」
「岩壁沿いに離して、ルクスさんが押さえてる奴には近づけないで!」
「はい!」
指示を出しながら、サクヤは自分の相手を無理に仕留めようとはしなかった。一度間合いを外し、雷霆を地面すれすれに走らせて進路を限定する。追い立てられたトロールは、俺が押さえている一体の近くへ寄せられていった。
守る相手と敵を離す。そのためなら倒す順番も変える。さっきのゴブリン戦より、判断が一段速い。
「ルクスさん、そいつら二体ともそこで止められる?」
「誰に聞いてる」
「じゃ、お願い!」
俺が二体の進路を塞ぐと、サクヤは迷わず距離を取った。二体が俺を押し退けようと密集したところへ雷霆が横薙ぎに走り、片方が膝を折る。
残った一体がサクヤへ向き直ろうとした瞬間、その踏み出し先へ聖壁がせり上がった。脛を取られた巨体が前のめりに崩れ、その隙をサクヤが仕留める。
最後の一体が倒れる頃には、攫われていた女たちも戦場から十分に離れていた。
「はぁっ……はぁ……ど、どう?」
両手を膝について息を弾ませたサクヤが、真っ先に俺を見る。
「俺が答える前に、エマは?」
「最初より怖くありませんでした。サクヤさんが次に何をするか、ちゃんと分かったので」
「そこはルクスさんが評価してよ!」
悪くない。少なくとも、俺が全部決めなきゃ動けない二人ではなくなっていた。
◇
王都へ戻った時には、二人とも明らかに足が重くなっていた。
だから宿へ帰ろうとした二人を、俺はそのまま訓練場へ連れていった。
「……ルクスさん? なんで訓練場なの?」
「なんだ?」
「依頼、終わったよね? 聞きたくないけど、絶対的に嫌な予感がする」
「実戦が終わっただけだ」
俺が重りを置くと、エマの顔から血の気が引いた。サクヤは数秒ほど無言でそれを見つめ、やがて乾いた笑いを漏らす。
「わっはぁ......本気だ、この人」
「体幹、脚、持久力。疲れてから姿勢を崩さない練習までやるぞ」
「わたし、治癒術士なんですけど……」
「だからだよ。お前が先に倒れたら、誰が治す」
エマは何か言い返そうとして、結局口を閉じた。納得したらしい。
日が傾く頃には二人とも地面へ転がっていたので、多次元ポシェットから小瓶を二本取り出して投げる。
「飲め。俺が調合した強壮薬だ」
サクヤが受け取った瓶と俺を見比べる。
「……これ飲んだら、今日はもう終わり?」
「少し休んで再開だな」
「鬼、悪魔、リビングアーマー」
「黒騎士だ」
「そこ否定しないんだ……」
隣で瓶を握ったエマが、今にも泣きそうな顔でセラスを見る。
「セラスさん、止めてください……」
「無理ね。昔からこういう時のルクス、楽しそうだもの」
「否定はしないが、言い方を考えてくれ。そういう趣味だと思われるだろ」
「そういうことにしておいてあげる」
二人の恨めしそうな視線を受けながら、俺は次の重りを並べた。
帝国へ出るまでの時間は短い。だからこそ、できることはやっておく。せめて次に無茶をする時は、生き残れる無茶にしてもらわないとな。




