第六十三話 実践で学ぼう、乙女の攻略法
商業区まで来たところで、改めて立ち並ぶ店を眺めた。
日が落ちても王都の大通りは明るい。軒先から下がった魔導灯が石畳へ淡い光を落とし、その下を帰宅途中の人々や、これから酒場へ向かうらしい集団が行き交っている。菓子、衣服、革細工、装飾品。店先を飾る品々は目に入るのに、エマへ渡すものとなると途端にどれも決め手を欠いた。
好きなものなら、一つは知っている。
砂糖漬けの果実だ。
野営の火を囲みながら嬉しそうに摘まんでいた姿も、店先に並ぶ袋を物欲しそうに眺めていたことも覚えている。甘いものなら、まず外さないだろう。
ただ、腕の中にはサクヤへ渡すための本がある。
本と菓子。
並べた途端、妙な引っかかりが残った。どちらが高いだとか、立派だとか、そういう話ではない。けれど贈り物についてミレイユからあれこれ聞かされた直後だけに、適当に済ませたようにはしたくなかった。
視線の先で、銀細工の首飾りが店先の灯りを弾いた。
「……装飾品、か」
足を止めたものの、すぐに違う気がしてきた。
聖職者が飾りをいくつも身につけるわけではない。そのくらいは知っている。だが、それ以前の問題として、エマが銀を好むのか、金を好むのか、石なら何色が好きなのかすら知らない。
考えれば考えるほど、何も出てこなかった。
旅の途中で何を食べるかは知っている。疲れている時の顔も、無理をしている時の声もわかる。治癒術を使いすぎた時にどんな顔をするかだって知っているのに、欲しいものを聞かれただけで、頭の中が驚くほど静かになる。
「……そういう話、したことなかったな」
口にしてから、少し可笑しくなった。
あれだけ一緒に旅をしておいて、知っているのは生きるために必要なことばかりだ。
何が好きで、何が欲しくて、何を見れば嬉しくなるのか。そんな話は、ほとんどしていない。
けれど、そこでいつまでも立ち止まっているのも違う。
少し前、サクヤが俺のことをもっと知りたいと言っていた。知らないなら聞けばいい。あいつが俺にそうしたように、俺だってエマに聞けばいいだけだ。
「迷ってても仕方ない、か」
今わかっているものから選べばいい。
通りの先に、果実を使った菓子を並べている店が見えた。窓越しにもわかるほど包装や箱に手がかかっていて、普段買う砂糖漬けより随分と上等そうだ。
「……ここだな」
扉へ手を掛けると、小さな鐘が澄んだ音を立てた。
◇
屋敷へ戻る頃には、腕の中の荷物が少し増えていた。
玄関を抜けると、リビングの方から話し声が聞こえる。まだ起きていたらしい。
顔を出した瞬間、狐耳がぴくりとこちらを向いた。
「あ、逃亡犯帰ってきた」
「本当ですね。ちゃんと戻ってきました」
「誰が逃亡犯だ」
返した時には、もう二人ともこちらへ寄ってきていた。
「ルクスさんでしょ。さっき思いっきり逃げたじゃん」
「逃げてない。用事があったんだ」
「へえー? ちょうど聞きたいことがあるって言ったところで?」
「『少し出掛けてくる』って、そのまま行っちゃいましたよね」
「だから用事だって言ってるだろ。というか、お前ら急に息合いすぎじゃないか?」
揃ってこちらを見る顔に、反省する気配はない。
「エマ、逃げたよね?」
「逃げました」
「お前まで即答するな」
帰ってきて早々、左右から取り調べを受ける羽目になった。
そのうち、サクヤの視線が腕の中へ落ちる。
「……なにそれ」
「ああ。ちょうどいい」
これ以上この話を続けると、本当に座らされて尋問が始まりそうだ。
「二人ともいるなら、今渡すか」
「え?」
まず一つ、長方形の包みを差し出す。
「サクヤ」
「私?」
不思議そうに受け取った指が、包みを留めていた紐へ掛かった。
「開けていい?」
「そのために渡したんだ」
紙が丁寧に剥がされていく。
中から現れた表紙を見た途端、狐耳がぴんと立った。
「……え」
もう一度、表紙へ目を落とす。
「ちょっと待って。これ、新しいやつ!?」
「らしいな」
「らしいなって――これまだ出てないでしょ!? なんでルクスさんが持ってんの?」
「ミレイユの商会が出版に関わってるそうだ。頼んだら一冊譲ってくれた」
「え、嘘。ほんとに? ちょっと待って、これ……えぇ……!」
本を抱えたまま、目だけが忙しく表紙と俺の間を往復している。そこまで喜ぶものなのかと思いながら、もう一つの包みを差し出した。
「エマも」
「わたしにもですか?」
「お前も今回、よくやったからな」
両手で受け取った包みは、本より小さい。けれど箱そのものがしっかりしているせいか、それなりに重みはあるらしい。
包装が解かれ、蓋が開く。
「わあ……」
箱の中には、色の違う果実菓子が整然と並んでいる。蜜をまとったもの、薄く砂糖をまぶしたもの、果肉を煮詰めて固めたもの。見た目だけなら、普段口にしている砂糖漬けよりずっと上等だ。
「甘いもの好きだっただろ」
「……覚えててくださったんですね」
「そりゃ覚えてる。何度食ってるところ見たと思ってるんだ」
「そんなに見られてたんですか?」
「見えるところで食ってたからな」
少し恥ずかしそうに笑いながら、箱の中を覗き込んでいる。
隣ではサクヤが本を胸元に抱えたまま、まだ表紙を眺めていた。
「これ、ほんとに貰っていいんだよね?」
「返せと言われても困るぞ」
「返さないけど!」
即答だった。
二人の顔を見ているうちに、昼間ではなく、ついさっき聞いた言葉がふっと頭へ戻ってきた。
――こういうものがあるかないかで、受け取る側の気持ちは全然違いますよ。
その時は、包んだところで中身は同じだろうと思った。
けれど、丁寧に紙を開いて、本を抱えて笑うサクヤと、箱の中を嬉しそうに眺めるエマを見ていると、どうやら俺が思っていたより大きな違いがあるらしい。
「……これか」
「何?」
「いや。こっちの話だ」
そう返したところで、廊下の奥から、ずるずると足を引きずるような音が近づいてきた。
「なにぃ……なんか楽しそうなことしてる……?」
現れた姿に、二人の空気が一瞬止まる。
下着姿で、瞼は半分閉じたまま。片手は腹をぼりぼり掻いている。
「セラスさん、服」
「せめて何か着てきてください……」
「いいじゃない、今さら……」
「お前、せめて腹掻くのやめろ」
「細かいわねえ」
眠気の残った声でぶつぶつ言いながら、こちらまで寄ってくる。
「で、なに? 二人して何もらったの?」
「ああ、そうだ」
まだ残っていた最後の品へ手を伸ばした。
「お前にもあるぞ」
「え、アタシにも?」
渡したのは、両腕で抱えるほどの大きな酒瓶だった。
透明な酒の中で、太い蛇がぐるりと身を丸めて沈んでいる。
「……えぇ……」
「それは……」
左右から、明らかに引いた声が重なった。
だが、受け取った当人だけは違った。
半分閉じていた瞼が、酒の中の蛇を認めた途端に持ち上がる。瓶を灯りへ透かし、沈んだ大蛇を上から下まで眺めたあと、口元が一気に緩んだ。
「おおっ……! なにこれ、いいじゃない!」
「好きそうだと思った」
「わかってんじゃ~ん!」
機嫌よく瓶を抱きしめる姿を横に、サクヤとエマがなんとも言えない顔をしている。
「喜ぶんだ、それ……」
「セラスさん、本当に飲むんですね……」
「何よ。絶対美味しいわよ、これ」
「その見た目で?」
「見た目がいいんじゃない」
どうやら、俺の選択は間違っていなかったらしい。
蛇酒を抱えたまま上機嫌なセラスと、まだ納得できていない二人を眺めているうちに、もう一つ伝えるべきことを思い出した。
「そうだ。お前らに話がある」
本から顔が上がり、菓子の箱もそっと閉じられる。
「新しい依頼だ。帝国への――」
「その前に、聞きたいことがあります」
ぴたりと声を重ねられた。
横を見ると、エマの目がまっすぐこちらを向いている。その隣でも、琥珀色の瞳が逃がす気などないと言わんばかりに細められていた。
「うん。それ、まだ終わってないからね」
「……まだ覚えてたのか」
「忘れるわけないじゃん」
「帰ってきたら続きを聞こうと思っていました」
どうやら、贈り物で有耶無耶になったわけではなかったらしい。
帝国の話を先に済ませようと口を開きかけたが、二人とも退く様子がない。蛇酒を抱えたセラスまで、面白そうにこちらを見ている。
諦めて、空いていた椅子へ腰を落とした。
「……わかった」
もう逃げ道はない。
「もう今日は、なんでも聞いてくれ」




