第六十一話 生還と昇級には祝杯を
サクヤがようやく腕をほどいたところで、今度は右手側から弾んだ声が飛んできた。
「私も、今回のことは今後の昇級で評価していただけるそうです」
振り向けば、エマの顔には結果を聞いたばかりらしい嬉しさがそのまま残っている。
「そうか。エマもちゃんと評価されたんだな」
「はいっ」
「当然よ。あんなところに潜って、ちゃんと仕事して帰ってきたんだから」
横からセラスまで口を挟むと、エマは少し照れたように笑った。二等級という形にはならなくても、命懸けでやったことが無駄にならなかったなら十分だろう。
「そういや、この前は全員疲れ切ってて、打ち上げどころじゃなかったな」
少し離れたところから声が届いた。
そちらへ目を向けると、三人の男が揃って近づいてくる。
猫耳に身軽そうな装備。サクヤから聞いていたミトランのアルジャノというのは、こいつか。その隣にいる小柄でがっしりしたドワーフは、槌使いのドルグク。となれば、残る一人がライルだろう。
伏魔殿でサクヤやエマと一緒だった連中だとは聞いていたが、こうして顔を合わせるのは初めてだ。
「せっかく昇級も決まったんだ。これからどっか行くか?」
「店ならもう押さえてあるわよ」
間髪入れずに返ってきた。
「……いつの間に?」
「アンタたちを待ってる間。どうせ今日は飲むことになると思ってたし」
「いま酒って言ったか? さっさと行こう」
さっきまで頭を押さえていたアルジャノが、急に顔を上げた。
「お前、二日酔いじゃなかったのか?」
「それとこれとは話が別だ」
ライルの呆れた声にも迷いがない。どうやら酒を控えるという選択肢は、最初から頭にないらしい。
そこでライルが、俺とエマの方を見比べるようにして眉を上げた。
「アンタたちが噂になってる二人なのは知ってるけど、なんで俺達まで?」
「何言ってんのよ」
セラスはすぐさまエマとサクヤの間へ入り、そのまま二人まとめて肩を抱き寄せた。
「アタシの可愛い二人と冒険した仲間なんでしょ? だったら、仲間同士で祝うのが当たり前じゃない」
「うわぁ! 顔が良い! いい匂いがする! 近い!」
至近距離から顔を覗き込まれたサクヤが、一気にまくし立てる。
「なによその感想」
「だって近いって! 近いから!」
「はいはい。可愛い可愛い」
「雑に流さないで!」
片側で騒ぐサクヤとは対照的に、エマは慣れているのか少し困ったように笑うだけだった。
ライルはそんな三人を眺め、少し面食らったあとでふっと笑った。
「そういうことなら、遠慮なく乗っからせてもらうか」
「そうしなさい」
「だから早く行こうぜ。酒が待ってんだろ?」
「アンタ、急に元気になったわね」
「酒は別腹だ」
「それ、腹の話なの?」
そんなやり取りをしながら、もう出口へ向かっている。サクヤとエマも笑いながら続き、ライルとドルグクも歩き出した。
結局、俺までその流れに巻き込まれた。
着いた店を見た途端、サクヤの耳がぴんと立った。
「あ、ここ!」
「気に入った?」
「うん。ここ好き」
それを聞いたセラスの顔に、してやったりという笑みが浮かぶ。
店内へ入れば、人数分の席はすでに整えられていた。卓上には酒瓶や水差しまで並び、腰を落ち着ける頃には厨房から湯気の立つ皿が次々と運ばれてくる。待ち時間だけで、よくここまで手を回したものだ。
「可愛い妹分のエマとサクヤが世話になったみたいだからね。お祝いも兼ねて好きなだけ飲み食いしていいわよ! この黒いのが奢るから!」
最後の一言で、卓を囲む視線が一斉にこちらへ集まった。
「このエルフの言った通り、好きにやってくれ」
「さっすが、話が早い」
「最初から俺に払わせるつもりだっただろ」
「細かいこと気にしないの」
悪びれもしない。
まあ、サクヤとエマが世話になったというのは事実だ。伏魔殿まで一緒に入って全員生きて帰った相手なら、飯と酒くらい好きなだけ頼ませても構わない。
俺の右隣にはエマ、その隣にサクヤ。向かい側の中央にはセラスが座り、左右へライルたちが続いた。
知り合ってまだ間もないはずなのに、向かいではもう遠慮というものが消えている。ドルグクとは酒の話で意気投合し、アルジャノの杯には勝手に酒を足し、ライルから話を振られれば当たり前のように応じている。
全員に飲み物が行き渡ったところで、ライルの視線がサクヤへ向いた。
「伏魔殿の中でも実質的に舵切ってたのはサクヤだ。気の利いた音頭でも取ってくれ」
「え、私!?」
「適任だろ」
「急に言われても……」
耳を揺らしながら卓を見回し、それでも逃げる気はないらしい。ひとつ咳払いをしてから、杯が持ち上がった。
「じゃあ……全員ちゃんと帰ってこれたし、四人とも二等級になれたし、エマもちゃんと評価してもらえたし――細かいことは抜きにして、お疲れさま! 乾杯!」
「「「乾杯!」」」
重なった声と一緒に杯がぶつかり、店内の喧騒へ硬い音が混じった。
そこからは早かった。
大皿が届けば手が伸び、空いた場所には別の料理が置かれる。向かいではセラスとドルグクの杯が見るたびに空になり、酒と聞いた途端に元気を取り戻していたアルジャノも、調子よく杯を重ねていた。
右隣へ目を向ける。
久しぶりにこうして同じ卓を囲んでいるせいか、なんとなくエマの顔を眺めてしまった。
「……ちゃんと野菜も食べてますよ?」
「久しぶりだから顔を見てただけだ。好きなものだけ食べたらいい」
「え?」
きょとんとした頭へ、軽く手を置く。
「お前もよく生き延びた。上出来だ」
驚いていた表情が、ゆっくりほどけた。
「……はい」
その一言に満足して手を離すと、さらに向こうから視線が刺さった。
サクヤだ。
「……なんだ?」
「別に?」
別にと言うわりに、目だけはこちらから外れない。
「さっきも言ったが、お前もよくやった」
頭へ手を置き、そのまま狐耳の間を軽く撫でる。
「ん”お”っ!?」
手が止まった。
反射的に上体まで引いてしまい、しばらく互いに顔を見合わせる。
「…………」
「…………」
先に口を開いたのはサクヤだった。
「いや、今のは違うから」
「何がだ」
「私もそんな声出ると思ってなかったの!」
「俺も聞くと思ってなかった」
「そこ冷静に返さないで!」
頭を押さえながら顔を赤くするサクヤの横で、エマが堪えきれなくなったように笑い始めた。
「エマまで笑わないでよ!」
「ご、ごめんなさい。でも……んおっ、って……」
「復唱禁止!」
向かいからまで笑い声が混じり始める。
どうやら、しばらく忘れてもらえそうになかった。
酒宴はそのまま騒がしさを増していった。
「黒騎士の旦那は飲んでんのか?」
料理の合間に、ライルから声をかけられる。
「俺のことは気にしないでくれ。俺の分もあいつが呑む」
向かいへ視線をやる。
「ほら猫耳! 辛気臭い顔してないでもっと飲みなさい!」
「待てって! 首締まってる! それに揺らすな、アタマに響く!」
アルジャノの首へ片腕を回したまま、セラスは左右へ振り回していた。
「まだそんなこと言ってるの?」
「酒飲むのと頭揺らされんのは別なんだよ!」
隣でライルが吹き出した。
「確かに、旦那の分まで飲みそうだな」
「あれなら俺が飲む必要はないだろ」
「違いねえな」
笑いながら杯を傾ける横顔を見て、ひとつ思い出す。
「そういえば、聞きたいことがある」
「ん? 奢られた分くらい、なんでも答えるよ」
「伏魔殿に銀色の全身鎧がいたらしいな」
「ああ、いたいた! 少なく見積もっても二十程度はな」
「俺に似た空気はあったか?」
返事の代わりに、頭の先から足元まで一度眺められた。
「まず身体の大きさからして全然違うけどな。威圧感なら、あんたのほうがある」
「そこを聞いたわけじゃないんだが」
「冗談だよ。まあ、似てるっちゃ似てるけどな。ただ、あいつらは話が通じなさそうだった」
「そうか」
それ以上は聞かなかった。
周囲ではまだセラスとアルジャノが騒いでいる。わざわざ宴席を止めてまで掘り下げる話でもない。
料理を食べ、酒を飲み、くだらないことで笑っているうちに時間は過ぎた。
帰る頃にはアルジャノの頬もすっかり赤くなっていたが、それ以上にひどいのが一人いる。
「……歩けるか?」
「歩けるわよぉ」
三歩で壁へ向かった。
「これはダメそうだな」
そのまま肩へ担ぐ。
帰り道でも上から何か喋っていたが、半分以上は言葉になっていなかった。エマとサクヤを連れて屋敷へ戻り、個室まで運ぶ。
「着いたぞ」
「んー……」
返事らしいものはあった。
寝台へ放ると、一度だけ身体が跳ね、そのまま枕へ沈む。これで起きないなら放っておいても問題ないだろう。
「酒乱め、飲みすぎだ」
当然、返事はなかった。
さっきまでの騒がしさが途切れると、ライルとの会話が改めて頭へ戻ってきた。
強靭な耐久性。光る眼。全身を覆う鎧。
銀色で、体格も俺とは違う。それでも、自分の身体について何もわかっていない以上、似た特徴を持つものが現れたという事実は無視しづらい。
「ルクスさん」
考えを止めたのは、背後から聞こえたエマの声だった。
「ちょっといい?」
隣にはサクヤまでいる。
二人揃ってこちらを見ている時点で、嫌な予感はした。
「聞きそびれてましたけど、ここまで何があったのか、ちゃんと教えてください」
「私も。まだ全然聞けてないから」
どうやら昼間の話がまだ終わっていなかったらしい。
二人とも逃がす気はなさそうに見える。
「……少し出掛けてくる」
「あ!」
「逃げた!」
背中から飛んできた声には答えず、そのまま屋敷を出た。
別に逃げるためだけに外へ出たわけではない。
先日、仕事の依頼があると聞いていた。急ぎでなければ後日でも構わないが、外へ出たついでに都合だけでも確認しておけばいい。
向かった先はリーディアム商会だ。
まだ灯りの残る建物へ入り、受付で用件を伝える。
「ミレイユから仕事の話があると聞いて来た。今いなければ、都合のいい時間だけ教えてくれ」
応対していた商会員が奥へ消える。
出直すことになるならそれでも構わない。そう思っていたところへ、階段の方から軽い足音が近づいてきた。
「ルクスさん。いらしてくださったんですね」
降りてきたのは、本人だった。
「突然で悪い。時間が合わないなら出直すつもりだった」
「いいえ。ちょうどよかったです。こちらへどうぞ」
案内に従って奥へ進み、通されたのは見覚えのある執務室だった。
机の上にはまだ仕事途中らしい書類が残っている。それらを手早く脇へ寄せると、向かい合う形で席についた。
「それで、仕事の話だったな」
「ええ、そうなんです」
すぐに書類が出てくると思ったが、そうではなかった。
こちらへ向けられた視線には、商談を始める時とは少し違う、楽しむような色がある。
「――帝国までご一緒に、デートいたしませんか?」




