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第五十八話 負けヒロインになってたまるか

 食堂へ着くまでの距離が、今日は妙に短く感じた。


 歩けないわけじゃない。むしろさっきより身体はずっと軽いし、ルクスさんに「だいぶよくなったんじゃないのか」と言われたのも間違ってはいない。それでも首へ回した腕をほどく理由にはならなくて、結局そのまま運ばれてしまった。


 ……もうちょっと食堂、遠くてもよかったかも。


 そんなことを考えている自分に呆れながら扉をくぐると、ちょうど反対側からセラスさんが戻ってきたところだった。


 両腕には大きな紙包みや箱がいくつも積み重なり、その上から籠まで引っかけている。どうやってここまで持ってきたのか疑いたくなる量で、隙間からは揚げ物の香ばしい匂いや焼けた肉の香り、甘い果実の匂いまで入り混じって漂ってきた。


「ちょうどよかった! いっぱい買ってきたわよ!」


 いっぱい、という言葉では到底足りない気がする。


 卓上へ包みが次々と広げられ、あっという間に空いていた場所が料理で埋まっていく。


「こっちが鯰の丸揚げね。トンデモ激辛ソースがけらしいわ!」


 大皿が卓上へ置かれたと思ったら、すぐ隣へ甘い香りの山が増える。


「これが星蜜とクリームと十種類のフルーツのワッフルね。んで、こっちがクラウンバッファローのステーキで――」


「セラス、病み上がりが食う料理と量じゃないと思うんだが」


 ルクスさんのもっともな指摘を聞き流して、私は目の前へ並んでいく料理を見渡した。香ばしく揚がった鯰、果物でほとんど姿の見えないワッフル、分厚い肉から立ち上る湯気。さっきまで眠気に沈んでいた胃が、急にやる気を取り戻していく。


「これ全部食べていいの!?」


「もちろん! 好きなのから食べなさい!」


「お前ら、似たところあるな」


「どこが?」


「どこがよ?」


 声まで綺麗に重なった。


 椅子へ降ろしてもらい、さっそくワッフルへ手を伸ばそうとしたところで、目の前へ掌が差し込まれる。


「あ、その前に」


「まだ何かあるの?」


 嫌な予感しかしない笑顔と一緒に出てきたのは、透明なグラスだった。


 中身は金色。そこまではいい。問題は、その液体が何もしていないのに底から泡を吐き、ゴポ、ゴポ、と沼みたいな音を立てていることだった。


「……これ、生きてない?」


「エルフ秘製の狩猟用ドリンクよ! 滅多に外部に出すものじゃないんだからね、しっかり飲んで!」


「飲み物から出る音じゃないだろ、それ」


 珍しくルクスさんと意見が完全に一致した。


 けれど、セラスさんは胸を張ったまま一歩も引かない。さっき強壮剤も飲んだばかりなのに、今日はやたらと謎の液体を飲まされる日らしい。


「……ほんとに大丈夫?」


「大丈夫よ。今なら」


「今なら?」


「ほら、ぐいっと!」


 気になる言葉を残されたまま、覚悟を決めてグラスを傾ける。口に入れた瞬間、味を考えるより先に身体の奥へ熱が走り、背筋まで一気に抜けていった。残っていた重さを内側から蹴飛ばされたみたいで、思わず耳まで立つ。


「なにこれ……効くの早っ」


「でしょ? 身体弱ってる時に飲むと死ぬかもしれないから、すぐには飲ませられないのよ」


「…………は?」


 一拍遅れて、手の中の空になったグラスを見る。


「それを飲ませた後に言うな」


「今それ言う!? ねえ、私もう全部飲んだんだけど!?」


「だから今なら大丈夫だって言ってるでしょ。朝の状態ならさすがに飲ませてないわよ」


「順番! 説明の順番がおかしいの!」


 笑いながら受け流され、なんとなく負けた気分のまま食事を始めた。


 けれど最初の一口で、そんなものはどうでもよくなった。思っていた以上にお腹が空いていたらしい。激辛ソースの刺激で舌が忙しくなった直後に、星蜜とクリームの甘さを追いかければ、次は肉へ手が伸びる。病み上がりという言葉は、どうやら私の胃には届かなかったらしい。


 半分ほど食べ進めた頃、玄関の方から来客を知らせる声が届いた。


 ほどなく食堂へ姿を見せたのは、私の知らない女性だった。品のいい身なりに、整った顔立ち。商家の令嬢と言われれば納得してしまいそうな雰囲気なのに、ルクスさんを見つけた途端、その表情がふっと柔らかくなる。


「冒険に出ていらっしゃってばかりで、お伝えしたいことがあったのにお会いできなくて寂しかったわ」


「伝言でもよかったんじゃないのか?」


「まあ! つれないことおっしゃるのね。会ってお話したい女心ですよ」


 女心。


 なぜかそこだけ、他の言葉より綺麗に耳へ入ってきた。


 誰なんだろ、この人。


 そう思っていたところで、今度はこちらへ視線が向く。


「こちらの綺麗なお嬢さんは?」


「俺の仲間だ」


 女性は一拍置いてから、とうとう我慢しきれなくなったらしい。口元を押さえて小さく笑った。


「ふふっ……ここでこうしていらっしゃるんだから、そのくらいはわかりますよ」


「ならなぜ聞いた」


「そこではなくて、なんでこんなにお綺麗な方ばかり周囲にいるのか気になってるんですよ」


 綺麗なお嬢さん、と言われたところまでは素直に嬉しい。


 でも、その後ろにくっついた『ばかり』が妙に耳に残った。聖女とセラスさん以外にもまだいるんだろうか――と考えかけて、慌ててワッフルを一口。今はそこじゃない。


 その女性――ミレイユと名乗った彼女は、そこで本題へ話を戻した。


「それで、以前お預かりした銃に記されている文字なのですけれど」


「読めたのか?」


「ええ。『灰と煤に塗れていても、いつの日にか表舞台へ』という意味だそうです」


 聞き慣れない文言に、食べる手が止まった。


 ルクスさんもすぐには何も言わない。その言葉だけを確かめるような静けさが少し続いてから、低い声が返る。


「……それを伝えるためだけに足を運んでくれたのか」


「それだけではないのですけど」


 そこで視線がこちらへ向いた。


「せっかくのお食事中だもの、仕事の話でお邪魔したくないわ」


 軽く会釈してから、最後はルクスさんへ手を振る。


「また伺いますね」


「ああ。手間をかけて悪いな」


 去っていく背中を見送りながら、最後の手の振り方まで妙に自然だったな、と思う。仕事の付き合いなんだから当たり前。そう言い聞かせるほどのことでもないのに、胸のどこかへ小さな棘だけが残った。


 その棘から気を逸らすように、目の前のセラスさんへ視線を移す。


「……ねえ。セラスさんも、ルクスさんの身体のことって知ってるってことだよね?」


「知ってるわよ。その前の身体のこともね」


「その前も? なんで?」


「だって、アタシ勇者一行の一人で、その時コイツと旅してたんだもの」


「セラスさんが勇者の仲間ぁ!?」


 思わず身を乗り出した勢いで、今度は隣を見る。


「えっ、ルクスさんもだよね!?」


「俺は魔神を討つ前に死んでいるからな」


「あ~……」


 四百年前の勇者。その仲間。魔神討伐。


 たぶん世間の人なら、どれから聞くか迷うくらいの話なんだと思う。


「……でも勇者はどうでもいいや。ルクスさんのこと教えて」


「勇者どうでもいいっていう人、珍しいわね」


「だって今知りたいのそっちじゃないし」


 笑いながら肩をすくめたあと、セラスさんの声が急に低くなる。


「いまは『ああ』『そうだ』『問題ない』みたいな堅苦しい話し方するでしょ?」


「そんな話し方ばかりしてないだろ」


「ほらそれ。昔はもうちょっと愛嬌あったのよ。身長だってアタシより小さかったんだから」


「えっ、セラスさんより?」


 思わず今の大きな姿を上から下まで見てしまう。どう頑張っても結びつかない。


「目つきが鋭かったわね。顔は悪くなかったと思うんだけど、アーサーとヴィルキスが顔面兵器って感じで整ってたからね」


「顔面兵器って何」


「人を殺しかねない美形ってことよ。ルクスは目つきは鋭かったんだけどね、細かいとこはよく見てんのよ」


「あぁ~……」


 そこで、迷宮へ向かう前の荷物が頭へ浮かんだ。


 必要になるものを先回りして詰めてくれたこと。私が聞くべきことまで考えてくれたこと。今朝飲んだ強壮剤だって、ルナールが苦手な成分を避けてわざわざ調整してあった。


 横目で黒い兜を見る。


「そうやって昔から女誑かしてたんだ?」


「なぜそうなる」


「本人に自覚なかったでしょうけどね」


「それ一番タチ悪いやつじゃん」


「ヴィルキスは顔はいいけど性格がドがつく俺様野郎で終わってたし、いちばん人当たりよかったのはアーサーだけど――」


 そこで少しだけ笑って、セラスさんの視線がルクスさんへ向く。


「こいつも結構モテてたのよ」


「……へえ」


 自分でも分かるくらい、声が一段だけ低くなった。


「なによ、その反応。気になるんじゃない?」


 いつもの調子なら、ここで笑って誤魔化したと思う。


 でも今日は、それをする方がずっと面倒だった。胸の中に芽を出してから何度も目を逸らしてきたものは、もう隠せるほど小さくない。


「……気になるよ」


 不思議なくらい、声は素直に出た。


「だって私、ルクスさんのこと好きだもん」


 口にした瞬間、胸の奥でずっと揺れていたものが、ようやく居場所を決めた。

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