第四十九話 行って帰ってくるための第一歩
冒険者ギルドへ向かう途中、背中でずれた鞄をぐっと持ち上げて、肩紐を締め直した。
普段の私なら、こんな重たいものは持たない。薬も道具も必要な分だけ腰に突っ込んで、あとは身軽にしておく。その方が走るのも術を使うのも楽だし、今までだってそれでどうにかなってきた。
『三等級ともなれば一端の冒険者だろうが、そういった自信の出始めが最も危険だ。最低限の荷に絞り、軽量化する者が多い』
昨夜のルクスさんは、そんなことを言いながら私の鞄へあれこれ詰めていた。
肩にはずっしりくる。でも、不思議と邪魔には感じなかった。昨日あれだけ不安だったのに、これを背負っていると、ちゃんと帰るところまで考えてもらえている気がする。
指定された応接室へ入ると、三人の冒険者がもう揃っていた。
最初に目についたのは、二十代後半くらいの男の人。全身鎧に長剣、大きなカイトシールド。座っているのに背筋が妙に綺麗で、いかにも騎士上がりって感じがする。
「ライルだ。よろしく頼む」
「サクヤです。よろしくお願いします」
一瞬だけ目が私の顔で止まったけど、それだけだった。まあ、そこはいつものこと。
その隣にいるドワーフは、私よりずっと低いのに腕も肩もやたら太い。椅子の横には、私なら持ち上げる前に諦めそうな大槌まである。
「ドルグク」
「……サクヤです。よろしくお願いします」
「うむ」
しばらくこっちを見てたから何か言われるのかと思ったのに、終わりらしい。何その間。
三人目は短剣とクロスボウを持ったミトラン。余計なものを付けていない装備を見れば、斥候なのはすぐ分かる。
「アルジャノだ」
「よろしくお願いします」
「ああ、よろしく」
返事も態度も普通。でも、ほんの少しだけ遠い。
多分この人は知ってる。
私がいくつパーティを壊したとか、男に取り入ったとか。冒険者の噂なんて、聞きたくなくても勝手に耳へ入る。
胸の奥がちくっとした。でも、そこで何か言ったら昨日までと同じだ。
知らない人と組むなんて、前は普通にやってたんだから。ルクスさんとセラスさんの隣が居心地よすぎて、どうしてたのか忘れただけ。
「皆さん揃っていますね。説明の前に、今回同行していただく治癒術士の方をご紹介します」
監査官の人に続いて入ってきたのは、金髪の小柄な女の子だった。
若い。どう見ても、この中では断然一番下。
「治癒術士のエマ・アーネットです。よろしくお願いします」
声は柔らかいのに、視線はちゃんとこっちを向いている。年上ばっかりの部屋なら、もう少し遠慮した感じになってもよさそうなのに、そういう空気はなかった。
……思ってたより、しっかりしてるかも。
全員の紹介が済むと、卓上へ大きな地図が広げられた。
「今回向かっていただくのは、王都北西にある魔術院。その最奥部地下に存在する禁忌書庫 伏魔殿です。任務は内部の魔獣、魔物、暴走した警備用ゴーレムの間引き。それと、新たな禁書を中層の指定収蔵地点まで運び、帰還することです」
移動だけなら片道四、五時間ほど。ただし途中で間引きもするから、実際にはもっとかかる。
十分長いのに、さらに嫌な話が続いた。
「伏魔殿は不定期に内部構造が変化します。この地図も、そのまま使える保証はありません」
「通路が塞がる、とか?」
「それだけではありません。区画そのものが変化します」
……それ、地図っていうより参考資料じゃない?
地下書庫だと思ってたけど、普通に棚が並んでるだけの場所ではなさそうだった。
最後に、封印布で何重にも包まれた禁書が卓上へ置かれる。
「こちらを指定地点まで――」
「それ、私が持ちます」
先に声を出したのはエマさんだった。
「前衛の方が持つより、後ろにいる私の方が破損させる可能性は低いですよね」
言われてみれば、その通りだ。ライルさんは盾で攻撃を受けるし、ドルグクさんはあの大槌を振るう。アルジャノさんだって斥候なら、一番先に危ない場所へ入る。
「俺もその方がいいと思う。前で禁書まで気にしてたら動きにくいからね」
「では、エマさんにお願いします。封印には触れないようにしてください」
「分かりました。ほかの荷物とは分けておきますね」
受け取るところまで迷いがない。
若いからって、勝手に心配する必要はなさそうだった。
説明が終わって、地図が畳まれそうになる。
――え、これで行くの?
『なにかを問う時は、短く要点だけ先に言え』
昨夜の言葉が浮かんだ。変に感じよく言おうとして回りくどくなるより、先に言えばいい。
「あの、行く前に一回、みんなが何出来るか確認しません?」
四人の視線が集まる。
「今日初めて会ったばっかりだし、中でなんかあってから、それ出来たんですかってなるの嫌なので。迷宮の経験とか、撤退する条件も決めておきたいです」
「賛成です。先に分かっていた方が、私も支援しやすいです」
返事が一番早かったのはエマさんだった。
「俺も異論はない」
「ない」
「俺も構わない」
……普通に通った。
もっと、いきなり仕切るのかとか言われるかと思ってた。私が勝手に身構えてただけみたいで、ちょっと恥ずかしい。
「とはいっても、俺とドルグクさんは見た通りのままだ」
ライルさんの視線が自分の盾と剣から、大槌へ移る。そのままアルジャノさんへ向けられた。
「俺も斥候だからな。二人と同様だ」
「ほんとに見たまんまですね」
「分かりやすくていいだろう」
ちょっとだけ空気が軽くなる。
「二人が敵に張り付いてる時は、巻き込みそうな術は控えます。使う時はこっちから合図するので、その時だけ距離取ってください。あと、動きを縛るのも出来ます。止めたら、そのまま斬るなり殴るなりしてもらって大丈夫です」
「随分雑な言い方だな」
「意味分かればよくないですか?」
「分かるから問題ない」
少し笑われたけど、悪い感じじゃない。
「私は治癒と支援が中心です。加速も使えます」
エマさんも短く続ける。
じゃあ、次。
『迷宮探索の経験を確認しろ。平地と迷宮では求められるものが違う』
「迷宮って、みんなどのくらい行ったことあります?」
「俺は数える程度だな」
「俺は地中都市育ちだ」
「……それ、もう経験回数とかいう話じゃなくないです?」
「地下には慣れている」
「っていう事ですよね」
アルジャノさんは、普段から遺跡や迷宮の調査依頼が多いらしい。エマさんは「ほとんどありません」と、変に取り繕わず答えた。
だったら、道や罠で迷った時はアルジャノさんを頼ればいい。
誰が上とか下とかじゃなくて、何を誰に聞けばいいか。それが分かっただけでも、全員まとめて「知らない人」だったのが、少しだけマシになった気がする。
資料へ目を戻すと、《ゲシュペンスト》と《ギュスターヴ》という二つの名前が引っ掛かった。どちらも被害報告の中心はもっと深い階層だけど、今回向かう場所でも確認例がある。
「この二体、基本はもっと下なんですよね?」
「はい。ただ、今回の目的階層でも過去に確認されています」
「じゃあ念のため、この二体に会ったら即撤退でよくないですか? 依頼がどこまで進んでるとか関係なく。ここで無理して戦う理由ないし」
誰からも反対は出なかった。
『相手に求める前に、自分自身に出来る限りの手を考えてみろ』
「逃げる時は、私が全力で動き止めます。倒すのは考えない。その間に離れてください」
「では、私が全員に加速をかけます。サクヤさんが止めている間に、出来るだけ距離を取りましょう」
「うん。お願いします」
こっちが一つ出すと、エマさんはすぐに自分に出来ることを足してくれる。
この子、やっぱりかなりちゃんとしてる。
「撤退するなら俺が先頭だ。来た道が残ってる保証がないしな」
「なら、エマさんがその後ろ。サクヤも続いてくれ。最後尾は俺とドルグクさんで受ける」
ライルさんの案を聞いて、反射的に別の並びを考えかけた。
『意見が出たら、まず掬い上げろ。否定から入るな』
……危ない。今、普通に「でも」って言おうとした。
「それでいいと思います。私も真ん中なら後ろに術届くし」
「よし、決まりだな」
それだけでまとまった。
私が言って、相手が答えて、その答えをちゃんと聞く。変に好かれようとしたり、自分の方が正しいって押し通したりしなくても、普通に話って進むんだ。
今までだって、本当はこれくらいでよかったのかもしれない。
◇
王都北西の魔術院は、表から見れば普通の研究機関だった。
研究者や術士の行き交う場所を抜けて奥へ進むうち、人影がだんだん減っていく。壁に貼られていた紙も、研究室から聞こえていた話し声もなくなって、最奥部まで来る頃には私たちの足音ばかりがやけに大きく聞こえた。
そこにあったのは、巨大な組み細工の金属扉。
鍵穴はない。
案内役の術士が魔力を流すと、幾重にも重なっていた金属片がずれ、回り、沈みながら、一つずつ噛み合わせを外していく。扉というより、巨大な錠前をそのまま壁に埋め込んだみたいだった。
開いた先には、深い階段が続いていた。降りきったところで待っていたのは、また同じような組み細工の扉。その先にも、さらに下へ落ちていく階段がある。
二枚目、三枚目と越えるたびに、それが繰り返された。
ただ地下へ降りているだけのはずなのに、途中から何階分下ったのか考えるのをやめた。扉を一枚くぐるたび、地上へ繋がっていた細い糸を一本ずつ切られているみたいで、五枚目を越える頃には、地下へ潜っているというより、地上という場所そのものから少しずつ遠ざけられている気がした。
六枚目の前まで来る頃には、地上へ戻る方がずっと遠い場所みたいに思えてくる。
最後の術式が解かれ、開いていく扉の隙間から、ひやりとした空気が流れ込んできた。
それに触れた瞬間、耳の奥から首筋まで一気に毛が逆立つ。
「……うわ、なにこれ」
思わず声が漏れた。
臭いがするわけじゃない。少なくとも鼻で嗅いでいるものじゃない。
でも、ルナールには魔力や呪力みたいなものを、匂いに近い感覚で拾う時がある。普段なら、雨の前に湿った土の気配を感じるくらいの曖昧なものなのに、扉の向こうから流れてきたそれは違った。
香水を何十種類も同じ瓶へ無理やり流し込んで、甘いも苦いも腐ったようなものまで全部混ざったような――そんな、まともに嗅ぎ分けようとしたら頭がおかしくなりそうな濃さだった。
しかも、ただ魔力が濃いだけじゃない。
術士として意識を向けた瞬間、もっと嫌なものまで分かってしまう。
種類が違う。流れも違う。古いもの、新しいもの、澱んでいるもの、今もどこかで動いているもの。それが綺麗に混ざるでもなく、互いに押し合って、絡みついて、空気そのものへ染み込んでいる。
探ろうとした意識が、そのまま奥へ引っ張られそうになって、慌てて切った。
深い水の底を覗き込んだつもりが、その水面の向こうから逆に覗き返されたみたいだった。
嫌だ。
ここ、ほんとに嫌な場所だ。
理屈で考えるより先に、身体の方が「入るな」って言ってる。
それでも扉は、そんな私の都合なんて知らないみたいにゆっくり開いていった。
重たい金属の音と一緒に扉が開き、その向こうへ広がっていたのは、古びた巨大な図書館だった。
高い天井。奥まで続く書棚。古い床。
思っていたより普通。だから逆に、ちょっと気味が悪い。
アルジャノさんが地図を開き、ライルさんは盾を確かめる。ドルグクさんも大槌を担ぎ直し、エマさんは禁書を収めた荷物へ手を添えた。
私も背中の鞄を引き上げると、ずしりと肩へ戻ってきた重さに、不思議と少しだけ息がしやすくなった。昨夜、ルクスさんが私の話を聞きながら、ひとつずつ用意していたものがこの中に入っている。
これは奥へ進むためだけの荷物じゃない。どれだけ気味の悪い場所でも、予定が狂っても、最後に私がちゃんと帰るために持たされたものだ。
そう思えば、扉の向こうから押し寄せてくる嫌な魔力も、さっきまでほど大きくは感じなかった。怖くなくなったわけじゃないし、入る前から身体が嫌がってるような場所なんだから、怖くて当然だと思う。
それでも、やることは変わらない。
昇格できるかどうかなんて、その後でいい。まず中へ入って、ちゃんと帰ってくる。そうすれば、ルクスさんがひとつ話してくれる。
肩紐を掴んだ手に少し力を込め、暗がりの向こうまで続く書棚を見据える。
ここからが、伏魔殿だった。




