第五話 噂話には尾鰭と背鰭と手足もついてくる
陽が昇り、空の青さが目立つ頃には焼け跡の煙も消えていた。
俺の腕の中で、エマの睫毛が震える。ゆっくりと目が開いて、しばらく虚空を眺めて、それから自分の状況をようやく理解したらしい。
「──っ、わ、わたし、ええっ!?」
「疲れ切ってたんだろう。 もう少し休んでてもいいぞ」
「な、なんで、その、抱えられて……!?」
地面へ下ろしてやると、エマは顔を真っ赤にして髪やら襟やらを忙しなく直しはじめた。夜通し治癒に走り回っていた娘が、今さら身だしなみを気にしている。 年頃の女子というのはそういうものらしい。
◇
町の住民たちが、俺たちを見送りに出てきた。
昨夜の火事で、家を失った者も少なくないはずだ。それでも生き残った者たちの顔には、朝を迎えられた安堵の空気が感じられた。
その中から、あの父親が進み出てきた。
「これを、どうか......していただいた事に対して不足かとは思いますが......」
差し出されたのは革袋だった。中身は聞くまでもない。ずしりと音がした。
燃え落ちた家から、よくこれだけかき集めたものだ。あるいは、近所の者たちが出し合ったのかもしれない。
俺は首を横に振って、男の後ろに視線を向けた。
母親が赤ん坊を抱いている。その頬を、エマがつんつんと指でつついていた。赤ん坊がくすぐったそうに首をすくめて、母親が困ったように笑う。
「あんたには、もっと守らなきゃいけないものがあるだろう。 そっちに使ってくれ」
男は革袋を握りしめたまま、しばらく動かなかった。それから深く、本当に深く頭を下げた。
歩き出す俺の手の中には、拳ほどもある黒い魔石が握られている。昨夜のトロールから出たやつだ。
こういうものが出るから、俺たちは金に困らない。
背中から、声が追いかけてきた。
「ありがとうございました、黒騎士様──!」
「黒騎士様、か」
傍らで小さく手を振っていたエマが、こちらに向き直って覗き込むようにして見上げて言った。
「いいじゃないですか。 わたしはカッコイイと思いますよ?」
そうだな。悪くない。 この時代で何者でもない俺が、何者かとして存在している証のひとつだ。
手の中の魔石をぐっと握り込み、砕けていないかと慌てて緩めた。
◇
それから、四日ほど街道を進んだ。
立ち寄った町では、俺は中には入らないつもりだった。眠らないから泊まる必要がないと説明しても、エマがそれはダメだと強く反対した。
真面目に衛兵をこなしている者なら、立ち入ろうとする俺を見て身分の証明を求めるか初手から槍を向 けるかだ。 誰だってそうする、俺だってそうする。
だが、冒険者であり聖職者でもあるエマの説明で、それ以上揉めたことはなかった。
その日は、街道沿いの野営地で、隊商と一緒になった。
二十人ほどの一行だ。最初こそ俺を見て腰を抜かしかけたが、エマが冒険者であることを説明し、俺が魔石を一つ売りたいと持ちかけたところで、商人の目が変わった。
「ほぉぉ……こいつは大粒の上物ですな」
隊商の頭領らしい中年の男が、焚き火の明かりに魔石を透かして唸る。
「昨今は上質な魔石は需要に追いつきませんでな。 率直に伺いますが、どちらで?」
「この外見で『想い人から贈られましたの』なんて事はないだろう。 魔獣討伐だよ」
「まぁまぁ、そうでしょうな。 新規の供給源開拓が出来ればと思ったのですが」
男は肩をすくめて、それ以上は聞かなかった。この手の商売をしている連中は、必要以上に詮索しない術を心得ている。
「相場はどの程度だ」
「大きさと純度から見て、金貨で──」
示された額に、俺は隣を見た。エマが小さく頷く。
彼女が道々教えてくれた通りの相場だった。魔石ってのは魔神戦争のあと強い魔獣が減ったせいで、需要に対して供給が細い。だから値が崩れない。
「それで手を打とう。あと、そっちの荷から日持ちする食い物を分けてくれ」
結局、干し肉と堅焼きのパンや蜂蜜の壺と、乾燥させた果物を買った。あとはエマが物欲しそうに見ていた木の実の砂糖漬けも一袋。
「それと、旅に使える作りの良い外套はあるか」
「旦那の身体に合う大きさのものは、今回の荷のなかには無いと思いますが──」
「俺のじゃない。あの娘の背丈に合う女物が欲しい。あれば売ってくれ」
エマに視線を向けてから言うと、商人は「ございますよ」と笑いながら頷いて荷箱の確認をしていた。
◇
夜が更けた頃、焚き火の向こうから、弦の音が流れてきた。
隊商の若いのが一人、旅の慰みに弾いているらしい。演奏は上手いというわけではないが、声は悪くなかった。 この身体になっても、奏でられる音に満たされるものはあるようだ。
最初は聞き流していたが、途中から聞き流せなくなった。
助け求める弱き声 聞こえたならば現れる
深紅のマントを靡かせて 彼の者こそ黒騎士
強き力は悪を討つため 魂焦がす炎も怖れはしない
逞しき腕に母子を抱いて救い出す
麗しき聖女を傍らに 今宵も月明かりに黒剣が走る
薪を焚べていた俺の手が止まり、横で嬉しそうに砂糖漬けを口に運んでいたエマが気付いた。
「──あの、ルクスさん」
「言うな。別の場所で似たような事があっただけだ」
「言いますよ」
「言うなって」
焚き火の向こうでは、歌が終わって拍手が起きている。若いのが酒を呷りながら、得意げに何か喋りはじめた。
「──いや、俺も人伝てに聞いた話だがな。なんでも千を超える魔獣の軍勢が町を襲ったってんだ。そこへ深紅のマントを翻して黒騎士が現れて、剣を一振りすれば五十や百の魔獣を簡単に薙ぎ払ったってよ」
「十二匹だ」
俺は誰にともなく呟いた。
「ゴブリンが十二匹とトロールが一頭だ。数えてたんだよ、こっちは」
「深紅のマント……」
エマがもごもごと砂糖漬けの檸檬を咀嚼しながら、俺の左肩に掛かった赤い布に視線を投げる。
「これはテーブルクロスだ」
「深紅のマント」
「やめろって」
まだ話は続いていたが、今度はエマが固まった。
「しかもだ。その黒騎士の傍らには、金髪を靡かせた、それはもう美しい聖女がついていて、瀕死の者を片端から生き返らせたってんだから」
俺は、隣で毛布にくるまっている新米治癒術士を、しげしげと眺めた。
昨日、干し肉を齧りながら「硬いです」と半泣きになっていた娘だ。野営で火をおこすのに三十分かかる娘だ。今は毛布の中で足の指を温めながら猫みたいに丸くなっている。
「金髪を靡かせた、それはもう美しい聖女」
「言わないでください……! ルクスさんはいじわるです」
エマは毛布を頭まで引き上げて、その中へ潜り込んでしまった。しばらくして、もぞもぞと目のあたりだけ出してくる。
「恥ずかしいですけど……嬉しい、ような……」
語尾に向かうほど小さくなる、消え入りそうな声だった。
「憧れの人と、同じ呼ばれ方をしてるので……」
ああ、そうか。
この娘が憧れた聖女ってのは、俺の知っているあいつだ。神殿でじっとしていられずに、困ってる奴のところへ勝手に走っていく、あの女。
その呼び名を、この子は今、少しだけ分けてもらっている。
「似合ってるんじゃないか」
こちらを見上げてきた毛布の隙間から覗く青い瞳に、俺が映っていた。
「聖女ってのは自分で名乗りはじめたわけじゃないだろう。その姿に感じ入るものがあって、呼ばれ始めたはずだ」
「必死に助けようとするエマに、その名を重ねたんだ。 自分のものにしちまえ」
「ルクスさんはいじわるだけど......。 ズルいです」
それきり黙り込んで、しばらくすると規則正しい寝息が聞こえてきた。
軽すぎて気付かなかったが、俺の腕に頭を預けて寄りかかっていた。
迷宮で会った時、こいつは俺を見て悲鳴を上げた。腰を抜かして、錫杖を抱えて震えていた。
それが今は、隣で無防備に寝ている。
腕にかかる小さな重みを崩さないよう、俺は少しだけ姿勢を変えた。
◇
焚き火の向こうから、酒の入った声が流れてくる。
「──しかしよ、その黒騎士とやらの話、逆に言やぁ情けねえ話だぜ」
「情けねえ?」
「考えてもみろ。町がまるごと焼かれて、魔獣に襲われてんだぞ。その間、騎士団も王国軍も動いてねえって話じゃねえか」
「そりゃあ、遠いからよ」
「遠かろうが何だろうが、税は取りに来るじゃねえか」
どっと笑いが起きた。
「お貴族様揃いの騎士団が王都から動くかよ。 あの連中が街道の泥を踏むところなんざ、俺は見たことねえ」
「言えてるぜ、まったく」
また笑い声が起きて、乾杯。
王都には四百年前も貴族はいた。腹の立つ奴も立派な奴もいた。今もそう変わらないんだろうな。
あの町に騎士団が来なかったのは、まあ、遠かったんだろう。街道を全速力で駆けても二日はかかる。俺は、たまたま近くにいただけだ。
腕に寄りかかったエマが「うぅん......」と言って、もぞもぞと動いた。
それきり、俺はその話を頭から追い出した。
◇
翌朝、陽が昇り始めた頃。
隊商から荷を分けてもらって、街道の分かれ道で別れることになった。
俺が食糧の詰まった荷袋を担ぎ上げると、この量をどう運ぶつもりだと見ていた商人が呆気にとられていた。
「あっ、ルクスさん、わたしも持てます!」
エマが手を伸ばしてくるが、俺は荷袋を高く持ち上げて、その手から遠ざけた。
「俺くらいの身長になって、もっと身体を鍛えてから言え。この荷物はエマより重いぞ 」
「鍛えてますけど、ルクスさんみたいには無理です!」
じたばたと跳ねるエマを眺めながら、俺は思い直した。
何もするなと言われて素直に引き下がる子だったら、そもそもあの日、王都から走って戻ってきたりしていない。
俺は肩の鞄を一つ外して、エマへ差し出した。
中身はエリクサーや解毒剤などの薬品と包帯だ。人の命に直接関わる方の荷物だ。
「なら、こっちはエマのほうが扱えるだろうし任せるぞ」
エマは胸を反らせて誇らしげな表情で、鞄を両手で受け取った。
肩紐を通して位置を直して、掌でぽんと確かめるように押さえる。
その仕草が、やけに大事そうだった。
「はいっ 任されました!」
頷き合って、俺達は歩き出した。
◇
街道を半刻ほど歩いた頃、向こうから馬を飛ばしてくる男とすれ違った。
いや、すれ違わなかった。男は俺を見て馬を止め、嘶きをあげる馬から転げ落ちるように下りた。
「あ、あんた、もしかして冒険者か!?」
「いや......俺は冒険者では──」
旅装でもなく荷物も馬に積んでいない。冒険者を探している。その慌て様から何事か察した。
「落ち着いて話せ。なにがあった」
「た、助けてくれ!西の村道が、山賊に押さえられちまって……! もう三日だ、荷も人も通れねえ!村には年寄りと子どもしか──」
「案内しろ。すぐに向かうぞ」
男が言い終える前に言葉を切って傍らを見ると、エマが鞄の肩紐を握り直して頷いた。
「しっかり掴まってろ。全速力を出すぞ」
脇腹に抱え込み、腕にぐっとしがみつく感覚を確かめてから、地面を抉るように蹴って駆けだした。
◇
二人の姿が街道の向こうへ消えてから、隊商の頭領は、しばらくその方向を眺めていた。
傍らの若いのが、間の抜けた声を出す。
「──頭。あの二人組ってまさか」
「……黒騎士と」
「聖女?」
誰も、それ以上は言わなかった。
ただ、干し肉の値段を値切ってきた黒い鎧の男の背中が、なぜだかいつまでも目に焼き付いて離れなかった。
お読みいただきありがとうございました。噂も詩も、本人たちのいないところで勝手に育っていくものです。ブックマーク・評価をいただけると励みになります。




