第四話 詩のはじまり
町が、燃えていた。
街道の丘を越えた瞬間、視界いっぱいに火が広がった。家屋が十数軒、すでに骨組みだけになって崩れかけている。風下の家並みへ、火の粉が雨のように降り注いでいた。
悲鳴。怒号。何かが崩れ落ちる音。
そして、その中を走り回る、人ではない影。
小柄で、耳が尖っていて、手には粗末な刃物を握っている。ゴブリンだ。単なる火事場泥棒にしては、動きに統率が見える。たぶん、あいつらが火を放った側だ。四百年前も、そういう手口はよく見た。人間の巣を焼いて、逃げ惑うところを狩る。知恵の回らない獣より、よほど質が悪い。
俺はエマを半ば放り出すように地面に下ろしたが、彼女は上手く受け身をとった。
やはり、冒険者としての基礎は出来ている子だ。
「負傷者を任せる。ただし自分の身を最優先にしろ!」
「はい!」
背中でエマの返事を聞きながら、前傾姿勢になると同時に爪剣を展開した。
≪敵性存在、十二。戦闘適応、開始≫
駆け出した勢いを殺さぬまま、両手を払ってゴブリン達の首を落としていく。
頭を失った首から下が、何が起こったかわからぬまま倒れた。
◇
中心部には衛兵たちが町民を集めて周囲を囲んでいた。
こういう時の対応は、時代が変われど同じだ。逃げ場のない者を一箇所へまとめ、盾を並べて守る。あとは、そこに群がってくる連中を叩く。
視界正面に町民たち、衛兵。ゴブリンは四、そして奥に──
四メートル近い巨躯で棍棒を振り上げて走る トロール。
視界に入ったゴブリンを爪剣で薙ぎ、衛兵の脇をすり抜け様に、持っていた槍を手から引き抜く。
「返せるかわからんが借りるぞ!」
衛兵が何か叫んだが、聞いている暇はない。
トロールは逃げ遅れてきた少年を遊ぶ様に追い回していた。転んだ少年が、尻を引きずるように後ずさる。その顔は、恐怖を通り越して呆けていた。
大木をそのまま切り出した太さの棍棒が振り上げられた。
≪脅威認定。軌道補正≫
意識のなかにはトロールの頭を狙う思考が流れ込む。
それはダメだ。この身体の力で放った槍が頭を貫くだけで止まらず、何処まで飛ぶかわからない。
狙いを、たっぷり肉の厚みがある胴に切り替える。
石畳を足裏で削りとりながら急制動をかけ、この身体を構成する筋肉とは違う何かが、弓のように張り詰める。次の瞬間、その緊張が一気に解放され、槍は閃光のような速度で放たれた。
放たれた槍はトロールの腹部を貫いて、その巨躯が膝から崩れる。その直前で跳ねた俺は、膝蹴りでトロールの頭を打ち砕いて、着地する。
背中越しに、母親に抱きしめられる少年を確認してから炎上している区画に向けて走り出した。
◇
火の勢いが一番強い区画で、男が一人、燃え落ちかけた家の前に膝をついていた。
何度も立ち上がろうとしては、熱に押し戻されている。前髪が焦げ、顔の半分が煤で黒い。それでも、その男は諦めきれずに家へ手を伸ばしていた。
俺が近づくと、男は顔を上げた。黒い鎧に赤い眼光。悲鳴を上げられる覚悟はしていた。
だが男は、俺の脚にすがりついた。
「妻が、娘が……娘が、まだ中にっ! ああ......あぁあ......」
怯えるより先に、縋るものを見つけた顔だった。この男には、もう俺が化け物かどうかなんてどうでもいいらしい。この目を何度見ただろうか。何度救い、救えなかっただろうか。
俺は燃える家を見上げた。二階の窓から炎が噴き出している。梁がいつ落ちてもおかしくない。人間なら、とっくに諦めるべき状況だ。
だが、あいにく俺は人間じゃない。
「おい、聞いてるか」
俺は自分の内側へ呼びかけるのと同時に、炎の中へ踏み込んだ。
「敵じゃなくていい。人だ。生きてる人間を探せ。こういう時にも働けよ、この体はっ!」
≪──非敵性存在、二≫
頭の中の声が、応えた。
視界の端に、崩れかけた二階の間取りが淡く浮かぶ。奥の部屋。壁際。動いていない反応が二つ。
「今日は聞き分けがいいじゃないか!」
◇
熱さは感じない。
視界が歪むほどの熱が渦を巻いて、木材が爆ぜ、床板が炭になって崩れていく。それだけの中を歩いていて、俺は何も感じない。
熱さだけじゃない。息苦しさも肌を焼かれる痛みも、何ひとつ。
人間だった頃の俺なら、ここへ入って三歩で死んでいた。
この体になってから、失ったものばかり数えてきた。飯の味も、眠りの心地よさも、誰かに肩を叩かれた時の感触も、全部どこかへ消えた。
だが今この瞬間だけは、この何も感じない体でよかったと思った。
崩れかけた階段を三段飛ばしで駆け上がる。踏み抜いた板を蹴って勢いに変え、煙の充満した廊下を突っ切った。
奥の寝室に、扉を蹴破って踏み込む。若い女性が床に倒れていた。
その体の下に、赤ん坊を抱え込んでいる。自分の背中を天井へ向けて、覆いかぶさるように。落ちてくる火の粉から、我が子を庇った姿勢のまま、意識を失っていた。
このまま担いで出れば、二人とも火の粉と熱にやられる。俺は何も感じないが、この二人は生身だ。ここから玄関まで、火の中を十数歩。それだけで、この子らの皮膚は焼ける。
何か、包むものが要る。
部屋を見回した。倒れた小卓。その上に掛かっていた大判の布が、床へ滑り落ちている。
引き寄せて、窓際の水瓶へ突っ込む。水を吸わせて、両手で絞る間も惜しんで引き上げた。
濡れた赤い布で、母親と娘をまとめて包み込む。隙間から火の粉が入らないよう、しっかりと巻き込んで。
抱え上げると、驚くほど軽かった。二人まとめて、片腕で足りる。
「掴まってなくていい。息を止めてろ」
意識のない相手に言っても仕方がない。それでも、つい口に出た。
俺は、炎の中を引き返した。
燃える梁が落ちてくる。肩で受けて、押しのける。火柱が上がって視界が潰れる。構わず突っ切る。抜けた先の床が抜けかけている。踏み抜く前に跳ぶ。
階段はもう半分崩れていた。
なら、跳ぶだけだ。
俺は抱えた腕だけを庇って、階下へ身を投げた。
◇
「ああ……ああっ、無事か、無事なのか……!」
顔をくしゃくしゃにさせた男が、転げるように駆け寄ってきた。
濡れた布に包まれた二人を、そっと地面へ下ろす。布を開くと母子は煤で汚れてはいたが、火傷らしい火傷は見当たらない。
俺の元へ駆け寄ってくるエマの姿が見えた。
「エマ! 治癒術、まだ使えるか!」
「──やれます! やります!」
息は上がりきって髪は乱れ、頬には誰かの血がついている。それでも膝をついて、両手で握った錫杖をかざしたその顔から、迷いは一切消えていた。淡い光が、母子を包み込む。
やがて、母親が小さく咳き込んだ。娘も、それに続いて。
──生きてる。間に合った。
男が二人にすがりついて、声を上げて泣いた。今度は悲しみの涙じゃなかった。
母子の無事を確認すると、エマの両手を握って頭を下げて泣き続ける。
「ありがとうございます......! 助けていただいて、ありがとう...ございます......! 」
周りに、いつの間にか人が集まっていた。衛兵たちは残党が潜んでいないかの確認をはじめ、町民たちはお互いの無事を確認しあっている。
俺は、少し離れた場所へ下がった。
あの輪の中に俺の居場所はない。それでいい。俺はもう、ああいう顔の中に混ざれる姿をしていない。
◇
手に、濡れた赤いテーブルクロスが残っていた。
もう用済みではあるが、その辺へ捨てる気にはならなかった。
俺はその布を、左の肩へ無造作に掛けた。両手が塞がっているのが邪魔だった。それだけの話だ。
振り返れば、火はまだ燃えている。だが、もう手のつけようがないほどじゃない。町の連中が桶を並べて水を回していた。これなら、朝までには収まるだろう。
◇
煤と汗で汚れ、頬に髪を張り付けたエマが、錫杖をつきながら傍まで歩いてきた。
「治癒が間に合う方は…… なんとか、出来ました」
全員を救えるわけじゃない。
それでも、自身の限界以上に治癒を施したのであろう細い身体は、俺の手前でふらりとよろめいた。
咄嗟に両腕で受け止め、加減を間違えぬ様に、恐る恐る抱き上げた。
昇る陽が淡く照らし、時間を明け渡す為に去る夜の風が、細く目を開けた彼女の頬を撫でた。
「頑張ったな。よくやり遂げた」
「はい…… すこし、疲れ──」
言い終わらぬまま寝息をたてはじめた姿に、ようやく安堵した。
腕の中で眠るエマを、落とさないよう抱え直す。黒い鎧の左肩からは、濡れた赤い布が垂れていた。
「──本当に。本当によくやった」
生き延びた人々の中に、旅装の男が一人まぎれていた。手には使い込まれた弦楽器を提げている。男は顎に指を当てて何かを呟きながら、懐から手帳を取り出して忙しなく何かを書きつけていた。
必死に人々を救った聖女を抱きかかえる、黒騎士。
遠目にはそう見えていたらしい。
実際は、疲れて眠っただけの新米治癒術士を、加減を間違えないよう気をつけて抱えている、それだけの話なんだが。
この時の俺には、その誤解を解く手立てもなければ、解く気もなかった。
お読みいただきありがとうございました。次回、この夜のことが、少しずつ形を変えて広まっていきます。ルクスの知らないところで──。ブックマーク・評価をいただけると励みになります。




