第四十六話 ザ・ノンフィクション
夕暮れの王都を、サクヤと並んで歩く。石畳には軒先の灯りが長く伸び、仕事帰りの人波を縫うように荷車が軋んでいく。ギルドを出たばかりの頃はまだ少し固かったサクヤの歩調も、通りを一つ抜ける頃にはいつもの軽さを取り戻していた。
「……ねえ」
「なんだ」
「セラスさんもさ。私のこと、仲間って思ってくれてんのかな」
何でもない話をするふうを装っているが、こちらへ向かない横顔がかえって分かりやすい。
「気にするところ、そこなのか」
「な、なに!? 気にしちゃ悪いの?」
「俺に仲間かどうか確認したと思ったら、今度はセラスだろ」
「だって別じゃん。ルクスさんがそう思ってても、セラスさんがどう思ってるかは分かんないし」
言われてみれば筋は通っている。面倒ではあるが。
「一緒に戦えば仲間って奴だ。あいつ、一度そう思った相手には妙に情が厚いぞ。お前が何をやらかしたか聞いたところで、たぶん気にも留めない」
「……そうかな。褒めてくれたし」
思い返したのか、強張っていた口元がふっと緩む。指先で髪を耳の後ろへ送りながら前を向いたが、足取りまで少し弾んだのは隠せていなかった。
「そこまで気になるなら本人に聞けばいいだろ」
「それが簡単にできたら苦労しないの!」
「俺には聞いたじゃないか」
「ルクスさんとセラスさんは別なの!」
どう違うのかはよく分からないまま、目当ての酒場が見えてきた。
店の前まで来たところで、中から何やら騒がしい声が漏れてくる。酒場らしい喧騒にしては切羽詰まっていて、扉越しにも「離して!」「楽器が!」と複数人の声が重なっていた。
「……何か揉めてない?」
「嫌な予感はするな」
扉を押し開けると、暖かな灯りに満ちた店内の奥だけが、嵐でも吹き込んだような騒ぎになっていた。
「こいつフィネガンって前にルクスが言ってた詩人でしょ! アタシが劇に出てないってどういうことなの!」
演奏用の壇上で、セラスが楽器を持った男の襟首を掴み、容赦なく前後へ揺らしている。周囲では演奏家が腕へしがみつき、冒険者まで加わって止めようとしていたが、当人はどこ吹く風だ。
横から、妙に冷静な声が飛んできた。
「……過去のことは気にしないんじゃなかったの?」
「自分が劇から消されるのは別腹らしいな」
放っておけば演奏どころではなくなりそうだ。壇上へ上がり、まだフィネガンを揺さぶろうとするセラスの腕を掴む。
「セラス、ステイだ! ステイ!」
「アタシは犬じゃないのよ!」
「いいから離せ」
「まだ話終わってないのよ~!」
指を襟首から引き剥がし、そのまま胴を抱えて脇へ収める。足が床から浮いた途端、セラスが身を捩った。
「ちょ、ルクス! 降ろしなさいって! 自分で歩けるから!」
「相手が喋れる状態になってから続きをやれ」
「だから降ろしなさい!」
抗議を聞き流し、そのまま席まで運んで椅子へ下ろした。解放されたフィネガンも襟元を直しながらやってきたが、怒るどころか妙に楽しそうなのがこの男らしい。
「いやはや、随分と熱烈なご挨拶でしたな」
「で? なんでアタシが劇に出てないわけ?」
座らされても矛先は鈍らない。
「黒騎士と聖女は、一途に想い合っているからこそ心に刺さるのです」
「だからってアタシを出さない理由にはならないでしょ」
「もう一つ。そもそも私は、貴女とは今日が初対面ですからな」
そこでようやくセラスの勢いが少し止まった。
「活躍そのものは市井の噂で存じております。しかし、戦果だけを聞いて、姿も人柄も知らぬ方を勝手に作り上げるわけにもいかないでしょう」
「……じゃあ今は本人いるじゃない」
「ええ。ですので――今後にご期待ください」
いかにも吟遊詩人らしく大仰に胸へ手を当てる。セラスは疑うように目を細めたものの、眉間に刻まれていた皺は半分ほど消えていた。
「絶対作りなさいよ! 絶対よ!」
「もちろんですとも」
どうやら命の危機は去ったらしい。
フィネガンはようやくこちらへ向き直り、サクヤを見つけると楽しそうに目を細めた。
「おや。聖女殿は本日はいらっしゃらないようで。それにしても、また美女が増えてらっしゃいますな」
「アタシたちの仲間よ。美女なだけじゃなくて、腕も結構立つのよ」
セラスにとっては、ただ事実を付け足しただけなのだろう。
けれどサクヤの方はそうでもなかったらしい。一瞬だけ目を丸くしたあと、肩から力が抜けて、笑みが素直にほどけた。
「……そっか。ふぅ~ん……」
膝の横に垂れていた尻尾が一度だけ軽く揺れる。
そのまま喜んでいればよかったものを、数拍遅れて別の言葉が頭へ戻ってきたらしい。ほころんでいた顔が止まり、フィネガンへ向き直った。
「……待って。今、聖女って言った?」
「おや、ご存じありませんでしたか」
「何を?」
フィネガンの視線が俺へ移る。
ろくでもない流れだ。
「こちらの方こそ、私の財布に金貨を手招きしてくださる黒騎士ルクス殿ですよ」
サクヤはしばらく何も言わなかった。フィネガンと俺の顔を行き来した視線が、最後に俺のところで止まる。
「……ルクスさん、ほんとに黒騎士様なの?」
「モデルにされただけだ」
「なんで言わないの!」
「俺が黒騎士だなんて大っぴらに言い回ってたら、どう思う?」
「……だいぶ痛い人かなって」
「だろ」
「でも! 憧れだって言った時も!」
「モデルなだけで、お前の憧れてる詩劇の中の黒騎士様とやらは別人だろ」
「本人の前であんなこと言ったの最悪なんだけど!」
今さら恥ずかしさが追いついたのか、両手で顔を覆う。昨夜までなら慌てる姿も面白かったが、今回は俺にも責任があるらしい。
「俺からすれば別人の話を聞いてるようなもんだ」
「その理屈、絶対おかしい!」
しばらく悶えていたが、まだ引っかかるものがあったらしい。指の隙間からこちらを窺う。
「でも聖女もいないじゃん」
「今は修行中で離脱してる」
「……いるんだ」
手がゆっくり下りた。
「じゃあルクスさん、聖女を愛してるのにセラスさんまで侍らせてるの?」
「仲間ではあるが、詩劇みたいな恋仲じゃないし、セラスもそうだ」
「え? そこも違うの?」
「恋愛部分については、多少演出を加えておりますな」
フィネガンが涼しい顔で酒杯へ手を伸ばす。
サクヤは俺を見て、フィネガンを見て、最後にセラスへ助けを求めるような顔を向けた。
「……もう、何が本当なのかわかんないんだけど」
「劇の聖女も結構違ったわよ」
セラスは鞄から聖女のぬいぐるみを取り出し、柔らかな頬を指先でつついた。
「歌劇だとセクシーで、演劇だと深窓のご令嬢って感じだったけど、女優よりこのぬいぐるみのほうが本人に近いくらいだわ」
「情報が増えるたびに分かんなくなってく……」
額を押さえて呻いていたくせに、しばらくすると鞄を探り始める。出てきたのは《黒騎士と聖女》の詩集だった。
「……サインして」
「散々混乱した末にそれか」
「それとこれは別。ちゃんと『サクヤちゃんへ』って書いて」
差し出された以上、断る理由もない。名前を書いてから何となくページを何枚かめくると、覚えのある出来事の間に、俺の知らない俺が随分と勇ましく生きていた。
隣から覗き込んだサクヤが、少し声を落とす。
「……これ、盛ってばっかりってわけでもないんだよね?」
「夢を見るのは自由だからな」
「それ答えてないじゃん」
詩集を返すと、不満そうに口を尖らせながらも、それ以上は追及してこなかった。
その頃には、向かいで別の取材が始まっていた。
「それでね、ラザームでやり合った相手もエルフだったのよ。しかも長銃を使う狙撃手で――」
セラスはもう椅子から立ち上がり、弓を構えるように腕を伸ばしている。フィネガンもすっかり聞き役へ回ったらしく、相槌だけが時折こちらまで届いてくる。
「――最後は向こうがアタシを狙って対魔徹甲弾を撃ってきたの。それをエマが逸らして、そこからが大事なんだからちゃんと聞いてよ」
大仰な声を横に聞きながら、サクヤはサインの入った頁をもう一度眺めた。それから詩集越しに俺を見上げ、まるで品定めでも終えたように小さく頷く。
「まあ……詩劇の中の黒騎士様とは違うけど、ひとまず合格点かな」
「さっきから何の審査をされてるんだ、俺は」
「黒騎士様審査」
「基準がだいぶ厳しそうだが、審査に通らないとどうなるんだ?」
「――それでアタシの矢が銃口にそのまま入って、長銃ごと壊したの!」
「銃口へ矢を? それは実に詩映えしますな!」
向こうだけが妙に盛り上がっている。
サクヤは少し考えるように表紙へ目を落とし、やがて悪戯っぽく目を細めた。
「黒騎士様じゃなくて、ただのルクスさんになる」
「それは何か困るのか?」
「私が困るの」
「随分勝手な審査だな」
「いいの。もう通ったんだから」
そう言ってページの端を丁寧に揃えると、サクヤは満足そうに詩集を閉じた。




