第四十五話 王都へ帰る。そして狐耳の魔術士を拾う。
古戦場を離れる頃には、西の空が赤く沈み始めていた。
戦闘が終わった途端、張り詰めていたものまで切れたらしい。騎乗鹿のところまで戻ると、セラスは大きな欠伸を一つして、荷物から毛布を引っ張り出した。
「もう無理。アタシ寝る」
「寝るって、ここでか?」
「アンタの前なら落ちないでしょ」
当然のように俺の黒鹿へ跨がり、そのまま背中を預けてくる。数分もしないうちに身体から力が抜け、本当に寝息が混じり始めた。
仕方なく手綱を取り直す。隣では牝鹿へ一人で乗ったサクヤが、こちらの速度を確かめるように何度も見ていた。耳もこちらへ向いたままだ。
「帰りはゆっくりですよ。ほんとに。絶対ですからね?」
「今日はもう急ぐ理由もないからな」
「……なら、いいですけど」
声も笑い方も、出会った時のものへ戻っている。一度あれだけ崩れた後では、かえって分かりやすかった。
「無理して戻さなくてもいいぞ」
「何のことでしょう?」
「その喋り方だ」
一瞬だけ耳が後ろへ倒れた。それでも笑顔は崩さない。随分と使い慣れた顔らしい。
「無理に素を出せと言うつもりもない。お前が楽な方で話せばいい」
しばらく俺を見ていたサクヤが、やがて頬を膨らませた。
「……そういう言い方、ずるくない?」
「何がだ」
「こっちはちゃんと感じよくしようとしてるのに、好きにすればって言われたら、頑張ってる方がバカみたいじゃん」
声から甘さが消れた。同時に肩も落ち、さっきまで綺麗に立っていた耳からも力が抜ける。
「……もういい。疲れた」
「そうか」
「それだけ?」
「他に何か必要か?」
「ないけど。ほんと調子狂う」
一度やめてしまえば、取り繕い続ける方が面倒になったらしい。
「最初くらいちゃんと良い子しようと思ってたんだよ。愛想よくして、余計なこと言わないで、面倒くさいって思われないようにして」
「随分意識してたんだな」
「当たり前でしょ。初対面で『私、面倒くさいです』って自己紹介するバカいないし」
「そう言ってくる奴も面白そうで嫌いじゃないが、それはそうだな」
「そこで納得すんな!」
反射的に声を荒らげ、それから自分で額を押さえた。
「……ほら、こうなる。すぐムキになるし、言わなくていいことまで言うし。相手が引いてるか気になったら、余計喋るし……」
尻尾が牝鹿の背に沿って垂れた。声にも、先ほどまでの勢いがない。
「私、その……色々、やっちゃってさ」
そこで言葉が詰まる。視線が街道の先へ逃げた。何をやったのかまでは続かなかったし、今ここで聞き出す話でもない。
「依頼、一緒に行ってくれる冒険者も……なかなかいないんだよね」
「良い子にして生き残れる稼業じゃないだろう」
「……え?」
俯いていたサクヤの顔が、ゆっくりこちらへ向いた。
頬にかかっていた黒髪がわずかにずれ、伏せられていた紫の瞳が俺を捉える。耳も半端に倒れたまま、何を言われたのか確かめるようにじっと動かない。
「あの状況であれだけ声を出せる奴のほうが、俺は良い子より信用できるぞ」
「それ、私がうるさいって意味じゃなくて?」
「うるさくはあった」
「ほらぁ!」
「だが、怖いなら怖い、危ないなら危ないと言う。指示も聞くし、必要な時には術も出す。黙って無理をして、限界で動けなくなる奴より組みやすい」
サクヤはすぐに言い返しかけたが、僅かに寄っていた眉がほどける。
「……それ、もしかして褒めてる?」
「褒めてるぞ。俺の赤い外套を消し炭にする威力の術に関してもな」
サクヤは一度俺の顔を見てから、何かに気づいたように肩口へ目を移した。そこに掛かっていたはずの赤い外套は、もう残っていない。
「……あれは、その……全力でって言われたから」
「分かってる。指示を出したのは俺だ」
「じゃあ言い方!」
「威力まで含めて評価してる」
「なんか腹立つ褒め方ぁ……」
口では不満そうだが、伏せていた耳が少し戻った。けれど、それで全部片付いたわけではないらしい。
「でもさ。そうやって出来るって思われるのも、ちょっと怖いんだよ」
「嫌なのか?」
「嫌じゃないから困るの。任されて、失敗して、やっぱダメだったって顔される方が怖いじゃん」
「任せられないと思ってたら任せてない」
「だからそれが重いんだって!」
俺にとっては出来ると思ったから任せただけだが、サクヤにとってはそう単純ではないらしい。信用されることが嬉しいからこそ、その先にある失望まで先回りして考えてしまう。
「アタシはいまのほうがよっぽど好きだけどね」
「ひゃっ!?」
毛布に埋もれていたセラスが、片目だけ開けていた。
「起きてたの!?」
「アンタがうるさいのよ」
「聞かれてたとか最悪……」
「でも実際、怖がってても逃げないし、動きも止まってなかったでしょ。三等級なら上澄み中の上澄みよ」
「……そこまで言われるのも…なんか…」
サクヤは少し居心地が悪そうに、自分の髪を指先で弄った。
「別に今ので急に評価変えたわけじゃないしね」
「最初から?」
「理由のひとつは、その髪よ」
毛布の隙間から伸びた指先が、腰まで届く黒髪へ向けられた。
「冒険者やってて、そこまで長い髪を綺麗に揃えてる奴ってあんまりいないのよ。戦えば邪魔になるし、傷むし、下手すればそのまま持ってかれるでしょ」
言われて初めて意識したように、指先が腰まで届く黒髪へ触れた。少し戸惑った顔で一房を摘まみ上げ、毛先まで目で追う。
「まあ……そうだけど」
「それでも綺麗に維持してるなら、よっぽど能力が高いか――何も出来ないかのどっちか」
「両極端すぎない!?」
「で、アンタは前者だった」
「……最初から見てたんだ」
「そりゃ見るでしょ。一緒に依頼行くんだから」
セラスにとっては当然のことらしい。だがサクヤはしばらく髪を摘まんだまま黙っていた。褒められたからというより、自分が最初から一緒に動く相手として見られていたことの方が、意外だったのかもしれない。
やがて、その視線が俺の鎧へ移った。
「そういえばさ。前から思ってたんだけど、黒い鎧でルクスって出来過ぎじゃない?」
「何がだ」
「黒騎士好きで、名前まで合わせてる人なのかなって」
「アンタ、黒騎士好きなの?」
眠そうなセラスが、また毛布の中から口を挟む。
「……憧れ。子供みたいだけど」
照れ隠しのつもりなのか、鼻先をそっと掻いた。少しだけ頬を緩めたその仕草は、作った愛想とは違って妙に幼く見えた。
「聖女を守り抜いて、何があっても絶対に離れない人。そういうの、いいなって思うだけ。……まあ、そんな人ほんとにいるわけないけど」
ついさっきまでの話を聞いた後では、単なる英雄への憧れとも少し違って聞こえた。
「黒騎士も詩や劇の通りじゃないかもしれないぞ。もっと俗物かもしれない」
「黒騎士様はそんなことない!」
返す声に迷いはなく、それまで緩く伏せていた耳も、その勢いに合わせるようにすっと起き上がった。
「バカにしないで!」
「随分信用されてるな」
「当然でしょ。何度も聴いて観てきたんだから。今さら疑う方が無理だよ」
本人を前にして言っているとは思ってもいないらしい。
それからは急ぐこともなく、途中で夜を越し、騎乗鹿を休ませながら王都への街道を辿った。
◇
城壁が見えてきたのは、翌日の陽も傾き始めた頃だった。
「アタシ先に酒場行ってるわ。席取っとくし料理も頼んどくから、報告お願いね」
城門をくぐったところでセラスと別れ、俺とサクヤはそのまま冒険者ギルドへ向かった。
受付にデュラハン八体分の魔石を並べ、最後にペイルライダーの巨大な魔石を置く。職員の手がそこで止まった。
「……こちらは現地確認が必要になります。古戦場の状況も含めて調査した後、追加報酬を改めて算定させていただきます」
「わかった、それでいい」
報告を終えて出口へ向かう。古戦場でのことが片付いたからか、隣を歩くサクヤの足取りは少し軽かった。その横顔にも、帰路の途中から増えてきた素の表情がそのまま残っている。
「聖女ならぬ性女は、黒騎士を捕まえたな」
背後から、笑いを噛み殺した声が飛んできた。
その声が耳に届いた瞬間、歩調がわずかに乱れた。耳先が反射的に震えたものの、顔は前を向いたまま――聞こえなかったふりをするように、そのまま足を進めた。
「……ほら、こうなる」
帰路で散々騒いでいた時とは違う。怒っているわけでも、傷ついたことを訴えるわけでもない。ただ何度も見てきた結果を、俺にも見せるような言い方だった。
振り返れば何人かと目が合い、すぐに逸らされた。王都へ来てから時折感じていた妙な視線は、やはり俺だけに向けられていたわけではなかったらしい。
「俺の仲間に言いたい事があるのなら、俺が聞いてやる。直接言いに来い」
ざわめきが少しだけ薄くなったが、立ち上がる者はいない。なら話は終わりだ。
ギルドを出ると、夕方の街は何事もなかったように人で溢れていた。商店の呼び声と馬車の車輪の音が行き交う中、サクヤは数歩後ろからついてくる。さっきまで隣にいたのに、ギルドを出てからはその距離を詰めようとしなかった。
「……あんなこと言っていいの?」
小さな声と一緒に足音が早まり、サクヤが俺の隣へ並んだ。
「言って困るような事はなかったと思うが」
「私が何したとか、なんでああ言われてるとか、何も知らないじゃん」
横を見ると、視線は足元へ落ちている。長い黒髪が頬へかかり、耳も外側へ倒れていた。ギルドで陰口を聞いた時より、俺に問いかけている今の方が落ち着かないように見える。それでも、今度は少しも後ろへ下がらなかった。
「冒険者の過去なんぞロクでもない事ばかりだ。スネに傷どころか、スネが無い奴で溢れてる」
「……なにその変な例え」
小さく笑ったが、まだこちらは見ない。
「過去はどうでもいい。今お前は仲間だ。その仲間に対しての言葉に言い返しただけだ」
隣から足音が消えた。
数歩進んで振り返ると、サクヤはその場に立ったままこちらを見ていた。何か言おうとして唇が動くのに、いつものようには言葉が出てこない。尻尾だけが落ち着かなさそうに一度揺れた。
「……仲間って、ほんとに?」
「間違いなく、そうだ」
ギルドの中でも言ったばかりだ。帰り道であれだけ話して、それでもまだ確認しないと落ち着かないらしい。その顔を見ていると、確かに少し面倒ではある。
「お前、もしかして結構面倒くさい女だな?」
一瞬ぽかんとした顔になり、それから眉が寄る。
「……うるさい」
「否定しないのか」
「うるさい! デリカシーない! ほんっとウザい!」
怒鳴りながら、サクヤは大股でこちらまで追いついてくる。
そして今度は、俺のすぐ隣まで来ても速度を落とさなかった。
さっきまで伏せていた耳はもう立っている。尻尾も、足取りに合わせて軽く揺れていた。口ではまだぶつぶつ文句を続けているのに、頬には隠しきれない笑みが浮かんでいる。
俺が何か言えば、またうるさいと返してくるだろう。
それでも、もう数歩後ろへ戻ろうとはしなかった。
そのまま二人で、夕暮れの王都を歩いていった。




