第四十三話 首無し騎士と首のある騎士
食事を終えて店を出る頃には、王都の空はすっかり暗くなっていた。
俺たちが騎乗鹿を預けていた厩へ着くと、セラスはサクヤの腰まで伸びた黒髪を見て、自分の荷物から髪紐を一本取り出した。
「サクヤ、それまとめときなさい。そのままだと酷いことになるわよ」
「そんなに風強いんです?」
「まあ、乗ればわかるわ」
意味がわからないという顔をしながらも、サクヤは素直に髪を高い位置でまとめた。
俺が黒鹿を連れ出すと、興味を持ったらしいサクヤがすぐ近寄ってくる。
「わ、この子がルクスさんの?」
「俺のというより、一緒に旅してる戦友みたいなものだ」
普段なら知らない相手が不用意に近づけば多少は警戒する黒鹿が、今日は自分からサクヤへ鼻先を寄せた。
「え、なにこの子。可愛い」
嬉しそうに首筋を撫でられ、気をよくしたのか頬まで擦りつけ始める。挙げ句には開いた胸元へ鼻先を突っ込もうとして、サクヤに慌てて押し戻されていた。
「ちょっ、そこはダメですって」
「お前……勇ましさは何処にいったんだ……」
「この子、初対面でここまで触らせるの珍しいわね」
セラスの言葉を聞いたサクヤは黒鹿の首を撫でながら、今度は俺へ上目遣いを向けてきた。
「この子、私のこと気に入ってくれたみたいですし……私、ルクスさんのほうに乗ってもいいですか? ちゃんと掴まってますから。ね?」
「ダメ。サクヤはアタシの後ろ」
俺が答えるより早くセラスが割って入る。
「えー……どうしてです?」
「着いた時に後悔するから」
「私、馬なら何度か乗ったことありますよ?」
「馬じゃないのよ、これ」
まだ納得していない様子だったが、サクヤは手招きされて渋々セラスの後ろへ乗った。
その意味を理解したのは、王都を出てそう時間が経たないうちだった。
「――速あぁッ!?」
風を切る音に混じって、後ろから声が飛んでくる。
騎乗鹿は街道を疾走し、大きく迂回する場所ではそのまま脇の荒地へ踏み込んだ。岩場へ入ってもほとんど速度は落ちず、前方の大岩を蹴った二頭の身体が夜空へ浮く。
「えっ、道あっちですよね!?」
「こっちの方が早いわよ!」
「いや、そういう問題じゃ――わぁっ!?ぴぇえっ!」
着地した直後には斜面を駆け下り、浅瀬なら水飛沫を上げながら突っ切る。振り返れば、サクヤはもうセラスの腰へ両腕を回してしがみついていた。
「怖い! 速い! 怖いぃ! ちょっと待ってください!」
「しっかり掴まってなさい! 慣れたら気持ちよくなってくるから!」
「もう掴まってますよ!うぇっ!また浮いたァ!」
「ちなみにこの速度でルクスと乗ってたら、鎧に顔ぶつけまくって着く頃にはボコボコよ」
「そういうのは先に言ってくださいよ!」
出発前の余裕は完全に消えたらしい。
それでもしばらくは騒ぐ元気があったが、近道になる場所を選んで岩場や斜面を越え続けているうち、次第に後ろが静かになった。大きな段差を跳び越え、着地の衝撃が抜けた直後、とうとう聞いたことのない声が漏れる。
「ウ”ッ……これヤッバァ……ウェッ」
「ちょっと! ここで吐かないでよ!」
「だ、大丈夫です……まだ……たぶん……」
「たぶんじゃ困るのよ!」
さすがにこのまま走らせるのはまずい。
適当な場所で鹿を止めて休憩にすると、サクヤは地面へ降りた途端に膝へ手をつき、しばらくそのまま動かなかった。それでも俺の視線に気づけば身体を起こし、震えている脚を隠すように笑ってみせる。
「全然平気ですよ? 全ぜ......エ”ゥ”ッ」
「そこで強がれる気概は良いと思うが、膝は笑ってるぞ」
「……見ないでくださいよ、そういうところ」
まだ可愛く見せる余裕だけは残しているらしい。
四つん這いになって地面と見つめ合っているサクヤの側に屈み、香草の噛み薬を取り出して渡す。
「これを噛んでおけ。楽になるぞ」
「……苦いやつです?」
「苦いな。だからこそ効くんだ」
「えぇ……」
露骨に嫌そうな顔をしたくせに、受け取る時にはまた俺を見上げて小さく笑った。
「ルクスさんがくれたなら、ちゃんと噛みますけど」
口へ入れた直後、その笑顔があっさり崩れる。
「にっがぁ……!」
「だから苦いと言っただろ」
「そうですけどぉ……もうちょっと加減ってものが……」
薬が効くまで休ませてから再出発する。二度目は学習したらしく、サクヤは乗るなりセラスの腰へしっかり腕を回した。
「今度は準備いいじゃない」
「学習しました......もう、なりふり構ってられません」
そこから夜を越えて何度か休憩を挟みながら走り続け、古戦場へ到着したのは翌日の昼頃だった。
緩やかな丘陵の先に広がっていたのは、草原と呼ぶにはあまりにも荒れ果てた土地だった。
黒ずんだ槍の穂先や折れた剣が土から突き出し、朽ちた盾や鎧の残骸がところどころで草に呑まれている。低く漂う霧のせいか昼だというのに遠景は白く霞み、風が吹くたび、どこかで錆びた金属同士が擦れる音がした。
ここからが依頼の本番になる。
長時間の移動を終えたばかりで、そのまま戦わせる理由もない。古戦場を見渡せる場所で鹿を休ませ、俺は多次元ポシェットから果物の砂糖漬けが入った瓶とチョコレート、それから水を取り出した。
「食っておけ、水分もだ。セラス、お前もだぞ」
「アタシも? じゃあ、いっただきまーす」
「ここからが本番だ。少し休憩してからいくぞ」
サクヤは差し出した瓶と俺を交互に見たあと、素直に受け取った。
セラスも砂糖漬けを一つ摘まんで、チョコレートと一緒に口に放り込んだ。味覚はどうなってるんだ。
「魔術士は糖分を摂らないと動けないと、口五月蠅いやつがいたんだ」
「ルクスさん、こういうのまで持ち歩いてるんですね」
「必要になることがあるからな」
「じゃあ、私が甘いもの好きなのも覚えておいてくださいね?」
「食えるものなら覚えておく」
「……そういう返しなんですね」
何が不満なのかわからないが、サクヤはチョコレートを口へ入れながら頬を少し膨らませた。
水分を取らせ、身体が十分落ち着くのを待ってから古戦場へ踏み込む。
足元には崩れた石積みや武具の残骸が多く、騎乗したまま戦うには向かない。鹿を退避させ、俺たちは徒歩で霧の中を進んだ。
空気に混じる魔力は、王都周辺とは明らかに違っていた。肌で感じることはできないが、視界の隅に浮かんだ表示がそれを知らせてくる。
《魔力濃度により広域探知に阻害有り》《探知可能範囲の敵性存在、九》
「探知できる範囲に九体いるみたいだな」
「……なんで数がわかるんですか?」
サクヤが足を止めかけると、セラスは霧の奥へ視線を向けたまま平然と答えた。
「教えてくれる声があるらしいわよ」
「声?」
「ルクスにしか聞こえないやつ」
今度は俺へ視線が向く。明らかに説明を求めていたが、それより先に霧の奥から金属を引きずる音が届いた。
一つではない。
白い霧を割って、最初に姿を見せたのは首のない鎧騎士だった。右手には錆びた長剣。少し離れて槍を携えた二体目が現れ、さらに左右から姿を増やしていく。
半円を描くように広がりながら、こちらを囲もうとしている。
その光景を眺めていたセラスが、ふと俺と首のない騎士たちを見比べた。
「デュラハンって、ルクスの親戚みたいなもんじゃないの?」
「ルクスさんは首ありますし、魔獣じゃないですよ」
「可能性は否定しきれないな」
「あはっ、ルクスさんもそういう冗談言うんですねっ!」
サクヤが八重歯を覗かせて笑いながらこちらを見上げたところで、正面の一体が剣を持ち上げた。
「戦果を挙げたら、もっと面白い話を聞かせてやる」
「じゃあ楽しみにしてます。後でちゃんと聞きますからね!」
言いながらも切り替えは早い。
袖から引き抜いた札を指に挟み、サクヤが一歩前へ出る。さっきまで鹿に酔っていた姿とは違い、視線はすでに敵の足運びと武器へ向けられていた。
正面右からデュラハンが駆け込む。
振り下ろされる剣より先に札が飛び、地面へ張り付いた。足元に淡い光の線が走った瞬間、踏み込んだデュラハンの身体が不自然に止まる。
「急急如律令.....呪符、雷霆っ!」
雷光が鎧を直撃し、継ぎ目という継ぎ目から青白い火花が噴き出す。膝を折った相手へ間を置かず二撃目を叩き込み、首のない巨体が錆びた剣ごと地面へ倒れた。
「ほぉら、どうです? 私だって可愛いだけじゃないんですよ?」
こちらへ向いた顔には、さっきまでとは違う余裕が戻っている。
三等級という肩書きは伊達ではない。そう思ったところで、サクヤの視線が俺の横へ移った。
セラスの指先が弦から離れる。弦音が届く頃には、矢はすでにデュラハンの膝裏を撃ち抜いていた。
一射目が膝裏の隙間へ入り、脚が崩れる。重心が落ちたところへ二射目が肘を射抜き、剣を持つ腕が垂れた。身体を捻って逃れようとした先へ三射、四射と矢が続き、反対の膝と肩まで正確に潰される。
鎧そのものを射抜こうとはしていない。
動かすために必要な箇所だけを壊されたデュラハンは、数歩も進めないまま地面へ崩れ落ちた。
「……普通の矢ですよね、それ」
「そうだけど?」
「そうだけど、じゃないですよ」
感心している暇はない。
左手から回り込んだ二体が俺へ迫り、その後ろでは別の個体が突進の機会を窺っている。
俺は右の剣を双剣の片方で外側へ流し、開いた胴へもう片方を斬り込む。そのまま身体を入れ替えて二体目の斬撃を躱すと、横から飛んできた札が相手の胸へ張り付いた。
「私にまっかせてください! 封締式っ!」
サクヤの声に呼応するように胸へ張り付いた札が淡く輝き、術式の光が鎧の表面を這って四肢へ伸びる。踏み込もうとしていたデュラハンの動きが途中で縫い止められ、振り上げた剣もそこで止まった。
その隙へ踏み込み、首元から胸甲までを斬り裂いた。
俺たちが正面を崩す間にも、セラスの矢は別方向から迫る敵の脚を射抜き続けている。
サクヤも一体を倒したところで満足せず、俺たち二人と敵の位置を見ながら術を切り替えていた。
俺の死角へ回ろうとした個体には拘束を、セラスへ距離を詰めようとした相手には雷撃を差し込む。
判断が早い。それ以上に、無理に自分で仕留めようとしないのがいい。
残ったデュラハンは数を減らすほど包囲を維持できなくなり、最後の一体もセラスに足を止められたところを俺が斬り伏せた。
戦場に静けさが戻る。地面には八つの黒い鎧が転がり、漂っていた霧がその間をゆっくり流れていた。
「これで……八体」
呼吸を整えながらサクヤが周囲を見回す。
俺も剣を下ろさない。探知にかかった敵性存在は九だ、まだ一体いる。
その時、古戦場の奥から、これまでとは質の違う音が響いた。
鎧の擦れる音でも、武器を引きずる音でもない。もっと重く、地面そのものを叩いているような低い振動が、霧の向こうから一定の間隔で近づいてくる。
足音が一つ響くたびに、転がっていた小石が僅かに跳ね、朽ちた剣の柄が土の上で震えた。
セラスが弓を構え直す。サクヤも術札を持つ手を下げず、さっきまで残っていた余裕を消して霧の奥を睨んでいた。
やがて白い靄の向こうに、黒い輪郭が浮かぶ。それが一歩踏み出した瞬間、霧の中から鎧の脚が現れる。
通常のデュラハンと似た黒い甲冑でありながら、何もかもが一回りどころではなく大きい。
さらに、肩の上には頭部がある。首のない騎士を八体見た直後だからこそ、それだけで妙な違和感があった。兜の奥にある顔は霧と影に沈んで見えない。それでも、こちらを見ていることだけは嫌でもわかる。
右手に握られているのは大剣だった。長い、という言葉では足りない。人間なら数人がかりでも扱えるか怪しい鉄塊を、そいつは片手で地面すれすれに提げている。
一歩。
また地面が震えた。八体のデュラハンを相手にしていた時とは、明らかに空気が違う。
霧を押し退けるように現れた巨体を見上げ、セラスが先ほどの話を思い出したように口を開いた。
「親戚っていうか、親みたいなの出て来たわよ」
「さっきより尚更否定しきれなくなったな」
「いや、そこは否定してくださいよ!」
反射的に突っ込んだサクヤだったが、すぐに声色が変わった。
巨大な騎士の姿を確かめ、僅かに息を詰める。
「……ペイルライダー」




