第四十話 商会ミレイユさん
王都まで、あと数時間。
街道脇の開けた場所で隊商が止まり、最後の休憩に入った。ここまで荷を引いてきた馬たちに水と餌が配られ、御者や護衛もそれぞれ身体を休めている。
神々の森から連れてきた騎乗鹿たちは、隊商の歩みに合わせて三日進んだ程度では疲れた様子もない。
エマは栗毛の牝鹿の前に桶を置き、水を飲む様子を見守っている。その隣ではセラスが首筋を撫で、乱れた毛並みを指で整えていた。
「やっぱり、お前が触ってると大人しいな」
「アタシたちの森でずっと繋がってきた血統だもの。扱いは慣れてるわよ」
「セラスさん、この子にお菓子あげてませんでした?」
「それも立派な交流よ」
「やっぱりあげてたんですね……」
二人の会話を聞きながら、俺は黒鹿の鞍を確認する。長旅というほどではなかったが、隊商に速度を合わせる旅は騎乗鹿にとって随分のんびりしたものだったらしい。
「皆さん、お疲れ様です」
声の方へ向くと、馬車を降りたミレイユがこちらへ歩いてきていた。艶のある栗色の髪を背へ流し、琥珀色の瞳を楽しそうにこちらへ向けている。
「こうして近くで見ると、エマさんって本当に可愛らしい方なんですね」
「えっ、わ、わたしですか?」
いきなり矛先を向けられ、エマが桶の前で困った顔をする。
「舞台ではもっと、こう……近寄りがたい聖女様という印象でしたから。こんなに愛らしい若い治癒術士の方だとは思っていませんでした」
「そ、そんな……なんだか最近、褒められる事が続いてます…… 」
「褒められてるんだから素直に喜んどきなさいよ」
セラスが笑いながら割り込むと、視線が今度はそちらへ移った。
「それに、こんな綺麗なエルフの方までご一緒だなんて。黒騎士様、思っていたよりずっと華やかな旅をしていらっしゃるんですね」
「あら。見る目あるじゃない」
単純が過ぎるほど、わかりやすく機嫌が良くなった。
「本人の前で言うと調子に乗るぞ」
「なによ。事実なんだからいいでしょ?」
反論するセラスを放っておき、俺はミレイユへ向き直った。
この三日で、彼女が俺たちを気に入っていることは嫌というほどわかった。ただ、リーディアム商会の人間として各国に商売の繋がりを持っているのなら、こちらにも頼みたいことがある。
「そういえば、他国にも顔が利くほどの商会だと聞いたんだが――それを見込んで、頼みがある」
「まあ!」
ミレイユの琥珀色の瞳に、ふっと楽しげな光が差した。
「黒騎士様に頼っていただけるなんて嬉しいですね。それで、どんなことでしょう?」
「これだ」
多次元ポシェットからシンデレラを取り出す。
大きな銃身が姿を現した途端、視線がそこへ吸い寄せられた。さすがに予想していたものとは違ったらしく、しばらく無言で全体を眺めている。
「……これは、また随分と」
「名前はシンデレラ。ラザームで手に入れた魔導技術仕込みの銃だ。刻まれているのは昔の帝国領で使われていた文字らしいが、俺たちには内容までは読めない」
ミレイユは刻印へ視線を落とし、今度は少し商人らしい顔つきになる。
「魔導技術でしたら、やはり帝国ですね。あちらの専売特許と言っていいでしょう」
「やっぱり帝国か」
「ただ、まだ実戦配備できるほどには至っていないと……少し口の軽い方から伺ったことがあります」
「口の軽い方?」
「そこは聞かないでください」
答える代わりに、意味ありげに口元を緩めた。
それ以上は聞くな、ということらしい。あの商会が他国にまで顔を利かせている理由の一端を、少しだけ覗いた気がした。
彼女は改めてシンデレラを眺め、刻まれた文字を目で追う。
「シンデレラ……確か、とても古い童話に出てくるお姫様の名前じゃなかったかしら」
「童話?」
「ええ。細かいところまでは覚えていませんけれど」
それだけ言うと、今度は傍らに置いた弾薬の方へ目を向けた。
「……私の指より太くて、それに長いですね」
一本を覗き込み、少し身を屈める。
「これ、実際に撃ったことはあるんですか?」
「演劇になる前の話は聞かないんじゃなかったか?」
「あら」
一瞬だけ目を丸くしたあと、ミレイユは自分でも可笑しくなったらしい。
「ふふ。私ったら、すっかり興奮してしまって。今のは忘れてください」
「随分楽しそうだな」
「だって、こんなに重そうな武器、普通の殿方では持ち上げることすら難しいでしょう?」
言われてみればその通りだ。以前セラスが持ち上げようとしていたが、まともに扱える重さではなかった。俺が普通に持てるせいで、その異常さを忘れかけていたらしい。
「こんな予想外の得物まで持っていらっしゃるなんて。ますます、いろいろお話を伺いたくなってしまいます」
「だから聞かないんじゃなかったのか?」
「それとこれとは別です」
「別なのか……」
都合のいい線引きだ。
ミレイユは荷物から紙と筆記具を用意すると、刻まれている文字を丁寧に書き写していく。さっきまでの浮ついた様子が薄れ、手元を見る目は商人らしく真剣だった。
「私の方でも、出来得る限りは調べてみますね」
「手間をかけさせて悪いが、頼らせてもらう」
「では、その代わりに私も報酬をいただかないと。タダで仕事はしない主義なんです」
何を要求するつもりなのかは、だいたい見当がついた。
「金で満足するようには見えないな……詩にも劇にもなってない話なら、どうだ?」
この令嬢への報酬として琴線に触れたらしい。
ミレイユの琥珀色の瞳が、先ほどより露骨に輝く。
「それは、とても魅力的ですね」
俺は牝鹿の首筋を撫でているセラスと、その横で水桶を片付け始めたエマを指さした。
「神々の森での話だ。あいつに会いに行くために、エマと二人で入り込んだ森で起きたことと――化け物蛙の話」
「まあまあ! そういうお話が聞きたかったんです。それなら報酬として十分ですよ」
商人らしい取引が成立したところで、休憩終了を知らせる声が上がった。
◇
王都へ着いたのは、それから数時間後だった。
巨大な城壁と門を前にして、以前ここまで来た時のことが少しだけ頭をよぎる。あの時は身分を証明するものすらなく、俺だけが門の外に残った。
だが、今は違う。冒険者としての身分もあり、門を通る理由もある。
妙な感慨に浸るほどのことではないが、同じ場所でも立場一つで随分違って見えるものだ。
隊商が所定の場所へ入り、護衛としての仕事もそこで終了となった。
「アタシ、エマとデートがあるから! 報告とか諸々、よろしくね!」
「ルクスさん、ごめんなさい!」
終わった途端、セラスがエマの腕を取って駆け出した。
「ちょ、セラスさん、まだ――」
止めるより先に、多次元ポシェットから財布を出して放った。
「セラス、好きに使え」
片手で受け取ったセラスが、ずしりとした重みを確かめて笑う。
「よくわかってるじゃない! 使いきるわよー!」
「そんなに使わなくてもいいですからね!?」
「ほら、行くわよ。今日はデートなんだから」
抗議するエマを連れて、そのまま人混みへ向かっていく。
「ルクスはあんな姿じゃ観劇なんて出来ないからね。アタシたちがしっかり見届けて、あとで感想を聞かせてあげないと」
「それは……まあ、そうですけど」
「で、どっち観る?」
「どっち?」
「演劇の『黒騎士と聖女』か、歌劇の『愛を紡ぐ聖女、黒騎士に抱かれて』」
「普通の方でお願いします!」
遠ざかりながら聞こえてきた即答に、思わずそちらを見る。
「えー、歌劇の方が面白そうじゃない。『黒騎士に抱かれて』よ?」
「題名を強調しないでください!」
エマもあれだけ振り回されながら、嫌そうではない。あの二人なら放っておいても問題ないだろう。
「お二人とも楽しそうですね」
隣に残ったミレイユも二人の背中をしばらく見送っていたが、やがてこちらへ向き直る。その口元には、まだ微笑ましげな笑みが残っていた。
「王都での滞在先は、まだ決まっていらっしゃいませんよね?」
「まだだな。いちばん文句を言いそうな奴が、たったいま街中に消えていったばかりだ」
「でしたら、こちらで手配します。そのお姿では一般の宿だと目立つでしょうし、調べた内容をお伝えするにも、その方が都合がいいでしょうから」
「そこまで頼っていいものかわかないが、助かる」
「私も気兼ねなく伺えますし」
「そっちが本命じゃないだろうな?」
「さて、どうでしょう?」
場所だけ聞き、セラスに押し付けられた報告の為に、俺は先に冒険者ギルドへ向かった。
◇
護衛依頼の達成報告を済ませ、その足で第二騎士団の詰め所にも立ち寄った。
ガダン本人には会えなかったが、当然といえば当然だ。
こちらが知っているからといって、騎士団長がいつでも暇を持て余しているわけではない。
ラザームで起きた一件について直接報告したいとだけ伝え、面会の希望を残す。返答は滞在先へ届けてもらうことにして、ミレイユから聞いていた場所へ向かった。
そして、着いて早々に立ち止まる。
「……宿?」
王都の中心から少し離れた静かな一画。
石塀の向こうには庭があり、その奥に立つのは二階建ての立派な建物だった。聞き間違えたかとも思ったが、門の位置も番地も合っている。
中へ通されると、さらに宿という言葉から離れていく。
広い玄関に、磨かれた床。落ち着いた調度品まで揃っており、どう見ても屋敷に近い。
「お待ちしていました」
その奥から現れたご令嬢は、俺の顔を見るなり楽しそうに笑った。
「……本当にここで合ってるんだな?」
「ええ。リーディアム商会が出資している宿です。商会のお客様にも使っていただいていますので、遠慮なく滞在してください」
「宿というより屋敷に見えるが」
「快適なら、どちらでもいいじゃありませんか」
商人の感覚というのは、たまにわからない。
「お二人は観劇に行かれたんですね。でしたら、言ってくだされば良い席をご用意しましたのに」
「エマはこれから神秘伝授で、しばらく忙しくなるらしい。その前に少しくらい息抜きさせてやろうって考えなんだろう」
「まあ。セラスさん、思っていたよりずっとお優しいんですね」
「褒めすぎると、調子と書かれた玉に乗って踊り始めるから程々にしてくれ」
「ふふ、そうします」
案内された部屋で腰を落ち着けると、ミレイユも向かいへ座った。
「ルクス様は、王都に滞在中はどうされるおつもりですか?」
「騎士団長には会うつもりだ。ただ、『会いに来ました』『はい、どうぞ』で通るような相手でもないからな」
詰め所で面会希望は出してある。あとは向こうの都合がつくのを待つしかない。
「それまでの間は、冒険者らしく依頼でも受けるつもりだ」
「でしたら、しばらくはこちらで過ごせるのですね?」
「エマの神秘伝授もある。すぐ出ることはないと思うが......」
「それなら安心しました」
何が安心なのか。
聞こうとしたところで、ミレイユが身を乗り出すわけでもなく、それでも明らかに期待の籠もった目をこちらへ向けた。
「それでは……先ほど約束していただいたお話、聞かせてくださいます?」
「もう報酬を取り立てるのか?」
「ふふ。タダで仕事はしない主義だと申し上げたでしょう?」
なるほど。やはり商人というものは、約束を忘れてはくれないらしい。




